動かずとも、その存在感で圧倒し、他の生物の思考すら支配すると言われる存在、竜のグリオール。グリオールを殺した者には報償が与えられるのだが、未だ誰もそれを為し得ていない。エリック・キャタネイは、グリオール殺しを絵を描く事で達成すると大見得を切るのだが、、、
著者はルーシャス・シェパード。
『緑の瞳』
『戦時生活』
『ジャガー・ハンター』等の翻訳物があるが、
現在は絶版。
本邦では、著者の作品の久しぶりの紹介です。
『竜のグリオールに絵を描いた男』。
何とも気になる、
魅力的な題名でしょうか。
いや、
ドラゴンに絵を描くって、
そんな事したら、食べられるでしょ?
そう突っ込まずにはいられません。
しかし、そのグリオール、
実は、何千年も前に魔術師に敗れ、
その活動を停止しているのです。
しかし、
活動を停止しても、
生命活動は継続し、
現在のサイズは、
体高750フィート(228.6メートル)、
体長6000フィート(1828.8メートル)という大きさになっているのです。
!?
デカくね!?
ちょっとした山脈くらいのスケール感があります。
それが、グリオール、
それが、本作を支える絶対的な存在なのです。
本作『竜のグリオールに絵を描いた男』には、
そんなグリオールの居る世界を舞台にした中篇4作品が収録されています。
人間の「個」という、ちっぽけな存在が、
竜のグリオールという、大きな存在と、どの様に関わって行くのか?
本作に描かれるのは、そういう物語です。
舞台設定として、竜や魔法使いが出て来ますが、
いわゆる
『指輪物語』や『ハリー・ポッター』みたいなファンタジー小説みたいに、
剣や魔法が飛び交う作品ではありません。
物語の「質感」は、
あくまでもリアルベース。
登場人物が感じる、
不安、不満、恐れ、怒り、絶望、
そういった、
今を生きる我々にも通づる感情の諸々、
つまり、
人間の生き様を描いた作品と言えるのです。
そういうリアル感が、
共感性を呼ぶ作品だと言えます。
魅力的なファンタジーの世界観にて描かれるは、
人間の有様の物語。
『竜のグリオールに絵を描いた男』は、
ジックリ楽しめる作品なのです。
因みに、本作、
巻末に熱の入った解説が収録されていますが、
ネタバレが激しいどころでは無く、
収録されていないシリーズ作品のネタバレすらしています。
その事を念頭に置いて、
それでも構わない、という方は解説を読んでみましょう。
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『竜のグリオールに絵を描いた男』のポイント
「個」と「世界」の物語
「自意識」と「環境の強制力」の境界とは?
人生の選択
以下、内容に触れた感想となっております
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「個」と「世界」の物語
『竜のグリオールに絵を描いた男』は、ファンタジーです。
とは言え、
いわゆる『指輪物語』や『ハリー・ポッター』的な、
剣戟や魔法の飛び交う、アクション的なファンタジーではありません。
むしろ、
マジックリアリズムとも言うべき作品なのかもしれません。
つまり、
ファタンタジーという形式、世界観ではありますが、
世界観を語る為の物語では無く、
あくまでも、
物語を語る為に、ファンタジー世界の世界観がピッタリだった、
そんな印象を受けます。
確かに、
高さ130メートル、
長さ1830メートルのドラゴンなんて、
ファンタジーでしか有り得ない生物ですが、
このグリオールという竜は、
いわゆる
「個」に対する「世界」そのものの象徴と言える存在なのです。
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収録作品解説
では、収録作品を簡単に解説してみたいと思います。
本作は連作中篇4篇の物語です。
とは言え、
「竜のグリオールが存在する世界」
という共通点があるだけで、
この4作品が、
同じ世界であるとは断言出来ないのが、
本作の面白い点の一つとなっています。
竜のグリオールに絵を描いた男
先ず、グリオール自体が突飛な存在ですが、
そのグリオールを絵を塗って殺すという発想が、それに輪を掛けて突飛です。
そして、
その詐欺としか思えない提案を受け入れる長老達にも驚きを禁じ得ません。
客観的に見ておかしいと思う事でも、
当人がいたって真面目だと、周りはみんな騙される。
結局、声が大きい人間の主張が通るのです。
…しかし、これは物語の序盤の展開。
竜のグリオールを絵を塗って殺すと宣言したエリックは、
それを実現しますが、
彼が気に懸けるのは、人生にて選択しなかった事、
後悔している事。
人間、何かを為しても、
結局は自分が納得しないと満足感や充実感は得られない、
人生とは無い物ねだりなのだと思わされます。
そして、
そんな後悔に塗れた人生の中で、
その目的である「グリオールの殺害」まで達成してしまったなら、
その後、どうやって生きて行けばいいのか?
物事を達成する事が、
成功では無く、
むしろ絶望になるという例を示しています。
鱗狩人の美しい娘
存在しているだけで、周りの人間に影響を及ぼすというグリオール。
その彼が支配する、
グリオール自身の体内で、人生を送るキャサリンの物語。
デカ過ぎる存在のグリオールの体内が、
まるでダンジョンの様になっているのが面白いです。
キャサリンの苦悩は、
そのまま学生時代に自分が感じていた苦悩に通じるものがあります。
敷かれたレールを走るのが嫌で、
しかし、そこを走らざるを得ず、
その中に「やり甲斐」みたいな物を見出しても、
それは一時の気の慰みにしかならず、
そもそも、生きている目的とは何なのか、それすらも分からない、、、
グリオールという絶対的な存在が強制する「世界」は、
青春を送る「個」にとっては、窮屈な檻でしかありません。
しかし、
いつか、その檻から出て、広い世間と対峙する時が来ます。
その時に初めて、
自分が、「強制された世界」というものに守られていたと気付くのです。
青春そのものを描いた作品、
と言えるのではないでしょうか。
始祖の石
理想を持った人間が、堕落するまでを描く物語。
人に、行動を強制する力があるというグリオール。
この前提を使って描かれるのは、
嘘と裏切りの人間心理サスペンス。
自分ですら、本当に自意識によって行動しているのか分からない。
こういう状況の中で、
あくまで自己の行動に責任を持つのか、
それとも、
「グリオールの強制力」という、自分より強い力の存在を傘に着て、自分の責任を放棄するのか?
結局、物語としては、本当にグリオールの強制力が働いていたのかは分かりませんが、
コロレイ自身は、
「グリオールの強制力を受け入れる」という事を、
概念として認識する事で、
彼自身の責任を放棄する事になります。
結局、
本当に強制力があるのかは定かでなくとも、
コロレイの後の人生は、
自分が考えた「グリオールの強制力」に縛られるものとなるのです。
自らの限界を決めるのは、
自分自身とよく言います。
そういった、自己暗示の様な、
堕落した世界に堕ちてしまうラストが残酷な余韻を漂わせます。
嘘つきの館
他者が何を考えているのか、
それを正確に知る事は出来ません。
それが、愛して結婚した相手でも、です。
本作は謂わば、夫婦生活の極端な戯画とも言える作品です。
ちょくちょく挟まれる、
独身男の惨めな独白がリアル過ぎますが、
それにプラスして、
持てない男が、女性を理想化するが、
現実は、その理想と乖離していて幻滅する様子もまた、
リアルに描かれ、
例え理想と違っても、貢ぐしか能が無い男の悲哀をまざまざと見せつけてきます。
先が見通せない人生というものの不安を、
「グリオールの強制力」として表現していますが、
その不安から逃れる為に選ぶのは、
人は、見たい物を見るという事です。
苦しい状況、苦しい人生の中で、
自分の都合の良いように世界を眺める事が、
自由に生きるという事と同義なのかもしれません。
どのエピソードも、
グリオールという絶対的な存在(=「世界」)に対する、
「個」のちっぽけな苦悩を描いた作品なのだと言えます。
この「世界」とは、
学校だったり、会社だったり、
家族、夫婦、規則、法律、社会常識、禁忌 etc…
そういった、
「個人」を外から規制する、
「社会的通念」みたいなものの象徴(メタファー)として描かれた存在、
それがグリオールなのです。
この強制力を、
受け入れて身を任せるのか、
あくまで反抗するのか、
その概念自体を利用するのか、
各人各様の在り方は、
社会という個人を枠に嵌める世界の中でどう生きて行くのか、
そういう示唆にも富んだ作品と言えるのではないでしょうか。
人生とは、選択の連続です。
しかし、
その選択は、本当に自分の意思なのでしょうか?
それは、
世間がそうだから、常識がそうだから、という、
社会通念に添っているだけなのではありませんか?
生きていたら、ぶん殴りたい相手の一人や二人はいるでしょう。
ですが、その相手に暴力を揮わないのは何故でしょう?
暴力を使ったら、
その分自分も罰せられるという法律があるから、自制しているだけですよね。
そういう、
外部からの要因、
それは、グリオールの強制力と何か変わりがあるでしょうか?
普段は空気の様に何も感じなくても、
そういう強制力を、いざという時に身に沁みて感じられます。
そういう窮地の中で、
自分はどういう選択をするのか?
その選択すら強制力の中の物事ですが、
しかし、
選択を連続する事で、物事は先へと進んで行きます。
その進んだ選択の果てに拓ける世界こそが、
自由と呼べるものなのかもしれません。
ファンタジーと一口で言っても、
こういう作品もある。
人と人生、社会との関わりに想いを馳せる、
『竜のグリオールに絵を描いた男』は、
そういう哲学的な物語なのです。
*書籍の2018年紹介作品の一覧をコチラのページにてまとめています。
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