ファンタジー小説『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ(著)感想  忘却とは優しさか、無責任か!?

 

 

 

アーサー王亡き後のブリテン島。戦は絶え、平和な世が築かれていた。そんなある村で暮らす老夫婦。村全体が奇妙な記憶喪失に包まれた集落。夫婦は息子に会うために旅に出る事を決意する、、、

 

 

 

著者はカズオ・イシグロ
生まれは日本だが、5歳で渡英。
現在はイギリス国籍で英語の文学作品を発表する作家である。
2017年のノーベル賞文学賞を受賞した。

他の著書に
『遠い山なみの光』
『浮世の画家』
『日の名残り』
『充されざる者』
『わたしたちが孤児だったころ』
『わたしを離さないで』
『夜想曲集』がある。

 

現在、最もホットな作家の作品がベストなタイミングで文庫化された。

読むしか無いでしょう!

 

本作『忘れられた巨人』は

ファンタジーである。
鬼やドラゴン、ガウェイン卿が出てくる。

 

舞台はブリテン島、6世紀中盤辺りか。

しかし、ファンタジーと言ってもそれは、物語の舞台設定がそうだというだけである。

『ハリー・ポッター』の様にホウキで空を飛んだり、杖から光線が出たりはしない。

主人公はアクセルとベアトリスという老夫婦二人。

奇妙な忘却に覆われた静謐な世界で、忘れてしまった何かを求める道中記形式の物語である。

 

老人二人がメインの話なので、物語はゆっくりと進んで行く。
そして、物語のテーマや謎にもきちんと説明がなされる。

だが、

その明かされた世界に何を思うのかは読んだ人それぞれである。

 

ハッピーエンドなのか?
バッドエンドなのか?

読んだ人それぞれの解釈がなされる、後を引く作品である。

 

 

以下ネタバレあり


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  • ブリテン人とサクソン人、ケルン

まず、ブリテン人とサクソン人についてチェックしてみたい。

ブリテン人がもともとブリテン島にいた民族。
キリスト教を受容していたようだ。

サクソン人は4世紀から5世紀にかけてブリテン島に入植した民族。
アングロ・サクソンの起源となった人達で、キリスト教を受容していなかった。

いわゆる「アーサー王伝説」はキリスト教の影響を受けていると言われるので、ブリテン人寄りの物語なのだろう。

『忘れられた巨人』に出てくるガウェイン卿はその「アーサー王伝説」のキャラクターである。

また、クライマックスで出て来た「巨人のケルン」といいう単語の「ケルン」とは何か?

「ケルン(cairn)」とは「積み石」の事である。Wikipediaの記載によれば、その目的は
埋葬場所の特徴付け及び慰霊
山の頂上を特徴付けること
特定のルートを示す道標
と説明されている。

 

  • 忘れられた巨人とな何か?

『忘れられた巨人』の原題は『THE BURIED GIANT』。
直訳したら「埋葬された巨人」といった辺りか。

そして、勿論、巨人とは「記憶」の事である。
文庫版p.470にずばりそのものが書かれている。

では、何故記憶を埋葬したのか?
それは不都合な記憶があるからだ。

法と秩序によってある程度の安定を保っていた国で、「サクソン人の復讐」を恐れたアーサー王は「先手必勝」とばかりに、サクソン人を虐殺する。

そして、その「事実=記憶」を「無かったこと」にする為に、竜にマーリンの魔法を乗せて国中を総健忘症に陥れたのだ。

 

  • 忘却は平安か?

ガウェイン卿はこれを「平安」と言うが、それは征服者からの上から目線である。

自分たちの悪行を「忘れる事」で「無かった事」にして、皆仲良く、お手々繋いで暮らしましょうとどの口で言えるのか?
事実を水に流すかどうかはやられた被害者の選択であり、やった方がそれを押し付けるのは傲慢である。

そして、解消され無い因縁、恨みの情は、世代を超えて、無意味に継承される。
世代を超える恨みは、歴史や体験を踏まえない「宗教的な信念」となってしまうので、さらに質が悪い。

アクセルとベアトリスは不都合な記憶があろうとも、それを思い出すという選択をする。

ガウェインの信念と比べると、老夫婦の主張はいかにも幼い感じがする。
しかし、過去を清算出来ずに、曖昧なまま生きる事は果たして出来得るのだろうか?

時の経過による感情の摩耗で、和解が成立する事も確かにあろう。
だが、解決せずに放って置いた問題は、時の経過の下から、発掘される頭蓋骨のように不意に現れる時もある。

忘却という無責任で偽りでも平安を享受するのがいいのか?
真実を暴き出し、復讐という名の不毛な騒乱の種を見出す方がいいのか?

難しい問題だ。

 

  • 最後に訪れるのは?

ラストシーンも印象的だ。
物語的には決着を付けるが、ラストに読者毎の解釈が出来るモノを置いている。

本当に相手を信用して良いのか?
それより、自分を信じられるのか?
なんとも後を引く終わり方である。

 

 

カズオ・イシグロは日本生まれ。
だがイギリスで成長し、文化的、思想的には全きのイギリス人だろう。

そういう成り立ちが、ウィスタンのキャラクターにも投影されているのかもしれない。

彼の恨みと困惑は、果たしてどちらに向けられたものか?
そういう事を考えてみるのも面白い。

映画化もされ、日本で舞台化、ドラマ化もされた著者の代表作

 


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さて次回は、忘れた頃にやって来るのが風邪である。風邪を引かぬ様にするにはどうすれば良いのか?『かぜの科学』について語りたい。