旗本の深見新左衛門は、借金の催促に来た宗悦を斬り殺した。
これが因縁の始まり。
深見の家は改易となり、当時乳飲み子だった次男の新吉は、長じて宗悦の娘の豊志賀と深い仲になる。本人達はその事を知る由もなかったのだが、、、
著者は三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)。
円朝とも表記される。
本名・出淵次郎吉。
落語中興の祖として知られ、
彼の口述筆記を参考にした二葉亭四迷が言文一致運動をおこしたと言われる。
数々の落語を自作、
『怪談牡丹灯籠』
『怪談乳房榎』等。
海外文学の翻案なども行っている。
三遊亭円朝、
『真景累ヶ淵』、
名前だけは伺っていた作品。
怪談噺として有名な本作、
今回、初めて読んでみました。
いやぁ面白かった。
まず、
会話形式で進む話、
場面の情景がありありと目に浮かびます。
イメージ喚起力が凄いです。
そして、本作、
落語の「有名な怪談」という前知識はあったのですが、
実際に読んで見るとちょっと違います。
三幕構成で描かれる、
総合エンタテインメント。
確かに、最初は怪談なんです。
しかし、読んで行くと、徐々に空気感が変化、
何時の間にか、
話の内容がアサッテの方向に行っています。
そして、これが面白い!!
映画で例えるならば、
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』。
物語中の、作品内容の「転調」とも言うべき方式を採っているのです。
怪談噺として有名なのは、前半の部分。
この部分が、
何度も歌舞伎や映画化され、そのイメージで、
『真景累ヶ淵』が有名になったのだと思います。
しかし、
実際に物語がクライマックスとして盛り上がるのは、後半の部分です。
怪談噺として有名な『真景累ヶ淵』。
しかし実は、世間にあまり知られていない、
非怪談部分の後半込みで面白い作品だった!!
『あしたのジョー』も同じですね。
前半の力石篇までが有名ですが、
実は、後半のそれ以降の話の方が面白い、ってヤツです。
おそらく、
歌舞伎や映画などの、
視覚に訴える演出を行う場合は前半の怪談部分が有効だったのでしょう。
しかし、
文章で読む場合は、
構成が組まれ、
伏線が張られ、
それが回収されて行く後半部分があってこその面白さを感じます。
有名作品だからって、
捨て置くのは勿体無い。
実際には、世間の評判とは違う所に面白さがある時もある。
そんな、
思いがけないお宝に出会える作品、
『真景累ヶ淵』とは、そういう作品なのです。
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『真景累ヶ淵』のポイント
怪談噺の前半が、いつの間にか因果応報譚として決着する構成の妙
イメージ喚起力に優れた会話劇
個性豊かな登場人物達の絡み
以下、内容に触れた感想となっております
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『真景累ヶ淵』誕生譚
『真景累ヶ淵』。
本来の作品は、
三遊亭円朝、1859年作の落語、『累ヶ淵後日の怪談』。
『累ヶ淵』に『東海道四谷怪談』のテイストを加えて作った作品という印象です。
それを、小相英太郎による口述速記にて、
『やまと新聞』に1887~1889年に亘って掲載した、
全97話の作品が本作。
それを、明治になって改題し、『真景累ヶ淵』としたといいます。
『真景累ヶ淵』の「真景」とは、
当時流行語となった「神経」との語呂合わせだと言います。
物語の冒頭で、円朝は言います。
「最近は、幽霊なるものは存在せず、それは単に神経の迷いに過ぎないと言いわれている」と。
それならば、と、
「神経の迷いを誘発している物語」という意味で、
神経→「真景」累ヶ淵
という題名にしているのでしょう。
くだけて言ってしまえば、
「夜露死苦!!累ヶ淵の怪談!!」位のノリでしょうか?
(全然違う!!)
改題しても、やはり、メインに据えられているのは前半の怪談噺のイメージであり、
世間の評価もその部分が高いです。
しかし、実際に読んでみると、
なかなかどうして、
中盤~終盤部分の盛り上がりも面白い作品となっております。
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登場人人物まとめ
本作、『真景累ヶ淵』は、
前半の怪談噺が、
いつの間にか、ピカレスクロマンみたいなノリになり、
最後は因果方法譚として決着します。
この前半、中盤、後半の三幕構成にて、多数の個性的なキャラクターが登場し、
それらの因果がクライマックスにて収束するラストの展開が面白い作品です。
以下、ネタバレありの簡単な登場人物紹介
前半・怪談噺(一~五十三)の主な登場人物は
旗本、深見新左衛門
その長男・新五郎(お園を殺害)
その次男・新吉
(お久、お累と息子の与之助、三蔵、与助、作蔵、殺害。お賤と共に自死)
その家来・三右衛門
その門番・勘蔵
その妾・お熊
鍼師、宗悦
その長女・豊志賀
その次女・お園
お久
甚蔵
質屋、三蔵(三右衛門の息子)
その妹・お累
その奉公人・与助
名主、惣右衛門
その妾・お賤(惣右衛門、甚蔵を殺害)
その使用人・作蔵
中盤・ピカレスクロマン(五十四~八十一)にて登場するは、
名主、惣次郎(惣右衛門の息子)
その内儀・お隅(山倉富五郎を殺害)
その母
その弟・惣吉(出家時の名は宗観、仇討ち完遂)
その使用人・多助(仇討ちの助太刀)
その馴染みの関取・花車重吉(仇討ちの助太刀)
剣術家、安田一角(惣次郎、お隅を殺害)
山倉富五郎
終盤・因果応報譚(八十二~九十八)にて登場するは、
観音寺の和尚、方丈
その寺男・音助
これだけのキャラクターが居ながら、
それがゴッチャにならずにキチンと整理されているのは、
やはり、
各人、その役割によってキャラ付けが為されているからと言えましょうか。
主に会話形式による進行、
そして、絡まり合った因縁と親子関係、
それが解きほぐされるクライマックスの面白さたるや。
また、クライマックスを盛り上げる為の溜めの部分、
悪人が躍動する中盤のピカレスクロマンも面白いのです。
特に、お隅の仇討ちシーンの、クライマックスでの画面の切り替わりが絶妙ですね。
また、終盤、
方丈が宗観(惣吉)に仇討ちの無意味さを仏教説話的に説きます。
それ自体は名演説ですが、
惣吉は言う事を聞かない。
本作は、
仏教説話では無く、エンタメなのです。
だから、
全ての因縁を、その因果に絡められた当人である惣吉自身で決着させる必要性があるのですね。
そして、
方丈和尚自身も、惣吉の身が気になるらしく、
仇討ちの現場になんのかんの言って乗り込む辺り、
何とも人情味のあるエピソードとなっております。
落語の傑作として知られ、
歌舞伎や映画にもなり、
怪談噺としてのイメージが定着している『真景累ヶ淵』。
しかし、
実際に読んでみると、怪談は前半部分のみであり、
むしろ、
中盤のピカレスクロマンから続く、
終盤の因果応報譚的な決着が面白い話と言えます。
因縁に、
読者が納得する形で終止符を打つ。
このカタルシスを呼ぶ構成が素晴らしい作品、
それが、『真景累ヶ淵』の真の姿と言えるのではないでしょうか。
*書籍の2018年紹介作品の一覧をコチラのページにてまとめています。
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