ローマ皇帝ネロの主宰する闘技祭、第二回戦第二試合、”拳聖”ソロンとポンペイ最強のエムデンの勝負が、遂に決着する。そして第三試合、大会随一の体格を持つロキと、敬虔なユダヤ教徒であり、信念で戦う強打者・ギデオンの戦いが始まる、、、
作者は、技来静也。
セスタスシリーズの第一部、『拳闘暗黒伝セスタス』が全15巻。
続く、第二部の『拳奴死闘伝セスタス』が、現在刊行中。
読んで面白く、
そして、熱い!
正統派の格闘技漫画、
年に一度のお楽しみ、
俺達のセスタスの最新刊が発売されました!
前巻が、去年の10月刊行、
本巻は、7月である事を考えると、
意外と早かったという印象です。
これは、
次巻は、来年出るかな、、、
とか、今から心配になってしまいます。
さて、
ソロン VS. エムデンの戦いが、
本巻で決着します。
まぁ、
ぶっちゃけ、表紙で結果は推し量れますが、
本巻の目玉は、
単純な勝負の結果ではありません。
プライドの高い、孤高の男が、
世間に唱える「異」を実現した時、
彼は、どんなメンタリティを見せるのか?
そこが、本巻の一番の目玉と言えます。
世を恨み、
我道を貫くエムデンと、
全てを持つと言われた男、ソロンとの対比。
この人物模様の描かれ方に注目です。
そして第二回戦、第三試合の開幕。
これまた、
巨人 VS. 宗教という、
何とも、キャラの立った対戦が始まります。
双方とも、
このトーナメントからの新キャラの為、
どちらが勝つのか読めない分、
純粋に勝負の行方が楽しめる対戦と言えます。
『拳奴死闘伝セスタス』、第9巻も見所満載です。
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『拳奴死闘伝セスタス(9巻)』のポイント
持たざる者が得た、勝利
孤高たる者のメンタリティ
巨人と信念という、異例の対決
以下、内容に触れた感想となっております
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負け犬の勝利
本作の目玉は、
負け犬と言われ、
世間から、圧倒的に虚仮にされてきたエムデンが、
遂に、
逆に、世間を「あっ」と言わせた所です。
しかし、
テーマ的には、
最も見処と言えるのは、
その、ジャイアントキリングを達成したエムデンの、
世間に対する振る舞い、想い、考え方と言えるでしょう。
クイーンの名曲に、『We Will Rock You』というものがあります。
その歌詞では、
「辺り中を蹴っ飛ばし、いつか、目に物見せてやる」
と宣言しています。
エムデンは、正にそれ。
他人に理解されずとも、自分の道・己の意思を貫き、
その先に、自己実現する事を希求する、
孤高の男。
p.22~24 に渡る、
エムデンの独白こそ、
彼の鬱屈が報われる瞬間です。
「世界を敵に回す以上 躓いても人の所為にだけは決して出来ない!」
「勝者だけが「正しい」とされるなら 生き残ってそいつを証明せずに死ねるかよ」
「俺は間違ってなかった」
(p.23 より抜粋)
この、燃えるような情念、
他人や世間を頼らず、自分の力のみを恃みとするならば、
自分自身を裏切れない、
自分の行い、想いが、正しいと、
その行動と結果でよってのみ、証明してみせなければならない、
そういうエムデンのメンタリティこそ、
彼の最大の魅力なのです。
元々、
特徴的な敵役でしたが、
エピソード単位の一発キャラで終わらず、
よくぞここまで、キャラが育ったな、
ここに来て、
一気にキャラの魅力が、エムデンには出て来ました。
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反逆者は、阿(おもね)らず
しかし、
勝利の高揚感とは、一瞬。
控え室では血反吐を吐きつつ、
しかし、
対戦相手のソロンを称えています。
その一方、
エムデンの勝利に沸き立つ観客、聴衆に対し、
彼は、相変わらずの嫌悪感・違和感を抱きます。
今までは見向きもしなかったのに、
手のひらを返しやがって、と。
エムデンは彼の性質上、
一本気の無い浮気性は、全く相容れないのです。
そういう、手のひら返しの世間に迎合する事なく、
むしろ、
エムデンの勝利に沸く世間をこそ、
彼は、見下しているのです。
勝利を求め、
世間・他人に認められる事を望みながら、
しかし、
いざ、そういう状況になると、
相手の欺瞞にやる方ない印象を持つ、
あまりにも純粋な愚直さ、
それが、エムデンであり、
そういうメンタリティが、
彼の強さを支えているのです。
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勝負という、純粋な世界
勝負が終われば、ノーサイド。
そういう台詞が成り立つのは、
お互いが、相手を讃え合う試合が出来た時のみです。
『拳奴死闘伝セスタス』においては、
試合後、
ウェットな感想戦が行われます。
今回、
主役のセスタスのみならず、
エムデンとソロンの間にも、
その描写が描かれたのは、
彼達のキャラが立っていた事もありますが、
この二人が、
戦った者同士だけが理解出来る世界で、
お互いを認め合えたからなのです。
さて、
このエムデン勝利~感想戦にまで至る流れ、
ここでは、独特の演出がなされています。
地の文が多用され、
エムデンの独白、
デモクリトスの感想、
ソロンの独白、
ナレーション、
これらが、渾然一体としているのです。
一読したなら、
この「文」は、
誰の発言かは、ちゃんと解る様に描かれています。
しかし、
勝者の内面、
敗者が、勝者を想う内面、
観客が行う、勝者の性質の解説、
そして、ナレーションが、エムデンを語る言葉、
これらを、
発声した台詞としてでは無く、
地の文で描く事で統一感が生まれ、
勝者も敗者も無い、
そこには、
結果が云々というものは無く、
ただ、試合という純粋な場が生みだしたものが描写されているのです。
勝負の行方は紙一重、
しかし、勝利と敗北という結果には、雲泥の差が生まれます。
それでいて、
その結果、生まれた場には、
結果を超越した純粋性がある、
それを、描いていると言えるのではないでしょうか。
そして、勝利したエムデン。
p.70 の台詞も振るっています。
「怠けた分 体は確実に鈍るからな」
「じっとしてなんかいられねえよ!」
「俺はやるぜ」
(p.70 より抜粋)
勝利して、尚、精進。
我々もエムデンを見習って、
努々、努力を忘れ無いようにしなければなりません。
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巨人の説得力
変わって、第二回戦第三試合、
巨人のロキと、強打者のギデオンの試合が開始されます。
打撃格闘技において、
体格差というものは絶対。
かつて、
90年代~00年代初頭における、
日本の格闘技ブームを担った「K-1」、
その「K-1」最強と言われたのが、
セーム・シュルトです。
セーム・シュルトが勝利を何度も重ねる事で、
打撃格闘技においては、
体格差、リーチ差が絶対という現実を見せつけられ、
それが、
「K-1」のみならず、
それに伴う、格闘技ブームの終焉を招いた一要素であると思われます。
結局、
観客は、ファンタジーが観たかったんですよねぇ、、、
それはともかく、
私は、実物のセーム・シュルトを見た事あります。
自分より遥かにデカい存在に直面するという事。
人は、
相手を見上げる時、自然と、口を開けた間抜けな表情になってしまいます。
「…でっけ~」
これまた、そんな間抜けな台詞が口を吐いてしまうのです。
そんなデカいセーム・シュルト、
掌底をぶん回すだけで、
それを、観客席で見るだけでも、
背筋が凍る思いがします。
いやぁ、マジで、
「ブンッ」って音が聞こえる(様に思う)のです。
首がもげて飛んじまう、
と言ったロキの台詞を、
セスタスが冗談に聞こえないと思ったのは、
正に、巨人を目の前にした人間の、
リアルな反応を表しています。
この巨人を、
ギデオンがどう攻略するのか?
そういうファンタジーが起こるのかどうか?
それが、第三試合の見処となるでしょう。
そのギデオン、
ユダヤ教徒であり、
ローマにユダヤ独立を認めさせんと、
お祭り騒ぎに政治を持ち込もうとしています。
ユダヤ教と、エルサレム。
この、
現代においても、以前続く問題を、
まさか、拳闘の描写に導入する。
全く、予想が付かないというのが正直なところで、
今後の展開が楽しみです。
第二回戦を辛くも突破したエムデン。
しかし、次の相手は、
順当に行けば、
皇帝の衛帝隊の一人である、アドニス。
決勝は、
セスタス VS. アドニスとなる事は、
トーナメントが始まった時から、
ある程度は予想出来ていた事。
この既定路線を崩せるのか?
今後の展開も期待を寄せつつ、
次巻を待ちたいです。
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