連日、ゲーセン「ビッキーズ」にて対戦するも、クラハシのガイルにどうしても勝ち越せない梅原のリュウ。そんなある日、独特の雰囲気をもつオゴウがビッキーズを訪れる。使用キャラはレアキャラ、サガット。早速クラハシと対戦するのだが、、、
監修:梅原大吾
作画:西出ケンゴロー
原作:友井マキ
で贈る、梅原の実録漫画の第8巻。
梅原は、日本初のプロゲーマー(2010~)。
業界のパイオニアとして、
常に第一線でリードし続ける存在。
そんな彼の高校生時代、
「対戦格闘ゲーム」が一大ブームとなり、
業界が大盛り上がりだった頃を描いた作品が、
本作『ウメハラ FIGHTING GAMERS !』です。
本作で描かれるのは「ストⅡ」篇。
いわゆる「格ゲー」の元祖である「ストⅡ」であるからこそ、
シンプルに駆け引き重視の展開となり、
使用キャラクターに有利不利の相性がハッキリと分かれているが故に、
そこに哲学が発生します。
それは、
対戦において重視すべき点は、
勝利か?美学か?
そこには、
単なる勝敗を超えた哲学、主義主張のぶつかり合いが発生しているのです。
古来から議論されてきた議題、
過程か?結果か?
「対戦格闘ゲーム」とは、シンプルな勝敗のゲーム。
しかし、そこに哲学が発生する事で、
まるで人生の縮図となります。
生きる上で、重視しているのは、一体何だ?
それがプレイスタイルに如実に反映されるのです。
たかがゲーム、
されどゲーム。
そして、この本作は、
梅原大吾の青春時代を元にした実話ベースの漫画です。
故に、登場人物である、
クラハシ、オゴウも実在の人物。
この二人、
漫画の出演を切っ掛けに、
お互いに言いたい事があるとの状況が発生、
ウメハラを交え、座談会が開催されました。
この座談会、殺気に満ちた一触即発の重苦しい雰囲気の物でした。
そして、言いたい事があるのなら、
「格ゲーマー」なら「格ゲー」で勝負を付けようという事になり、
ウメハラ、クラハシ、オゴウの対戦が勃発、
三つ巴戦が開催されました。
15年以上前の因縁を描いた漫画。
その影響が、時を越えて現在に飛び火し、
座談会からの対戦会へと繋がる。
奇しくも、
長年、積み重ねられてきた因縁に、一つの結果が訪れる、
この一大ムーブメントを漫画初で起こしたのです。
一つの事が波及し、
様々な事が巻き起こる。
漫画自体の面白さもさる事ながら、
その周辺で起こった事がまた面白い。
そういう多角的な楽しみが出来る漫画、
それが、『ウメハラ FIGHTING GAMERS !』の8巻なのです。
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『ウメハラ FIGHTING GAMERS !(8巻)』のポイント
主義主張のぶつかり合いが哲学を生む
強者も居れば、弱者も居る、人それぞれのメンタリティ
漫画も時も越え、現実でぶつかり合う意地の張り合い
以下、内容に触れた感想となっております。
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たかされ
『ウメハラ FIGHTING GAMERS !(8巻)』で描かれるのは、
クラハシとオゴウのファースト・コンタクト。
ここで描かれるは、
勝利至上主義、
何をしても勝てばよかろうなのだのクラハシと、
遊びは遊び、
リスクを恐れた行動よりも、
自由な発想を尊ぶオゴウの
その主張のぶつかり合いです。
その発想力で、「対戦のセオリー」を地で行くクラハシの隙を突くオゴウ。
これにキレたクラハシは、
オゴウの使用キャラ、サガットに「被せ」てダルシムを使います。
(「被せ」とは、有利不利がある「格ゲー」において、相手のキャラに対してあからさまに有利が取れるキャラクターで対戦を行う事)
これに対し、オゴウは対戦拒否。
クラハシはそのオゴウの態度を、
自己満足のオナニーだと詰ります。
対するオゴウは
人に自分の行動まで制限されたく無いと反論。
ヒートアップ寸前で両者を周りが止めます。
「格ゲー」における「対戦のセオリー」を忠実に相手に押し付け、
勝利に愚直に邁進するクラハシ。
それに対して、
自らの行動や美学により、柔軟で自由な発想をオゴウは持っています。
「対戦」というのは、
相手が居ないと成り立たちません。
相手との主義主張のぶつかり合いで、
「対戦格闘ゲーム」をやっているのに、
「対戦」自体が成り立たなくなるという椿事。
相手のキャラに、セオリー通り被せる権利もあれば、
その対戦を受け無い権利もまた、対戦者にはあるのです。
基本、何をしても良い、
そういう「ゲーセン」という空間の中、
自分は何を選択し、
どういう行動を採るのか。
自由だからこそ、
そこに哲学と主義主張が生まれ、
それは対戦のプレイスタイルを生む。
たかがゲーム、されどゲーム。
そこに生まれるのは、人生の縮図、
というか、
「格ゲー」とは、人生そのものなのです。
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弱者のメンタリティ
『ウメハラ FIGHTING GAMERS !』の主役はウメハラ。
8巻でフューチャーされているクラハシにオゴウも、
共に強者の部類に入ります。
しかし、強者がいれば、弱者もいる。
強者同士が鎬を削る場面を描きつつも、
弱者の対戦心理をも描いているのが、この8巻です。
強い奴なら、
「勝てば勝つほど続けたい」
「自分が負けて終われない」
という、
基本的にプラス思考のメンタリティを持っています。
しかし、これが弱者よりだと、
「今連勝しているから、ここで終わろう」
「勝ち越したから、負けるのが嫌だからここで終わり」
という、
マイナスのメンタリティを発揮してしまします。
いわゆる」強い奴、強くなる奴は、
「負けてもへこたれない」という、ある種図太さを持っています。
しかし、
これが弱い奴だと、
「負けるのが怖い」のです。
こういうメンタリティの場合、
連勝すると不安になったり、
調子が良いと、逆に対戦から避けてしまったりして、
楽しいハズの結果が本末転倒の不快感をもたらしてしまったりするのです。
これを乗り越えるのは困難、
結局自分でその道を見つけなければなりません。
自分が強者になるか、
対戦の勝ち負けそのものが、常態とまるまでやり込むか、
対戦の結果では無く、過程に意味をもたせるか etc…
いずれにしろ、
それを乗り越えるには、何度も対戦を重ねなければなりません。
最初は純粋に勝っても負けても楽しい。
それが、勝敗が気になりだしたら、
負けるのが嫌になって、面白く無くなる。
ゲームでも、スポーツでも、勿論勉強でも。
この壁を乗り越えるのが、
先ずは第一の試練なんですよね。
何をやるにしても、
道、険し、
これを「弱者のメンタリティ」にて印象付けてくれます。
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まさかのリアル対戦
クラハシとオゴウ。
この二人、何やら因縁あり。
「十数年も口をきいていないんじゃないか」とは梅原氏の言。
その二人が、
お互いに言いたい事があると、
座談会を行ったのが、
2017年の7月5日。
それが、以下の動画です。
この動画、(01:42:21)もあり、長いです。
しかし、「対戦格闘ゲーム」も、
ウメハラも、クラハシも、オゴウも、
全く知らない初見の人が観ても楽しめる、
というか、興味が湧きます。
画面から湧き出る緊張感。
身も蓋もありませんが、
いわゆる、他人の喧嘩ほど面白いものは無い、というやつです。
オゴウ相手に負け越して終わった事は一度も無い。
漫画の演出には不服だというクラハシ。
さらには、
対戦美学みたいな物は、
行動の選択肢を縮める事であり、
それは勝利にそぐわないと言い切ります。
それに対するオゴウ。
クラハシに、
「俺の何が気に入らないの?」
「その態度の切っ掛けは何よ?」
と、ぶっ込んできます。
さらに、
自分のスタイルは、
勝利に向けて無駄を削ぎ落とした後に残ったものであり、
美学と言うより、対戦に対する合理的な手段であると主張。
お互い、理解する部分があれど、
結局は相容れないままの二人です。
そこで提案される、次なるステージ。
「対戦格闘ゲーマー」なら、
「対戦」で決着付けようじゃないのと、話は進み、
そこに何故だがウメハラも乱入、
クラハシ、オゴウとの三つ巴戦が実現するに至りました。
その対戦が行われたのは
2017年、9月7日。
それが、下の動画(2つ)です。
前半が(50:55)、後半が(2:11:53)。
合計、約3時間の長丁場ですが、これがあっと言う間。
「格ゲー」の動画の歴史の中でも、屈指の面白さとなっております。
普通の人なら、
たかがゲームに、こんなに熱くなっちゃって、ちょっとおかしいんじゃないの?
と、思われるでしょう。
しかし、
一つの事を極めた者どうしが、
お互いのプライドを掛けて勝負する事の緊張感、
人には理解されないかもしれない、
だが、そこには確かに崇高なものがあると、
私は改めて思いました。
たかがゲーム、されどゲーム。
真剣にやった事は何でも、
こんなにも凄い事なのだと言えるのではないでしょうか。
漫画から発生した事が、
現実のリアルを巻き込みムーブメントを起こし、
それがまた、新たなドラマを生む。
嘘の様な、ホントの話。
こんな事が世の中にある、
まだまだ、世界は面白いものに満ちている、
そんな事を思わせ、
そして見せてくれた作品、
それが『ウメハラ FIGHTING GAMERS !』なのです。
*2018年に紹介した漫画作品の一覧はコチラのページにまとめられています。
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