ぼくの名前はマーク・ワトニー、植物学者だ。今、一人でいる。場所は火星。帰還の船に乗りそびれたのだ。水はある、空気もある、食べ物は300日分、しかし、次の火星探査船が来るのは4年後なのだ、、、
著者はアンディ・ウィアー。
本著『火星の人(原題:THE MARTIAN)』にてデビュー。
2015年にはリドリー・スコット監督、マット・デイモン主演で『オデッセイ』と題して映画化された。
火星に一人取り残されたら、、、
本書『火星の人』はそんな恐ろしい状況に陥りながら、
サバイバルを敢行する作品である。
生き延びる為には何をすべきか?
それを一つ一つ洗い出し、問題点を解決し、困難に対処する。
その過程が、「あり得そう」という現実の範囲内に収まっている。
SF小説というより、「プロジェクトX」的な面白さがあるのだ。
化学や工作の知識を駆使して困難に立ち向かう。
何をやっているのか詳しく分からなくとも、
何がしたいのかが分かるから面白い。
これこそ、SFが目指すべき正しいエンタテインメントと言える名作であろう。
以下ネタバレあり
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能天気さで打破する困難
火星に一人、通信手段も無く頼れるのは自分のみ。
想像するだに恐ろしい状況だが、主人公のマーク・ワトニーに悲観的な様子は無い。
「こりゃやべぇな」位のノリで呑気(?)に日記なんか書いている。
しかし、逆境においてユーモアを忘れず、アイデアで立ち回る、このワトニーの精神に逆に読者の方が励まされる。
絶望的な状況の場合、不撓不屈の精神というより、折れない軽やかさの方が柔軟に立ち回れるのかもしれない。
この、いかにもアメリカンなノリの内容だからこそ、暗くならずに楽しく読めるのだろう。
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現実に即したアイデア
SFでは、たまに超論理みたいなものが出て来て、何を言っているのかよく分からない物がある。
それに比べると、本作『火星の人』は現実の(読者の)化学の範囲で対処可能なレベルなのが良い。
食物を作るには水(H₂O)が足りないから、水素(H)を分離する必要がある、、、
こんな感じで誰にでも分かる事を言われると、「おお~どうするんだ?」と素直に読むことが出来るのだ。
そして、次から次へと出来する困難に対して、「ダイジェスト方式」をとらず、キチンと対処を描写しているのがいいのだ。
(「ダイジェスト方式」とは、場面転換や回想などを挟む事で、いつの間にか困難が解決している描写方法。私の造語ですが、ニュアンスは通じると思います)
わりかし長目の本だが、この長い道のりをマークと共に乗り越えてゆく感じが面白いのだ。
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現場と会議室
こういう系ではお約束だが、マークや他のクルー達、現場組に対比する形で会議室の様子が描写されるのが面白い。
あれがイイ、これがイイとあれこれ言いつつ、実は自分や組織の体面を重視し、現場を蔑ろにするのが制服組(会議室)の醜い部分である。
『火星の人』でもその描写はあるが、それは最小限に留めている。
しかし、もともと宇宙とは通信するにも十数分のタイムロスが発生するので、管制室の役割は方針決定程度だ。
なので、「マークやクルーの安全を祈りつつハラハラしながら見ている」という読者と同じ目線で物事に当たっているのだ。
そこに、読者は自分だったらどう判断するか?と考える余地が生まれ、管制室に対しても妙な親近感を感じる。
化学用語や専門用語らしき物が飛び出るが、それが一般人の理解の範囲に収まっているので、ストレス無く楽しく読める。
SFとはもともと、理解しにくい物を物語という形を取って理解しやすくしたものでは無かったか?
そういう意味では本作『火星の人』は正に、正統派なSFなのである。
こちらは『火星の人』の映画化作品
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さて次回は、映画『この世界の片隅に』について語りたい。
一人じゃないよね。