ロボットが浸透しきった社会において、「アイデア」を売りにする存在、アイデアマン。その名誉ある職に就いたサワイだが、成績を上げられず水星まで飛ばされてしまう。しかし、水星の実験施設では特に何の問題も無く、サワイの発想力など活きる場面が無かったのだが、、、
著者は眉村卓。
『妻に捧げた1778話』がTV番組「アメトーーク」で取り上げられ話題となる。
他、代表作に、
『なぞの転校生』
『ねらわれた学園』
『司政官 全短編』
『消滅の光輪』等がある。
編者は日下三蔵。
第一世代のSF作家の代表作を集めた傑作選のシリーズ。
そのラインナップは
『日本SF傑作選1 筒井康隆』
『日本SF傑作選2 小松左京』
『日本SF傑作選3 眉村卓』(本書)
『日本SF傑作選4 平井和正』
『日本SF傑作選5 光瀬龍』
『日本SF傑作選6 半村良』
と、順次発売される予定。
日本SFの短篇と言えば、教科書にも載っている「星新一」が思い浮かびます。
しかし、その星新一を凌駕する大量の著作をものにしているのが、眉村卓氏です。
解説によると、そのショートショートの数は、実に約3000。
星新一の三倍と言ったら、その凄さに目が眩みます。
さて、本書『日本SF傑作選3 眉村卓』は全22篇の短篇が収録されています。
<異種生命SF>が13篇。
<インサイダーSF>が9篇。
いずれの作品も
個人と他者や会社、
つまり社会との相克を描いています。
自らの常識を揺るがす、
自分以外の何ものかに出会った時、人は何を思い行動するか?
情動的なドラマ部分と、
SF的な設定のアイデア部分が、
短篇という形式で見事にマッチしています。
個人と社会の関係を徹底的に描写する本作の収録作。
テーマ性がありながら、それでいて意外なオチをちゃんと用意しているのが凄いです。
これぞSFの面白さ。
時代が変わっても、人の悩みは変わらない、
そんな事を教えてくれる、『日本SF傑作選3 眉村卓』はそんな短篇集です。
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『日本SF傑作選3 眉村卓』のポイント
個人と社会との関わり
選ぶ道はアイデンティティか、自己放棄か
情動の変化を描きつつ、鮮やかなSF的なオチで締める
以下、内容に触れた感想となっております
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個人と社会
本書『日本SF傑作選3 眉村卓』は、
1960年代~70年代前半の著作が主な収録作となっています。
(2篇、2000年代発表の単行本初収録作があります。)
概ね、50年前の作品です。
解説や後書きによると、著者の眉村卓氏は会社勤めの経験があるとの事。
その経験が活きており、
社会に出た個人が、
他者や会社との関わりにおいてカルチャーショックを受ける様がSFという形式で様々な形で描かれています。
個人と社会の関わり。
これこそが、本書を通底するテーマです。
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私達はどう生きるか!?
人は生きていると、
時に自分と全く違う価値観を持つ人間に出会ってショックを受ける事があります。
対人サービス業や営業をしている人ならば、その機会も多いでしょう。
その時、相手はとても自分と同じ生物には見えず、
「コイツ、エイリアンだ」と思う事もしばしばです。
その感情を、そのまま、「異種生命とのファースト・コンタクト」ものとして綴ったのが、
前篇13篇の<異種生命SF>です。
異種生命と接近遭遇した時、自分は何を思うか?
相手を打破する対象と認識し、排除するか?
相手に自分に無いものを認め、融和に向かうか?
相手と自己との違いを発見することで、アイデンティティの確立を成すか?
これらの事が、様々なパターンの様々なオチで描かれる面白さがあります。
そして、それは後半の<インサイダーSF>9篇にも共通する事。
会社や、社会機構の内部(インサイダー)の構成員として、どの様に生きるのか?
会社の方針に従うか?
会社に背くか?
会社から出て、新しい道を見つけて生きて行くか?
これらの社会に出て、他人と否応無く関わる時に感じる悩みは、
50年前も今も、全く変わる事の無い共通の悩みとしてリアルに感じられます。
結局、会社勤めというのは、
粉骨砕身、どんなに尽くしても自分の為にはならず、只会社を運営する為の一構成員に過ぎないのです。
さりとて、組織を離れると、途端に生き難くなります。
畢竟、社会保障や給与面、社会的立場、家族関係など、外的要因により自分自身を切り売りして担保、人質にして安心を得るのが会社勤めです。
それらを抛って、全て自分で責任を取るのは精神的な開放感がある一方、
金銭的困窮や謂われない社会的蔑視からは免れ得ません。
自己と社会の相克を自覚する事で、
自分はこの後どう変わり、どう生きて行くのか?
その選択を迫られるという切実なテーマは、
今日にも通ずるものとして、作品の面白さ、凄さが変わらぬものとして読む事が出来るのです。
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収録作品解説
収録作品を簡単に解説します。
編者の日下三蔵氏は
前半13篇を<異種生命SF>、
後半9篇を<インサイダーSF>
と、大まかな分類で分けてまとめています。
収録作は1960~70年代前半の作品が主。
2作品のみ、2000年代に書かれたものです。
排除(反抗・打破)、融和、自立の大まかなパターン分けもしてみます。
第一部
下級アイデアマン
異種生物は排除、会社とは融和パターン。
ファースト・コンタクトSFとしての面白さもさることながら、
下っ端会社員の悲哀が身に沁みる作品です。
問題点を対策とセットで上司に遡上しても、
事故や問題が出来するまで放って置かれるのは良くある事です。
悪夢と移民
専門家は排除、植民側は自立パターン。
専門家(を気取る、実地経験の無い幹部)の指示と現場の意見が食い違う職場を思わせる作品です。
俺の言う事が正しいのに、何で言う事聞かないんだ!
と言われても、
正しくないから聞けないんですよ。
正接曲線
排除パターン。
特異な才能にて出る杭は打たれる話。
使節
これは、融和に苦労するパターンですかな。
ちょっとコミカルなタッチ。
アイツ、根は良い奴だから、酔っている時くらい大目に見ようよ、という話。
重力地獄
自立パターン。環境に適応するという点では融和とも言えます。
問題点、気付いた時には、もう遅い。
ある日突然会社の倒産が知らされる恐ろしさを感じます。
こうなる前に、情報は受け取るだけでなく、日頃から積極的に収集するように心掛けて居たいものです。
エピソード
排除パターン。
転職時に、自分の開発したシステム毎破壊しながら去って行く人間を彷彿とさせます。
残る人の事を考えない態度を咎めるべきか、
そんな風に追い込んだ会社を責めるべきか?
わがパキーネ
異種生命とは融和、社会的観点からの自立と言えます。
あばたもえくぼと言いますが、正にそんな話。
人に、姿に拠らない美点を見たなら、そこに惚れる事は必定です。
そのアプローチが、互いにSF的に歪んでいるのが、また面白い所。
フニフマム
まず、題名の語感が面白い作品。
他者と融和する文化を持つ生物が、長い倦怠の中で希望を見出す話。
テロメア的な身体構造を時間の流れの中に実現している生物というイメージ。
時間と泥
自立パターン。
普段意識せず、全体の一員として動いていたものが、
より強力な外部からの洗脳教育を個別に受ける事で、
自らの在り方を内省し、
結果、現状を認識する(自我に目覚める)まで至る話。
養成所教官
自立する人間を見守る話。
体制に反抗するという、自分が為しえなかった事に向かって行く人を見て、他者はどう思うか?
拒否反応を示し、足を引っ張るか?
それを応援する気持ちが湧くか?
素直に頑張れと言える人間でありたいですね。
かれらと私
融和パターン、というか、現状をなし崩し的に受け入れされられる恐怖があります。
幻が幻を生んだらねずみ算でどんどん増えて行く。
そして、幻が自己(オリジナル)を主張したら、何を信じて良いのか分からない。
このイメージの圧倒的恐怖感が素晴らしい。
永井豪の『バイオレンスジャック』と共通する壮大さです。
キガテア
2000年代に発表された作品。
異種生命と融和しようと思ったら、それは罠だったのだ!
食パン虫(仮名)の性能と、社会に浸透して行く経路の巧妙さが不気味で良い。
ヨデミセの皮肉な物言いも作品の余韻を際立たせます。
サバントとボク
2000年代に発表された作品。
自立パターン。
サバントというロボットは、尾崎豊の『卒業』を歌っているハズです。
第二部
還らざる空
ソリッドシチュエーションからの、反抗パターン。
実験をする方は良いが、
実験を知らされず強制された方は何をか如何せん。
準B級市民
体制への反抗は、支配からの自立と言えます。
『一九八四』的なディストピアSF。
会社に良い様に使われている労働者でも、
誰か一人でも勇気を持って声を上げれば、現状が変わるかも!?
…まぁ実際は、黙殺されて終わるんですがね。
そして、皆がそれを恐れて自縄自縛に陥っているのです。
その自縄自縛に陥った人間を合成人間と称し、SFとして描いた作品と言えます。
表と裏
支配への融和。
洗脳教育に屈して行く様がナチュラルに描かれるのが恐ろしい。
本人が(その時点では)喜んでいるのがリアルです。
みんな、社員研修という洗脳教育にて会社の都合の良い人間(ロボット)へと変貌させられて行くのですよ。
惑星総長
活力の無い体制を打破したと思ったら、それは自死へ至る道だったという皮肉。
融和こそが、やがては定められた破滅からの自立へ向かうのだという、
三つのテーマを全て含む器用な作品。
保護された状況で、与えられたものに満足してしまったら、進歩は無いのだ。
契約締結命令
無任所要員もの。
融和からの切り捨てパターン。
融和する方の目線というより、取り込む方の目線。
倫理に悖る事を何度もやらせ、
やがて自分で考える事を止めてしまい、
やがては会社の良い様に動くロボットとなってしまう、
その工程が描かれます。
工事中止命令
無任所要員もの。
現状の打破(相手をこちらに融和させる事)が目的だが、それが果たせない作品。
現状が変わらないなら、もっと大きな体制を変えてしまえというアクロバティックなオチが秀逸。
ロボット社員であっても、頑固一徹でここまで出来るモノも居たらいいなという願望にも似た物語。
虹は消えた
無任所要員もの。
自立するは良いが、後ろ盾の無い力は何の意味も無いと分からせられます。
自分が会社に尽くしたどんな功績も、
世間から見たら実態の無い虹の様なものなのだとしたら、
どうして自らが作った幻想に酔い痴れていけないのだろうか?
p.617に「泡のような景気」というフレーズがあり、
バブル景気という概念を普通に使っているその先見性にも驚かされる。
いずれ消えると分かっていても、
自分には何も無いと知ったなら、虹のように儚いバブル景気にも縋りたくなるものである。
最後の手段
無任所要員もの。
現状を打破する為に、自立した行動を示す。
新技術の恩恵は、一部の特権階級が与るもの。
その杉田の言を予め理解していたなら、展開は違っていたハズです。
本人がいつか気付く事を敢えて教えず、
純粋な熱意を発揮している間は利用してしまえという発想は、
社員研修で洗脳教育を施す会社のメンタリティです。
洗脳教育が解けて会社の実態を知った社員は辞めますが、
変わりの奴隷(ロボット)社員は、毎年いくらでも入ってきますからね。
しかし、本当に辛いのは自立した先。
だからこそ、何かを為しえたと言える南条と駒井の行動に意味があるのです。
産業士官候補生
どんどん、融和への要求がエスカレートして行く地獄の様な作品。
諦めたヤツは落ちこぼれだというチキンレースであり、
この敗北感を楯にして、
小さいところから始まって、要求をどんどんエスカレートさせて行く様は、会社が社員を無意識に追い込む様に似ている。
一つの事をクリアしたなら、これも、これも、とハードルを上げて行き、
それが達成出来ないと叱責をする。
結果、社員は限界まで粘り、許容ラインを超えると辞めてしまう。
だが、後に残るのは高度に専門化された仕事であり、誰も引き継ぐ者が居らず、
結果仕事の質が落ちるという悪循環が始まって行くのです。
さて、この作品で高度に専門化された人間がどの様な存在になるのか?
それは著者の長篇『EXPO’87』にて語られているといいます。
機を見て、これもチェックしたいですね。
個人と社会との相克というテーマを持ちながら、
一方で、どの作品にもSF的なワンアイデアによる話の起承転結をしっかりと備えています。
SF的物語構造と社会的テーマ。
これを短篇という丁度良い分量で物語にしているバランス感覚。
著者ご本人はあとがきにて、
自分の作品は、その当時の自分を映す鏡であり、時代遅れだと仰っていましたが、然に非ず。
人間が社会との関わりで発生する悩みというものは、時代を超えて通底するものであり、
それをテーマとして抜き出した作品であるならば、
いつの時代でも通用する。
私は、『日本SF傑作選3 眉村卓』を読んで、
今でも十分に通用するメッセージを受け取りました。
一般にも知られる、著者の話題の一作。
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さて次回は、バトル・アクションヒロインの復活のメッセージ!?映画『トゥームレイダー ファースト・ミッション』について語ります。