映画俳優の「サンジュ」こと、サンジャイ・ダットは、銃火器の不法所持の罪に問われ、一ヶ月後、懲役5年の刑で収監される事が決定した。しかし、世間の認識と事実との間にズレがあると訴えるサンジュは、伝記作家のウィニーに、自身の半生を語り始める、、、
監督は、ラージクマール・ヒラーニ。
主な監督作に、
『きっと、うまくいく』(2009)
『PK』(2014)等がある。
出演は、
サンジャイ・ダット/サンジュ:ランビール・カプール
スニール・ダット:パレーシュ・ラーワル
カムレーシュ:ヴィッキー・コウシャル
ズビン・ミストリ:ジム・サルブ
ウィニー・ディアス:アヌシュカ・シャルマ 他
『きっと、うまくいく』が、
日本でも大ヒットした、ラージクマール・ヒラーニ。
続く『PK』でも、
宗教や差別、偏見という鋭い部分に切り込み、
これも、世界で大ヒットしました。
そんな、ラージクマール・ヒラーニ監督の最新作が、
『SANJU サンジュ』。
本作は、
実在のボリウッド俳優、
サンジャイ・ダットの半生を描いた作品です。
さて、
こういう実在の人物を描いた(しかもまだ生きている)作品というと、
本人に遠慮があるのか、
ぶっちゃけ、淡々とした印象の作品が多いです。
ちょっと、お勉強的というか。
本作も、確かに、
「サンジャイ・ダットを美化している」という批判もあるそうですが、
それ以上に、
どうしようもない、
情けない部分も沢山描かれているので、
波瀾万丈で、面白いです。
まぁ、
身も蓋も無いですが、
現代が舞台なら、
人の成功譚より、
ぶっちゃけ、失敗談の方が面白いですからね。
しかも本作、
モデルとなったサンジャイ・ダットの人生を忠実に再現するというより、
むしろ、
映画として、
観て面白くなる部分にフォーカスを当てた作品作りとなっています。
本作で描かれるそれは、
名声と、人間関係。
毀誉褒貶相半ば、
というより、
世間から、
常に批判、非難されるサンジュの人生は、
どの様に形成されたのか?
それが、ドラマティックに描かれます。
リアルな人の半生というより、
映画的な演出に重きを置いた、
『SANJU サンジュ』には、
そういう面白さがあります。
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『SANJU サンジュ』のポイント
波瀾万丈の人生ストーリー
張られたレッテルを剥がす事の難しさ
男子の人生に大事なものは、師と友である
以下、内容に触れた感想となっております
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「レッテル」というものの、恐ろしさ
本作『SANJU サンジュ』は、
実在のボリウッド俳優、サンジャイ・ダットの半生を描いた作品です。
そのラストシーンにて、
父が生前好きだった曲は「言わせておけ」という題名であると明かされ、
また、エンディングにて、
マスコミ、評論家批判の様な楽曲が流れます。
それは、
本作のテーマの一つが、
張られたレッテルの恐ろしさを描く事にあるからです。
本作に措いて、
サンジャイ・ダットは、
薬物に溺れ、
テロ組織と繋がり、
武器を不法所持した疑いで、
懲役刑を科せられます。
しかし、
それは、事実というより、
そう報道され、
世間が、サンジュを、そう思っているという意味。
実際は、
一部の事実のみが誇張され、
センセーショナルさが先行し、
それがパブリック・イメージとして固定されてしまったのです。
つまり、
悪い「レッテル」が貼られてしまったのですね。
『人は見た目が9割』という本が流行りましたが、
その名の通り、
人は、第一印象で、
他人の評価を下しがちです。
そして、
興味が無い相手は、それ以上知ろうともしないので、
第一印象のイメージが固着してしまうのです。
その第一印象を下す判断材料が、
見た目であり、
また、
人の噂、世間の評価が、そのウエイトを占めていると言えます。
矢口やベッキーは、
いつまで経っても「ゲス不倫」の人だし、
宮迫博之は、
今後「闇営業」として、周知されるハズです。
サンジュや、
矢口、ベッキー、宮迫は極端な例ですが、
しかし、
普通に生きている私達も、
第一印象によるイメージというものに、左右されがちです。
醜男は、
行く先々で、塩対応をされますし、
美女は、
何処に行っても、チヤホヤされます。
いいイメージを、
他人に与えがちの人なら良いですが、
しかし、
嫌われ者なら、
その事を甘受して生きて行かねばなりません。
そこで、
世間に対してグレて、開き直って悪者ぶるのか?
本作のサンジュはそうでは無く、
少数でも理解者がいれば、人生、生きて行けるという事を描いています。
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男子の人生に必要なもの
本作で描かれる理解者とは、
即ち、
男子の人生に必要なもの。
普通の映画ならば、
それは、
恋人と、(自分が親の立場の)家族として描かれがちですが、
本作は、ちょっと違います。
むしろ、
フィクションで描かれる「幸せな家庭」というより、
現実に即したもの。
それは、
母親と、師と、友であるのです。
本作では、
母は早逝する為、
より、フォーカスを当てて描かれるのは、
サンジュの師である、
父親、スニール・ダットとの関係、
そして、
親友、カムレーシュと、
悪友、ズビンとの関係です。
映画俳優として名を成し、
映画監督としても、著名な父、スニール。
世の父親の常に従い、
スニールも、息子サンジュに多大な期待を寄せ、
プレッシャーや、価値観を押し付けます。
しかし、
それが重荷となるスニールは、
そのプレッシャーから逃れる為、
そして、思わしくない母の病状に対するストレスから、
悪友、ズビンの口車に乗り、
現実逃避として、薬物に手を出します。
そんなサンジュを救うのは、
親友カムレーシュの一言、
それも、スニールに訴える言葉なのです。
カムレーシュは、スニールに言います、
「サンジュは、偉大な父の期待に添えない自分に、自己嫌悪を抱いている」
「ありのままの、彼を愛して欲しい」と。
こんな事、
言ってくれる友が居るでしょうか、
そして、
その言葉を聞き、息子を理解する父が居るでしょうか。
サンジュには居たのです。
そして、
世間の評価がどうであれ、
たった二人でも理解者が居た事が、
サンジュが、薬物依存から立ち直る切っ掛けとなるのです。
サンジュはプレイボーイで、
関係を持った相手は、300人以上、
そんな彼には妻もいますが、
不思議と、
妻との馴れ初めを描く部分は、
全て省いています。
結局、描きたかった事は、
父と、友との関係性という所に焦点が当てられており、
それは、
本作の後半の展開にも観られます。
後半は、
音信不通となった、
サンジュとカムレーシュの話が語られます。
カムレーシュは、
サンジュがテロ容疑に問われた時、
スニールに自白を促されていた場面を目撃してしまいます。
「テロ犯とは、友達になれない」と、
カムレーシュは絶縁しますが、
しかし、
実際は、
スニールが自白を促していたのは、
「テロ組織と関係ある」という証言をすれば、
司法取引でサンジュは罪にならないという意味合いがあったのです。
しかしサンジュは、そんな事したら、
スニールが「テロ犯の父」のレッテルを貼られてしまう、
故に、
父の名誉を守る為なら、
自分は有罪を甘んじて受け入れる、
そういう決断を下しました。
師を超えることが弟子の務め、と言います。
サンジュの人生の師は、父親のスニールです。
サンジュは、父の愛を受けながら、
しかし、
その愛に甘んじる事無く、
父の名誉を守るという決断をする事で、
逆に、父に対する愛を示すのです。
あくまでも情けない、サンジュの、
本作における、唯一で、絶対的な格好良いシーンと言えます。
テロ犯だからと疎遠になっていたカムレーシュは、
しかし、
真相を知ると、自分が浅慮だったと反省し、
サンジュの釈放の時、
彼を迎えに行くのです。
我々も、
例えば、ニュースやSNSで流れる、
第一報やフェイクニュースで印象付けられる「第一印象」に囚われ、
物事に貼られた「レッテル」のみに縛られると、
物事の本質を見誤る事になるかも知れません。
それが、特に親しい相手、
好きな物事ならば、
よくよく、事態を把握する様、注意すべし。
本作を観ると、
そういう事を警告している様にも思えます。
一度貼られたレッテルは、
剥がす事が困難、
というか、むしろ、
それに一生苦しめられる事にもなりかねません。
しかし、
世間の評価というレッテルよりも大事なのは、
自分の理解者を愛するという覚悟を示す事。
少数でも、
愛すべき人が居るならば、
それは、幸せな事だと、
本作『SANJU サンジュ』は、
訴えているのです。
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「第一印象」というレッテルの話
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