映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』感想  

環境の変化に対応し、人類が「進化」し、「痛感」を喪失してしまった、そう遠く無い未来。
自らの体内で新たに生まれた「臓器」。ソールは臓器をパートナーのカプリースに摘出させ、ショーとして披露。観客はそれを、アートとして享受していた。
そんなある日、ラングという男がソールに接触する。ラングは新たなショーを提案してきた、、、

監督は、デヴィッド・クローネンバーグ
カナダ出身、御年80歳である。
監督作に、
『ラビッド』(1977)
『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979)
『スキャナーズ』(1981)
『ビデオドローム』(1983)
『デッドゾーン』(1983)
『ザ・フライ』(1986)
『裸のランチ』(1991)
『エム・バタフライ』(1993)
『クラッシュ』(1996)
『イグジステンス』(1999)
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)
『イースタン・プロミス』(2007)
『危険なメソッド』(2011)
『コズモポリス』(2012)
『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(2014) 等がある。

出演は、
ソール・テンサー:ヴィゴ・モーテンセン
カプリース:レア・セドゥ
ティムリン:クリステン・スチュワート
ラング:スコット・フリードマン
コープ刑事:ヴェルケット・ブンゲ 他

監督、デヴィッド・クローネンバーグ。
80歳の、9年ぶりの新作長篇映画、
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』。

数々の名作(迷作)を世に送り出しているクローネンバーグですが、
本作は一体、どうなのでしょう。

まぁ、ぶっちゃけ私は、
あんまり、クローネンバーグの作品は好きでは無いンですよね。

それでも、
独特の世界観で、
奇妙奇天烈な物語を展開する、その作品群は唯一無二であり、
どうしても、気になって観ちゃうんだよな~

パンで、ルヴァンってあるじゃないですか。

好きなパン屋の商品に「イチジクのルヴァン」っていうのがあって、
それが、
ハード系のパンの中に、
生食感のイチジクが入っていて、
食べると、オエ~ッってなるんですよね。

で、
その感じがクセになって、
あれば、それを必ず買ってしまうンですよね~
というか、それが一番好きまである!!

え?
何の話かって?

そうですね、
閑話休題。

そんな?『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』ですが、

いつもの、クローネンバーグ作品

権力と既存勢力に対する反抗
外宇宙より内宇宙
肉体の変容に伴う精神の変容

まぁ、本作も又、
奇妙奇天烈な物語。
何が面白いのか、解らない!!

正直、付いて行けているのか、自身が無いです。

でも、それはいつも通り。
いつもながらで寧ろ安心する!!

宮崎駿の『君たちはどう生きるか』(2023)もそうでしたが、

齢80にもなって、
どうして、
こんな「攻めた」作品を作れるのか、
人間のイマジネーションって、凄いですね。

散々言っておいて、今更ですが、

本作、人を選びます。

本作だけでは無く、
デヴィッド・クローネンバーグ監督の作品は全て、
人を選びます

故に
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』を観ても、
理解出来ない人の方が多いでしょう。

要は、
理解出来無い事を受容出来るか、
若しくは、
理解し難い事はスルーするか、
それだけです。

別に無理して、
面白いと思う必要も無いし、
不気味で退廃した世界に触れる必要もありません

それでも個人的には、

自分と違う感性で、
奇妙奇天烈な物語を展開し
その強烈な個性の世界観を披露し続ける監督からは、
目が離せません。

『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』
今回も、
デヴィッド・クローネンバーグ節、健在です。

  • 『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』のポイント

進化に適合するか、抗うか

肉体の変容に伴う、精神の変容

独特の世界観と、奇妙な器機

以下、内容に触れた感想となっております

スポンサーリンク

  • デヴィッド・クローネンバーグの世界

さて、
何となく、否定的な言葉を書き連ねて何ですが、

『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は、
結構、面白いですよね。

でも、
こんな奇怪な映画を「面白い」なんて言うと、
ちょっと、アレな人と思われるので、
一般的には、人を選ぶとコメントした方が無難です。

そんなクローネンバーグ監督の映画ですが、

一貫して、
描かれるテーマがあります。

それが、
権力と既存勢力に対する反抗
外宇宙より内宇宙
肉体の変容に伴う精神の変容
です。

クローネンバーグ作品の主人公は、
何処か、アングラな雰囲気を漂わせています。

ポルノ放送局の社長だったり、
マッドサイエンティストだったり
マフィアだったり etc…

そんな主人公達は、
お上にマークされており、

故に、
何らかの勢力、機関が接触して来て、
その思惑に、利用されてしまいます。

「内宇宙より外宇宙」とは、
作家、J・G・バラードを紹介する時に使われる言葉。

宇宙船を使って、
地球外に旅するよりも、

人間の内面世界を掘り下げる形で、
SFを描いた作家です。

J・G・バラードには「テクノロジー三部作」という作品があり、
それは、
科学技術の進化が、人間に及ぼす変容を描いており、

その三部作の一部、
『クラッシュ』を映画化したクローネンバーグ版は、
カンヌ国際映画祭などで、
毀誉褒貶の話題作となりました。

この、
作品的な性質は、
J・G・バラードも、クローネンバーグにも、
共通するテーマだと思います。

そんなクローネンバーグの監督作品は、
人間の内面世界の変容を描いているのですが、

そのトリガーとなるのは、
肉体の変容です。

ゲームの「女神転生」の様に、
合体事故で、ハエと人間が融合した怪物が生まれたり、
ビデオ人間になったり、
交通事故での怪我で、性的興奮を覚えたり、
ヤクザから足を洗っても、
暴力事件を起こして、一瞬で昔に戻ったり etc…

肉体の変容、
それに伴う行動様式の変化。

そして、
その変容を受け入れざるを得ない状況で、
達観として信条・哲学がシフトする。

人間としてのアイデンティティである「肉体」が、
その範疇を逸脱する事で、
精神は孤独で、ある種の崇高さを持ち、
故に、一般人には理解出来ない怪物へと変わる

これが、クローネンバーグ作品に共通するテーマと言えるでしょう。

特に、
肉体変容の奇怪さは、
そのビジュアルイメージの奇怪さも相俟って、
映画の映像的にもインパクト大な効果があります。

  • 本作の世界観設定

さて、本作の世界観を、簡単にまとめます。

結構、内容をガッツリ書きます。

痛感が喪失した近未来にて、
体内にて新しい臓器を生み出せるソール(加速進化症候群)。
彼は「臓器摘出」をアートショーとして公開していていた。

しかし、当局の機関、
新しい犯罪を取り締まる「NVU(New Vice Unit)」は、
人類が新しい臓器を獲得し、
その性質が子供の世代に遺伝、継承されるのを危険視。

それは、
人類の範疇を超えてしまうと考えているかです。

故に、
ソールのアングラなショーを監視している、
と、思いきや、
実は、
ソール自身が、潜入捜査官だった!!
というのが、本作の基本設定です。

そして、
ソールの生み出す新臓器は、
NVUの所属機関「新臓器登録所」に提供。

タトゥーを施し、
分類しています。

更に、
奇妙な器機のメーカー「ライフフォーム・ウェア」の技術者、
バーストとラウターの二人は、

実は、何らかの機関に属する(NVUと思われる)、
暗殺者で、
当局に不都合な人物
=ソールに接触する様な信条の持ち主を排除しています。

人々は、
ソールのショーを観て感化され、
「痛み」の無い世界にて、
自分の体を改造(新臓器が無いから)。

施術を施す、施される者の関係は、
性行為に似た興奮を伴います。

一方、
人類が環境に合わせて進化するのは当然の事と考えるラングは、
同士を集めて、
地下で活動中。
自身と仲間の体を、
後天的に「プラスチック」が食べられるものへと改造しています。

そんな彼は、
母親に殺された自分の息子ブレッケンの「解剖ショー」を行う事を、
ソールに提案。

その目的は、
人類が進化した器官を獲得している事を、
衆人の元に晒す為。

しかも、
後天的に得た「プラスチック食い」の臓器を、
息子が遺伝として、
先天的に獲得していたという事実を明るみにしようというのです。

  • クライマックスとラストシーン

『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は、
複雑怪奇なようでいて、
まとめてみると、
ストーリー展開を理解する事は、出来ます。

しかし、
問題なのは、
クライマックスシーンと、
ラストシーンです。

これをどう捉えるかで、
本作の感想はまた、
人に拠って変わってくると思います。

先ず、クライマックスシーン。

ソールのパートナーであるカプリースが、
ラングの息子ブレッケンを解剖ショーします。

しかし、
腹を割いてみると、ブレッケンの内蔵には
既に、タトゥーが施されているのです。

それを見たカプリースは、
陵辱されていると涙し、

ラングは絶望で会場から立ち去り、
外に出た途端に、
暗殺されます。

劇中で、
「これはティムリンの仕業であり、彼女が自分の作品を観に来た」
という台詞があるので、
実行犯はティムリンでしょう。

しかし、
実際に行われたのは、どんな事で何の意味があるのでしょうか?
その辺り、理解し辛いと思われます。

先ず考えられるのは、
NVUが先に解剖しており(執行者はティムリン)、
タトゥーが施されているという事は、つまり、
「プラスチック食い」のブレッケンの内蔵すべてを、
既に、登録済みであるという事です。

故に、ショーとしては、
無垢性の無い、二番煎じであり、
死体が汚されているのと同様、
ショーの意義、それ自体の冒瀆にもなります。

この場合、
タトゥーが施されているだけで、
新臓器はそのままかもしれませんが、
もしかすると、
新臓器だけ、抜き取られているという事も考えられます。

また、
タトゥーの臓器だらけだったという事は、
ブレッケンの内臓は全て抜き取られており、

臓器登録所に提供されたソールの内臓を、
その代わりに、
詰め込んでいたという見方も出来ます。

やや牽強付会ですが、

ソールに執着している様子のティムリンなら、
それ位やりかねないと思われますが、
どうでしょうか。

それを受けての、
ラストシーンです。

「痛感」を失った人類は、
食事する事も、
器機の力を借りて行っています。

それは、固形物を嚥下する時に、
危険が伴うからでしょうか。

乱暴な揺りかごの様な「ライフフォーム・ウェア」の器機に座り、
不味そうな宇宙食の様な見た目のベタベタしたものを、
苦しげに、口元に運んでいます。

人間にとって、
「食事」とは「幸福」な時間の一つです。

それが、
「苦行」となったのが、
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』の世界です。

しかし、
ラストシーンでは、
器機を止めたソールは、

ラングが持っていた「チョコレートの様な食べ物」を囓り、
幸せそうな涙を流し、物語は終わります。

これは一体何なのか?
と思ってしまいます。

先ず考えられるのは、
「チョコレート」に見えたものは、
実は、チョコでは無く、
プラスチックだったという事です。

何故なら、
「プラスチック食い」に肉体を改造しているラングが持っていて、
囓っていたものであり、

また、
バーテンダーがそれを食べた時、
青い泡を吹いて倒れていたからです。

そんな物を、
何故、ソールは食べられたのかというと、
中盤、
ソールは新臓器を取り出さず、そのままにしておこう、
と言っている場面がありました。

新臓器が、
ソールが無意識下で生み出しているものだとしたら、
ラングとその息子の死因を捜査していた彼が、

無意識に、
「プラスチック食い」の性質を新臓器に付与したという事も考えられます。

「プラスチック食い」という、
母親からは、怪物として忌み嫌われ、殺され、
当局からは、人類を逸脱するとマークされる行為ですが、

しかし、
人類がしがみ付いている、
現在の苦行の様な食事よりも、
よっぽど、
「幸福」という面では、
人間らしい食事シーンであると言えるのではないでしょうか。

「プラスチック食い」という人間を逸脱する行為が、
実は、
食事に幸福を感じる、人間的、文化的な行為であるという矛盾

ソールの幸せそうな涙を誘ったと思われます。

もう一つは、
実は、
ラングが食べていたのは、実際に「チョコレート」であるという観点です。

つまり、
NVUが推奨している「人類の従来の食事」が、
実は、
人類が進化し獲得した性質であり、
NVUが守っているのは、
自分達が取り締まるべきものであるという矛盾です。

ラングは「プラスチック食い」ですが、
昔ながらの食べ物、食事も出来たのかもしれず、

結局、
人類の逸脱を監視すると言っておきながら、

既に逸脱している現状を変えずに、
現状維持を優先するという権力の自己矛盾を描いているのかもしれません。

臓器摘出ショーでアングラ界で影響を及ぼしていながら、
当局の覆面捜査官であるソールは、

そんな自己矛盾に涙し、
しかし、幸福な食事に安らかな笑顔を浮かべたとも、考えられます。

一見、唐突な感じのラストでしたが、

「クローネンバーグ監督なら、ここで終わるだろうな」
という、鑑賞中の直感通りのエンディングでもあり、

ラストで、観客に投げかけるような、
ちょっと、無常観もある、監督らしい終わり方だと思います。

変態チックなビジュアルイメージ、
そんな印象にそぐわぬ、奇怪なストーリーと世界観。

しかし、
描かれるのは、
肉体の変容に伴う、人間の内面の変容であり、
興味深いテーマを扱っています。

奇妙奇天烈毀誉褒貶。
何も変わらない、
昔ながらの変態性。
だから面白い『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』と、
デヴィッド・クローネンバーグ監督の世界観です。

スポンサーリンク