映画『蜜蜂と遠雷』感想  まさかのバトルもの!?音楽とは、闘争だ!!

第10回芳ヶ江国際ピアノコンクール。
3年に一度開催されるこのコンクールの優勝者は、いずれも、プロとして頭角を表しており、若手ピアニストの登竜門と言われていた。
そこにやって来たのは、かつて天才ピアニストと言われながら、母の死のショックで演奏から逃げ出した過去を持つ栄伝亜夜(えいでんあや)。
その亜夜の幼馴染みで、優勝候補と言われるマサル。
サラリーマンピアニスト高島。
有名ピアニストの推薦状を持って現われた謎の少年、風間塵。等々、、、
ライバル同士が、栄光を目指し、鎬を削る、、、

 

 

 

 

監督は、石川慶
ポーランドの国立大学、ウッチ映画大学出身。
長篇映画監督作、
『愚行録』(2017)でデビュー。
本作が第二作目。

 

原作は、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』。
直木賞と本屋大賞を同時受賞した作品。

 

出演は、(括弧内は、ピアノ担当の奏者)
栄伝亜夜:松岡茉優(河村尚子)
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール:森崎ウィン(金子三勇士)
風間塵:鈴鹿央士(藤田真央)
高島明石:松坂桃李(福間洸太朗)

田久保寛:平田満
嵯峨美枝子:斉藤由貴
ナサニエル・シルヴァーバーグ:アンジェイ・ヒラ
小野寺昌幸:鹿賀丈史 他

 

 

 

本作は、音楽映画です。
しかもピアノ。

そして、題名は、『蜜蜂と遠雷』。

原作は、
直木賞と
そして、カフェでコーヒー飲みながら読むのにうってつけの本を薦める的なイメージの、本屋大賞受賞。

どうです?
何となく、オシャレな感じでしょう?

このオサレ感に押されて、
「ケッ、サブカルが!」とばかりに、敬遠してませんか?

 

そんな偏見捨て去って、
you も、本作見ちゃいなYO!!

因みに、私は原作未読なので、
本と映画の比較は出来ないYO!

そこの所は、勘弁して下さいませ。

 

実は本作、

ガチガチのバトルものなんです!!

 

 

え?
音楽映画でバトルものって、意味不明ですって?

豈図(あにはか)らんや!!

意外や、意外、
しかし、観れば分かるこの面白さを、
ちょっと解説してみましょうか。

 

音楽コンクールって、
どんなイメージですか?

「課題曲を、如何に正確に演奏するか」
というイメージじゃないですか?

確かに、そうです。

しかし、
実際に、同じ楽譜で、同じ曲を演奏しているハズなのに、
奏者によって、
まるで違った演奏に成り得るのです。

 

ボクシングでもそうでしょ。

同じ「ジャブ」でも、
ヘビー級と、バンタム級では、その威力、効果、組み立てが違います。

更に、
「ジャブ」の後に、何を繋げるか?

ボディフック?
ストレート?
それとも、敢えての、ジャブの連打?

 

まるで、格闘技の技巧の様に、
音楽の演奏も、

同じ楽譜から、
全く違う戦略、戦法=演奏が奏でられるのです。

 

 

イメージとしては、
フィギュアスケートの様な感じでしょうか?

ポイントの高い技を駆使し、
無難な組み立てで、点数を稼ぐ人も居れば、

逆に、一発逆転的な、
大技を繰り出す事に全身全霊を懸ける人も居ます。

 

そんな、
人それぞれの個性を、描く為に、
演奏部分は、
各自、ちゃんとプロのピアノ奏者が宛てられています。

ピアノ演奏というモノは、
競技であり、芸術でもあるのです。

 

コンクールであるからには、
優劣により、結果を出さなければなりません。

しかし、
その結果に至る、過程というものが、
演奏にはあります。

その「過程」に、
如何に、魂を込めるか、
その「魂」の部分に、芸術が宿ります

 

本作で描かれる、メインのピアノ奏者、

栄伝亜夜、
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、
風間塵、
高島明石。

彼達の個性が、煌めき、
それぞれに化学反応を起こす、

この、個性、芸術の鎬合いというのが、
如何にも、スポ根的で、
面白く描かれているのです。

勿論、
色んなクラシックの音楽作品も演奏されるので、
その点も、ちゃんと楽しめます。

 

なんと、
私が観た時には、
上映が終了しても、エンドクレジットが流れきるまで、誰も席を立たなかった作品、
『蜜蜂と遠雷』。

そういう意味で、思い出の深い作品となりました。

 

 

  • 『蜜蜂と遠雷』のポイント

音楽による、バトルもの!

プロの覚悟、プロの世界

芸術にて発揮される、個性

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • カデンツァ

音楽バトル映画『蜜蜂と遠雷』。

本作は、
予選一時通過した辺りから、
俄然、面白くなってきます。

その、二次予選での課題曲では、
宮沢賢治の詩集からインスピレーションされた、
『春と修羅』という、本作オリジナルの楽曲が、演奏されます。

(作曲は、藤倉大。)

その『春と修羅』の「カデンツァ」の部分に、
メインで描かれる、4人のピアノ奏者の個性が表されています

 

これが、凄い。

私の様に、
音楽が、全く分からないズブの素人でも、
その違いが、
何となく、雰囲気で理解出来るのです。

栄伝亜夜は、自由闊達に、
マサルは、見てみろとばかりに技巧を凝らし、
風間塵は、激しく、叩き付ける様に、
高島明石は、優しく、語りかける様に、

それぞれ、
音楽のスタイルを、演奏にて表現しているのです。

 

さて、
この劇中曲「春と修羅」で、
キャラクターの個性が発揮された「カデンツァ」という部分。

普段、音楽に馴染みの無い私の様な人には意味不明だと思いますので、
ちょっと、調べてみました。

Wikipedia を参照にしますと、

 

カデンツァとは、
独奏楽器や独唱者が、オーケストラの伴奏を伴わずに、
自由に、即興で演奏する部分の事だそうです。

曲によっては、
本来の作曲家によって、カッチリ決まっているものもあったり、
逆に、
別々の、複数の作曲家が書き残した、様々な「カデンツァ」が多く残っているものもあるそうです。

そのカデンツァの部分を、
あまりに技巧を凝らし過ぎると、協奏曲全体とのバランスが崩れたり、
また、シンプル過ぎると、芸術としての主張が無いと非難されたりするそうです。

 

本作においては、
本来の「即興」というよりも、

自由課題として、コンクールで披露する「宿題」的な感じで描かれていますね。

何となく、
フィギュアスケートの「シングル」みたいなイメージがあります。

 

自由に表現出来る部分であるが故に、
そこに、
キャラクターの個性を込めているのですね。

 

  • プロという世界

本作で描かれるのは、
プロの登竜門と言われる、コンクールに挑む者達の物語です。

 

「プロフェッショナル」。

字義的には、
その競技によって、お金を稼ぐ人の事を言うのですが、

そこから派生して、
イメージ的には、
その「競技」のエキスパートの事をも意味している部分もあります

つまり、
プロと一般人とでは、
その競技の実力に、雲泥の差があると、言えるのです。

 

とは言え、
冷静に、良く考えてみると、
世の中に多く存在する「競技プロの技術」というものは、
実生活において、何ら役に立つものでは無いのです。

 

ピアノが上手いから、どうした?
将棋が強いからって、何になる?
毎年200本ヒットを打てるって、自慢になるの?
対戦格闘ゲームで勝てるって言っても、それって、お遊びじゃん?

その世界を知らない人にとっては、
その「強さ、技術」は、何の意味も無いものなのです。

 

しかし、
意味の無いものを、
真剣に、崇高に、孤高に、極端に取り組む。

その境地に人は、
否応無く、感動を受けてしまうのもまた、事実なのです。

何故ならそれは、

普通の人生を送っていると、見る事の出来ない場所でも、
プロの競技を見る事で、
その境地の一端でも、垣間見る事が出来るからです。

 

旅行などで、
全く違う風景、文化と触れる事が、
妙な感動と昂揚をもたらす様に、

プロの卓越した技術、能力というものは、
全く見た事の無い世界を、
一般人の前にも現出させます。

 

本作でも、
そんな象徴的なシーンがあります。

浜辺で、
足跡でリズムを刻んで、
それが、何の曲が当てるゲームに興じる、
栄伝亜夜、マサル、風間塵。

彼達を見て、
高島明石は言います、
「俺にも、分かんないよ」と。

そう、
その境地は、我々一般人が介入出来るものではありません。

しかし、
浜辺で足跡を付けるだけで、
それが音楽になるという事実を、傍から見るだけでも、
そこに、妙な感動があります。
「そんな世界もあるのか」と。

 

この、プロがもたらす感動、
一般人が見る事が叶わぬ場所を垣間見せるという、世界の現出、

それは、
本作においては、栄伝亜夜の「個性」(キャラクター)でもあるのです。

 

  • 世界との、共鳴

マサル・カルロス・レヴィ・アナトールは、
超絶技巧の持ち主。

玄人が唸る演奏を「完璧」という形で再現する力量を持っています。

 

その彼と、正反対の存在が、風間塵。

彼は、荒削りで、我流、
しかし、
世界そのものを鳴らすかの様な力強さを、
歓びと楽しさで表現します。

 

「生活者の音楽」を標榜する、高島明石。

彼が、二次予選を通過しなかったのは、
その音楽の性質からして、ある意味、予想通りの結末です。

プロとは、極端なもの、
実生活において、「無駄」なものを追求し尽くすからこそ、
見える境地に辿り着こうとする人達。

そんなプロに、
「生活者」に根付いた精神が、敵うハズも無く。

 

『刃牙道』で、
渋川剛気との会話で、本部以蔵が言っていました。

行住坐臥、一日中、武の事を考えている」と。

一意専心、いわばそれが、プロなのです。

 

しかし、
そんな本部が「敵わない」といった相手が、
範馬刃牙。

刃牙は、
「武で遊ぶ」というのです。

好きこそ、モノの上手なれ

「修行」を「遊び」で楽しめる者こそが、
最も、その道に精通出来ると、本部は言っているのです。

 

翻って、
本作の栄伝亜夜はどうでしょうか?

かつて神童と言われた彼女は、
母の死にショックを受け、
コンサートをボイコットして、逃げた経験があります。

その彼女が、
「これで結果が出なければ、最後」と覚悟を決めて取り組んだ、
芳ヶ江国際ピアノコンクール。

しかし、彼女は、
本選直前に、音楽が、楽しく無い、と心情を吐露し、
再び、逃げ出してしまいます。

(逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…)

 

しかし彼女は、
世界、そのものを鳴らすかの様な、
力強い風間塵の演奏を聴き、
会場へと戻りました。

それは、何故か?

実は、それこそが、
栄伝亜夜の音楽の性質なのです。

 

栄伝亜夜は、
高島明石の演奏を聴いた時も、
居ても立っても堪らず、
ピアノを演奏したいと願いました。

宮沢賢治の『春と修羅』の一節、
「永訣の朝」の一部、
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。

「雪をとって来てちょうだい」という意味があるという、
この一節を込めた高島の音楽に、
栄伝亜夜は共鳴しているのです。

また、亜夜は思い出します。

音楽が楽しかった、
母との連弾の記憶。

雨の音、風の声、草の音色、蜜蜂の羽音の様な微かなものさえも、
それを、ピアノにて、表現する事の面白さ。

つまり、
亜夜のピアノの根本とは、

世界が鳴らす音を、
自分のピアノ演奏を媒介として、
音楽(音が楽しいもの)として、即興的に、湧き上がる気持ちを表現する事なのです。

 

故に彼女は、
感情のこもった、優しい高島の音色を聴いた後に、
風間塵と、
優しい気持ちで連弾しましたし、
本作における、ある意味、ラブシーン的なイチャイチャぶりでしたね)

本選においても、
風間塵の、世界そのものを表現するかの様な力強い演奏を、
自分を媒介として、
自分のピアノとして、表現し直しているのです。

 

そういう意味では、
栄伝亜夜の音楽は、
非常に、プロ的だと言えます。

未だ見ぬ世界を表現するのがプロなら、

栄伝亜夜の音楽とは、
彼女が世界から受け取った「音」を、
自分の世界観にて、
「音楽」として再構築して、鳴らしているのですから。

 

かつて、自分が逃げた、
プロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番 第1楽章、第3楽章を、
本選にて引き切った時、

彼女は、万雷の拍手を受けます。

それはまるで、
遠雷の後に来る豪雨が、
地面を力強く打つかの様な、
そんな音にすら感じます。

かつて、
雨の日に逃げ去った記憶は、
拍手にて、塗り替えられたのです。

世界を鳴らし、
そして、その反応が、拍手という形で帰って来た。
まるで、母と連弾するかの様に。

世界の音との、山彦の様なコール・アンド・レスポンス
それが、栄伝亜夜の楽しむ「音楽」であり、

彼女はそのラストシーンにて、
トラウマを乗り越えたと言えるのではないでしょうか。

 

  • ちょっと言わせて!

本作『蜜蜂と遠雷』を観て、
個人的に気になった点があります。

それは、
女性の描き方というか、
キャストの選び方です。

 

主役の栄伝亜夜役の、松岡茉優は目鼻立ちのクッキリした、
普通に、美人タイプの人ですね。

しかし、
それ意外のサブの女性キャラクターは、
何と言うか、
皆、同じタイプの顔をしています

高島明石の妻役の、臼田あさ美
明石のドキュメンタリーを撮っている、ブルゾンちえみ
マサルの同級生、福島リラ
コンクール会場のクローク係、片桐はいり
亜夜の母親役の人(名前が分かりません)

鼻の形に特徴のある、
平坦な顔をしているのですね。

え?
何で?
何で姉妹を並べた?

と、思う位、似ています。

私が日本人だから、顔の区別はつきますが、
これ、
他国の人が観たら、
顔の区別、つかないと思います。

 

…しかし、
普段我々は、
TVや映画などで、
鼻が高い美男美女ばかり観ているので、
それが普通だと勘違いしがちですが、

実は、
日本人の一般的な顔って、
平坦ですよね。

監督は敢えて、
演技云々より、
海外を見据えて、
より、日本人的な顔の人間を、キャストに揃えたのではないのか?

そう勘ぐってしまうのは、
私だけでしょうか?

 

とは言え、一人例外があります。

それは、嵯峨美枝子を演じた、斉藤由貴です。

最近は、
その美魔女ぶりを発揮して、
様々な映画に出演している斉藤由貴。

彼女も、クッキリタイプの美人顔です。

 

しかし、
そんな彼女も、本作においては、
クッソケバいメイクをされて出演しています。

これは恐らく、

ピアノに人生を捧げ、精通し尽くした為に、
そちら方面に能力が特化し、
どんなに偉そうにしても、
化粧すら満足に出来ない事の表われなのだと、

私は勝手に邪推しておきます。

 

あ、後、
私が本作で一番好きなシーンは、

マサルが、自分の夢を、亜夜に熱く語るシーンですね。

オタク特有の、自分の好きな事を語る時に見せる早口!!

流石、『レディ・プレイヤー1』にて、
ガンダムに乗った森崎ウィンなだけありますね。

 

 

 

 

ピアノ演奏という能力に特化した天才達の鎬合い、
その個性、芸術性のぶつかり合いが、
さながらバトルとも言える様相を呈している『蜜蜂と遠雷』。

音楽を題材として、
未だ見ぬ世界を見せてくれる、
そんな作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

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コチラは、恩田陸の原作小説『蜜蜂と遠雷』の上巻です。



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