映画『リチャード・ジュエル』感想  弱き者よ、理不尽な権力に屈する事なかれ!!

1996年、オリンピック開催中のアトランタの記念公園で行われていた音楽ライブにて、テロが発生した。
その爆弾が入ったバッグを発見し、被害を最小限に抑えた警備員のリチャード・ジュエルは、一躍、英雄としてもてはやされていた。
しかし、地元アトランタ紙にて、FBIが容疑者として捜査しているという報道が流れた事で、一転、犯人であるかの如くに扱われ始める、、、

 

 

 

 

監督は、クリント・イーストウッド。
近年の監督作に、
『ジャージー・ボーイズ』(2014)
『アメリカン・スナイパー』(2014)
『ハドソン川の奇跡』(2016)
15時17分、パリ行き』(2017)
運び屋』(2018) 等がある。

 

出演は、
リチャード・ジュエル:ポール・ウォルター・ハウザー
ワトソン・ブライアント:サム・ロックウェル
ボビ・ジュエル:キャシー・ベイツ
ナディア・ライト:ニナ・アリアンダ

キャシー・スクラッグス:オリビア・ワイルド
トム・ショウ:ジョン・ハム 他

 

 

 

近年、ハイペースで「実話に基づいた映画」を監督、製作している、
クリント・イーストウッド。

今年も映画が公開され、
そしてそれが、実話系の映画でした。

そして、
今回題材として選ばれたのは、

「オリンピック」が開催されている都市で、
「テロ」を最小限の被害に抑えながら、
「過熱報道、冤罪捜査」によって理不尽な状況に陥った人物、

 

リチャード・ジュエル、その人です。

このキーワードだけ取り上げると、
日本も、無視出来ない題材だとお分かりになると思います。

 

FBIは、テロ犯のプロファイリングを行います。

現状に不満を抱え、
デブで、彼女が居らず、母親と同居している、オタク気質の、
白人中年男性

うん、コイツが犯人だ(by FBI)

 

オイ!ちょっと待て!偏見が過ぎるだろ!!

と、観ているだれもが思いますが、
この恐ろしいオタク差別が、粛々とエスカレートして行くという、
この現実。

メディア&国家権力 vs. 個人

 

という、
圧倒的な不利状況、
味方は、母親のみ。

この状況で、
リチャード・ジュエルが唯一頼ったのは、
過去、
自分を馬鹿にしなかった唯一の弁護士、
ワトソン・ブライアント。

彼達の戦いを描いたのが、本作です。

 

勿論、
本作はエンタテインメントとして、
脚色をしているのは事実。

しかし、哀しいかな、
人というものは、
もてはやされている人間のハシゴを外すのが好きなモノ。

他人が転落してゆく様に、
負の快感を見出します。

その生贄として、
叩きやすそうな「オタク」を槍玉に上げる。

こういう状況は、
何時、自分の身に起きても不思議では無いのです。

 

冤罪の恐ろしさを描きつつ、
それと戦う個人の勇気を示す、

『リチャード・ジュエル』、
クリント・イーストウッド監督の、安定の作品です。

 

 

  • 『リチャード・ジュエル』のポイント

冤罪被害の恐怖

メディア×国家権力の脅威

あくまで、エンタメとしての「実話」

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • ありふれた内容を、面白く

本作『リチャード・ジュエル』は、
メディアの偏向報道に踊らされた公権力の自己保身に晒された、
一個人の戦いという、

古今東西、
皆が好きな判官贔屓の内容となっております。

題材としては、
ウケるものであるのは確かです、
しかし、
本作の内容を簡単に説明しますと、

冤罪被害の中年男性が、潔白を証明する
というだけの、
ドラマもへったくれも無い、
意外と平板な内容だと理解出来ます。

 

そんな内容を、
脚本の力を使って、
映画というエンタテインメントに仕上げるのが、
監督、クリント・イーストウッドの手腕。

近年は、
実話系の映画を連続して撮っているイーストウッドにしてみれば、
ある意味、ルーティンワークとも言える、
様式美的な展開が、本作でも観られます。

 

先ずは、
事実を単純化。

リチャード・ジュエルは、
あくまでも、無害の市民に、
多少、無垢過ぎる所も強調。

ジュエルを弁護するワトソン・ブライアントは熱血。

対する、
メディア側の代表、
アトランタ紙で、飛ばし記事を書いたキャシー・スクラッグスは、
型破りでヤンチャな感じに。

FBIのトム・ショウは、
嫌味な官僚主義的な、
如何にも、公務員といった然としています。

ジュエルは、
屈辱の家宅捜索や、任意同行にて、
相手に舐められっぱなし。

観客は、
それに怒らないジュエルにヤキモキしますが、

遂にクライマックスにて、
FBIをコテンパンにやり込める事で、
たまったストレスがカタルシスとして昇華されます。

 

強き者、権力や暴力に対して、
耐えた後に、
鮮やかに反撃してみせる。

『インビクタス/負けざる者たち』(2009)や、
特に、
『ハドソン川の奇跡』(2016)と、
本作の構成は同じパターンと言えるでしょう。

 

人間、無実の罪で断罪される事は、
案外と、多いモノです。

しかし、
多くの人間は、
それに泣き寝入りしているのもまた、事実。

だからこそ、
強いモノの理不尽な要求に屈しない、
弱き者の話は、
我々の心を掴みます。

どんなに弱くて、怖くても、
窮極の状況においては、
反撃しなければならない

本作『リチャード・ジュエル』や、
『ハドソン川の奇跡』は、
そういう勇気を持つ事の重要さを教えてくれるのです。

 

  • ゴーン

さて、本作を観て私は、
カルロス・ゴーンのニュースを思い出しました。

あくまでも、
ゴーン側の主張によりますと、

日本の人質司法に嫌気がさして、
無実の罪で拘束され続けるのを嫌った、
的な感じの話をしています。

そして、
今回の逃亡劇が、
ハリウッドで映画化されるという噂すら立つ始末。

 

日本人である我々からしたら、
ふざけるな、と、思いますが、

「権力の圧制から逃れた個人」という構図からすると、
如何にも、
イーストウッドが好きそうな題材だな、と思いました。

 

こうなると、もう、
言った者勝ちみたいになってしまいます。

故に、
ゴーンを、
「逃げるは恥だが、役に立つ」みたいに、逃げ得で終わらせてはなりません。

ここから、
如何に逆襲するかに、
日本の威信がかかっているのです。

 

何故なら、
奇しくも今年は、オリンピックイヤー。

逃亡が簡単なら、
テロの標的にもなりかねません。

本作の様に、
アトランタで起きた爆発騒ぎが起きた場合、
犯人を国外逃亡させてしまっては、
いけないのです。

 

まぁ、映画の内容とは、
直接関わり合いはありませんが、

こういう実話系の映画を観て、そこから派生し、
現実の状況が、
どの様に展開するのかを予測するのもまた、

映画の面白さの一つだと思います。

 

 

 

メディアや公権力という、
本来、信じるべき媒体から、
事実無根の冤罪で告発される。

こんな悪夢的状況からの反撃を描く作品、
『リチャード・ジュエル』。

クリント・イーストウッド安定の手腕で、
事実をエンタテインメントとして観られるのは、幸運です。

そこから、
実際の事件を調べて理解を深めたり、
今後の自分の生活に活かせれば、
それは、
実話系映画というものの存在意義を、
観た者も、全うしていると言えると思います。

 

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