映画『由宇子の天秤』感想  本音と建て前の間で揺れる、正義の天秤!!

映像ディレクターの由宇子は、教師と関係を持ったと疑われマスコミの過熱報道によって自殺した生徒と、その後を追う様に、これまた自殺した教師の事について、遺族の証言を下にしたドキュメンタリーを撮っていた。
一方、プライベートでは父の学習塾を手伝う講師でもある由宇子。
その学習塾にて、一人の少女の妊娠が発覚した。その相手は、父である塾長の政志だった、、、

 

 

 

 

 

 

監督は、春本雄二郎。
本作が長篇映画監督作二本目。
第一作目は『かぞくへ』。

 

出演は、
木下由宇子:瀧内公美
木下政志:光石研

小畑萌:河合優実
小畑哲也:梅田誠弘

長谷部仁:松浦祐也
矢野志帆:和田光沙
矢野登志子:丘みつ子

富山宏紀:川瀬陽太
池田:木村知貴 他

 

 

 

ギリシア神話のテミスは、法と掟の女神。
現代では、正義の女神と見做される事も多いです。

テミスと同一視されるユースティティアは、ローマ神話の正義の女神。
その名前は、ラテン語で正義を意味し、
英語で正義を意味する「Justice」の語源となっています。

右手に剣、
左手に天秤、
そして目隠しをした姿として描かれ、

剣は「力」
天秤は「正義」
そして、目隠しとは「公正さ」を象徴していると言われています。

「正義の女神」は、その姿により、
各国の裁判所などにも飾られているそうです。

 

その象徴的な姿で、
多くの創作物に流用されており、

代表的なものでは、

アメリカのヘヴィメタル・バンドの「メタリカ」のアルバム、
『…And Justice For All』(1988)のジャケットに採用されていたり、

漫画『キン肉マン』の登場人物、
完璧超人始祖の陸式:ジャスティスマンが、
「裁きの天秤」を携えた姿であったり、

ゲームの『エルミナージュ ~闇の巫女と神々の指輪~』(2008)の登場人物、
大魔公が一人、ヒルデの姿が「正義の女神」そのものでした。

 

 

 

さて、

本作『由宇子の天秤』を観て思ったのは、
その「正義の女神」像についてです。

力無き正義は無力、
正義無き力は無意味、
しかし、
それでいて、公正でなくてはならない。

 

それが、
「正義の女神」が象徴する理念であり、

本作は、そのことについて問いかけている作品と言えます。

 

 

「女子高生いじめ自殺事件」。

3年前、
教師と関係を持ったと噂された女子高生が自殺。

そして、
その噂の相手の教師も、
自身の無罪を主張した遺書を残して自殺します。

マスコミの過熱報道の餌食となったとも言えるこの2者の遺族の現在を取材しつつ、

マスコミの報道の在り方と、
当時の真実を追究する由宇子。

 

その一方、
学習塾を経営する由宇子の父と性交した事で妊娠した、女子高生・小畑萌。

彼女の事を気に掛けながらも、
由宇子の選択する行動とは、、、

 

 

そんな本作で描かれるは、

本音と建て前、
我が事と、他人事

 

その違いです。

 

本作で描かれるは、
窮地に陥った人間の苦悩。

それは、
困難が自分に降りかかった時に、
何を思い、どんな行動を取るのか、

その選択の物語であると言えます。

 

 

152分という上映時間は長いながらも、
様々な問題提起により、
息つく暇も無い本作『由宇子の天秤』、

その物語が行き着く先は、
鑑賞する我々にも、自省を促す興味深い作品となっています。

 

 

 

  • 『由宇子の天秤』のポイント

報道とメディア

本音と建て前、我が事と他人事

正義の在り方

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • 本音と建て前、我が事と他人事

「正義の女神」がジャケットに採用されている、
メタリカのアルバム『…And Justice For All』。

しかし、その姿は、

縄で雁字搦めにされ、引っ張られ、
天秤は、札束で傾いた状態になっています。

 

本作『由宇子の天秤』の、
由宇子もそうです。

「正義」の理想を掲げつつも、
しかし、
しがらみや雑念に引っ張られ、
それは叶わない状況に陥ってしまいます。

 

「女子高生いじめ自殺事件」の取材においては、
放送会社の幹部に批判的な態度を取り、
パイプ役の富山にも反抗的でありながら、

放送作家としての理想を掲げ、
自殺被害者遺族に寄り添い、食い込み、
正義を追求する由宇子ですが、

しかし、

真相は、
「自身が求めた事実」つまり、「自分が辿り着きたかった真実」とは程遠いものでした。

 

本作は、
映画のストーリーラインとして、

マスコミの報道の在り方、
加熱報道被害に遭う、当事者とその家族のその後の生活、
そして、映像作家としての理想と理念が、現実と乖離してしまう矛盾

こういうマスメディアの在り方について問題提起する一方で、

もう一つの問題として、

「我が事と他人事の違い」について、
別のストーリーラインで同時に語っている事で、
相乗効果を生んでいます。

 

塾に通う女子高生・萌と性交した、
父、政志。

彼は、それを告白し、
罪を償うと言います。

しかしそれは、
学習塾を閉める事であり、

又、
「事実を公表する事は、当事者の未来を奪う」という

マスコミの過熱報道の行く末の絶望を、
現在、取材している立場から、
身に沁みて学んでいる由宇子は、

「重荷を背負う覚悟をしなよ」
「自分も、それを背負うから」と、
父に口止めをさせます。

 

しかし、
口では格好良い事を言いながら、
その実、由宇子の一番の本音は、
今取材している企画(女子高生いじめ自殺事件)が放送されるまで、待って
という、自己中心的なものでした。

 

闇医者に、
子宮外妊娠している萌を中絶させる気なら、
施設の整った病院で、直ぐにでも手術すべきだ、

と警告されながら、

表面上は、萌や、彼女の父親の哲也に取り入りつつ、
(それは、取材相手に真摯には接する仕事的な立場であり)

萌の体の事より、
2週間後に控えている、自身の映像企画の放映を優先しているのです。

 

実際、由宇子は、

例えば、
妊娠検査器を購入する時に、
店員にぞんざいで偉そうな口をきいたり、

また、

男子生徒から「萌はヤリマン」と聞いたら、
真偽の確認もせずに、その発言に飛びつき、
萌に「本当に父(政志)の子なの?」と、
マウント気味に問い詰めたり、

表面的な礼儀正しさが剥がれた時、
観ているコッチがビックリする様な態度を取ります

 

しかしこれは、

由宇子の性格の悪さを強調しているという訳では無く、

寧ろ、
人は、他人事なら、
幾らでも正論を掲げる事が出来るが、

いざ、我が事として降りかかると、
理想とは程遠い行動を起こしてしまうという人間の性を描いているのではないでしょうか。

 

「正義の女神」が目隠しをしているのは、
現在では、
「公正さ」の象徴として解釈されていますが、

元々は、
「力」と「裁き」を盲目的に振るう愚かさ
時の権力によって、幾らでもそれになびく節操の無さを風刺した物だったそうです。

 

由宇子は、
「女子高生いじめ自殺事件」を取材し、
(自分が想定していた)真実、

マスコミの加熱報道が、
自殺者を生み、遺族を苦しめているという事実を追求します。

しかし、そういった自分の理想の終着点は、
事の真相とは違い、
実際に、当時の報道が、実は真実であったと知り、

自身の掲げる放送理念と相反するものでした。

 

また、

由宇子の問い詰める様な発言により、
衝動的に飛び出した萌は交通事故に遭ってしまいます。

病院で、意図せぬ衝撃的な形で、萌の父の哲也に妊娠が知れますが、
由宇子は、
その罪悪感からか、
(父には黙っておけと言っておきながら)
哲也に、政志がその相手だと告白し、

哲也に首を絞められてしまいます。

しかし、
その告白でも、
自分が問い詰めたが為に、交通事故の引き金になった事は伏せられています

 

 

真実を追究しながら、
そこに辿り着けず、

理想の為に犠牲を強いた、
自身の正義も、

遂に、堕落してまいます。

本作は、
掲げた理想、理念により、迷走し、
雁字搦めになり身動きが取れなくなる

まるで、『…And Justice For All』の「正義の女神」の様な状態に、由宇子は陥ります。

 

 

 

相手に真実を告白させる時、
常に、
カメラのフィルターを通して相手に対峙していた由宇子。

父に性交を認めさせる時、
富山に、放送の理想と正義を問うとき、

そして、

首を絞められた後、
まるで、ドリフのコントの様に蘇生した、
自分自身にスマホのカメラを向けます。

 

「死」からの「黄泉がえり」は、
「救世主」の誕生を意味する通過儀礼ですが、

由宇子は、
自らの迷走の果てに、
何をカメラの前で告白するのか?

堕落しつつも、
映像作家としての矜持は、そこに失っていないという、

そのラストは、
微かな希望があると、
私は感じていますが、どうでしょうか。

 

 

本作『由宇子の天秤』は、

現実の世界で、

理想や理念を掲げる事が、
如何に困難か、

そして、その迷走を描いています。

しかし、
その迷走の果てでも、
人は生きて行かなければならない、

その姿が、本作では描かれているのではないでしょうか。

 

 

 

メタリカのアルバム『…And Justice For All』は、コチラ

 

 

 

 

 

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