幻想・怪奇小説『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』三遊亭円朝(作)感想  

 

 

 

飯島平左衛門にはお露という娘がいた。しかし母が逝去し、妾のお国とそりが合わず、別宅にて暮らす事になる。そんな別宅に、知り合いの山本志丈が美男の萩原新三郎を連れて訪ねて行った。それが、因果の始まりで、、、

 

 

 

 

作者は三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)。
円朝とも表記される。
本名・出淵次郎吉。
落語中興の祖として知られ、
彼の口述筆記を参考にした二葉亭四迷が言文一致運動をおこしたと言われる。
数々の落語を自作、
真景累ヶ淵
『怪談牡丹灯籠』
『怪談乳房榎』等の作品がある。
海外文学の翻案なども行っている。

 

 

 

『真景累ヶ淵』同様、
本著『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』も、

三遊亭円朝の落語を
速記によって書き留めたものです。

口語体で綴られた会話劇がメインの「噺(はなし)」となっています。

 

話し言葉のテンポの良さと、

展開の面白さでグイグイ読めるのです。

 

また、題名に「怪談」とあるので、
ホラーストーリー的な印象を持たれるかもしれません。

しかし、
実際は怪談要素は、
その物語の構成要素の極一部。

その本筋は、

仇討ち譚となっています。

 

因果応報、勧善懲悪、

いつの世も、
鉄板の、王道の面白さ。

悪事を働く不逞の輩、

虐げられし人間が、
その怨念を晴らすべく奮闘し、

やがて因果を解きほぐす爽快感。

 

話の芯は同じですが、

その肉付けが違うので、読み味も少し違う
「怪談牡丹燈籠」と「怪談乳房榎」。

どちらも面白く、
これを一挙に味わえるというのは贅沢至極。

 

やはり、勧善懲悪こそが、
エンタメの基本であり、王道。

原点にして頂点なのだと
あらためて思わせてくれる。

『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』とは、そういう作品集なのです。

 

 

  • 『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』のポイント

テンポの良い口語体のリズムで、在り在りと浮かぶ情景

「怪談」を始め、様々な要素を盛っている総合エンタテインメント

勧善懲悪・因果応報の仇討ち譚

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • リアル怪談の恐怖!!

『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』。

題名に「怪談」とついています。

また、「怪談牡丹燈籠」は、
その元ネタである

中国明代の伝奇小説『剪灯新話』(せんとうしんわ)、
→これを翻案した、浅井了意の『伽婢子』(おとぎぼうこ)が、その物語の基礎となっています。

 

そういった事もあって、
どちらの作品も、そのとっかかりは「怪談」風に物語は進んで行きます。

しかし、
その「怪談」要素を担う「幽霊」は、
それ自体が邪悪とは、一概には言えない存在です。

 

確かに、
自らの怨念や執念を晴らす為に、

黄泉路をさかのぼり、
彼岸から此岸へとまかりこした異形の存在。

ですが、そこには
ある種の哀しさが漂っています。

それは悲恋であったり、
無念であったり、
人の世の気紛れに運命を翻弄された人間の悲哀が滲み出ています。

 

ゾッとすれども同情の余地のある、
怖さもありますが、共感する部分も多い存在である幽霊。

しかし本作では、
そんな「幽霊」より「恐い」存在がいます。

それは「人間」、

人間の悪業なのです

 

金に目が眩んで恩人を売り渡す者、

自らの欲望を満たす為に、
人を罠にかけて殺さんとする者、

不義密通の果てに、
邪魔者を亡き者にせんとする者、

心胆寒からしめる「幽霊」の「怖さ」を凌駕するのは、
唾棄すべき「人間の悪業」の「恐さ」なのです。

 

『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』の両作は、
共にそれを意識した構成となっています。

つまり、
人の世の真の恐ろしさは、
幽霊の様な怪力乱神よりも、
むしろ人間そのものにあると解いているのですね。

なので、
怪談というか、ホラー要素はそのとっかかりの一要素。

むしろ物語が進むと、
サスペンスフルな悪人の謀の描写へと、
本作のメイン要素がシフトして行くのです。

しかして、人の世の事なれば、

悪人を現世の人間で討つ事が出来るのは道理。

かくして、
「怪談」が因果応報の「復讐譚(仇討ち)」へといつの間にか変化しているのです。

 

  • 作品解説

では、簡単に「怪談牡丹燈籠」「怪談乳房榎」の両作品を解説してみたいと思います。

この両作に加え「真景累ヶ淵」も
その物語の芯は同じ。

元ネタにある「怪談」を物語の導入部、
1エピソードに使用して、

そこに肉付けした「人間の悪業」、
それに対抗する因果応報の「復讐譚(仇討ち)」がメインのストーリーラインとなって行きます。

 

怪談牡丹燈籠
浅井了意の『伽婢子』を元ネタとして、
それに人情噺と復讐譚にて肉付けした物語。

速記本が1884年に出版されたそうです。

さて、お話は、

悲恋のゴースト・ストーリーが、
いつの間にか復讐譚へと相変わっております。

この復讐譚というのが、

手前勝手に振る舞う悪人に対し、
忠義と一本気にて対抗する善人という構図。

口八丁の手八丁、あの手この手で陥れようとするお国と源次郎に対し、

その忠心にて困難を次々と乗り越える孝助。

ストーリーラインは分かり易いものの、

その構成にて、
キャラクターの使い方や
伏線を律儀に回収してゆく展開を鮮やかに見せてくれます

 

 

怪談乳房榎
この作品にも、
討たれるべき悪人の象徴として磯貝浪江という存在がいます。

しかし、
本作にて最も目立つキャラクターと言えば、
人の言い分に流されるまま悪事を重ねる正介という存在です。

唯々諾々と流されるままの正介の主体性の無さ、というか、
責任感の欠如
といったものは

他人の悪事に荷担しながら、
自分は如何にも「悪くない」と無関係を装う、

何とも言えない卑怯さを感じます。

しかし、
この正介の小心さを糾弾出来ないのが、
人の世の辛い所。

かく言う私達も、

自分より強い立場、
暴力や権力を振りかざす人間の意に添わぬ要求に対して、
「ハイ、ハイ」と従ってはいないだろうか?

読者としては、
正介の小心さを嫌悪しつつ、

しかし、
何処かで勇気を振り絞って、改心して欲しいと願っているのです。

何故なら、読者も
世知辛い世の中にて、意に添わぬ仕事を強要されているから。

つまり、ある意味、正介は自分自身の姿なのだから、
せめて正介には勇気を振り絞って欲しい、
そういう心持ちになるのです。

そして、物語はそういう期待を裏切りません。

こういう部分が、読者にカタルシスを生むのです。

 

 

 

本作にて描かれる「悪の所業」の大きな要素の一つに、

「不倫」が描かれています。

これは結局、
100年前も、
今の世も、

「不倫」は叩かれてしかるべき行為なのだと、
万人が認識していたのですね。

 

また、
100年前の作品だと言うのに、

その口語文が読み易い事にも驚かされます。

それは、「序」に書いてある、
堅苦しい文章と対比されているのが良く分かるのです。

 

書き物として、
文章の変遷は時代と共にありました。

しかし、
現代と何ら変わる事なく理解できる「口語体」の様子を見るに、
実は、
喋り言葉は、意外と大昔から殆ど変わっていなのかも知れません。

100年前どころか、
江戸時代どころか、
平安だろうが、縄文時代だろうが、

言葉が通じたら楽しいでしょうね。

 

不倫は叩かれる、

話し言葉が通じる、

100年前も、今と全く変わる事の無い世の中です。

そのことを如実に感じさせる作品、

それが『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎』。

口語体のリズムのテンポと、展開の面白さでグイグイ引き込まれる、
それを、豪華二本立てで味わえる贅沢さ。

怪談から鮮やかにシフトする、人情噺で肉付けした勧善懲悪の復讐譚は鉄板の面白さです。

 

 

同じ三遊亭円朝(作)の『真景累ヶ淵』の事を下のページにて語っております。

幻想・怪奇小説『真景累ヶ淵』三遊亭円朝(作)感想  怪談噺!?のみならず、エンタメの宝庫!!

 

書籍の2018年紹介作品の一覧はコチラのページにてまとめています

 


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