江戸時代を舞台に描かれる怪奇譚の数々33篇。
人面疽、化け狸、石の怪、生首に謎の見舞客 etc…
奇想天外な物語の数々をお届けする「大江戸怪談 どたんばたん(土壇場譚)」の第2弾が、ここに誕生!
著者は平山夢明。
鬼畜小説から実話怪談まで幅広い恐怖を描く、現代日本を代表するホラー作家の一人。
代表作に
『異常快楽殺人』
「『超』怖い話」シリーズ
『独白するユニバーサル横メルカトル』
『ミサイルマン』
『DINER』等がある。
本書『魂豆腐』は『大江戸怪談 どたんばたん(土壇場譚)』の続篇。
その題名の語呂の良さが素晴らしい。
続篇とは言え本書は短篇集。
「江戸怪談」という括りが同じだけで、普通に本巻から読んでも問題無い。
「怪談」と銘打ってはいるが、その内容は、
説話風・奇想、怪奇譚といった趣。
ホラーと言うより、奇妙な話寄りな印象を受ける。
短篇、ショートショートが全33篇。
どれも肩肘張らず、サクッと読める。
それなのに、どれもシッカリ面白い。
怪奇物語から教訓を得るも良し、
他人の不幸で自分の人生を安心するのも良し、
色々楽しみ方の多い短篇大江戸怪奇譚である。
以下、内容に触れた感想となっています
スポンサーリンク
-
時代劇フィルター
実話怪談や鬼畜系の短篇小説の印象が強い著者の平山夢明。
熟練のホラー短篇の名手が江戸という時代を舞台に作った怪談が、『大江戸怪談 どたんばたん』シリーズである。
読んでみると、これが不思議。
同じ怪談と言っても、現代と江戸時代では何故か読み味が違ってくる。
現代の怪奇短篇や実話怪談の場合は、自分の行いによって招いた不幸、自己責任や自業自得といった突き放した話であったものが、
江戸時代になると、因果応報譚、怪奇幻想譚といった味のある話となる。
現代だったら残虐な話となる物でも、江戸時代となると不思議な哀愁が漂う。
それは何故だろう?
やはり現代と違って江戸の民は、理不尽に慣れ、不幸に遭う事も「それも運命」とばかりに覚悟が決まっており、土壇場での往生際が良いからかも知れない。
時代と文化の違いが物語の読み味にかなりの違いを生む。
改めてその事に気付かされる。
-
作品解説
本書『魂豆腐』は33篇の短篇とショートショートからなっている。
全てを解説はせずに、一部抜粋の形でいくつか簡単に解説してみたい。
放ち亀
慣例を破った事が悪いのか?ケチな事をしたから招いた不幸なのか?
些細な事が自分のみならず家族をも不幸に陥れる。
ままねき猫児
自分にとっては身に覚えが無くとも、他人は恨みに思っている事がある。
そういう自分では気付かない事は、意外と全くの他人が指摘してくれる事がある。
ふところ鏡
最後にピタリと嵌る話のオチが美しい、幻想怪奇譚。
狸の駄賃
化かされていると分かっていながら、それを風情と楽しむ心の余裕が日々を楽しく生きるコツなのではないだろうか?
茶子
他人が楽しんでいる事をやっかんで、横槍を入れて台無しにするアホ。
石主
一念岩をも通すと言うが、一念が石にこもった話。
貝児
まさかそんな事で、という不幸。
さらに、異物は即排除すべしという如何にも日本人的村八分と、そういう人生を従容と送る哀しさが沁みる。
雨影
己を省み、身を慎む事から人間の新たな段階が始まるのだ。
本溺れ
ラストのオチに「そうだよな~」と思わず言ってしまう。
見舞い
負うた子に教えられ~、ではないが、
戯れに始めた交流が生きるよすがとなる事はままある。
捨て草履
呪う方は軽い意趣返しのつもりでも、
呪われた方の被害が甚大になる事は多い。
こういう何も考えずに不幸を撒き散らすアホの所為で世界が悪くなってゆくのだ。
横綱
口止めされてるのに喋っとるやないかーい。
饅頭怖い
何となく、不思議な因果話と思ったら、オチの怖ろしさにゾッとする。
髪賽銭
いじめっ子というのは心根がひん曲がっているんだなぁとあらためて思わせる。
ぎこ回し
僥倖が訪れても、それを活かしたり、守ったりする工夫がなければアッサリ失ってしまう。
小塚原
ストレートな怪奇譚。
傍目からはギャグスレスレであるからこそ、恐怖が深い。
心魚
特別な能力があっても、それを活かす知識と行動力が無ければ何も意味が無い。
覚悟と諦念は養えるが。
尿童
三顧の礼で迎えられても、用済みとなればアッサリ切り捨てられる。
そして、因果が巡る事に目を瞑れば、確実に不幸を呼び寄せるのだ。
短篇でありながら、シッカリとした展開とオチでどれも面白い。
これは、古典や黄表紙などに元ネタがあるのだろうか?
このレベルをゼロから作っているとは思えない程の完成度がある。
誰が読んでも面白い、傑作怪談集である。
こちらは前作。語呂のいい題名のパワーワードっぷりが光る。
スポンサーリンク
さて次回は、しっかりしたオチより大ネタ重視!?『日本SF傑作選2 小松左京』について語りたい。