エス・エフ小説『ねらわれた学園』眉村卓(著)感想

 

 

 

ごく普通の中学校、阿倍野第六中学校。この生徒会長選に立候補した高見沢みちる。彼女は独特な雰囲気で忽ち生徒会を掌握した。しかし、そんな彼女に違和感を持つ関耕児は、常に疑惑の眼で高見沢を眺めていたのだが、、、

 

 

 

 

著者は眉村卓
『妻に捧げた1778話』がTV番組「アメトーーク」で取り上げられ話題となる。
代表作に、
なぞの転校生
『司政官 全短編』
『消滅の光輪』等がある。

また、傑作選の
日本SF傑作選3 眉村卓』も、入門篇として最適な一冊だ。

 

 

先日紹介した、眉村卓のジュブナイルSFの傑作と言われる『なぞの転校生』。

そして本作『ねらわれた学園』もそう言われています。

というか、

ジュブナイルSFの最高傑作

 

と言えるのではないでしょうか。

 

 

クラスの投票により、二年三組の代表委員になった関耕児。

生徒会に出席すると、
三年以外の殆どのクラスで生徒会長・高見沢みちるの息のかかった生徒が代表委員になっていた。

その、初回の生徒会動議にて採決されたのは
「校内パトロール」。

希望した代表委員により形成される「パトロール委員」が、
校内の風紀を取り締まるべくパトロールをするというのだ。

関耕児は違和感を覚えるが、反対意見は多数決により黙殺され、
「校内パトロール」が即時開始されるのだが、、、

 

舞台は学校、登場人物は中学生。

しかし、本作で描かれる展開は、決してお話の限りではありません。

権力を持ったものが、強権を発揮した場合、
共同体はどうなってしまうのか?

 

ハラハラドキドキ、

圧倒的リーダビリティにより、ページを捲るのが止まらない

 

とは本作の事。

手頃な長さで一気読み確実。

面白いとはどういう事か?

『ねらわれた学園』を読めば面白い作品が知れる。
ジュブナイルSFの枠では収まらない、正に名作と言える一冊です。

 

 

 

  • 『ねらわれた学園』のポイント

ジュブナイルSF

忍び寄る統制社会の恐怖

全体主義体制を前にした、それぞれの人間のスタンス

 

 

*以下内容に触れた感想となっております。

 


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  • 統制社会・全体主義体制

『ねらわれた学園』はジュブナイルSFの最高峰

それだけでは無く、
本作は侵略SFの傑作でもあるのです。

 

侵略されるのは、
見える形では学園ですが、
その本丸は、自由意志が危険に晒されているのです。

 

普段、我々も生きていて、
社会のルールというものを、意識せずに何となく守っています。

その方が、日々を円滑に過ごせるからですね。

しかし、
そのルールを設定している人間が、
実は自分の都合の良い様に社会を作り替えていたら…

そして、我々も、
そんな社会が当たり前だと、無意識に享受していたのなら…

日々を意図せず過ごしていると、
気付くと、死ぬまで搾取される側に回ってしまうのです。

 

ですが、この現代の日本の様な状況が更に進んでしまったとしたら、それはどんな社会になってしまうのか?

その様子が本作によって描かれた、
権力者が、自分の主張をルールとして押し付ける世界
統制社会による全体主義体制なんですね。

 

本作では、それを意図的、組織的に敢行して行く高見沢みちるの生徒会一派と、
その体制に反旗を翻す関耕児初めとした二年三組の闘争を描いています。

 

  • ルールと立場

現代を生きる我々にとって、
ルールに従うという事は、意識しない当たり前の事として身に染みついています

高見沢みちるはその心理を利用し、
自分が権力を握り地固めした後に、「こういうルールだから守りなさい」という布告を出します。

なので、何となくおかしいと思っても、
言われた一般生徒の方は、「ルールだから従わなきゃな」
と思ってしまうのですね。

 

ですが、その成立過程に居合わせた関耕児は違和感を覚えます。

実は、ルール自体がおかしいんじゃないのか?」と気付くのです。

 

この、「ルール自体に疑義を唱える」という発想は、
実は現代に生きる我々の感性から完全にスポイルされてしまった思考なのではないでしょうか?

 

本作ではルールの成立過程に関われたからこそ、
その不気味さに気付く事が出来ました。

つまり、全体主義というものは、
その萌芽が見えた時に叩き潰しておかないと、
気付けば自分達がいつの間にか鎖に繋がれてしまうのです。

第二次大戦前のファシズムの台頭、
特にナチスドイツを見ると、その事を思い知らされます。

 

社会がそのルールで固まってしまうと、
おかしいと誰もが思いつつも、
一部の人間が指導するルールに裏打ちされた「数の暴力」によって、個人の言論は封殺されてしまいます。

 

本作では、中学生という、ある意味血気盛んな時期だったからこそ、
意義を唱える正義感が行動を起こさせていたのですね。

実際の社会では、大人の立場だと、
自分で責任を取る事を回避する人間しかいない上に、
「どうせ変わらない」という徒労感や倦怠感が行動を起こす事をためらわせてしまいます。

本作でも、何となく問題を先送りにする学校の先生に、その立場が明確に表されています。

 

また、煽りはするが、前面には出ない父親、
身の危険を第一に、行動を自粛させようとする母親など、
社会を取り巻く、
「面倒くさい事に対峙した人間のスタンス」
が本作では色々見られます。

 

全体主義に対峙し、
それが異常だと頭で理解していても、
必ずしも皆がそれに反対する訳では無い

そこの所に、権力者が強権を振るうスキを与えているのですね。

 

気付いた時には、既に手遅れ。
そうなって顔真っ青にならないように、注意して我々も生きるべきなのです。

 

 

 

中学校を舞台に、
SF的な設定で、超能力の描写がある。

こう書くと子供だましの様に見えますが、本作『ねらわれた学園』はそこで終わる作品ではありません。

『一九八四』
『華氏451度』
動物農場』etc…

これらの名作と共通する読み味が本作にはあります。

 

鮮やかな手並みの侵略に、顔を真っ青なりますが、

しかし、手を拱いているだけでは事態は解決しない、
抵抗の大事さを描きつつ、

さらにはそれに伴う、周囲の人間のスタンスの違いも浮き彫りにした『ねらわれた学園』。

現実に即しているからこその、
物語の面白さに溢れた傑作です。

 

 

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