小説『サイラス・マーナー』ジョージ・エリオット(著)感想  愛とは、自由を捨てて得るものである

19世紀の初め頃、サイラス・マーナーという機織りがいた。
彼は、ラヴィロー村に住む前は、敬虔な信徒だった。
しかし、友の裏切りに遭い、恋人に見捨てられ、神を信じられなくなり、孤独の内に故郷を離れたのだ。
ラヴィロー村に移ってから、15年。友人も居らず、トラブルも無く、平坦な日々を過ごしていたサイラス・マーナーの唯一の楽しみは、溜め込んだ金貨を眺め、手に取る事だった、、、

 

 

 

 

著者は、ジョージ・エリオット。
当時のイングランドでは、
男性名じゃないと売れないという事で、ペンネームを「ジョージ」にしているが、
本名はメアリ・アン・エヴァンズ女性である。
著作に、
『ロモラ』
『回想録』
『ミドル・マーチ』 等がある。

 

 

 

光文社古典文庫と言えば、
古典と言われる過去の名作達を、
新たに、現代の言葉で訳し、
紹介するシリーズです。

独特なのは、
表紙の絵の統一感と、
著者の名前を名字のみ記している点です。

(オーソン・)ウェルズとか
(マーク・)トウェインとか
(ジェイン・)オースティンとか
(アーサー・C・)クラークとか

全て、括弧内が省略されています。

 

さて、そんな光文社古典文庫でも、
偶に、フルネームで名前が書かれている作家がいます。

名前が、
フルネームの時と、
そうでない時と、
どんな違いがあるのでしょうね?

 

さて、本書です。

ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』。

え?
どっちが作品名?
どっちが著者名?

安心して下さい、
ジョージ・エリオットの方が著者名です。

なんで、よりによって、
紛らわしい名前の時にフルネームだったんでしょうか?

因みに、
2019年は、
1819年生まれの著者のジョージ・エリオット生誕200周年です。

 

まぁ、そんな事はさておき、
本書の内容です。

読んで、まず思うのは、

人間心理の繊細で、詳細な描写です。

 

主要人物である
サイラス・マーナー、ゴッドフリー・キャスは、

それこそ、微に入り細をうがち、
その思考の過程を丁寧に描いています。

故に、
読者は、そこに、
自然と共感する事になるのですね。

 

とは言うものの、本作、

その立ち上がりは、
暗い、暗すぎる!

 

友に裏切られ、恋人に見捨てられ、神を信じられなくなり、

一人、孤独に故郷を旅立つサイラス・マーナー。

辿り着いたラヴィロー村では、
コツコツ貯めた、金貨のみが友達。

こんな話、
楽しいの?

 

いや、これが、面白いのです!

この、人生の敗残者、守銭奴の様な印象のサイラス・マーナーに、
更なる悲劇に見舞われます

 

なんと言うか、本作、

展開が凄い、面白いのです。

 

え!?こうなるの!?
え!?そうくる!!

みたいな、物語の盛り上がりが見事なのです。

 

本作で描かれるは、

戦争でも、闘争でも、革命でも、裁判でもありません。

テーマとして描かれるものは、

人生の決断の話。

 

善も、悪も無い、
敵も、味方も無く、

道徳、倫理、宗教、哲学といった、
人間の心理ドラマ

 

にて、ここまで盛り上げるのは、凄い筆力、構成力です。

 

メインのラインとしては、
サイラス・マーナーとゴッドフリー・キャスの二人の物語が交互に語られる形になります。

そこに、
ナンシーや、プリシラ、エピーなどの、
女性登場人物の心情も共に、織り込まれます。

当時のイギリスは、
というか、その当時は、
女性の権利が、今と比べると著しく損なわれている状態でした。

そんな世の中で、

家父長制的な家族関係に縛られない女性達の姿を、
活き活きと描いているのです。

 

 

ならば本作、
なかなか、難しいのかな?堅苦しいのかな?
とも思われるでしょう。

しかし、
陰鬱になりがちなストーリーですが、
そこは、
綿密な心理描写で、圧倒的なリーダビリティを生んでおり、
ページをめくる手が止まりませんし、

また、
幕間的な感じで、
コミカルな場面を挿入しているのも、
緊張感を緩めるという意味で、
上手い構成と言えます。

 

しかもその場面、
モブキャラの性格説明の場面も兼ねており
無理なく、
作品の世界観、キャラクターに没入出来る作りとなっています。

 

孤独な陰キャの「負け組」、サイラス・マーナーと、

村の名士の息子、放埒でありながら、優柔不断なゴッドフリー・キャス。

いわば、
交わるハズの無い、
下層民と上級国民の人生が、
クライマックスで遂に交わる時、
物語は最高潮に達します。

 

人生を描き、
それが、物語になる。

ストレートな面白さのある作品、
それが『サイラス・マーナー』です。

 

 


 

  • 『サイラス・マーナー』のポイント

緻密で繊細な心理描写

緩急のあるストーリー展開

選ぶのは、自由か絆か

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 心理描写と展開の面白さ

本作『サイラス・マーナー』は、
ドラマチックな展開が魅力の作品。

そして、展開の面白さに加え、
緻密な心理描写が読者の共感を呼びます。

 

陰キャの守銭奴にしか見えませんが、
その心理描写を読むと、

どうしても、同情せざるを得ない、サイラス・マーナー。

初見は放蕩息子の様な感じですが、
実は優柔不断、
しかし、その葛藤に見る人間の弱さに、無碍に捨て置く事が出来ない気持ちになる、
ゴッドフリー・キャス。

そして、
頑固とも、偏屈とも言える一本気を持ちながら、
真面目過ぎる故に、マイナス方向ばかりに悩んで損をしがちな性格さが不憫なナンシー etc…

兎に角、本作は、
心理描写が状況描写以上に詳細な為に、
ビジュアルイメージすら喚起させる程です。

 

キャラクターの心理描写、
ドラマチックで、ダイナミックなストーリー展開の面白さ

それが本作の魅力です。

その上で、
個人的に注目したいポイントがあります。

それは、
自由の選択、という点です。

 

  • 選ぶのは、自由か、絆か

本書の p.302 ページから、少し長いですが、
抜粋してみたい部分があります。

「不満は、子のいぬ炉ばたに黙然といすわり、帰宅すればお帰りという幼い声がかかる父親を羨む。しかし小さな頭が苗床の苗のように並ぶ食卓にすわり、その子たちの背後に不吉な影がちらついているのが見えれば、ひとが自由を捨てて絆を求めようという衝動は、束の間の狂気にすぎない事を悟らされるかもしれなかった。」
(上記 p.302 より抜粋:赤字は抜粋者の注目ポイント)

 

これは、ゴッドフリーの心理描写を表した部分であり、

子供の居ないゴッドフリーは、
「自分の人生に、もっと何かあるハズだ」と思い悩み、

かつて捨てたエピーを欲しがる、という場面の一部です。

 

クライマックス直前の、
このゴッドフリーの葛藤に、
本作のエッセンスが詰まっていると思います。

 

唐突ですが、
現代日本に生きる我々は忘れがちですが、
「自由」や「平等」とは人間の生得権では無いという事です。

故に、
革命が起きたり、
憲法にて「平等」が規定されているのです。

 

同じ様に、
人間の「自由意志」というものは、
のんべんだらりと生きていても発揮されません。

「自由意志」は、
物事における、自己の「選択」の結果により発揮されるものであり、
そこには、
「選択」に伴う「責任」というものも生まれます

 

そういう意味で見ると、
サイラスもゴッドフリーも、ある部分までは、よく似ています。

自らに科せられた疑惑を、
籤引きという運否天賦に任せてしまったサイラス。

優柔不断な人間にありがちな、
目の前の困難に「見て見ぬ振り」をし、「明日から頑張る」とばかりに、
何もせず、流れに任せるゴッドフリー。

しかし、
この二人の人生は、
赤子(エピー)を巡る対応にて、分かたれます。

 

サイラスは、
赤子と「関わる」事を選択し、

ゴッドフリーは、
そのサイラスの選択に乗っかるのです。

 

サイラスは、赤子を引き取る事で、
自分の時間というものが無くなります。

いわば、
自由意志の選択の結果によって、
自らの自由を放棄する事になるのです。

しかし、その代わりに、
ラヴィロー村の住民との関わり、
そして、
エピー(赤子)との関係性を構築します。

そしてサイラスは、
エピーによって、人生の幸せを手に入れるのです。

 

一方のゴッドフリーは、
自分と妻のエミリーの間に子供が居らず、
故に、エピーが育つにつれて、

「元々は自分の娘だった」と、
自らの「生得権」を主張し、
エピーを自分の手元に確保しようとします。

しかし、
ゴッドフリーも又、
「選択をしない」という選択(つまりこれも、自由意志の放棄)を積み重ね、

その結果により、
エミリーとの結婚生活を得ているのです。

消極的とは言え、
それもまた、選択の結果。

ゴッドフリーも最後には、
エピーに拒絶される事で、
自らの選択(因果応報)に気付き、
その結果を受け入れる事になるのは、
不思議な爽快感すらあります。

 

愛とは、
自らの意思と選択にて、
自由を捨て去る事によって得る、絆の事

サイラスとゴッドフリーという、
境遇も、社会的立場も違う者が、
「選択をしない」人生の中で、
人生に意味を見失っており、

しかし、
赤子を受け入れるか、見捨てるか、
その選択で人生が分かたれ、

それでも、
自由意志を放棄するという過程が同じ故に、
積極的か、消極的かの違いがあれど、
自らの意思で選択した相手との間に、幸せを見つける、

『サイラス・マーナー』とは、
愛とは何たるかを語った話だと思うのです。

 

 

「身の丈に合った幸せ」とか、
「身の程を知れ」とか、
「器量にあった生活」という言葉があります。

それだけ聞くと、何となく、
小物は大望を持たず、大人しくしていろと、上から目線で言われている様な感じもします。

しかし、
その言葉の意味は、
人に合う幸せとは、人それぞれの十人十色なものだ、
というものなのではないでしょうか。

 

『サイラス・マーナー』は、
ドラマチックで、リーダビリティの高いストーリー展開、
キャラクターの心理描写を詳細に描く面白さにて、

愛と幸せについて語った作品なのだと、
私は思います。

 

 

 


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