随筆『恐怖の構造』平山夢明(著)感想  語っているのは恐怖の事、だけど読んだら笑っちゃう!!

 

 

 

人間の最も根源的な感情は「恐怖」だと言われています。
恐怖って何だろう?怖いって何だろう?
稀代のホラー作家、平山夢明。
彼が、恐怖の構造について語る!!
恐怖を理解する事は、人生を豊かにする事なのだ、、、

 

 

 

 

著者は平山夢明
小説作品に
『メルキオールの惨劇』
『独白するユニバーサル横メルカトル』
『ミサイルマン』
『他人事』
『DINER ダイナー』
『或ろくでなしの死』
『暗くて静かでロックな娘』
『デブを捨てに』
どたんばたん 魂豆腐

他、実話怪談の数々や、
ノンフィクションの『異常快楽殺人』
対談形式のエッセー『サイコパス解剖学』等もある。

 

 

平山夢明は、稀代のホラー作家です。

ただでさえ少ない、ホラー作家。

その中でも、一際異彩を放つ作家、
平山夢明。

その彼が、恐怖とその構造について語る。

まるで、

手品師が、
手品のネタをバラす様なお得感!!

 

これは、読まない手はありませんぞ!!

 

先ず、
第一章にて、日常の恐怖について語り、
それを踏まえて第二章では、さらに詳しく恐怖に迫ります。

第三章では、映画の恐怖表現を、

第四章では、小説作品の恐怖の構造を、

第五章では、精神科医の春日武彦氏と恐怖について対談しています。

 

馬鹿と天才は紙一重と言います。

それと同じで、

恐怖と笑いは紙一重。

 

恐怖や残虐描写、絶望感が突き抜けて、
むしろユーモラスに感じる、

それこそ、平山ホラーの真骨頂ですが、

本著では、その平山節が遺憾無く発揮されています。

恐怖の構造について語っているエッセイなのに、
それを読むと笑えるという摩訶不思議。

 

本書を読むと、
ホラー作家、平山夢明は、
作品作りにおいて、

読者を楽しませようと、
如何に心血を注いでいるのか、

 

その努力の程が解って、痛み入ります。

そして、そのサービス精神は、
小説ならぬ、エッセイの本書でも健在。

いつもは、
奇人変人ひしめく、
著者の楽しい小説作品を読んでいる事と思いますが、

本書ではむしろ、
著者自身が最も特異な存在と言いますか、、、

 

「ああ、こういう著者だから、ああいう作品が生まれたんだね」
と、膝を打つ事請け合いです。

 

いつもは、
小説オンリーで、
随筆系の本を読まない人でも、

著者のファンなら絶対オススメの作品。

そうでなくとも、

一流の作家が語る、
作品作りの構成の裏話が聞ける本書『恐怖の構造』は、

その恐怖というモノの普遍性故に、

万人に楽しめる作品と言えましょう。

 

 

  • 『恐怖の構造』のポイント

稀代のホラー作家が語る、ホラー作品の構造

ホラーの事を語っているのに、何故か笑える!

むしろ、著者自身が奇人変人の部類なのかも、、、!?

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 恐怖と不安

本書『恐怖の構造』にて、
主に語られているテーマは「恐怖と不安」。

第二章にてその定義が提唱され、
本書自体を通底するテーマとして掲げられているものです。

 

原因がハッキリしているショック、
直接対決できる対象があるものが、「恐怖」。

原因が分からず、
恐怖する対象が曖昧なものが、「不安」と定義されています。

(p.49参照)

 

そして、著者は、

「恐怖」よりも、
むしろ「不安」の方が恐ろしいのではないのかと言っているのです。

 

確かに、
対象が解っており、覚悟のしようがある場合と、

何が起きるのか解らない状態での不意打ちとでは、

その心構えが違って来ます。

「何が起こるのか、解らない状態の不安」
により喚起される、
「疑心暗鬼」が、一番怖いのですよね。

結局は、自分の想像力が、最も自分の首を絞めるというのです。

 

…まぁ、
その「何が起こるか解らない状態の不安」を利用した、

いわゆる「シャマランムービー」というものがありまして、

『サイン』(2002)
『ヴィレッジ』(2004)
『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006)
『ハプニング』(2008)

という、錚々たる顔触れです。

どの作品も、
「クソ映画」
「スルメ映画」
と、評価が二分する作品達ですが、

不安を利用した「見せない恐怖」も、
やり過ぎたら観客にキレられるという良い例(?)と言えるでしょう。

 

  • ホラー映画の解釈

さて、この「恐怖と不安」をテーマに、
第三章は映画解釈
第四章では小説構造について語られています。

 

第三章で言及される作品は、
『ゴッドファーザー』
『タクシードライバー』
『サイコ』
『エクソシスト』
『シャイニング』という堂々たる顔触れ、

最近の作品の
シン・ゴジラ
ゲット・アウト』についても語られています。

凄いのは、
映画それ自体を観ていなくても、
言っている事が解る所。

勿論、観ているに越したことは無いのですが、

映画という根拠の元に、自説を展開する、

つまり、
映画をどの様に解釈したのかという、個人的な見解を、
面白おかしく語っているからこそ、

「読める批評」になっているのです。

その辺、流石、一流作家の面目躍如といった所です。

 

「漫画について語る事は、漫画を読む事より面白いかもしれない」

とは、漫画コラムニストの夏目房之助の言ですが、

漫画なり、映画なり、小説なり、
その感想、解釈を語ったり、
人の意見を聞いたりする事って面白い、

そういう事を思い出させてくれる、第三章です。

 

  • ホラー小説の構造

そして第四章では、
稀代のホラー作家自身が、自分自身のネタばらしとも言える、

ホラー小説の構造、構成、その書き方について惜しげも無く語っています

 

1:ジャンル(ゴール)を定める

小説のジャンル、そして、その終わり方を予め設定しておくべし。

恐怖を乗り越える「サスペンス」にするのか、

恐怖を謎として解き明かす「スリラー」(いわゆるミステリ)にするのか、

恐怖と対決する「アクション」にするのか、

そういうジャンル設定が重要と言います。

 

2:各論と総論を分けて考える

小説は、各論と総論を分けて考えるべし。

即ち、小さな目標(各論)は達成出来ても、
結果的には悲劇に終わる(総論)構造なり、

小さな勝負に負けても(各論)、
最終的には勝利に終わる(総論)などです。

 

何故こういう構成にするのかというと、

ホラーは基本的に、バッドエンドになりがちです。

しかし、それでは読んでいる方がムカツクだけ。

何処かで、読者のストレスを発散させる「カタルシス」が必要なのだと言います。

 

映画で例えると、
『ソウ』とか『フォーン・ブース』みたいな、

犯人がドヤ顔して終わる映画は、
即ち、
制作者のドヤ顔も透けて見えて、観客はマジギレしてしまうのですね。

やはり、
『ホステル』や『キャビン』みたいに、

ヤリ逃げを許さない、ある種のカタルシスは絶対必要だと思います。

 

3:緊張と緩和

物語には、緩急を付けるべし。

ジェットコースターも、
山あり、谷ありだから面白い。

ある種のユーモアがあるからこそ、恐怖が際立つ

逆も又、然り、ですね。

 

4:主人公のアーチ

物語の展開により、
主人公自身が変化、成長する様子を描くべし。

そこに、感情移入する要因が生まれるのです。

 

5:五官に訴える描写

状況説明を凝った文章でダラダラと続けるより、

より直接的な表現、

誰でも、一瞬で思い浮かべる事が出来る「例え」を駆使するべし。

例えば、
「夏の日のうんこの様な臭さ」とか、

「ごみ置き場に群がるカラスの様に殺気立った眼」とか、

そんな感じですかね。

 

読者の五官を喚起させる事により、
作品に奥行きがもたらされます

それにより、
集中させたい箇所、ズームしたり、外したり、
それも思いのままになるのですね。

 

6:自分にとっての怖いもの

その上で、自分が怖いものをテーマに書く。

そこにリアリティが産まれるのです。

 

ホラー小説の構成については、
ざっとこんな感じで書かれてています。

成程!凄く分かり易い!

しかし、
これを読んで、今日から俺もホラー作家だ!

と、ならない所が現実

言うは易し、ですが行うは難し。

いや、確かに、
これを忠実に再現出切れば、ホラー作品になります。

しかし、
そもそも、それが出来ないから、素人のホラーはつまらない

著者自身も、
実話怪談の実態について語りながら、

「出来るモノならやってみな」

と、暗に読者に挑戦している感があるのがまた、ニクい所です。

 

また、題名の重要性も説いています。

しかし、これはどうなんでしょうね?

夏目漱石なんかは、

『彼岸過迄』という題名は、
「元旦から始めて、彼岸過ぎ迄に書き終わるつもり」で付けた題名といいます。

ぶっちゃけ、
適当に付けた題名でも、面白ければ何でも良いと思いますけれども。

まぁ、確かに
『独白するユニバーサル横メルカトル』
という意味不明に凄い題名のインパクトは忘れ難いですが。

…やっぱり、インパクトって大事なのかも知れませんね。

私も未だに
『タイトでキュートなヒップがシュールなジョークとムードでテレフォンナンバー』とか言う、意味不明の題名の歌謡曲(の題名)を覚えてますしね。

 

  • 恐怖というより、むしろユーモラス

平山夢明の小説作品と言えば、
恐怖と隣り合わせのユーモア、これが魅力なのだと思います。

 

奇人変人のキャラクターが織りなす、
悲喜こもごもの人間模様、

その生の感情のほとばしりが、

クセになる面白さを産んでいます。

 

さて、本作はエッセイ。

しかし、小説作品並か、それ以上の奇っ怪さがあります。

何故なら、
著者・平山夢明自身が、個性的な発想を遺憾なく発揮してくれるからです。

 

小説『羊たちの沈黙』のシーンを抜粋する箇所(p.83~84)があるのですが、
それがわざわざウンコのシーンだったり、

映画『エイリアン』で、
リプリーが口の中に「平凡パンチ」を突っ込まれるシーンを「ユーモラス」と評したり(p.89)、

そもそも、
春日武彦氏との対談の第五章自体が面白コーナーだったりします。

 

兎に角、読んでいて面白い。

エッセイと言っても手を抜かず、
自分の主張を述べつつも、

どうすれば読者が面白く感じるか、
あくまでも、その点を追求しているのですね。

 

その為には、
エッセイの主たる登場人物である、

己自身が奇人変人扱いされる事も厭わない、

キャラクター設定を自分自身にも課しているのですね。

その心意気や良し、です。

 

 

 

「恐怖と不安」をテーマに、

日常や映画、小説における恐怖の構造について論じた本作『恐怖の構造』。

しかし、
読むとそのユーモア感覚に唸らされる、

エッセイと言っても、

読んで面白いものを提供する、

そういう著者の気概を見せつけてきます。

 

ホラーとユーモア、
このアンビバレンツなものが共存するからこそ、

正しくエンタテインメントであり、

それでいて、
ホラーというエンタテインメント自体の構造についても学ぶ事の多い作品、

お得感溢れる印象を受ける、

それが、本書『恐怖の構造』なのです。

 

 

書籍の2018年紹介作品の一覧をコチラのページにてまとめています

 

 


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