漫画『怪奇まんが道 奇想天外篇』原作:宮崎克 漫画:あだちつよし(著)感想  漫画より面白い!?漫画家人生あれこれ模様!!

 

 

 

漫画にて怪奇を描く作家4人。
御茶漬海苔
諸星大二郎
外薗昌也
近藤ようこ
この作家達は何故怪奇マンガを描いているのか?その漫画家人生と創作秘話に迫る!!

 

 

 

原作は宮崎克
数々の漫画原作を手掛ける。
代表作に
『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』等がある。

漫画はあだちつよし
代表作に
『むしむしころころ』
『女帝NEO・美姫』等がある。

 

本作は

怪奇マンガを描く作家にスポットを当て、その人生と創作秘話を明かそうという作品

 

の第二弾である。

第一弾では、古賀新一、日野日出志、伊藤潤二、犬木加奈子の4人を紹介。

そして本巻にて扱う作家は

御茶漬海苔
諸星大二郎
外薗昌也
近藤ようこ

 

の4人である。

いずれ劣らぬビッグネーム、彼達の漫画化人生をインタビューと取材にて解き明かしている。

面白いモノを描く漫画家は、

その作品のみならず
人物も面白いハズだ!!

 

その発想の元に作られた漫画家漫画である。

作家自体のファンは勿論、
全く知らない作家の話でも、その創作姿勢には相感ずるものがあるはずだ。

 

 

 

以下、内容に触れた解説となっております


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  • 新しい形式の漫画家漫画

吾妻ひでおの『失踪日記』が流行って以来、
漫画家の自分語り漫画たる漫画家漫画はある一定数の定期的刊行があり、
今では漫画の一ジャンルとして確立された印象すらある。

本書もその一つだが、特徴的なのは本人が語るのでは無く、第三者が取材とインタビューによって構成している点である。

漫画家本人や編集者などに取材し、客観的な目線により面白い盛り上がり所を判断、
、この第三者目線(読者目線)によって漫画化するからこその面白さがある。

その際、作画のあだちつよし氏が取材対象の漫画家の「絵」を模写し、その漫画家漫画に挿入するという表現方法が面白い

漫画家自身の人生模様はあだしつよし自身の絵だが、
そこに「漫画家の絵」を印象的に重ねる事で多重の視点を獲得している。
これは第三者が語るからこそ為し得る表現である。

漫画家とその漫画作品は別物。
しかし、漫画はその作者より出でた分身である事もまた事実なのだ。

 

  • エピソード感想

各人のエピソード毎の感想を簡単に記してみたい。

御茶漬海苔
かつてスプラッタ・ホラーが大流行した80年代。
その流れの中で創刊された雑誌『ハロウィン』にて頭角を現す。

しかし、あの悪名高き「宮崎勤事件」にて状況が一変。
臭いものには蓋とばかりに「漫画家辞めろ」とは、読むだけでも腸煮えくりかえるセリフが印象的なエピソードである。

表現の自主規制と言えば聞こえは良いが、様は叩かれたくないだけの逃げの姿勢である。
そこで止めておれば良いが、目立つ者を否定し、その行為で自らが「まとも」であるかの如く装うのは醜い方法である。

「宮崎勤事件」の事件は「オタク」という言葉が一般に負のイメージとして浸透したその契機。
御茶漬海苔はそのアオリをモロに喰らった漫画家の一人だったのだろう。

諸星大二郎
手塚治虫をして「唯一真似出来ない画風」と言わしめた諸星大二郎。
それでも、漫画家としては3年近く芽が出なかったというのが、作品作りの難しさである。

このエピソードの面白い点は、元編集者の視点が絡まる部分である。
(やはり、諸星大二郎自身は寡黙であまり語らなかったのだろうか?)

ジャンプでメジャーデビューとなった諸星だが、いわゆる王道少年漫画的な展開やカタルシスとは目指す所が違う。

「妖怪ハンター」という題名が、作者と編集者の相克で名付けられたというのが面白い。

一方『暗黒神話』の編集者だった奥脇三雄は、そのスタンスが全く違った。
彼は諸星の漫画を、最初は正直受け入れ難いと思いつつも、段々その魅力の虜になっている
これは、諸星漫画のファンが全てに言える事ではないだろうか?

最初読んでも、正直ちょっと意味が分からない。
しかし、何か残るものがあり、気になるからこそまた読みたくなる。
そうこうしている内に、その独特の世界観にどっぷり嵌っていくのだ。

よく、漫画は編集者と二人三脚で創る物だと言われる。
その意味では奥脇は殆ど作品に関与していな様に見える。
しかし、「作者の自由に描かせる」という環境を提供したのは彼であり、その編集方針によって、後世に残る傑作が生まれたというのは彼の功績にも拠るのだろう。

外薗昌也
ファンタジーやSFを手掛け、そして近年はホラー漫画を描く外薗昌也。

外薗昌也の代表作と言えば『犬神』。
いわゆる異生物との共生モノだが、『寄生獣』や『ヒドゥン』と比べて親しみやすいのは、その見た目が「犬」だったからであった。
(私の犬好きの友達もこの漫画のファンであった)

だが、作者自身はその「親しみやすい」といういい人イメージに違和感を感じる。

ずいぶんひねくれているなぁと思われるかもしれない。
しかし、外薗が感じた違和感とは、人から強制されたレッテルに「自らが嵌まり込む事」なのだ。

その反動か、元々持っていたものか、ホラー漫画を描き、それにより解放されたと感じているのは興味深い。

だが、これままだ途中。
ここから更に一転二転しそうな印象も受けるが、如何に?

近藤ようこ
自らをマイナーだと言い張る近藤ようこ。
彼女は、自分が続けられた原動力は「何処かで誰かが見ていてくれる」という希望にも似た事実であった。

世の中に、自分が出す作品というのは、どんな人でもその全てがオリジナル
(パクリで無い限りは)
作品作りにおいて、人のアドバイスはどれ程聞くべきか?
これは悩み所である。
どんな親切心から出たアドバイスでも、自分の個性を殺し他人に迎合すれば、その個性的な味(オリジナリティ)が薄れる事になる。

近藤は自らの「描きたいもの」という芯をぶらさずに漫画を描き続けた。
だがらこそ個性が死なず、長い間続けられたのでは無いかと思う。

 

 

本人は常に悩んでいたとしても、作品作りにおいて成功した人間の多くは「作品に対して意地っ張り」な部分がある

これだけは曲げられない、
こんな事は受け入れられない、
そういう思いが渦巻いてこそ、情念のある個性的な作品が出来上がるのだろう。

何かと世間に押しつぶされ、画一化した価値観を持つ事が強要される昨今。

そういう「異質」な部分があり、それを強調して表現するからこそ、漫画家としての魅力があり、
その魅力がより引き出たジャンルが「幻想・怪奇」だったのだろう。

そのギリギリの世界に挑戦し続ける表現者としての漫画家、そして、その姿を現した本作『怪奇まんが道 奇想天外篇』は面白いのである。

 

こちらは第一弾の作品集。
古賀新一、日野日出志、伊藤潤二、犬木加奈子。

 


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さて次回は、その奇想天外な世界観を表した作品、近藤ようこの『五色の舟』について語りたい。