映画『散り椿』感想  際立つ「画」の美しさと、想い!!


 

瓜生新兵衛は8年前、藩の不正を訴えたが受け入れられなかった。妻の篠を伴って脱藩したが、未だに刺客に狙われている始末。その新兵衛が、藩へと舞い戻って来た。かつての友、そして、身に覚えのある人間が騒ぎ出す、、、

 

 

 

 

監督は木村大作
映画の撮影助手としてキャリアをスタートし、
撮影監督として、様々な作品に関わる。
本作の他の映画監督作品には、
『劍岳 点の記』(2009)
『春を背負って』(2014)がある。

 

原作は葉室麟の同名小説『散り椿』。

 

出演は
瓜生新兵衛:岡田准一
榊原采女:西島秀俊
坂下里美:黒木華
坂下藤吾:池松壮亮
瓜生篠:麻生久美子

他、
緒形直人、新井浩文、柳楽優弥、石橋蓮司、富司純子、奥田瑛二 等。

 

 

 

ちゃらら・らら・らら・らら・ららら~

えっ!?
これって、ゴッド・ファーザーのテーマ曲じゃん!?

 

と、思いますが、ちょっと違います。

ちょっとですが。

 

さて、

 

撮影監督として数々の映画に携わってきた、
本作の監督、木村大作。

その監督が、

「美しい時代劇を撮りたい」

 

との意気込みにて撮影されたのが本作、
『散り椿』です。

 

撮影監督というキャリアを重ねただけあって、
本作は先ず、

「画」の美しさが際立っています。

 

人物の所作、
その一つ一つが上品。

そして、
画の中に配置される、バランス。

また、
一目で惹かれる、
一枚画としての美しさ。

その全てを計算し尽くし、
細部にまで神経を注いでいます。

 

ここまでは謂わば、
「静」の美しさ。

これに加え、
本作にはそこからの、「動」の美しさもあります。

 

主演、岡田准一は格闘技で体を鍛え、

「ガチンコでやれば芸能界最強」
との噂もある人物。

そういう身体感覚がある岡田准一を始めとした出演陣の、

剣を振るう、
その型の稽古。

そして、
真剣勝負の緊張感。

「静」の美しさから派生する、
流れる様な「動」の美しさへの緩急、

 

これまた、
ため息の出る位の素晴らしさです。

 

「画」造りの美しさもさる事ながら、

本作はそのストーリーも捨て置けません。

藩のお家騒動をその骨子として、

新兵衛と彼の周辺にて巻き起こるのは、

様々な「愛」の物語。

 

様々な人物の、
それぞれの想い、

それが、美しい「画」と相俟って、

尚一層の情緒を搔き立てます。

 

「画」の美しさ、
「話」の美しさ、

それらに拘り抜いた作品、『散り椿』。

こういう、
真面目一徹に作った作品もあって良い。

そう思わせてくれます。

 

でもな~、
テーマ曲はやっぱり、
『ゴッド・ファーザー』だよなぁ~

 

 

 

  • 『散り椿』のポイント

「画」の美しさ

「愛」の物語

犯人探しと、愛の行方、二つのミステリー

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 人物のまとめ

本作『散り椿』は、
主要登場人物が多く、
ちょっとこんぐらがってしまう所があります。

それは、
新兵衛の妻の篠の家族関係。

そこを先ず最初に、

簡単にまとめてみます。

 

篠は元々、坂下家の出身。

坂下家の兄弟は、
上から、

源之進(駿河太郎)
篠(麻生久美子)
里美(黒木華)
藤吾(池松壮亮)

4きょうだい(兄姉妹弟)です。

 

原作では、
源之進と里美が夫婦で、
その子供が藤吾、

また、映画も、
最初の印象では
藤吾と里美なのかな、という印象も受けるので、

この坂下家の関係が、若干分かり辛い所だと思います。

 

他の登場人物と絡めて説明すると、

源之進:
瓜生新兵衛、榊原采女、篠原三右衛門らと並び、
平山道場の四天王の一人。
8年前のお家騒動で切腹。
(平山道場も代替わりし、現在は息子の十五郎(柳楽優弥)が当主)

篠:
瓜生新兵衛の妻。
しかし、最初に夫婦の話が上がったのは、榊原采女との間であった。

里美:
源之進、篠の妹、
藤吾の姉。
当主の藤吾を支えて家事全般を営んでいる。
瓜生新兵衛に想いがある。

藤吾:
現在の坂下家の当主。
篠原三右衛門の娘の美鈴との婚礼を控えている。

 

因みに、
舞台の扇野藩は原作者の葉室麟が創作した架空の藩で、

同じ藩を舞台にした「扇野藩シリーズ」という小説群があります。

 

  • 「画」への拘り

本作『散り椿』は、
撮影監督として長いキャリアを持つ、
木村大作の監督作品。

それだけに、
「画」に対する拘りが、並々ではありません。

 

本作は、
ストーリー的には藩のお家騒動を描いた作品です。

原作は未読なので、
その雰囲気は分かりませんが、

映画化となると、
監督や脚本により、
その作品の雰囲気は如何様にも変わります。

もし、
クエンティン・タランティーノが本作を撮ったら、
密室でのサスペンスになったかもしれず、

北野武が撮ったならば、
罵倒飛び交う凄惨な殺し合いになるかもしれません。

 

しかして、木村大作が撮った本作は、

静謐な「画」としての美しさに拘った作品となっているのです。

 

先ず、
止め画としての美しさがあります。

シーンの切り替わり、
場面の始め、
その最初の「画」が先ず、美しい

風景画の様な繊細さがあります。

 

そして、
その「画」の中に人物が入ってくる。

これが、
美しさを崩さないバランスで、

「画」としての品性を保っています。

 

そして、
そういう「画」としての静の美しさの延長上に、

「動」の動きの美しさが存在しています。

竹林の中で、
ひたすら剣を振るう稽古。

雪の降る中、
型稽古をする新兵衛と藤吾。

雪、そして、雨で視界が遮られながらも、
流れる様に刺客を斃す、
真剣勝負。

これらは、

いわゆる、
アクションとしての動きの激しさをウリにしているのでは無く、

「静」から「動」へと流れる、
その緩急が美しさを演出しているのです。

 

その、
「静」と「動」の美しさの結実として、
クライマックスに設定されているのが、

散り椿の前での、
新兵衛と采女の対面なのです。

 

また、本作はオールロケ、
唯一のセットは、
実際に建てた、坂下家のオープンセットなのだと言います。

そして、
CGでは無い、ポンプを使った(と思われる)血飛沫、

テグスを使って、導線を引き、
実際に役者の体に当てたという、矢。

さらに、
シーン自体は失念しましたが、
背景に、本物なのでしょうか?
長谷川等伯の「竜虎図屏風」を置いた場面があります。

 

CG全盛の今の世にて、

こと程然様に、
「リアル」に拘った作り。

計算された「画」作りを、

リアルにて追求する美意識

『散り椿』には、その精神が、
細部にまで行き渡っているのです。

 

  • 「画」で語るストーリー

「画」作りの計算された美しさが際立つ『散り椿』。

勿論、それだけでは無く、
ストーリー部分にも面白さはあります。

それが、
「榊原平蔵を殺したのは誰か?」
「篠は、采女を愛していたのか?」
という、この2点がミステリ的な面白さを演出しています。

(因みに、榊原平蔵は監督の木村大作が演じています)

 

特に、
「篠は、采女を愛していたのか?」
というミステリ部分。

これは、
新兵衛と采女の対面の場面にてクライマックスを迎え、

「静」と「動」の「画」の美しさ、
そして、
ストーリー的なミステリ部分の解決篇、

この二つの意味でのクライマックスが二重に表現された場面だと言えるのです。

 

さて、
『散り椿』は、
このクライマックスに象徴される様に、

美しい「画」の中に、
その人物達の想いが言わず語らず、
しかし、
饒舌に詰め込まれています

 

例えば、
クライマックスの場面では、

新兵衛は妻の篠の想いに添いたい気持ちもあれども、

しかし、
夫をしては面白く無い所もあり、

そういう複雑な想いが、
決着を付けないという形で、現われています。

 

また、藤吾の心境を説明すると、

最初は新兵衛を煙たく思えども、

接する内に徐々に惹かれて行く。

その様子が、
ハッキリと言葉にしなくても、

「共に雪の中で稽古をする」
という場面にて、
言わず語らずに表現されています。

 

言葉にては、
全てを語らぬ美学

しかし、
それが説明不足になっていないのは、

本作が、
その「画」作りにて、
「語らない」登場人物の心境を饒舌に表現しているからなのです。

 

本作には、
その「画」で語る表現を、
観る人間がそれぞれ如何様にも受け取るという楽しみがあります。

登場人物の想いを、
その時々の自分に当てはめて、
その都度、推測して行く。

それを、どう受け取るのかは、観る人次第。

確たる正解が無いのが、
「画」で語る事の面白さであり、
懐の広さでもあります。

それが、『散り椿』を観る上での、
映画としての楽しみの一つでもあるのです。

 

  • 「愛」の物語

さて、その上で注目すべきポイントは、

本作が「愛の物語」である点です。

 

新兵衛の篠の全てを受け入れようという想い。

篠の、新兵衛へ全てを捧げんとする想い。

里美の、新兵衛への素直な想い。

藤吾の、憧れ混じりの新兵衛への想い。

そして、
新兵衛と采女の
互いへの友情と嫉妬が入り交じった想い。

etc…

 

語らない背後に、
どんな愛憎が入り交じっているのか?

一見、
「静」に貫かれている「画」であっても、

その裏に押さえ込まれた、
渦巻く様々な想い、

それが、どの様に移りゆくのか、

または、一途なのか、

それを、愛という視点で捉えると、
本作はまた一層の、
新たな視点にて楽しめる作品であると言えるのです。

 

  • スタッフロール

最後に、小ネタを一つ。

本作は、
スタッフロールが手書きです。

しかも、筆跡が違う。

これは恐らく、
関わった、キャスト、スタッフ、
その全ての人物自身の手書きのサインをスタッフロールに使っているのだと思います。

 

映画というものは、
大勢の人間が関わって作り上げるものです。

しかし、
ともすれば、それを忘れがち、
スタッフロールなどは、十把一絡げで流し見してしまいます。

しかし、
本作の様に手書きの名前を見ると、

人それぞれ、個性があります。

丁寧に書く人、
字が上手い人、
右肩上がりの人、
崩して書く人 etc…

全ての人間がそれぞれ違う仕事をこなしたからこそ、
作品が作り上げられる、

そういう事に、想いを馳せてしまいます。

 

まぁ、
監督の字が一番きたないのはご愛敬ですが。

 

 

 

「静」を基調とした美しい「画」作り、

そこからの「動」の緩急が際立つ作品、『散り椿』。

そして、
その言わず語らずの静謐な場面であっても、

いや、だからこそ、

「画」の中に、
千言万語を凌駕する想いをも込められる。

そういう美意識に満ちた作品、

本作はそう言えるのだと思います。

 

 

 

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コチラは、葉室麟の原作本です

 


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