映画『X-MEN:ダーク・フェニックス』感想  愛と感情が交錯する、超能力者の内ゲバ!!さらば、X-MEN!!


 

ミュータントの有用性を示す為に、社会に貢献する「恵まれし子達の学園」の「X-MEN」メンバー。時は1992年、宇宙ミッション中のNASAのスペースシャトルが制御不能になった。そのシャトルの乗組員の救出にX-MENは向かうのだが、シャトルは、謎のエネルギー雲に襲われようとしていた、、、

 

 

 

 

監督はサイモン・キンバーグ
長らく、「X-MEN」シリーズや
「デッド・プール」シリーズに、脚本や製作として参加して来た。
本作が、長篇映画監督デビュー作。

 

出演は、
ジーン・グレイ/ダーク・フェニックス:ソフィー・ターナー

チャールズ・エグゼビア/プロフェッサーX:ジェームズ・マカヴォイ
エリック・レーンシャー/マグニートー:マイケル・ファスベンダー
レイヴン/ミスティーク:ジェニファー・ローレンス
ハンク・マッコイ/ビースト:ニコラス・ホルト

スコット・サマーズ/サイクロップス:タイ・シェリダン
オロロ・モンロー/ストーム:アレクサンドラ・シップ
カート・ワグナー/ナイトクローラー:コディ・スミット=マクフィー
ピーター・マキシモフ/クイックシルバー:エヴァン・ピーターズ

ヴーク:ジェシカ・チャスティン 他

 

 

カプコンが対戦格闘ゲーム『ストリートファイターⅡ』をリリースしたのが、
1991年。

当時、爆発的なヒットを記録し、
社会現象にまでなったゲームです。

そのカプコンは、
「ストリートファイター」シリーズ以外の対戦格闘ゲームも発表しています。

一つは「ヴァンパイア」シリーズ(1994年7月~)。

そして、
もう一つが「X-MEN」シリーズです。

 

カプコンの対戦格闘ゲームとしてリリースされた、
『エックス・メン チルドレン オブ ジ アトム』(1994年12月)は、
当時の対戦「格闘」ゲームという常識を超える、

ド派手な超能力バトルがウリでした。

男も女もタイトなぴちぴちスーツに身を包み、
バタ臭いキャラ達が、縦横無尽に暴れ回るその様子に、

当時の斜に構えたゲームファンは、
忽ち虜となってしまいました。

 

ゲームの「X-MEN」のシリーズのヒットの影響か、
その後、アメコミの「X-MEN」も、数々が翻訳されるに至りました。

「フェイタル・アトラクション」
「エクスキューショナーズ・ソング」etc…

日本の「漫画」とは違った、
「アメコミ」という文化に、触れる事にもなりました。

 

そして、
2000年。

映画『X-メン』が公開されます。

CGを駆使した派手なアクションと、

社会から差別・排除されるマイノリティの悲哀を描いたこの作品は、

単なる漫画映画の範疇を超え、
多くの観客に受け入れられ、
ヒット作となりました。

 

「アメコミ映画でも、ちゃんと作ればヒットする」

今までの常識を打ち破った『X-メン』は、
後に、多くのフォロワーを生みます。

 

『スパイダーマン』(2002)
『バットマン ビギンズ』(2005)etc…

そして、現在の大ヒット作「アベンジャーズ」シリーズの第一作目、
『アイアンマン』(2008)。

これらの潮流の源泉となったのが、
映画の「X-MEN」シリーズだと言って過言では無いのです。

 

しかし、時は流れ、
2017頃から囁かれていた噂が、現実の事となります。

「X-MEN」シリーズを製作していた20世紀フォックスが、
「アベンジャーズ」シリーズを製作しているディズニーに買収されたのです。
(2019年3月に買収完了)

つまり、
今までの「20世紀フォックス」として製作され続けたシリーズは、
本作を以て、終了となるのです。

そういう意味で、
最後の「X-MEN」なんですね。

 

『X-メン』(2000)
『X-MEN2』(2003)
『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006)
『X-MEN ZERO』(2009)
X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(2011)
『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013)
X-MEN:フューチャー&パスト』(2014)
デッドプール』(2016)
『X-MEN:アポカリプス』(2017)
LOGAN/ローガン』(2017)
デッドプール2』(2018)

 

そう、現在のアメコミ映画の流れを作った「X-MEN」シリーズ、
その最終作となるのが、
『X-MEN:ダーク・フェニックス』(2019)なのです。

因みに、製作は本作まで20世紀フォックスなのですが、
配給は既に、本作からディズニー・スタジオとなっております。

 

 

さて、
「X-MEN」シリーズと言えば、

派手な超能力アクションを描く一方、
迫害されるマイノリティの悲哀をも、同時に描いたシリーズと言えます。

その為、
視点は常に、
「社会と自分」の対比が導入される訳ですが、

本作は、少し趣が違います。

過去のシリーズと比べ、

より、パーソナルな感情に寄り添った描写となっております。

 

社会と常に戦ってきた「X-MEN」、
その最後は、
個人の感情に即した戦い、

つまり、
自分の為に戦っていると言えるのです。

 

とは言え、勿論、
今までのテーマである、
マイノリティの悲哀も描かれています。

 

アクションというエンタテインメントを前面に出しながら、

万人に考えさせられるテーマを提示する、

 

それこそ、
「X-MEN」が初めて、
その後の「アメコミ映画」が踏襲する作劇法であり、

その方針を貫き通した、
それが、
『X-MEN:ダーク・フェニックス』なのです。

 

 

  • 『X-MEN:ダーク・フェニックス』のポイント

超能力アクション

マイノリティの悲哀

愛と感情の戦い

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 社会性から、個人の問題へ

常に、
マイノリティの視点に立ち、
社会と対比した形で、少数派の悲哀を描き続けてきた、
映画「X-MEN」シリーズ。

その最新作『X-MEN:ダーク・フェニックス』は、
そのテーマ性を継承しつつも、

今までのシリーズと比べると、
より、パーソナルな感情へと比重を寄せた描き方になっています。

 

冒頭、
大統領の要請により、
宇宙で「事故」に遭ったスペースシャトルの乗組員の救出に向かう「X-MEN」。

この救出ミッションにて、
この時間軸のX-MENが社会に受け入れられており、
ヒーローとさえ見られていることが描写されています。

 

今までの「X-MEN」シリーズでは、

人間を超越した能力を持つミュータントを過剰に恐れるあまり、

人間は、数を恃みにして、少数派のミュータント側に対し、
先制攻撃と言える、過剰防衛を仕掛けるのが常でした。

しかし、
『X-MEN:フューチャー&パスト』で世界線自体が変更され、
「仕切り直し」となった新しい世界では、
ミュータントが迫害される事が無い世界となっているのです。

それはひとえに、
この世界の、プロフェッサーの尽力によります。

 

しかし、その一方で、
「原因は太陽フレア」と言いながら、
実際に宇宙に出てみると、謎のエネルギー雲だったり、

後半、
窮地に陥ったプロフェッサー(チャールズ)を、
大統領は、あっさりと見捨て、
あまつさえ、
迅速に、確保、隔離の武力行使を展開します。

「X-MEN」の有用性を認めつつも、
心からは信用せず、
使い捨ての道具としての価値しか見出していないのが分かります。

 

ともあれ、
社会との関係性という観点においては、

(後半では、いつもの如くに迫害されるとは言え)

冒頭の段階では、
今までの「社会から迫害されるマイノリティ」というテーマは、
ある程度、解消されているんですね。

 

そこで、
本作で描くのは、
逆に、今まで「X-MEN」シリーズで描いて来なかった、

個人の感情にフォーカスをあてた観点にて、
作品を描いているのです。

 

  • 愛と感情

何だか、
宇宙的な破壊エネルギーを吸収してしまった為、
自身のテレパス&テレキネシス能力が飛躍的に上昇してしまい、

しかもそれを、
自身で制御すら出来ない状態に陥ってしまったジーン・グレイ。

彼女は、
制御出来ない力の噴出によって、

まるで、チェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』の様に、
触る者皆傷付ける事になります。

 

しかし、
ジーンが暴走した、その主要因としては、

自身の過去が、
チャールズによって、隠蔽されていたという事実によります。

ジーンは、それに悩み、
会いに行った父に拒絶されるに至って、

その感情の恨み、辛みを、
逆に、
迎えに来たX-MENメンバーにぶつけてしまうのです。

 

本作の面白い所は、
その、皮肉さにあります。

チャールズは、
確かにジーンを愛し、彼女を守る為に、
「嘘も方便」を使って、彼女を「良い子」として洗脳していました。

しかし、
そんな「良い子のジーン」の本質は、

父に恐れられ見捨てられ、
同僚のメンバーは、自分を潰しに来たと思い込み、
それでいて、
自分はそれを退けられる圧倒的なパワーを持っているという優越感すら感じる。

こういう、
負の感情の連鎖により、
彼女は、自分のダークサイドに気付いてしまいます。

結局、
「規制」により、本人の「意思」や「可能性」を抑制する事は、

本人を守るという名目があっても、
また、違った歪みを生んでしまうのです。

 

そんなジーンが、
宇宙人のヴークの言葉に惹かれたのも、
仕方の無い所と言えます。

ヴークはジーンそのものの存在を(道具としてですが)受け入れ、

力には、善も悪も無い事を説くのです。

そんなヴークの言葉に共感したからこそ、
ジーンは彼女(?)に付いて行くのですが、

その一方、
「道具は使い方次第で、善にも悪にもなる」という、
チャールズの教えを思い出す事にもなり

土壇場で、
一線を越える事を留まるというのが、
良く出来た展開だと言えます。

 

さて、
宇宙人から見ると、ジーンは道具ですが、

「X-MEN」のメンバーから見ると、
彼女はれっきとした「人間」なのです。

なので、
彼女の行動の結果、即ち、レイヴン殺害を、
それぞれの観点から、それぞれ受け入れる事になります。

 

ジーンはまだ救えると、
彼女への理解と愛を説くチャールズやスコット陣営と、

ジーンはレイヴンの仇、
彼女を怒りの感情のまま殺すと息巻くハンクやエリック陣営に別れるのです。

 

今までの「X-MEN」シリーズでは、毎度、
主義、信条の違いで、
ミュータント同士の争いが描かれますが、

本作では、
「ジーン」というキャラクターに対する感情の違いによって、
争いが勃発するのです。

 

  • 失点を乗り越えて

これは一見、
社会的な視点から、
個人的な視点へと、
マクロからミクロへと、視点をフォーカスした様にも感じますが、

しかし、
本作においても、
これまでの「X-MEN」シリーズのテーマ性は、
ぶれずに描かれています。

制御出来ない力なら、
殺してしまえ。

そう主張するハンクやエリック達の言説、

これは、
過去のシリーズにおいて、

特殊能力の無い人間が、
自身を超越する力を持つミュータントを恐れ、

過剰防衛を展開するという流れと同様なのです。

つまり、
ジーン排除派の言い分は、
それこそ、
自分が過去に迫害されて来た事を忘れ、
力を恐れるあまり、迫害する立場へとシフトしてしまっているのです。

マイノリティであったハズの自分達が、
更なる少数派、
たった一人のジーンを恐れるあまり、
彼女個人を迫害しているのです。

 

自分が理解出来ない、
制御出来ない相手とは対話せずに、

力で以て排除するのか。

それとも、

相手を理解し、
信じる事で、
自らと相手の相互理解へと至る道を模索するのか。

過去のシリーズにて繰り返されて来たテーマを、
個人的な感情を題材にしつつも、
再び、提示していると言えます。

 

そこにおける、
チャールズの立場が興味深いです。

確かに彼は、間違いを犯しています。

ミュータントの権利を守る為とは言え、
自分が全ての事態をコントロールしようと、
独善的な方法で「X-MEN」の方向性を示して来たチャールズ。

その方法論は間違いであっても、

しかし、
その志と使命感、正義感、愛は、真実でした。

チャールズは、
自らの非は認め、素直に謝罪するに至って、

ジーンやハンクから失われた、自身の信頼を取り戻す事になります。

確かに、
エリックの言う通り、
チャールズは説教ばかりの嫌なヤツです。

しかし、
人は、時に間違っても、その失点を回復する事は出来ると、
チャールズは身を以て示し、
その立場にて、ジーンを救おうとしているのです。

 

それは、ストームにも言えます。

ぱっと見では、
何故彼女が、スコット側に付いたのかは描かれていません。

しかし、
彼女の出自、
前作『X-MEN:アポカリプス』では、
世界を破壊する立場でありながら、
改心して「X-MEN」メンバーとなった事を考えると、

ストームも、
ジーンにセカンドチャンスを与えようと思ったのかもしれません。

自分が、過去の失点を乗り越えて、人の為に尽くしている様に、
ジーンも、失敗から立ち直れると。

そういう意味では、
チャールズの本作での立ち位置と、
似通った所があるのです。

 

スコットは、
個人の愛故に、ジーンを信じました。

その一方、
レイヴンへの愛故に、
ジーンを恨んだのが、ハンクとエリックでした。

本作では、
同じ「愛情」でも、
それが、立場を変える事で、
許容にも、排除にも傾く、

その皮肉な危険性を描いていた作品と言えるのです。

 

しかし、
その危険性は、
時として残酷ですが、

その一方、
人を救う力ともなる。

それは、
エリックやチャールズの奮闘、
そして、
ジーンの最後の選択(ファイナル・ディシジョン)にて、
描かれる事となります。

 

  • 遂に融合!?X-MENのアベンジャーズ入り!?

「X-MEN」シリーズは、
初期の三部作、
『X-メン』
『X-MEN2』
『X-MEN:ファイナル ディシジョン』を、

ダーク・フェニックスの話で締めた様に、

世界線が改変された現・「X-MEN」の世界においても、

X-MEN:ファースト・ジェネレーション
X-MEN:フューチャー&パスト
『X-MEN:アポカリプス』
『X-MEN:ダーク・フェニックス』

といった流れで、
ダーク・フェニックスのストーリーにて締められる事になりました。

一回りした円環が、
もう一回りし、
同じ結末にて閉じる。

そういう不思議な感覚を覚えます。

 

そして、本作のラストにより、

「X-MEN」シリーズには、様々な世界線、

初期の三部作、
後期の4部作、
ウルヴァリンスピンオフの、各単独作それぞれ、
デッドプールシリーズ、
「フューチャー&パスト」で改変され、ウルヴァリンが戻った、ダーク・フェニックスやスコットの生き残っている世界線、etc…

同じシリーズで、
出演者が共通でありながら、

世界が微妙に違うという、
様々な「世界線」が存在するという事が分かります。

 

つまり、
20世紀フォックスの製作では無くなっても、
「X-MEN」シリーズは形を変え、
いくらでも生き残るのだと、私は思うのです。

 

さて、
ここで、「マーベルコミック」系の
アメコミ映画について、
少し語ってみます。

少し前まで、
「マーベルコミック」を映画化していた配給会社は、
3社ありました。

「X-MEN」シリーズを配給する、20世紀フォックス

「スパイダーマン」シリーズを配給する、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント

「マーベル・シネマティック・ユニバース」(「アベンジャーズ」シリーズ)をプロデューサーする、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズです。

 

それまで、
各社それぞれ、
自分達が権利を持つ「マーベル・コミック」の分野にて、
映画化していたのですが、

スパイダーマン:ホームカミング』(2017)から、
ソニー・ピクチャーズの配給でありながら、
ディズニー・スタジオの
「マーベル・シネマティック・ユニバース」とも連携するという離れ業を演じています。

 

そして、今回、
20世紀フォックスが、
ディズニー・スタジオに買収されるに至り、

いわば、
同じ「マーベルコミック」レーベルの
「アベンジャーズ」の傘下に「X-MEN」が入る事になると言えます。

これにより、
何が起こるのか?

 

奇しくも「アベンジャーズ」シリーズも、
大きな転換点を、今年迎えます。

アイアンマンやキャプテン・アメリカをストーリーの中心とした、
「インフィニティ・サーガ」は、
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019)にて、
終了すると言います。

では、
「フェーズ4」を迎える「マーベル・シネマティック・ユニバース」は、
今後、どの様な展開になり、
誰を、ストーリーの主軸として、描くのでしょうか?

ドクター・ストレンジ?
キャプテン・マーベル?

ぶっちゃけ、
アイアンマンとキャプテン・アメリカの絡みと比べると、
トーンダウンした感が否めません。

つまり、
新しいキャラクターのテコ入れが成されると思われます。

そこで「アベンジャーズ」に新たに投入されるのが、
私が予想するに、
「X-MEN」だと思うのですが、どうでしょうか?

 

マーベル・コミックの中でも、
屈指の人気を誇る「ウルヴァリン」。

彼が今まで「アベンジャーズ」に出ていなかったのは、
逆におかしい位です。

今までは、
ヒュー・ジャックマンがウルヴァリンを演じ続けていましたが、

LOGAN/ローガン』にて、
ウルヴァリン役は引退と明言されています。

つまり今後、
他の俳優が、「アベンジャーズ」版の新たなウルヴァリン像を作り上げる事も可能なのです。

 

その流れで、
「アベンジャーズ」版
サイクロップス、ストーム、ジーン・グレイ、
プロフェッサーX、マグニート、

それぞれ、生まれると思います。

何人かは、
20世紀フォックス版のキャストが流用されるかもしれません。

それとも、
全員、全く新しいキャストに生まれ変わるのか?

 

どちらにしろ、
近い将来、
「マーベル・シネマティック・ユニバース」の中で、
新たなる「X-MEN」が生まれ、

それが、
「アベンジャーズ」の主軸となる
私はそう思っているのですが、如何でしょう?

期待して待ちたいです。

 

 

…因みに、
20世紀フォックスは、
「ファンタスティック・フォー」の権利も持っていたので、
もしかしたら、
「アベンジャーズ」の次の主軸は、
「ファンタスティック・フォー」になる可能性も、
ワンチャン、あるかも!?
いや、無いか

 

 

 

ド派手な超能力アクションを前面に押し出しつつ、

テーマ的には常に、
社会の中のマイノリティの迫害と悲哀を描いて来た、
「X-MEN」シリーズ。

 

そういう社会的な視点やテーマを作品に盛り込む事で、
多くの人間が共感出来、
考えさせられるシリーズとなってきたのですが、

反面、
キャラクター個人の感情を綿密に描く事を放っておいた為に、
伏線は張られながら、
回収されないテーマもまた、多数残されているのもまた、
事実です。

それは、
ローガン(ウルヴァリン)とジーンと、スコットの三角関係だったり、
エリック(マグニートー)とピーター(クイック・シルバー)の親子関係だったりします。

 

本作『X-MEN:ダーク・フェニックス』では、
そういった、
今まで「X-MEN」シリーズで描かれる事の少なかった、

個人の感情にフォーカスを当てつつ、

今までのテーマ性をも盛り込むという離れ業にチャレンジした作品と言えます。

 

遂に、
最後まで、そのテーマ性をぶれる事なく描き続けた
「X-MEN」シリーズ。

しかし、
私は、これで終わりとは考えず、
これが、新たなる始まりとも思えます。

だからこそ、
何度でも蘇る「フェニックス(不死鳥)」を、
作品のテーマに選んだ

そうは思いませんか?

 

 

 

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