銀行強盗で下手を打って、投獄されたヒーロー。
突如解放された彼は、サムライタウンを牛耳るガバナー(知事)の要請で、彼の孫娘(?)であるバーニスを追う事となる。
ガバナーの下から逃走し、ゴーストランドで姿を消したバーニスを、ヒーローは3日以内に発見、連れ戻す事が出来るのか、、、
監督は、園子温。
主な監督作品に、
『愛のむきだし』(2009)
『冷たい熱帯魚』(2011)
『ヒミズ』(2012)
『地獄でなぜ悪い』(2013)
『新宿スワン』(2015) 他
出演は、
ヒーロー:ニコラス・ケイジ
バーニス:ソフィア・ブテラ
ガバナー:ビル・モーズリー
ヤスジロウ:TAK∴(坂口拓)
スージー:中屋柚香
サイコ:ニック・カサヴェテス 他
日本語を(挨拶程度?)喋る事が出来、
どうやら、親日家らしい(?)と言われている、ニコラス・ケイジ。
古くは、パチンコメーカーの三共のテレビCMに出演し、
TVで映画が放映される度、
その合間で流れるコマーシャルにて、
「アイラブ、パッチンコ~」と絶叫していたニコラス・ケイジ。
昔はハリウッドの大作に多く出演しており、
近年は、低予算のB級映画にも精力的に参加しているニコラス・ケイジ。
デカ(刑事)プリオ(レオナルド・ディカプリオ)と相対する存在として、
ニコラス刑事とかも言われていたニコラス・ケイジ。
そんなニコラス・ケイジが、日本人が監督した映画に出ると。
しかもそれが、
かつて、一世を風靡した(のか?)園子温であると。
まぁ、ある意味、期待が膨らみますよね。
しかも、共演は、
『キングスマン』(2014)や
『ザ・マミー 呪われた砂漠の女王』(2017)
『アトミック・ブロンド』(2017)に出演したソフィア・ブテラ、
そして、
近年、YouTubeチャンネルにて活躍している、坂口拓も出ると。
いや、
ぶっちゃけ、
凄い楽しみですよね。
で、実際に、ウキウキワクワクで観に行ったのですよ。
それで、その感想は、と言いますと、
『マッドマックス』と
『ニューヨーク1997』と
『ブレードランナー』を混ぜ合わせ、
マカロニウェスタンとサムライアクション風味にごった煮にして、
出来上がった味噌汁を飲んだら、
具が無かった。
残ったのは、塩分だけ…
そんな感じです。
上映中、
何の躊躇も無く、
安心して熟睡出来る、
そういう類いの作品に仕上がっておりますね。
ええ。
確かに、
設定とか、小物、美術は面白い、
観るべきものがあります。
出演者のキャラも濃い。
しかし、
それを料理し、仕切るマネジメントが無ければ、
映画って、
こんなに味気なくなるものなんだな。
そんな思いを抱きました。
個人的に、
映画って、
「起承転結」が大事だと思っています。
本作では、それが崩壊しています。
また、
面白い映画って、
「起承転結」の前に、導入部の「序」とも言うべき時間帯があり、
その冒頭にて、インパクトのある、且つ、作品を象徴するような、
ガツンとした映像が流れるものです。
『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』も、その「序」があるのですが、
しかし、
本作の「序」は、
チープな印象を与え、
これから観る映画本篇そのものに、
不安を想起させるという、
負のインパクトを観客に与えるものでした。
このチープさは、
終始、作品全体に漂っており、
作品によっては、
それがB級映画として愛すべき部分として評価されるのですが、
本作では、
それが安っぽさとして、学芸会の様な印象を与えてしまっています。
ニコラス・ケイジ出演のB級映画として、
『マンディ 地獄のロード・ウォーリアー』(2018)というものがあり、
これは、私も好きな作品です。
何だか、無意識に、
「マンディ」の様な作品を期待して、
勝手に失望してしまった所が、正直、あります。
それでも、言わせて頂くならば、
「マンディ」は、
その世界観に、監督の愛が込められていました。
一方、
『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』のレトロフューチャー的な世界観を、
監督は、本当に愛していたのかな?
そういう世界観を、表現したかったのかな?
そう、疑問に思うのです。
サムライとか、遊郭とか、
ニッポン的な要素を極彩色に表現したら、
海外でウケるやろ?
過去の名作映画のオマージュを入れていれば、
映画ファンにウケるやろ?
そういう打算で、作品を作ってしまったのでは?
そういう打算の下で作られた作品には、
愛も情熱も無く、
ただただ、薄味の作品として完成してしまった。
私は、
そういう印象を受けました。
(あくまでも、個人の感想です)
本ブログの趣旨と致しましては、
基本、
観た映画に関しては、
その良い所をフューチャーしていく、
太鼓持ちポジションを目指しています。
しかし、本作は、
例え、辛口批評であっても、
誰かが声を上げなければ、
世間から完全スルーされ得る、
そんなポテンシャルを秘めている危険な作品だと思うのです。
どの程度のダメ映画なのか?
興味がある人は、
是非、
ご自身の目で確かめてみて下さい。
それが本作『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』です。
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『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』のポイント
面白い設定・世界観からの、薄味の全体の印象
兎に角、テンポの悪い展開
寧ろ、ダメ映画好きには、好物なのかも?
以下、内容に触れた感想となっております。
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テンポの悪さと、意味不明の展開
本作『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』が、
何故、駄作なのか?
その、最たる所以は、
展開、描写の分かり難さなのだと、私は考えます。
まるで、『ブレードランナー』(1982)の様なレトロフューチャーな世界観を、
ニッポンのサムライ的な雰囲気で、
マカロニウェスタン風味に、
遊郭を舞台にして表現する、
そのチャレンジは面白いものです。
しかし、
何だか、ポエム的な、
無駄な描写が多いんですよね。
意味不明に、
展開の合間合間にスローモーションで背景を映す手法を多用してみたり、
多数の女性を首だけ出す、顔出し看板みたいな面白い装置があるけれども、
全然ストーリーに関わり無かったり、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)みたいな、
印象的な「止まった時計」が出て来るのに、
その由来というか、時間と止める意味が、イマイチ理解出来なかったり、
「ガバナーが悪い」と言われ続けますが、
全然、作中にて、ガバナーの悪行が描写されなかったり、
原発事故を意識したと思われる核爆発の事件を、
まさかの紙芝居と朗読で説明するという残念っぷり、
残念と言えば、
デコトラの集団を配置しておいて、
それを走らせないというガッカリ感、
本作では、
描写すべき部分は省き、
一方、省ける映像を挿入して尺を稼ぎ、
更に、印象的に表現しているものが、
逆に、観客の理解を拒絶している部分が、多数、見受けられました。
爆速で事態が展開する『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)とか、
テンポ良く、無駄な展開が無く、緊迫感が持続する、
黒澤明の『用心棒』(1961)といった、
本作の元ネタとなったであろう作品と比べると、
何とも、冗長でありながら、物足りない印象を受けます。
そういった本作の特徴は、
冒頭の銀行強盗のシーンにて集約されていると言ってもいいです。
無駄に白すぎる銀行にて、
極彩色の客と、ガムのガチャガチャ、
この色彩感覚の、圧倒的なチープさ。
まるで、中学校の文化祭の演劇を観ている様な気持ちになりました。
で、この場面、
映画を観ていくと、一見、
これは、ヒーローが投獄された顛末を描いた、過去の回想であるかの様に見えますが、
実は、
ヒーローが、過去を自分の都合の良いように改変した妄想である事が解ります。
先ず、
銀行の中の、白すぎる背景と、極彩色な人物、小物という見た目が、
外の、レトロな世界観と全く違っているという点、
また、
ヒーローが「金を出せ」と窓口の銀行員に命令した時、
何故か、都合良く、銀行員が自らバッグを取り出した点、
そして、
サイコが意味不明に暴走し、
自分(ヒーロー)が、それを止めたという、
ご都合主義的な展開。
サイコの「裏切り者」という台詞も勘案するに、
実際は、
ガムボーイを殺したのは、
ヒーローであったと推測されます。
(サイコが殺ったという、明確な描写も無かった)
だからこそ、
最後の戦いで、
まるで、ヒーローを誘う様に、
ガムボーイが先触れとして現われたのですね。
それは、ヒーローが負うべき、
過去の罪の贖罪。
元ネタの「マッドマックス」シリーズのマックスが、
過去、家族を助けられず、
その贖罪として、
シリーズを通して、弱き者を助ける「世紀末救世主」として描かれている事を考えると、
この事に思い至ります。
しかしこんな事は、
冒頭の意味不明な展開、描写、世界観に疑問を持たないと思い付かない事であり、
普通に鑑賞したならば、
「あ~意味不明」と、
流してしまう場面です。
本作では、この様な、
過去回想に思わせて、実は、夢か妄想なのか?
そう、判別が難しい部分が多数あり、
観客は、そこで理解が付いて行けず、
意味不明でつまらないな、と思ってしまうのです。
ニコラス・ケイジで銀行強盗と言えば、
デイヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』(1990)があります。
デイヴィッド・リンチ監督作品と言えば、
ぶっちゃけ、意味不明な描写が多いのですが、
それが「面白い」のは、
「謎」を「解きたい」と観客に思わせるからだと考えます。
本作は、
その「謎」に対するエンタメ性が無いので、
ただ、意味不明な展開が、意味不明に終わってしまっているのです。
また、
本作では、
ソフィア・ブテラ演じるバーニスが、
今日日(きょうび)、時代遅れな、
「助けを求めるだけのお姫様」ポジションなのも、
時代錯誤でマイナスな印象を与えていると思われます。
今の流行りは、
「支配に抵抗する、戦う女性」を象徴する事であり、
まぁ、全ての作品がそうである必要は無いのですが、
いざ、
昔ながらの「お姫様キャラ」を観てみると、
なんか、つまんないな、と思ってしまいますね。
冒頭にて、
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』にて、
シャーリーズ・セロンが演じたフュリオサを思い起こさせておきながら、
実際は、泣き叫ぶ事がメインのキャラクターだったというのが、
残念至極ですね。
最後だけ、殺れば良いってもんじゃ、無いんだよなぁ。
本作『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』は、
本来、メキシコで、
日本人は監督の園子温のみで撮影する予定だったそうです。
それが、
監督の急性心筋梗塞というアクシデントが起き、
撮影場所は日本に変更、
それに伴い、脚本も七割変更したのだそうです。
元々、こういうテイストの作品だったのか?
それとも、アクシデントが生んでしまった残念作品なのか?
そういう事にも、思いを馳せるのも面白いのかもしれませんね。
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