文化『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』感想  心胆寒からしめる、劇場型犯罪の元祖!!

 

 

 

1984年、江崎グリコ社長誘拐事件から端を発する、一連の「グリコ・森永事件」。時効も成立し、発生から27年経った2011年、NHKスペシャル取材班が改めて事件について挑んだ、、、

 

 

 

 

本書は、
NHKスペシャル取材班が資料を集め、

2011年に放映されたTV番組、
NHKスペシャル
「未解決事件 File01. グリコ・森永事件」
を書籍化したものの文庫版です。

 

40年近く前の事件、

その詳細は知らなくとも
「キツメ目の男」の似顔絵は、誰でも一度は見た事はあるハズです。

2000年、2月12日に完全時効が成立したこの事件、

日本における
劇場型犯罪の元祖とも言われています。

 

 

警察の捜査をかいくぐり、

数々の怪文書にてメディアを騒がせ、

全国のスーパー、コンビニに毒入り菓子をばらまくという、
日本国民全員を人質にとった無差別テロ行為を行った犯人グループ「かい人21面相」。

沢山の物的証拠を確保し、

捜査線上にて何度も犯人に肉薄しながら、

何故、警察は事件を解決出来なかったのか?

 

本書は、警察に成り代わって、
事件の総括を行おうというテーマでもって作られています。

 

「何分昔の事なので、詳細を忘れてしまった」

「解決に失敗した事件なので、忘れたい」

こんな言葉を受けながら、

取材班は、
当時の元捜査員や元事件記者に多数あたり、

東日本大震災を取材期間の途中に挟みながらも、

なんとか集めた証言の数々。

それは、

当事者が今以て事件の渦中にいるという、
生々しい心情の吐露なのです。

 

「キツメ目の男」を目撃した捜査員は、
現在も人混みで、その男を捜しているのだと言います。

その「キツメ目の男」に会った事の無い捜査員でさえ、
顔の無い相手を捕まえようとして、
手の中からすり抜ける夢を何度も未だに見るという人もいます。

 

そういう生の捜査員の声により再現された、
一連の「グリコ・森永事件」の山場となった事件、

焼肉「大同門」の夜(6月2日)

丸大食品脅迫事件(6月28日)

ハウス食品脅迫事件(11月14日)

この3つの現場の証言の臨場感がもの凄いです。

 

実話ならでは、

正に心胆寒からしめる、

何度も、鳥肌が立つ、

リアルならではの恐ろしさに満ちています。

 

この、現場の再現証言をメインに、

「かい人21面相」が活動を終息させた後も続いた、
数々の捜査の様子、

そして、
現代の科学力により判明した新たな犯人像なども踏まえ、

本書独自に事件の総括を行っています。

 

また、取材にあたったのは、
30代~40代のNHKのスタッフ。

当時、子供だった人、

産まれていなかった人、

事件に対するスタンスは、各人様々で、

執筆者は、
あくまでも、番組テーマに即して事件を観察する人がいる一方、

「新事実」というスクープを上げる事に躍起になる人も居たり、

事件に対して接するその立ち位置は、現在でもこれ程まで違う、

即ち、
当時はそれこそ、メディアによって、
その報道姿勢は様々だったのだろうと予測されます。

この執筆者毎の文章の違いも、
本書の面白い部分。

しかし、
最も分かり易くまとまっているのは、

外部の人間が書いた巻末の解説部分

 

というのがまた皮肉です。

 

捜査員の無念がこもる、未解決事件。

それを読むだけでも苦しいものがありますが、

失敗や敗北を正確に分析する事は、
その後に確実に繋がって行くものです。

 

他人事では無い、

この事件からは、未だに多くの事を学べる、

『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』は、
その切っ掛けを提供してくれます。

 

*本書を読む場合は、
先ず、
巻末付録の事件のタイムラインを最初に確認する事をオススメします。

そして、本文を読み終わったら、ラストには解説を必ず読みましょう!

 

 

 

 

  • 『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』のポイント

一連の事件の山場となった、3つの事件の臨場感溢れる再現証言

警察は、何故破れたのか?

失敗から学ぶ「人の振り見て我が振り直せ」

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 事件の総括、そして、失敗から学ぶ

本書のテーマは、
未解決事件を改めて検証する事で、
今後へと繋げる事件の総括を行う

と言えるものだと思います。

その過程で、
当時の捜査員達の、

今も持ち続けている情念混じりの証言を交える事で再現する、

一連の事件の山場となった3つの現場、

焼肉「大同門」の夜(6月2日)
丸大食品脅迫事件(6月28日)
ハウス食品脅迫事件(11月14日)

これらの臨場感がもの凄いです。

 

「事件解決には0か、100しか無い」という、
刑事の厳しい自己評価。

その観点からすると、

未解決となり、
失敗に終わった「グリコ・森永事件」は、

関係者にとっては、
未だに尾を引く苦渋の事件であるのです。

 

さて、実際の事件の顛末は本書を読んで頂く通りですが、

その総括はp.484~488によって成されています。

証言から垣間見えたのは、

秘密主義による情報共有の欠如
上申し辛い雰囲気
やる気にかけていった現場の姿であり、

それは、太平洋戦争にて旧日本軍が陥っていた組織風土、

即ち、
責任の所在を曖昧にし、物事の総括を行わない、
日本人自体が持つ無責任性だとまとめています。

 

確かに、言っている事は正しいですが、

折角、本書にて「グリコ・森永事件」について検証してきたのに、

総括の部分で、
イキナリ別の物事(太平洋戦争)と結びつけるのは、

ちょっと、論を飛躍しているな、
事件個別の状況を無視しているな、
という印象を受けます。

 

それよりも、
「グリコ・森永事件」そのものに即して総括しているのは、
巻末にて解説を書いた(p.514~522)、元読売新聞記者の加藤譲です。

正に、的を射た解説となっております。

警察の捜査指揮や広域捜査のまずさ、
犯人側の思惑通りに舞台を提供したメディア
さらには、被害者である市民が、むしろ犯人側にシンパシーを感じていたという特異な状況、

これらのプレッシャーにより、
検挙のチャンスが何度もありながら、それを活かせなかった警察のミスこそが、失敗の原因なのだと言っています。

 

さらに解説では、

今回、NHKスペシャルのスタッフがスクープしたと言う、
滋賀県警の当時の捜査員の証言の矛盾点も指摘しています。(p.520)

確かに、指摘の通り、
大津パーキングエリアで犯人が指示書を貼り付けていたのは、案内板の裏
証言の「キツメ目の男がベンチ裏に貼り付けていた」というものとは齟齬があります。

細かい指摘ですが、確かにそうです。

一読では気付き難い、
まるで、推理小説を読んでいるかのようなネタバレの面白さを感じました。

(本書自体、その事には本文で指摘していません)

おそらく、捜査員は嘘を言っている訳では無いのでしょうが、

自分の本来の記憶と、
その当時の、事件後の報道により仕入れた情報が混淆している印象を受けます。

こういう記憶の正確さが欠けているのも、
事件から時を経た弊害だと言えるでしょう。

 

  • 現場と上

さて、私個人が、
本書を読んで感じた事を総括するならば、それは、

組織内のタテとヨコの連携不足
瞬間的決断力の欠如

これだと思います。

 

先ず、大同門の事件(6月2日)です。

この事件は、
予め替え玉を予想していながら、

現場にてそれに対処出来なかったアドリブ性の無さが、
捜査を失敗させた最大の要因なのだと思います。

そして、
この事件の失敗が、大阪府警の現場の特殊班の信頼を失墜させ、
事件が警察庁主導へと変化させました。

その後の捜査方針は、
「財物の交付を確認した後の、既遂での現行犯逮捕」
即ち、
犯人の身代金の受け取りを確認した後の、グループ一斉検挙を目的とした為に、

現場の不審者(キツメ目の男)に対する職質をスルーする事になります。

 

しかし、
何が重要なのか本当に解っているのは、
あくまでも現場の人間です。

「大同門の事件」にて、現場は失敗してしまいました。

その為、その後の
丸大食品脅迫事件(6月28日)
ハウス食品脅迫事件(11月14日)
にて、主導権が上(警視庁)に移ってしまった。

その上は、現場の意見を信じる事も、尊重もしなかった

それが、二度目の失敗なのです。

現場というものは、
ともすればトラブルに見舞われ、冷静さを欠いてしまいます。

だから、その判断を円滑に、
冷静に方向性を示してやるのが上の仕事です。

決して、現場を蔑ろにするべきでは無かった。

また、
「キツメ目の男」を職質しなかった、

一度目はいいとしても、
二度目もスルーするのは悪手の極み、

最初に取り逃がした事を、
二度目も続けた、それがこの事件の最大の失敗なのだと思われます。

「現場が使えない」とでしゃばって来た上が、
一度ならず、二度もチャンスをスルーした、

人の失敗を責めている人間が、
より大きな失敗をしているのですね。

 

現場から離れれば離れる程、
その対処能力は劣って行き、

そういう人間の指示を尊重する為に、
現場の事態に対応出来ない

これは、今回の事件の警察に限らず、
タテ割社会の全てに当てはまるものです。

 

「グリコ・森永事件」では、
今ほど無線が発達しておらず、

現場と上の円滑な連携が出来ていなかった

上は、現場の逼迫した状況を理解していなかった、

だから、指示は、
「最初の方針」をあくまで遵守する形で下されたのでしょう。

 

また、p.399の証言を読むと、
警察は「本命じゃないかもしれない」「次の機会がある」と高を括っていたようにも見えます。

なので、
無線配備にて犯人の裏をかかれた今回を捨て石として、

警察側の万全の準備が整った時に、
一網打尽計画を実行しようと思っていた、

そんな風にも読み取れる発言です。

 

この事からも、

一期一会にて動く現場と、

大所高所で物事を判断する上の、スタンスの違いが読み取れます。

 

連携が取れていなかったのは、
タテだけではありません。

県毎に縄張り意識が強いという警察は、

その県をまたぐ事となった「警視庁指定第114号事件」(グリコ・森永事件)においても、

その縄張り意識を剥き出しにして、
府・県毎のヨコの連携をしていなかったといいます。

 

また、「保秘」の徹底、
つまりメディアに情報が漏れる事を嫌った為に、警察内部ですら情報を制限し、
ヨコの職員毎に情報の共有が為されなかった事が、

捜査員に「自分は何をしているんだろう?」という疑問を抱かせ、
士気を低下させたとも言われます。

 

現場での初期段階の失敗が後々まで尾を引き、

「上」が判断する方針に従い続けた為に、

その後の捜査方針においても、
正しい情報の共有が疎かになり、
責任の所在が曖昧になってしまった

 

結局、物事を動かすのは、現場の職員なのです。

上は、現場をどれだけ信用出来るか、

そして、どれだけ正しい方針を示せるか、

これに尽きるのだと思います。

ホテルの経営者が、
接客が上手い訳ではありません。

美味しい料理を作る訳ではありません。

しかし、
ホテルの方針を決めるのは経営者で、
それが無いと、現場の風紀が乱れるのは必定です。

結局は、
お互いにフィードバックし合わないと、
進行する物事には正しく対処出来ないのです。

「グリコ・森永事件」は、
組織の連携不足により、その強みが発揮出来なかった、
又、正しい方針を決断出来なかった、
その端的な事例
なのだと思います。

 

 

 

下手なフィクションよりスリリング、

正に「現実は小説よりも奇なり」。

それを地で行く「グリコ・森永事件」。

警察という、
日本最大の巨大組織が如何にして敗れたのか、

それを検証し直す事は、

各個人においても決して無意味な事では無い。

むしろ、多くの反省点が、
次に繋がるヒントを産む、

苦い体験談だからこそ、
『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』には、
多くの教訓が潜んでいるのだと思います。

 

 

 

書籍の2018年紹介作品の一覧をコチラのページにてまとめています

 


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