桐生浩介は、妻の望のがんの治療を目指し、医療システムAIを完成させた。しかし、国の許認可が降りずに、そのAIを使用せず、望は亡くなってしまう。
失意の元、日本を離れた桐生だったが、義弟の西村悟の尽力もあり、AI「のぞみ」は社会に広く認められ、今や国民の生活に欠かせないモノとなっていた。
功績が認められ、総理大臣賞の授与が打診、日本に娘と共に帰国した桐生だったが、そのタイミングでAIが暴走。桐生が犯人だと疑われ、追われる身となるが、、、
監督は、入江悠。
監督作に、
『SR サイタマノラッパー』(2009)
『ジョーカー・ゲーム』(2015)
『22年目の告白 ー私が殺人犯ですー』(2017)
『ビジランテ』(2017)
『ギャングース』(2018)等がある。
出演は、
桐生浩介:大沢たかお
桐生望:松嶋菜々子
桐生心:田牧そら
西村悟:賀来賢人
桜庭誠:岩田剛典
奥瀬久未:広瀬アリス
合田京一:三浦友和 他
「AI」がテーマとして扱われる場合、
ハリウッド映画は、
AIの暴走とか、AIが人類の脅威となる作品が多い印象があります。
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)では、
地球を救うためには人類を滅亡させると主張する、
AI「ウルトロン」の話でしたし、
「ターミネーター」シリーズでは、
AI「スカイネット」が人類に叛乱を起こし、
未来社会で、人類 vs. AIの戦争が繰り広げられているという設定です。
一方、日本は、
科学や技術に対する無邪気な信奉もあって、
AIを肯定するような作品が多い印象です。
漫画の、
『鉄腕アトム』『ドラえもん』に代表される、
弱い者の味方という刷り込みが、
広く、国民に浸透していると思うのです。
しかし、
昨今は、AIによるバラ色の未来のみが謳われる訳では無く、
「AIが職を奪う」等の、ネガティブイメージも生まれている事もまた、事実。
そんな社会の風潮を意識したのか、
本作の題名は、
『AI崩壊』という、不穏なモノ。
はてさて、
どういう内容なのでしょうか?
さて、『AI崩壊』。
本作の題名から察すると、
「社会に浸透したAIシステムが崩壊して、パニックが起こるのかな?」と思われますが、
少し、違います。
社会でパニックが起こりはしますが、
それは、AIが崩壊したからというより、
「AIが暴走して、社会システムが崩壊したから」と言えます。
つまり本作の題名は、
内容を手短に縮めていたのですねぇ。
医療システムをAIに頼った近未来において、
国民の既往歴、遺伝子情報、健康状態、将来の病気のリスク等、
それを把握しているAIが暴走し、
独自に国民の「選別」を開始、
不要な国民に対する「排除」を行おうとします。
本作はそういう、
SF作品だからこそ描ける、
近未来社会に起こり得る、
現代の延長としての問題提起
が描かれているのです。
そして本作では、
そのAIの暴走の容疑者として、
開発者の桐生浩介が疑われます。
しかし、
桐生は、警察を振り切って逃亡、
身の潔白を証明する為、
AIの暴走を止める為、
孤独な奮闘が開始されます。
この
無実の主人公の逃亡劇
という、
ある意味、昔ながらの鉄板の
アクション・サスペンスの形式、
今どき、珍しい、
ストレートなエンタメと言えます。
ぶっちゃけ、
ハリソン・フォードの『逃亡者』(1993)の形式そのままと言えます。
真犯人を捜し、
逃げながら、攻めるという、この展開。
アクションと、
犯人捜しのミックスが、
面白さ倍加させます。
桐生を追う警察側も、
犯人検挙のAIシステム「百目」を駆使する、
インテリタイプの桜庭と、
勘と経験と自分の足を信じる、
叩き上げの警官・合田の二つのタイプが描かれており、
二重の包囲網を、どうやってかいくぐるのか、
そういう部分も、興味深い所。
エンタメ系の日本映画は、
ハリウッドに比べて、ダサい、古い、遅れてる、
と言われる事もしばしばです。
しかし、
そういう風評に臆する事無く、
真っ向からエンタメに取り組んで、
そして、本作の様に面白い作品が、
日本でも作られる様になったのだと思うと、
感無量な感じがします。
本作は、
AIがもたらした、近未来社会のシステムにおいて、
起こり得る問題を提起しながら、
それを、
あくまでも、映画としてのエンタテインメントとして描いている所に、
素晴らしさがあるのです。
『AI崩壊』、
誰が観ても面白い、
鉄板エンタテインメントです。
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『AI崩壊』のポイント
「無実の主人公の逃亡劇」という、鉄板のアクション・サスペンス
AIによる社会の改革と、その問題点の提起
道具を使うのは、人間である
以下、内容に触れた感想となっております
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「AI」という道具も、使いよう
AIと社会をテーマとして、
無実の主人公の逃亡劇というエンタテインメントを描く、
『AI崩壊』。
本作で描かれるのは、
近未来という事で、
その技術も、現在の延長線上にあります。
つまり、
よく、映画で描かれる感じの、
AIが、まるで人間の様に「独自の思考」を持っている訳では無いのですね。
あくまでも、
システムや、煩雑な状況を、
効率良く運用する為の「ツール」として存在しています。
AIは、
ただ、意思を持たず、
プログラムに従って仕事を全うしているのみなのです。
ここに、リアリティがあり、
本作に、説得力を与えているのです。
その上で、
本作が問題提起として掲げているのは、
AIは使いようで、薬にも毒にもなるという事です。
医療システムとして、
効率の良い治療を提供するAIであっても、
使用者の、
遺伝子情報、既往歴、将来の病気リスクなどの個人情報を使い、
有用な人物かどうかの価値基準として利用する事で、
国民の選別が行われ得る、
そういうリスクを描いており、
時の権力者が、
それを恣意的に利用する事の危険性を訴えているのです。
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選民思想の危険性
本作の黒幕たる桜庭は、
破綻した日本の経済、福祉を再生させる為には、
冷徹な目で、
ある程度の、国民の選別を行う必要があると訴えています。
この功利主義的な、
最大多数の最大幸福を唱える桜庭の主張は、
一見、
大義と合理性がある様にも、思えるかもしれません。
しかし、
権力者から押し付けられる功利主義というものは、
その実、
利己主義や選民思想に陥るという問題点が、
第二次世界大戦期のナチスドイツが歴史的に証明しています。
AIというものは、本来、
「人手が足りないところの、補佐を行う」システムであるという側面があります。
それを、選民に使用するという事は、
全く、逆の意図、
つまり、
「人手を減らす事の、補佐を行う」事になってしまいます。
結局は、AIは、
使う人間によって、
その方向性が180度変わりうるのです。
つまり、
「AIで選民を行う」と口では言っても、
実際は、根拠や効率とは無縁な、
権力者に都合の良い形の、恣意的な形で選別が行われる結果になるのです。
それは、
なにもナチスドイツを振り返らずとも、
現代の日本を見ても明らかです。
税金を使って、
本来呼ぶべき人間では無い、
選挙区の支援者を接待した「桜を見る会」しかり、
検察人事に介入し、
政権に都合の良い人間を検事総長に就けようとし、
法曹界を政権与党の傀儡とせんと企んでいる件しかり、
公平の名の下に、
必ず、腐敗した権力を駆使しようとするのです。
結果、ナチスドイツが行った事は、ホロコーストであり、
弱者や、
自分の意向に反する人間を排除する行動は、
必ず、歴史から批判、しっぺ返しを喰らう事になります。
それは、ドイツが、
戦後75年経った今でも、
「悪の存在」として、何度も何度も、
映画や小説で描かれている事が、証明しています。
何故ならそれは、教訓としての、
繰り返してはならぬ愚行であるからです。
公共の福祉を謳い、
功利主義的な選民思想を権力者が押し付けて来た時、
それは、どんなにもっともらしく聞こえても、
権力の腐敗を意味する。
本作では、そういう、
エリートが陥りがちな蹉跌を描いており、
我々、一般国民は、
そういう暴虐には、
必ず、反対せねばならぬ。
私は本作を観て、
そういう思いを抱きました。
さて、
そんな本作ですが、
桜庭のクライマックスでの演説シーン、
腹心の警官以外の、
周りを囲む、モブの警察官達は、
桜庭の語る選民思想を聴いた時、
「そんなバカな」「何て事を言っているんだ」
みたいな驚愕の表情を、
皆が一様に浮かべていた事が、印象に残っています。
職務遂行という職業倫理より、
人間が本来持つべき倫理観の方が勝るべき時もある、
そういう、
人間性を描いている点に、
本作に、人間を信じる気持ちが観られます。
AIの暴走を描き、
社会のシステム、ひいては、
人間としての倫理観が崩壊してしまう瀬戸際を描いた作品、
『AI崩壊』。
現実的なレベルの技術の進歩がもたらす、近未来の社会を描きつつ、
SF的なハッタリも効かせて、
エンタテインメントとして仕上げています。
気楽な感じで観る事が出来、
それでいて、
将来起こり得る社会の問題にも思いを馳せる事が出来る。
なかなかどうして、
面白い作品に仕上がっているのではないでしょうか。
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