映画『落下の解剖学』感想  ミステリに非ず!?法廷劇と決断の物語!?

フランスの雪深い山荘に、夫と息子と共に暮らす、人気小説化のサンドラ。ある日、散歩から帰って来た息子は、父の落下死体を発見する。
警察は捜査の結果、事故では無く、過失、つまり妻サンドラの殺人だと判断。彼女を起訴する。旧知の弁護士に依頼するも、サンドラの味方は盲目の息子のみと言えた、、、

監督は、ジュスティーヌ・トリエ。
フランス出身。
本作にて第76回カンヌ国際映画祭のパルム・ドール賞を受賞する。
監督作に
『ソルフェリーノの戦い』(2013)
『ヴィクトリア』(2016)
『愛欲のセラピー』(2019) がある。

出演は
サンドラ:ザンドラ・ヒュラー
ダニエル:ミロ・マシャド・グラネール
サミュエル:サミュエル・タイス
ヴァンサン:スワン・アルロー
検事:アントワーヌ・レナルツ
マージ:ジェニー・ベス 他

『落下の解剖学』

不思議な感じの題名です。

「落下」を解剖するとはどういう事なのか?
というか、「解剖」では無く「解剖学」という事は、体系的な話なのか?

しかも、
「落下の解剖学」っていう題名は、日本オリジナルでは無く、
英題が「anatomy of a fall」
原題(フランス語)が「anatomie d’une chute」
つまり、直訳なんですよね。

成程、本作はミステリーか、と思われるかもしれません。

しかし、然に非ず。

サスペンス、法廷劇がメイン

となっております。

又、

単純明快、勧善懲悪でハッピーエンドな
ハリウッド映画を観慣れた人にとって、

本作にはちょっと違和感を抱く事になると思われます。

如何にも、
フランス映画っぽい感じがします。
(と言ったら偏見でしょうか)

明確な答えを提示するのでは無く、
観客にその判断を投げかけるというタイプ

つまりは、
「落下死」という事件そのものの謎解き、解明が
本作のメインではありません。

本作をどう解剖するのか、
判断するのかは、
観客各自に委ねられるのです。

観客自身が持っている「解剖学」を、
各々、適用すべし、って訳です。

上映時間は、152分。
正直、ちょっと長い。

しかし、
法廷劇という事もあって、
緊張感は続きます。

アカデミー賞とはまた違った価値観で賞が授与されるカンヌ国際映画祭にて、
最高賞を獲得した『落下の解剖学』。

興味深い作品である事は間違いありません。

  • 『落下の解剖学』のポイント

法廷劇のサスペンス

どう受け取るのかは、観客次第

フリでは無く、本気の覚悟

以下、内容に触れた感想となっております

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  • フリでは無く、覚悟を決めろ

本作『落下の解剖学』は、
邦画やハリウッド映画の様に、
ラストにて、物語が決着するタイプの映画ではありません。

寧ろ、
映画は素材であって
その鑑賞にて、観客は何を思い、どう判断するのか、
それを問いかけるのが、
フランス映画っぽい感じと

個人的には思っており、
本作も、その類いの作品です。

『落下の解剖学』という題名だと、
鑑賞前は、
墜落事故の真相を解明する映画なのだと、
考えがちです。

しかし本作は実際は、
墜落事故にて法廷劇が繰り広げられるのは、
あくまで舞台設定であり、
その真相云々よりも、

観客が、自分で何を考え、持ち帰るのか、
その独自判断を促し、委ねられています

さて、
本作の面白い所は、
判断が委ねられるのは観客のみならず、

本作の登場人物、
息子のダニエルもそうです。

ダニエルは、過去の交通事故で後天的に盲目となっています。

盲導犬を連れており、
雪の山荘住まいで、学校に通うのは週1、
主に父親による家庭学習で学んでいるという設定。

父親の落下死の第一発見者は彼ですが、
その時、
音楽がガンガン鳴り響いていたため、
実質、
彼の証言は重視されず、

しかし、
主観として、父親がどういう状態だったという発言は、
ある程度重視される状況です。

因みに、
本作では、「音」の演出が不快です。

これは、盲目のダニエルの気持ちを観客にも味わわせようと、
意図的に、神経に障る感じにしたのだと思われます。

裁判の傍聴を通じて、
ダニエルは混乱します。

息子として、
母の無実は信じています。

が、

生々しい夫婦喧嘩の録音、
母の不倫癖、父の小説のプロットの剽窃、
息子の教育、家族関係の修復への無関心さ etc…

「子供」である自分が知らなかった「事実」が裁判で明らかにされるにつれ、
ダニエルは混乱します。

何も知れなければ、
母の味方である事が自明であったハズなのに、

事実を知り
判断材料が増えたが故に、
盲目になってしまうのです。

混乱したダニエルは、
「助けてよ」と

裁判所が派遣したマージに意見を求めます。

マージは、
保釈されているサンドラが、
裁判で有利になるように、息子を誘導しないよう、
二人の接触を見張るお目付役。

ある程度、ダニエルと付きっきりの状態なので、
彼との間に信頼関係が成り立っています。

ダニエルは言います
「何が正しいのか分からない」「(母が)正しいと断言出来ない」と。

それに対しマージは、
「断言出来ない時は、敢えて、どちらかに決める」とアドバイスします。

ダニエルは、
「確証が無くとも、正しいフリをする事なの?」と尋ねますが、

マージは、こう答えます
フリでは無い、自分の立ち位置はこうだという覚悟を決めるのだ」と。

この物語終盤の二人のやり取りこそ、
本作の肝であり、ハイライトだと私は思います。

ダニエルは裁判で、
過去に、父親が自殺を臭わせる様な発言をしていたと証言します。

しかしそれは、
彼が父を二人でいる車中での会話であり、
その信憑性は、ありません。

あくまでも、ダニエルが「過去にこんな事があった」
と、言っているだけに過ぎないのです。

ここで重要なのは、
ダニエルが、
母親寄りという立場を明確にしたという事実です。

まぁ、私はぶっちゃけ、
どう考えても、
母親が殺してるだろうと、思いますが、

しかし、
息子にとっては、
どんな毒親でも母は母。

過去の行状云々より、
今後の人生にとって、
「親が居る」という事のメリットを取ったとも見えます。

本作でも描かれている通り、
裁判とは真実の追究というより、

如何に、説得力のある「自分視点」を力説するのか
これが、重要であり

それ即ち、人生もそうなのではないでしょうか。

本作では、
サンドラとサミュエルの生々しい夫婦喧嘩の録音(回想シーン)が披露されます。

その描写では、
息子の教育をほったらかして、
お前も分担しろと言われたサンドラは、
「嫌ならあんたも(ダニエルを)放っておけ」
「あんたが引っ越しを決めたんだろ」と言い

小説のプロットの剽窃にしろ、
「あんたが捨てたアイディアを使って何が悪い」と開き直り。

こりゃ、
自殺にしろ他殺にしろ、
完全に舐められて、マウント取られている状態です。

夫婦関係で、
「稼いでいる方が態度がデカい」というのは、
家父長制的な価値観ですが、

前時代的とか、不平等とか、
そういう簡単な理由に押し込めきれないのが、
男女関係、人間関係の難しさだと思います。

ダニエルは、
それを承知で、母親を選んだ。

それは即ち
ある種の宣言であり、
ダニエル自身の強さの表明と言えるのではないでしょうか。

とは言え、
本作『落下の解剖学』を観て、
何をどう解剖する(考える)のかは、
「あなた」次第。

観た人それぞれの判断に委ねられた作品という訳です。

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