映画『DOGMAN ドッグマン』感想  愛を求めるが故に、人は苦しまねばならぬ!!

ある夜、警察の検問に止められたトラック。運転手は女装し、傷付いた男。荷台には犬が多数載っていた。
対処に困った警察は、夜中の2時に精神科医のエヴリン・デッカーを呼び出す。留置所にて、エヴリンの質問に答える形で、男は自らの半生を語り出す。彼の名はダグラス。幼少期、苛烈なDVにて、犬小屋で育てられた過去を持つ、、、

 

 

 

 

 

 

 

監督はリュック・ベッソン
フランス出身。
監督のみならず、製作としても手腕を発揮。
主な長篇映画監督作に、
『最後の戦い』(1983)
『サブウェイ』(1984)
『グラン・ブルー』(1988)
『ニキータ』(1990)
『アトランティス』(1991)
『レオン』(1994)
『フィフス・エレメント』(1997)
『ジャンヌ・ダルク』(1999)
『アンジェラ』(2005)
『アデル/ファラオと復活の秘薬』(2010)
『LUCY/ルーシー』(2014)
ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(2017)
『ANNA/アナ』(2019) 等がある。

 

出演は、
ダグラス:ケイレブ・ランドリー・ジョンソン
エヴリン・デッカー:ジョージョー・T・ギッブス
アッカーマン:クリストファー・デナム
サルマ:グレース・パルマ
少年時代のダグラス:リンカーン・パウエル

多頭の犬達 他

 

 

リュック・ベッソン。
90年代の映画ファンの心を鷲づかみにした存在。

フランス映画にも、
オシャレに特化せずに、アクションとして面白い作品があると、

当時のサブカルオタク達に絶大な支持を集めていました。

 

しかし、
リュック・ベッソンが面白かったのは、
個人的には
『グラン・ブルー』
『ニキータ』
『レオン』の3本であり、

ギリギリ、
『フィフス・エレメント』
『ジャンヌ・ダルク』を支持している人が居る位。

以降は、
一般人はもとより、
映画ファンの口に上る事も無くなりました。

 

映画は作っていたのにね。

 

カイジで例えると、
『レオン』までが、
会長のクジ引きの所、

『ジャンヌ・ダルク』が、
パチンコ「沼」みたいな感じですね。

 

以降は、
知る人ぞ知るというか、
惰性で見ている人しか居ない、という感じです。

 

そんな、ぶっちゃけ過去の人
リュック・ベッソン。

そんな彼の新作が、
本作『DOGMAN ドッグマン』です。

 

主演がケイレブ・ランドリー・ジョンソン!?

数々の映画で、
主演女優に手を出して、
(アンヌ・パリロー、ミラ・ジョヴォヴィッチ)

結婚しては離婚を繰り返した、
あの、リュック・ベッソンが!?

 

男を主人公に!?

当初は10本映画を撮ったら引退すると言っていて、
(クエンティン・タランティーノも同じ事言っています)

しかし、
前言撤回して10本以上撮っている
あの、リュック・ベッソンが!?

 

既に、出涸らしではないのか!?

 

安心して下さい。

本作は、面白い!!
初期のリュック・ベッソンを彷彿とさせます

 

 

30代のギラギラしていた時期に製作した作品群。

『グラン・ブルー』『ニキータ』『レオン』

その頃の魂が、
齢、60を越えて復活したのか!?

 

人生に悩む、
屈折した魂の彷徨(咆吼)を描く作品です。

 

 

ジャンルは違いますが、
『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)とか

あとは
ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』(2019)とかを
彷彿とさせますね。
雰囲気的に。

 

本作、
惹句として「規格外のダークヒーロー」という言葉が踊っています。

その惹句に引っ張られると、
ちょっと、イメージと違うと思うかもしれません。

ダークヒーローとか言ったら、
マーベルとかDCとか思い出してしまいますからね。

そういう系統では無いです。

 

私が思うのは、

「哀しき魂の咆吼」って感じですかね。

逆境に抗うアンダードッグの話です。

 

で、本作の凄い事は、

犬がリアル犬って事ですね。

CGじゃなくて、
訓練した犬を、
多数、使っているのです。

 

 

そういう意味で、
ワンちゃん好きの方も満足なのではないでしょうか。

 

思えば、
『レオン』から30年近い年月が経過しているのですね。

まさかの、
30年越しのカムバックを果たした、
リュック・ベッソンの新たな傑作、
『DOGMAN ドッグマン』。

旧来のファンも、
今時の若人も、
観るべき作品と言えます。

 

 

 

  • 『DOGMAN ドッグマン』のポイント

聞け!負け犬の咆吼を!!

成りたいモノを、演じる

愛を与え、愛を欲し

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

 

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  • アンダードッグ

本作『DOGMAN ドッグマン』は冒頭に、
フランスの詩人、ラマルティーヌの語句が引用されています。

「不幸な者のいる所あまねく、神は犬を遣わされる」

一説によると、
人の最初のパートナーとなった動物は、
犬だと言われています。
(家畜じゃないのかい?というツッコみは無しだ!!)

猫も人気ですが、
やっぱり、
人のパートナーとしては、
犬が、名実共に一番なのではないでしょうか。

 

しかしながら、
「犬」という言葉を含む語句には、
何やら、マイナスイメージが付きまといます。

組織の犬、と言えば、
権力者の走狗=唯々諾々と命令に従う日和見主義者の様な印象ですし、

負け犬、と言えば、
人生の敗北者の様なイメージです。

人類の親愛なる隣人である犬が、
何たる仕打ちか。

 

しかし、
エヴリンとの会話にて、
ダグラスも言っています
「犬の唯一の欠点は、人間の言う事を聞き過ぎる点」だと。

そういう従順な部分が、
御しやすいと侮られているのかもしれません。

 

  • 負け犬の物語

本作『DOGMAN ドッグマン』は、
手始めに言うなれば、
負け犬の物語です。

しかし、
「負け犬」の定義とは、
一体どんなものでしょう?

 

経済的に困窮している者?
家族の愛を知らぬ者?
社会的地位が低い者?
身体が思う様に動かせない者?

そうであって、
そうでは無い、

私が思うに、
本作で言う「負け犬」は、
自らの望みが叶えられぬ者
である様に思われます。

 

では、ダグラスの望みとは何でしょう。
どんな望みが叶わずに、
彼は負け犬なのでしょうか。

それは人に愛されたいという事です。

 

  • 愛されたいという望み

『DOGMAN ドッグマン』は、
ダグラスが、半生を語る形で物語が進んで行きます。

その彼の語りで、
壮絶な人生が明らかになっていきます。

 

DVオヤジの所為で犬小屋暮らし
→銃で撃たれ、跳弾で脊椎損傷、下半身不随
→孤児院暮らし、初恋
→初恋相手を紙上ストーキング、勇気を出して実際に会うが相手は結婚、妊娠中
→働いていたドッグシェルターは、市の予算削減の影響で閉鎖
→心機一転、就職活動に勤しむも、門前払いの連続
→才能を認められてゲイバーに採用されるが、犬達を養う為には他にも収入が必要
→犬を使って、金持ちの家から金品を盗む
→犯罪行為を嗅ぎつけた保険屋を殺害
→異様な風体で地域の顔役と認識される
→ギャングの無法を咎めるも、御礼参りされる
→返り討ちに皆殺しにするも、住居は破壊
→犬達を連れてトラックで移動中、警察の検問に捕まる
→エヴリンとの会話(今ココ)

時系列で記すと、
人生踏んだり蹴ったりだと、改めて理解出来ます。

 

さて、

ダグラスは、その台詞の節々にて
「神」を信じているのだと理解出来ます。

「神が望むなら(私は銃で撃たれて死ぬだろう)」
「私は神を信じているが、神は私を信じているのか?」
ラストシーンも、神に向かって
「私は準備が出来ている」と叫びます。

では、ダグラスの信仰は、何処から来るものなのでしょうか?

 

回想シーンにて、
兄がしきりに神に祈っているシーンがある事から、
おそらくは、家族の信仰だったのだろうと推測されます。

幼少期、父から犬小屋にぶち込まれて、
推定、半年以上は(1年?2年?)、そこで放置されていたダグラス。

それなのに、
家族間で培った概念である「神」という信仰を捨てずに育ったのは
奇妙というか、哀しさがあります。

この、
犬が人間に従順なように、
盲目的に神への信仰を続けるダグラスの姿に

彼自身が、「犬」的なタイプの人間なのかな?と示唆されます。

 

しかし、私には、
ダグラスが神への信仰によって欲しがっていたものがあると感じました。

それは、愛です。

ダグラスの神への信仰とは即ち
他人の愛を受けるという望みではないでしょうか。

 

  • 愛を諦め、愛を発見し

象徴的な場面が、
ダグラスの初恋の相手、サルマとのエピソードです。

 

サルマは、
施設に入ったダグラスを誘って、演技の楽しさを教えた相手。

私にも経験があるのですが、
陰キャは

サルマの様に、
明るく、活発で、天真爛漫、
それでいて優しい、
まるで太陽の様な存在に惹かれるものです。

自分と正反対だから故に、ね。

 

しかし、
サルマの様な存在は、
人に好かれるが故に、
もっと良い人と、とっくに結ばれているものなのです。

 

自分だけ舞い上がっていても、
実際は、
土俵に上がる前から終わっている

この一人芝居の滑稽さ、惨めさ、
誰も居ない所で、
駄々っ子の様に地団駄踏むしかない、この憐れさ。

 

フラれもせずに、
恋が終わったダグラス。

エヴリンには、
「その後、続けて子供を産んで(演劇を)引退した」
「輝きもいつか失せる」
と、告げますが、

まぁ、
フラれた後も近況を追っていた辺り、
やっぱり、完全に吹っ切れてはいない様子が見てとれます。

 

しかしその一方、
恋に破れ、
自暴自棄になったダグラスに寄り添う存在があります。

それが、
「犬」達です。

 

犬達は、慰める様に
失恋したダグラスに寄り添います。

ダグラスはそれを受け入れますが、
徐々にそれが、
特別な愛情なのだと理解していきます。

 

ある日、
料理をする為の材料を持って来てくれと
犬に出し抜けに頼みますが、

何と、
皆が皆、従順に願いを聴いてくれます。

 

ダグラスは、
自らが欲していた愛を受けていたンですね。

しかし、
それが自分の思っている様な形ではなかった為、
自分の望みが叶っていると気付いていない

この自己矛盾が、彼の哀しみであり、
愛を知らぬが故に、
愛の何たるかを気付いていないのです。

 

  • 愛とは、何ぞや

犬が従順に言う事を聞くと発見したダグラスは、

犬を使って金持ちの家から金品を盗みます。
犬を養わなければいけないからね。

 

また、
下半身不随であるが故に、
地域社会との関係は、意外に密着しているようです。

廃墟を改造した時は、
地元の電気屋に配線を依頼した様ですし、
クリーニングも、近くのマーサの店に頼んでおり、

その縁で、義理人情を通す為に、
法外なみかじめ料を要求するギャングとのいざこざに発展します。

 

さて、
初め、ギャングを脅す時、
ダグラスは女装していました。

対面せず、脅すだけなら女装する必要は無いハズです。

では、何故女装していたのか?

 

ダグラスにとって女装は、
役を演じる事であり、
それは、違う自分=自分が望む何にでもなれるという手段でもあります。

それはサルマに教わった方法論であり、

ゲイバーで、
彼自身はドラァグクイーンでは無いけれども、
その「恰好」をする事で、
その「役」に成りきる事が出来る、

彼の処世術となっております。

(吹替えだとしても、エディット・ピアフの歌真似をするシーンは、本作のハイライトの一つです)

 

ギャングを脅す時、
ゲイバーの楽屋に「ファン」と名乗る客が会いに来た時、
ギャングのボスと対面する時、

ダグラスは女装し、
クールで全能な対応を相手にします。

 

惨めな自分を装い、
クールな自分を演出する、
それが、ダグラスにとっての女装であるのです。

 

そんなダグラスも、
金品の盗みまでならまだしも

保険屋のアッカーマンの殺しや、
ギャングの皆殺しにまで手を出したのなら、

それは年貢の納め時だと感じたのでしょう。

 

警察の検問に捕まった時、
彼は犬を野に放ちます。

 

ダグラスにとってエヴリンとの会話は、
自分の半生を振り返り、
その後の覚悟を決める為の過程であったのかもしれません。

 

覚悟とは、
神の元へ行く。

それは、人生に幕を閉じる事です。

脊椎を損傷しているダグラスは、
自らの足で歩く事は、常に、損傷箇所に負担を掛け、
死を招くリスクを伴います。

ラストシーン
ダグラスは敢えて自らの足で歩き、
そして、神の元へ旅立ちます。

 

そんな彼が事前に犬を野に放ったのは、
単に、犬を逃がすという意味だったのかもしれません。

ダグラスと共に過ごした犬達なら、
自分達の力で生きて行けるという信頼感からの、
「子離れ」なのでしょう。

 

しかし、
自分と同じ傷付いた魂であると指摘したエヴリンとの会話で、自らの半生を振り返り、
ダグラスは気付いたのかもしれません。

愛を欲するという事は即ち、
愛を与える、施すという事と同意であるのだと。

 

エヴリンは、
元夫のDVに悩んでいる様子です。

予定より早く出所した元夫の影に怯えつつも、
逃げも隠れもせずに、赤子を育てると決意しています。

本作はそのエンディングにて、
そんなエヴリンの家の前に、
彼女の家族を見守る様に、
ダグラスが野に放った番犬の一頭が控えている様子が見て取れます。

 

冒頭に引用されたラマルティーヌの語句
「不幸な者のいる所あまねく、神は犬を遣わされる」

意図したのかそうで無いのか、

ダグラスが野に彼の犬を放ったのは
結果的には、
神が与えるが如く、人に愛を分け与えたという事であり、
それは正に、
ダグラスが欲した愛の形を、神の代わりに自分が体現したという事なのです。

 

故に、ダグラスはラストに言います。
「準備は出来た」(=資格がある)のだと。

神を通じ、
愛を欲した彼は、
愛(犬)を人々に与えたが故に、
神の元へ返る事(=人生からの解放=愛を受ける事)が許されたのです。

 

 

 

 

スティーヴン・スピルバーグ、
リドリー・スコットや、
デヴィッド・クローネンバーグの様に、

年を取っても、
コンスタントに映画を撮り続けている巨匠がいる一方、

リュック・ベッソンは、
完全に過去の人だと感じていました。

 

そんな彼が、
30年越しに傑作を持ってカムバックしたというこの衝撃。

愛を求める男の魂の彷徨(咆吼)を描く『DOGMAN ドッグマン』。

中々の、傑作と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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