映画『ブライトバーン/恐怖の拡散者』感想  厨二病の親離れ!!

子供が居ない夫婦の下に、突如、天から現われた赤ちゃん…
12年後、ブランドン名付けられたその子は、素直な良い子に育っていた。
しかし、何ものか(?)の呼びかけに呼応するように、ブランドンは反抗期に突入。そして、常人以上の力を見せ始める、、、

 

 

 

 

監督は、デヴィッド・ラロヴェスキー
ミュージックビデオやゲームの監督も手掛ける。
長篇映画作品としては、
『インバージョン 転移』(2015)がある。

 

出演は、
トーリ・ブレイヤー:エリザベス・バンクス
カイル・ブレイヤー:デヴィッド・デンマン
ブランドン:ジャクソン・A・ダン 他

 

 

厨二病。

それは、思春期の子供達の多くに訪れる、
全人類共通の症状。

世界で一番自分が正義、
この世で最も偉いのは自分、
我は救世主であり、将来、偉大な足跡を残すであろう、

そんな、根拠の無い自信に満ちあふれ、
自分の実力不足を棚に上げ、
他の全ての人を見下す。

それが、厨二病の症状である。

 

しかし、
厨二病は、必敗の定めにあります。

社会と関わり、
身の程を知るとき、

それは、
自分より強い人間に出会った時、
又は、
他人の苦労、悲哀、優しさを知った時、
その症状は快癒に向かい、

厨二だったと、いつの日か、思う時が来るのさ、
と、言わんばかりに、過去のものとなります。

 

しかし、
その厨二病時代に、望外の力が手に入ったら!?

ぶっちゃけ言うと、

スーパーマンのクラーク・ケントが、
正義じゃなくて、
厨二だったら?

 

そんな物語が本作、
『ブライトバーン/恐怖の拡散者』なのです。

 

さて、
クラーク・ケントは正義のスーパーヒーロー。

彼の活躍は、アクション映画として表現されます。

しかし、
陰湿な厨二病を描く本作は、どうなるのか?

当然、
アクションもありながらも、
その本質は、ホラー、サスペンスとなってしまいます。

 

そういう意味で、
本作は両親の目線で描かれます。

恐怖の子供に対峙する大人、
アンファン・テリブルが描かれるのです。

 

しかし、
本作の面白い所は、
それだけではありません。

その、恐怖の対象として描かれるブランドンの様子は、

よくよく考えてみると、
というか、思い出してみると、

自分の厨二病時代も、
こんな側面があったなと、
思う事もちょくちょくあったり…

 

今となっては大人になった自分でも、
子供時代の、
世間に対する理不尽な「怒り」、
そういうモノを持っていたと、

本作を観ると、思い出す事が出来ます。

 

そんな事を思ってしまったら、
果たして、厨二病とは悪なのか?

そんな事を考えてしまったりしますね。

『ブライトバーン/恐怖の拡散者』は、
ストレートなホラーながら、
妙な共感も出来る作品と言えるでしょう。

 

 

  • 『ブライトバーン/恐怖の拡散者』のポイント

スーパーパワーを持つ厨二病の恐怖!

共に共感出来る!?、大人目線と子供目線

親子の関係性の変化

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 厨二病と、親離れ、子離れ

『ブライトバーン/恐怖の拡散者』で描かれるのは、
「スーパーパワー」を持つ子供が、悪だったなら
という事です。

そのテーマを表現する為に、
本作は、もう一つの主題として、

思春期の子供と、親の関係性を絡めて描いています。

 

本作を観る時、
自分も、もう大人だし、
最初は、両親の目線で物語を追っています。

しかし、
両親目線のブランドンを見ていると、
彼の痛々しい「厨二ぶり」に、
まるで、かつての自分を見ている様な感覚に陥ってきます。

 

子供というものは、
最初、両親を崇拝しますが、
しかし、
徐々に社会との接点を増やすにつれて、
世間と「親」との差異に気付き、

親って、大した事ないのでは?
そう思う事が、
「世の中って、実は、馬鹿ばっかりなのじゃないのか?」
そういう思考に至り、遂には、
「自分が一番偉い」
みたいな所に陥ってしまうのです。

それが、思春期、
所謂、「厨二」という状態です。

 

今まで、
素直で良い子だった子供が、
急に、反抗的になり、
隠れて不気味な絵を描いたり、
暴力的な行為を行ったり、
グロ画像を集めたりする。

「世間の常識」に慣れ親しんだ大人としては、
倫理や道徳的な観点から判断した時、
あまりの逸脱ぶりに、
ある種の恐怖を感じる事になります。

 

しかし、
社会経験の乏しい「子供」は、
自らの興味の下に、
様々な知識を得ようとします。

その場合、
自分の興味、ドキドキ感を満たす為に、
エロ画像やグロ画像を集める。

実はそこには、
社会に対する悪意というものは希薄なのです。

ただ、
その興味を満たす行為が、
不気味だったり、モラルに反したりする為、
傍から見ると、気味が悪いのです。

 

子供がエロ画像をPCで集めていたりしたら、
まぁ、それは微笑ましい部分もありますが、

しかし、
グロ画像ファイルがあったり、
精神がおかしいと思われるような、悪魔の絵を描いていたりしたら、

オイオイ、どうなってんの?コレ?

と、親としたら、
子供を心配せずにはいられません。

 

しかし、
自分の過去を思い返してみるに、

当時、ちょっとグロ目の漫画の
『ゴッドサイダー』とか、
『ジョジョの奇妙な冒険』とか好きだったですし、

自分のオリジナルスタンドとかデザインしたりしてましたね、
ええ。

そんな自分の過去と比べると、
実は、
ブランドンの痛々しというか、
自分はセンスがあると思っても、他人から見るとダサさの極み乙女、
みたいなオリジナル衣装や、絵なんかも、

一概に、馬鹿に出来ない部分があります。

 

勿論、
ブランドンの行動は容認出来ないモノがあります。

人は、
人を傷付ける事の出来ない幼少時のみ、
本気で、相手を殴り付ける事が出来ます。

しかし、
ブランドンの不幸は
そういう、根拠の無い自身のみで、
力の無いハズの時期、
即ち、厨二時代において、

力を手にしてしまった事です。

 

始めは親を崇拝し、
学校や社会で、親が大した事無いと思い、厨二になり、
しかし、自分が社会に出て、その荒波に揉まれる事で、
親も、世間の人も自分と変わらないのだと知って、
人は、大人になって行きます。

しかし、
厨二のまま、世間より強い力を手にしてしまったら、どうなるのか?

世間に対する敗北、
イコール、世間に対する、他人に対する「思いやり」を知らずして、
「世間は、自分を解ってくれない」と、
自分の怒りのままに、社会と対峙する事になると、
自分勝手な存在となってしまいます

 

思春期というものは、
多くの興味を満たし、反抗し、「外」に向かって行動し、
社会の強さ、広さを知り、折り合いをつけて行く事で、
徐々に、収まって行きます

結局は、
親は、その手助けをするだけで、
最早、自分の影響力の外に、子供が居る事を理解し、
忍耐強く、思春期の終わりを待たなければならないのです。

しかし、
「自分の狭い世界の方が強い」為に、
ブランドンは、
大人=世間と隔絶し、
親=社会と断絶してしまったのです。

 

普通なら、思春期を経る事で、
ゆっくりと行われる、
親離れ、子離れの時期。

本作では、
ブランドンが、
「物理的に」親を放り投げる事で親離れをしているのが、
何とも、皮肉な感じがしました。

 

 

 

親離れ、子離れの物語を、

逆転したスーパーヒーローの傍若無人ぶりの行動でもって描き、

ホラー、サスペンスチックな物語としたのが、
本作『ブライトバーン/恐怖の拡散者』です。

 

ブライトバーンとは地名ですが、

ブライト(bright)は、「輝かしい」という意味があります。

それは、
スティーヴン・キングの小説『シャイニング』での、
超能力=シャイニングを彷彿とさせます。

また、
バーン(burn)は、「燃える」という意味であり、

つまり、「bright burn」とは、

輝かしい才能を持ちながら、
それが元で、炎上してしまう

という意味が込められている様にも感じます。

 

因みに、
ブライトは、
似たスペルの単語に「blight」というものがあり、
これの意味は、
粛殺(秋風で、木立が枯れる事)や撃滅という、
なんとも厨二的な意味があります。

これにも、かかっているのかもしれません。

 

どの様な才能も、
活かし方次第で、
宝にも、毒にも、なる。

『ブライトバーン/恐怖の拡散者』は、ストレートな作りながらも、

色々、思う事がある作品なのだと思います。

 

 

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