映画『影裏』感想  目に見えるものが、その人の本質に非ず!?

2009年、東京の本社から盛岡へと転勤になった今野秋一。そこで友人となったのは、同い年の日浅典博だった。
二人で語り合い、酒を飲み、釣りをし、友情を深め合うが、2010年冬、日浅は突然、会社を辞めてしまう、、、

 

 

 

 

監督は、大友啓史
監督作に、
『ハゲタカ』(2009)
『るろうに剣心』(2012)
『プラチナデータ』(2013)
『3月のライオン』(2017)
『億男』(2018) 他

 

原作は、沼田真佑の『影裏』。
本作で、第122回文學界新人賞、第157回芥川龍之介賞を受賞。

 

出演は、
今野秋一:綾野剛
日浅典博:松田龍平

西山:筒井真理子
日浅征吾:國村隼
日浅馨:安田顕
鈴村早苗:永島暎子 他

 

 

 

大友啓史監督と言えば、
『るろうに剣心』や、
『3月のライオン』など、
エンタメ映画が得意な印象。

しかし、
本作は、ドラマ重視の作品です。

しかも、
綾野剛、松田龍平という、
当代随一の役者がメインという本作。

もう、
映画ファンに「観てくれ!」と言わんばかりの作品です。

 

で、
一体どんな作品なのかと言うと、

本作は、

釣り映画ですね。

 

いや、
釣りがメインでは無いのですが、
釣り描写にかける力量が凄いというか、

釣り自体の描写、
綾野剛と松田龍平の二人の距離感、
そして、

釣りを含めた、
森と草木と川と魚の描き方が、美しいのです。

 

 

そして、
美しいと言えば、

何故か、露出が多い、綾野剛の半裸体も、
まぁ、楽しめる人が観ると楽しめるでしょう。

 

友情の描写、
自然の描写、

それだけを聞くと、
青春物語なのかな、と思います。

確かにそうなのですが、
本作は、中盤にて急転直下。

時は、2011年を迎え、
大震災が、盛岡を襲います。

 

人生は、
出会いと別れの繰り返し。

本作の題名は、『影裏』。

日の当たる、
美しい自然描写から一転、

「影」と「裏」の描写が展開されます。

その描写とは、

人間関係の裏表。

 

前半の美しい描写があるからこそ、
後半の不安が、いや増します。

 

本作『影裏』は、
後半は、ピリッとした緊張感が漂いますが、
それでも、終始、ゆっくりしたペース、
ゆったりとした雰囲気で話が展開します。

その中で、
観た人が、何を感じるか、

本作は、
それを投げかけて来ます。

もらったボールを、
どう解釈するか、
それは、鑑賞者次第

そういう自由度こそ、
本作の一番の魅力なのかもしれません。

 

ドラマ、自然描写、そして、人間関係。

『影裏』は、
観て、感じる類いの作品と言えるのです。

 

 

  • 『影裏』のポイント

美しい自然と釣り描写、あと、綾野剛の生足

人間関係の裏、表

喪失と哀しみは、人それぞれ

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


スポンサーリンク

 

  • 喪失して行く人間関係

本作『影裏』は、
先ず、目を惹くのは、
前半のゆったりとした自然描写、
釣り描写、
そして、今野と日浅の友情の描写です。

前半、
この平和な、
ある意味、理想的な状況を、
割と、長い時間をかけて描写する事で、

後半の、不穏な雰囲気を盛り上げているのが、
本作の面白い所です。

 

中盤、キャンプ時に日浅は言います。

「お前は、偶々日の当たった所を見ているだけだ」
「人を見る時は、影の一番濃い所を見るんだよ」と。

本作の題名『影裏』は、
この日浅の発言から来ているものでしょう。

 

そもそも、
今野は、日浅に恋愛感情を抱いている様にも見えます。

そして、
二人でキャンプをしようという時に、
他のオッサンが乱入するという状況に、

今野は面白くありません。

ほら、
自分では「親友」と思っている相手と二人で遊びに行くって時に、
何故か、
別の友達が居たら、
何となく、不愉快な嫉妬に駆られるでしょう?

今野も、同じ思いを抱いたのだと思われます。

 

しかし、今野にとって、この時が、
日浅と出会う最後の時となるのですね。

 

迎える、
2011年、3月11日。

大震災というカタストロフィによって、
状況が一変し、

日浅は行方知れずになりますが、

その後、
日浅を追い、
彼と関わった人間の証言を得るにつれ、

今野は、
自分が知らなかった、日浅の一面を見る事になります。

 

  • 喪失の発見

今野は、
職場の同僚だった西山の話を聞き、
日浅が、
マルチ商法まがいのアプローチで、契約を取っていた事を知ります。

また、
西山が口を滑らせた感じで、
日浅と西山には、肉体関係があったのだと、察せられます。

そして、
今現在、震災後の彼は、行方不明であり、安否確認が成されていないのだと。

 

今野は、日浅の父親・征吾、兄・馨の話を聞きます。

征吾は、
大学卒業を詐称していた日浅に憤りを感じ、
「縁を切った」と息巻いており、

馨は、
得体の知れない日浅の思考に、
戸惑いを隠しきれない様子でした。

 

ここで描かれるのは、
喪失の物語。

日浅は今野に、
「人を見る時は、影の一番暗い所を見ろ」と言いました。

まるで、それを強制するかの如くに、
今野は、
今まで自分の知らなかった、日浅の一面を見る事になります。

 

震災では、
多くの人が、
何のゆくりも無く、突然、大事な人を喪いました。

本作の舞台は盛岡という事で、
震災の影響をモロに被った地域の一つです。

しかし、
今野目線で紡がれる物語の中において、
震災の喪失は、
日浅の喪失の切っ掛けとしてのみ、描かれています。

そして、
その喪失というものは、
日浅と縁のある人間の証言を得る度毎に、
日浅の行方が解明するどころか、
逆に、深く、見えなくなって行っているのです。

 

今野にとって、日浅の突然の「失踪」は、
現実感の無い、「居ない」という状況だったのですが、

西山や、父や、兄の証言を得る事で、
「喪失」として、
深く、認識されて行く

その過程の描写、
日浅の「影」を発見してゆく今野の哀しみの深まり方こそ、

本作における、
前半の「陽」の描写と対を成す、
後半の「陰」の盛り上がりだと言えるでしょう。

 

この描写を添えるアクセントとして描かれるのが、
今野の、クセのある隣人として描かれる鈴村老人です。

この鈴村は、
「あ、もしかして今野は日浅に、独居老人の彼女から契約を取れと言うかもしれない」
と、観ている間は思いましたが、
そんな観客のゲスの勘ぐりはスルーして、
いつの間にか、物語からフェードアウトしてしまいます。

ただ、住居をクリーニングの業者が掃除しているという描写にて、
彼女が「居なくなった」という事が解るだけです。

 

同じ、「居なくなった」という状況でも、

「親友」だった日浅に対する時と、
袖すり合った程度の「隣人」である鈴村では、

今野の反応に温度差があります。

この、人間関係の温度差こそ、
本作で描かれるテーマの一つでもあるのですよね。

 

実際、
日浅を追う今野と、
日浅の父、兄の、日浅に対する想いには、
大きな隔たりがありました。

また、
「震災」という、多くの人が被った、大きな不幸と喪失より
今野にとっては、
日浅という個人の喪失の方が、
より、重みをもって受け止められているのです。

 

とは言え、
元々、喪失の哀しみというものは、
極、個人的な感情でもあります。

それに、温度差があるのは、至極当然のこと。

震災が大きな悲劇だったのは、
その、個人の喪失が、多く、積み重なったからだとも、
極論すれば、そう解釈出来ます。

つまり、
今野にとっての震災は、
日浅の失踪に帰結しているとも、言えるのです。

 

中盤、
今野が見つけたという、釣りスポットに二人で向かう途中、
日浅は、こんな事を言います。

「苔って、ちょっと日が当たった、倒木の下が一番居心地が良いんだ」と。

それはまるで、
自分自身の事を言っているかの様。

会社を突然辞めたり、
飄々として、型に嵌らない感じの雰囲気を持つ日浅。

マルチの勧誘的な仕事をしたり、
失踪したりするのも、
何となく、日浅らしいなという印象も、
この言葉を連想すれば、思い至ります。

 

また、倒木に座り、こうも日浅は言っていました。

「俺達は、屍の上に生きているんだ」と。

この「屍」とは、
震災で亡くなった方達の犠牲を乗り越えて、
生きて行かねばならないという事もあるでしょう。

それに加えて、
「出会いと別れ」という、人間関係のサイクルの中での、
「別れ」=「屍」という意味を持たせているとも感じます。

 

作中、
今野には、
過去に関係があっただろう存在、
現在、惹かれている日浅という存在、
エピローグにて登場する、その後のパートナーとしての存在という、

3人の、
今野の「恋人」が登場します。

人生、
過去にどんなに想った人間が居たとしても、
その相手と一緒になれるとは限りません。

その思い出のみを持って、
その相手では無い、
別の相手と共に、前に進むという事もあるでしょう。

そうやって、
終わった人間関係の屍の上に、
人生は成り立っているのです。

とは言え、
釣りの途中、ふとした切っ掛けで日浅を見た今野の様に、
別の人間と居るのに、
過去の別の人間の幻影が立っているという事も、あるんですよね。

 

さて、ラスト近く、
今野は、
日浅が生きて居るという痕跡を発見します。

それは、
互助会の契約をアップグレードするという案内を、
日浅が今野に送ったというメール便を発見した時。

実際、
それは、根拠薄弱な痕跡かもしれません。

しかし、
同じモノを見ても、
そこに、救いを見出すかどうかというのは、
それこそ、人それぞれとも言えます。

今野は、その痕跡を発見した時、
まるで、木漏れ日の川にて、釣りをする時の様な清々しさを感じました。

 

 

 

美しい自然と、
穏やかな釣り描写、

そういう「陽」が際立つからこそ、
暗部である「陰」の深さも知る。

喪失も、別れも、喜びも、救いも、

人間関係という、
個人と個人を繋ぐネットワークの機微を描いた、
『影裏』は、そういう作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

現在公開中の新作映画作品をコチラのページで紹介しています。
クリックでページに飛びます

 

*原作小説は、コチラ


 

 


スポンサーリンク