映画『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』感想  「騙り」と「フィクション」の是非とは!?

1969年、アメリカ。PRマーケティングのプロ、ケリー・ジョーンズは、フォードでプレゼンを行い手応えを感じていた。しかし、横槍が入り、契約が御破算となってしまう。それを入れたのは、時の大統領ニクソン直属の政府関係者、モー。
何故ならモーは、ケリーにNASAのアポロ計画のPRをして欲しいと目論んでいたからで、、、

監督は、グレッグ・バーランティ
TV関連でプロデューサー、脚本家として長く活躍してきた。
長篇映画監督作に
『ブロークン・ハーツ・クラブ』(2000)
『かぞくはじめました』(2010)
『Love,サイモン17歳の告白』(2018)等がある。

出演は、
ケリー・ジョーンズ:スカーレット・ヨハンソン
コール・デイヴィス:チャニング・テイタム
ヘンリー・スモールズ:レイ・ロマノ
ルビー:アンナ・ガルシア

モー・バークス:ウディ・ハレルソン 他

『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』と言えば、
先ず、思う浮かぶのは、
ジャズ調の英語楽曲ではないでしょうか。

1954年に『In Other Words』としてリリースされた後
数回のカバー、アレンジされた楽曲ですが、
爆発的なヒットとなり、現在、最も知られているのは、
フランク・シナトラのバージョンの『Fly Me to the Moon』でしょう。

私個人としては、
TVアニメシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングテーマ曲として使われ
クレア・リトリーが歌った『FLY ME TO THE MOON』が印象に残っています。

さて、
フランク・シナトラが『Fly Me to the Moon』をリリースした1960年代のアメリカは、
アポロ計画真っ只中。

1961年、
当時の大統領だったジョン・F・ケネディが、その演説にて、
「1960年代が終わるまでに、人類を月に立たせる」と言ったこともあり、

フランク・シナトラの『Fly Me to the Moon』は、
さながら、
月へ向かうアポロ計画のテーマソングの様な扱いをされ、

実際に、
アポロ11号に搭載され、
月まで持って行かれた楽曲(テープ)となったそうです。

そんな、
有人月面着陸を成功させたアポロ11号界隈の話をテーマにした作品が、
本作『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』です。

それをテーマにしたとしたら、
本作はSF作品と思われるかもしれません。

確かに、時代考証もしっかりしており、
又、
撮影にNASAの協力があったというリアリティもあります。

それにも関わらず、本作は、

本作は、コメディタッチ。

そして、明るく、楽しく、ちょっとシンミリもしちゃったりする、
素晴らしい映画体験を味わえる作品に仕上がっています。

月面有人着陸と言えば、
何だか、ちょっと堅苦しく思うかもしれません。

しかし、
本作の持つ軽妙さや、テンポ、会話などのセンス感、画面の明るさなどが、

ああ、
一昔前の、
観るだけで、ちょっと幸せになっちゃったりする
映画の楽しさが詰まった作品にしているのです。

基本、コメディタッチですが、

困難に取り組む「お仕事映画」的側面や、
ちょっとハラハラして、手に汗握る展開なども用意されており、

ちゃんと、エンタメとして成立しているのが、
本作の面白い所。

また、
メインキャラクターを演じる二人が、

遣り手で口八丁の美人プロデューサーと、
脳筋堅物の生真面目というバディであるのが、

本作の面白さを際立たせています。

「アポロ計画」「有人月面着陸」というイメージが先行した為か、

私が観に行った映画館では、
観客が殆ど男性(中年)でした。

しかし、本作は寧ろ、

老若男女、
誰もが楽しめる、稀有な映画として、
広く、人に勧めたい作品と感じます。

軽妙で、
誰もが楽しめて、
ちょっと考えさせられて、
そして、面白い。

『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』、
中々の拾いものの作品と言えるのではないでしょうか。

  • 『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』のポイント

軽妙で、楽しくて、ちょっとハラハラの幸せな映画体験

口八丁の美人と脳筋堅物のコンビ、鉄板の面白さ

フィクションの是非

以下、内容に触れた感想となっております

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  • 宇宙を目指す、映画あれこれ

本作『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』の様に、
「宇宙を目指す」系の、
アポロ計画や、その前身のマーキュリー計画、月面着陸をテーマにした映画作品は、
割と沢山あります。

『ライトスタッフ』(1983)
『アポロ13』(1995)
『スペース カウボーイ』(2000)
『ムーン・ウォーカーズ』(2015)
『ファースト・マン』(2018) etc…

こうしてざっと並べてみても、
個性派でバラエティに富んだラインナップとなっております。

SF要素がありつつも、
人間ドラマ、
実録系、
冒険もの、
コメディなどなど、

困難に挑戦する、
というテーマが、
映画にした時に、
丁度「映える」要素になるのが、使いやすいのでしょう。

さて、名作が並んでいる中で、
一作、見慣れない作品があるのではないでしょうか。

それは、
『ムーン・ウォーカーズ』。

監督は、アントワーヌ・バルド=ジャケ。
出演はルパート・グリント、ロン・パールマン 等

題名的には、
マイケル・ジャクソンの『ムーンウォーカー』(1988)を彷彿とさせますが、
全く関係ありません。

何と本作は、
「アポロ11号の月面着陸映像は、スタンリー・キューブリック監督が撮影した捏造だった」
という都市伝説を元ネタにしたモノで、

そこはかとなく、
本作との共通点を垣間見る事が出来る作品なのではないでしょうか。

  • フィクションの是非

「月面着陸映像はフェイクだった」
これをコメディタッチに取り上げた『ムーン・ウォーカーズ』ですが、

本作『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』は、
実はちょっと違います。

確かに、本作はコメディタッチの作品ですが、
本作の語るテーマこそ、

この「フェイク」や「フィクション」の是非について、
一石を投じようとする事だと感じます。

AI技術発展の弊害として、
昨今、俎上に登る話題として、
フェイクによる情報操作が挙げられます。

地震や洪水時の、インプレッション稼ぎの偽災害情報、
選挙の相手候補の、ありもしない過激発言の捏造、
有名人が発言している様に見せかける、ネガティブキャンペーン etc…

本物と見紛うどころか、
全く区別の付かない情報が、真偽不明に垂れ流されるという、
恐ろしい時代に突入しています。

本作の登場人物である、
謎の政府関係者モーが行おうとしている事は、

時代、手段、意義こそ違えど、
意図は同じなんですよね。

アポロ11号に、ライブ映像カメラを搭載するというケリーのアイディアを気に入ったモー。

カメラを搭載するという事は、
=ライブ映像を届けなければ、アメリカの沽券に関わる
→失敗は許されないから、次善の策として、フェイク映像を用意する、
→通信映像の乱れなどなど、諸々考えると、寧ろ、フェイク映像のみで充分

という、
極端で過激な論法の変化が、
「国威を守る為」という大義を笠に着て正当化されているのです。

倫理的、道徳的には、
恥ずべき事ではあるでしょう。

しかし、
「嘘」が必ずしも悪とは言い切れないのが、
人生と実生活の難しい所です。

  • 嘘も方便

本作『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』においては、
PRマーケティングのプロとして、
NASAに雇われたケリーが、
それを体現するキャラクターとなっております。

ケリーは口八丁でターゲット(顧客)を籠絡するプロ。

冒頭、フォードの重役相手に
「家族視点からすると、シートベルトのある車が安全」
という意見を、
自分が妊娠しているかの様に見せかける
=家族持ち
である事を演出しつつ、
それが時代の総意であるかの様に、プレゼンするのです。

他にも、
無愛想なNASAの職員より
見栄えの良い俳優を替え玉にしてインタビュー映像を撮影したり、

真実に、
嘘を「演出」として盛り込む事で、
最大効率を叩き出す事に長けた技術を持っています。

この「演出」は、
許されざる事でしょうか?
それとも「フェイク」は厳密に断罪すべき事なのでしょうか?

確かにフェイクはいけません。

しかしながら、若き日の苦境を、
この「嘘」のテクニックで乗り切って
人生をサバイバルしてきたケリーを、
何故、責められるでしょうか。

そこで、
本作に登場するのは、
ケリーとは正反対の人物である、

謹厳実直の堅物である、
コール・デイヴィスの存在です。

本作のコールは、プロジェクトマネージャーと言える立場。

でも、職場に登場すると、
職員が不意に黙っちゃうタイプの、
ちょっと、堅物系。

しかし、
毎晩、アポロ計画の最初期に亡くなった三名の犠牲者の慰霊碑を見舞うという、
義理堅さと真面目さを持ち合わせた人物です。

自分とは主旨が違うケリーに翻弄されつつも、
なし崩し的に協力するコールですが、

彼自身が、
NASAの運営資金確保の為に、
議員を説得する場面があります。

信仰篤い議員との会話で、
コールは宇宙を目指すフロンティア精神は、
神を信じる事と何ら相反する思想では無いと語り、
賛同を得ます。

そんなコールに、
ケリーも見直した感じですが、

その時、彼はこう言います。
心からの言葉でも、人を動かす事は出来る」と。

本作のテーマにおける肝は、正にコールのこの言葉で、
誠意があれば、人は動くという事、

つまり、
情報の発信源には、信念と誠意が必要なのだと説いているのです。

確かに、
何も知らない情報の受け手の視点からすると、
モーがプロデュースしたフェイク月面着陸映像でも、
充分に感動出来るものでしょう。

しかし、
そこに込められた国威発揚という意図は、
困難に挑戦する人間の偉大さに比べると、取るに足らないものに感じてしまいます。

時間や困難を乗り越えて偉業を達成せんした行動なのか、
それを蔑ろにしているのか、

我々受けては、
真偽不明の情報から、
その透けて見える意図を察する技術が、
今度必要になってくるのです。

災害のSNS情報は
注意喚起なのか、インプレッション稼ぎなのか?

過去の発言を掘り起こす事に、
個人攻撃の意図はないか?

有用な情報に見せかけて、
意思の誘導が透けて見えないか?

情報を受け取る側が自衛するのは困難です。

自衛が困難だからこそ、
発信源にも、
誠意が信念が必要な時代だと、
本作は説いているのではないでしょうか。

ケリーは、
嘘がバレる現場からは、トンズラするのが一番
であるのが自らの主義だと語っていました。

しかし、
月面着陸のフェイク映像の件については、
トンズラせずに、
自ら責任を取って落とし前を付けようとします。

コールも、
あれほど堅物だったのですが、
ケリーの影響を受けて、柔軟さを発揮します。

トラブルに見舞われ、
着陸が危うくなった場面に於いて、

月面着陸シミュレーションでの訓練では失敗続きだったにも関わらず
「成功した」との、少しの「嘘」を混ぜて、
ミッションの継続を主張し、
偉業達成へと導きます。

結局は、情報の受け手も
少しの嘘なら「方便」として、許容すべきなのではないでしょうか。

そして、発信側は、
嘘に責任と落とし前を付ける信念があるのか、
情報を届ける事に、誠意があるのか

それが重要であると、
本作では語っている様に思います。

コメディタッチで気軽で軽妙。

更に、SF要素もありつつ、
ちょっとハラハラドキドキして楽しめる作品
『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』。

テーマに目を向けると、
現在のフェイク情報界隈の話にも繋がり、

中々、総合的に面白い秀作だと思います。

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