映画『フォードvsフェラーリ』感想  現場vsスーツ組!!そして、最大の敵は自分自身!?

ル・マン24時間レースの参戦を画策するフォードは、フェラーリの買収に赴く。しかし、拒否されるばかりか、手痛く罵倒されたフォード側は、絶対にフェラーリを叩くと決意する。
そこで白羽の矢が立ったのは、過去にル・マン24時間レースで優勝経験のある、キャロル・シェルビーというカー・デザイナー。
そして、そのキャロルが、車の開発に選んだテスト・ドライバー、ケン・マイルズは「腕は確かだが、扱いにくい」と言われる男だった、、、

 

 

 

 

監督は、ジェームズ・マンゴールド
監督作に、
『コップランド』(1997)
『17歳のカルテ』(1999)
『ニューヨークの恋人』(2001)
『アイデンティティー』(2003)
『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005)
『3時10分、決断のとき』(2007)
『ナイト&デイ』(2010)
『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013)
LOGAN/ローガン』(2017)等がある。

 

出演は、
キャロル・シェルビー:マット・デイモン
ケン・マイルズ:クリスチャン・ベイル

モリー・マイルズ:カトリーナ・バルフ
ピーター・マイルズ:ノア・ジュプ

ヘンリー・フォード2世:トレイシー・レッツ
レオ・ビーブ:ジョシュ・ルーカス
リー・アイアコッカ:ジョン・バーンサル 他

 

 

 

いきなり私事ですみません、
一昨年暮れから、去年の年始に風邪を引きまして、
体調を崩しましたが、

まさかの、
今年も同じ轍を踏むとは、、、

病気になると、
健康の有り難さが身に沁みますね。

 

さて、何故、体調が急変したかと言うと、

覚えがあるのは、
「ポケモンのネット対戦」のやり過ぎですかねぇ。

年末が、
丁度ランクバトルの区切りという事で、
集中してやりまくった結果、脳がバグったと思われます。

 

そう、「対戦」というのは、
時に、自分の身を削りながらも、
しかし、
勝利の味が忘れられず、
追い求めずには、いられない、

そういう、
麻薬的な魅力のあるものなのです。

 

 

と、いう訳で、
今回紹介するのは、
フォードとフェラーリの企業戦争から端を発した、
1966年の「ル・マン24時間レース」の顛末を描く作品、

それが本作、
『フォードvsフェラーリ』です。

 

フォードは、フェラーリの買収に行きますが、
創始者のエンツォは、
「所詮、2世は、創始者には勝てぬ」と、
土壇場で買収を「ご破算」にしてしまいます。

それにキレたヘンリー・フォード2世は、
「フェラーリ、ぶっ壊す!」と言わんばかりに、

1960~62年まで、
フェラーリが3連覇を果たしていた
「ル・マン24時間レース」で、目に物見せてやる!と意気込みます。

 

が…駄目っ…!

フォードはフェラーリに敗れ続け、
結局、フェラーリの5連覇(60~50)を許してしまいます。

これが現実!!

 

弱ったフォードは、
かつて、ル・マン24時間レースで優勝経験のある、
キャロル・シェルビー率いる「シェルビー・アメリカン」に手を借り、
マシンを改良します。

そして、
そのマシンの改良の為に招聘されたテスト・ドライバーが、
ケン・マイルズ。

彼達によるフルリメイクにより、
新しく誕生した「FORD GT40 Mk.Ⅱ」を以て、
1966年の、ル・マン24時間レースに挑みます、、、

 

そう、実はコレ、

実話がベース

 

となっています。

勿論、
映画として脚色している部分も多いですが、
企業戦争とカーレースの様子が、
共に描かれる形となっています。

 

企業同士の戦いというと、
日本人の好みとしては「判官贔屓」というものがあります。

この、
古くは、源義経とか、
最近で言うと、
池井戸潤の原作小説の映像化作品とか、

そういう、
「弱者が強者に苛められながらも、大逆転を果たす」
みたいな、浪花節的な価値観からすると、

実は、本作にて描かれる状況は、
全くの逆のシチュエーションなんですよね。

なんせ、言ってしまえば、

アメリカの大企業が、
イタリアンメーカーをケチョンケチョンにしてしまう話

 

なんですから。

 

…が、

実は本作、
その題名から察せされる、
「フォードとフェラーリの戦い」よりも、

むしろ、
別の部分の戦いに、フォーカスが当たっています。

それは、

「現場の作業員 V.S スーツ組」、
この立場の違う、
身内同士のせめぎ合いがメインと言えます。

 

あくまでも「企業」としての「フォード」の為に動く
背広組、

純粋に、
良いマシン、
勝利の為のレースに挑む、現場組、

この二つの、
相容れない世界観の衝突こそ、
本作の一番の魅力と言えるのです。

 

男の戦いとは、
勝利とは何か?

カーレースという題材で、
人間ドラマとしてそれを描いた作品、

それが『フォードvsフェラーリ』なのです。

 

 

  • 『フォードvsフェラーリ』のポイント

ル・マン24時間レースをメインとした、フォードとフェラーリの企業戦争

車!爆走!!

勝利とは、一体何か?

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • ヘンリー・フォード2世

本作『フォードvsフェラーリ』は、
題名を一見した印象では、

フォードが、
「ル・マン24時間レース」にてフェラーリを負かす事に執念を燃やす作品、の様に思われます。

しかし、
実際は、そういった点よりも、

フォード内部での、
現場 対 上層部

この立場の違いによる、
アイデンティティの相違という観点から、

「勝利とは何か?」を描いた作品と言えます。

まぁ、
最も手強い敵は、「自分」ってヤツですね。

 

その上で、先ず個性的に、
そして、辛辣に本作で描かれているのが、
フォードの社長、
作品内では「2世」と度々揶揄される、
ヘンリー・フォード2世です。

 

作品の冒頭、
彼は突然に工場の作業ラインと止めて、
全従業員の前で宣言します。

「お前ら、何か、会社の発展の為のアイディアを考えろ!」
「それが出来ないヤツは、クビだ!」

本人は、
この演説こそ、破天荒で、豪快な「素晴らしアイディア」と思っている節がありますが、

言われた現場の人間にとっては、
「上の人間」に典型的な、
その場の思い付きの無茶振り以外の何ものでもありません

皆、ポカンとしており、
心の中では、「お前、何言ってるんだ?」と思っているのが、
ありありと解ります。

この、
社長(上、スーツ、背広組)と、
現場作業員(ドライバー、開発者)との相克という観点を、
実は、冒頭からちゃんと挿入しているのです。

 

そのフォード2世の態度もまた、典型的。

ふてぶてしくふんぞり返って部下の報告を聞いたり、
(報告にツッコみを入れるのは、腰巾着の副社長)
会社の悪口よりも、個人口撃の方に腹を立てたり。

しかし、
一番面白いのは、
シェルビーに「GT40 マークⅡ 試作品」に乗せられたシーンです。

 

GT40を操るシェルビーのテクニックに、
涙ながらに絶叫するフォード2世。

泣きながら言い放った台詞が、
「父も、このマシンに乗って欲しかった」。

いやぁ、まるで、
「マシンの凄さに感動して泣いた」と言っている態を装っていますが、

映画を観ている全観客が、
「フォード2世がビビって泣いた!」という事を、
見間違えようも無く認識していますよ

 

しかし、
この状況こそ、
「上」と「現場」の関係でもあるのです。

「上」は、むしろ、
現場を「知らない」人間であればあるほど、
ある意味、優秀です。

何故なら、
人の気も知らないで、無茶が言えるからなのです。

今の流行りで言う所の、
「サイコパス」的な人間でないと、
トップや、それの腰巾着は務まりません

 

フォード2世にとっては、
この時にビビらされた事があるので、

あくまでも、
現場のリーダーのシェルビーでは無く、
背広組の、腰巾着の副社長がレースの統率者であり、

横一列の、
ゆとり的、ワン・ツー・スリーフィニッシュなんていう、
頭のおかしい事も、嬉々として受け入れられるのです。

 

勝利に対する「執念」「プライド」「熱量」
なんてものには、思いも至らず、

フォード車が三体並んだ写真は、
画になるなぁ、

位にしか思っていないんですよね。

 

  • 勝利とは、何か?

この、ヘンリー・フォード2世の対局に位置するのが、
カーレース・ドライバーの、ケン・マイルズ。

 

言いたい事を言い、
気に入らない事があれば、そう言う。

時に、
顎をやや上向かせ、
虚空を眺むるが如く、遠くを見ながら、
相手を威圧し、

しかし、妻や息子に対しては、
顎をやや下げて、
茶目っ気たっぷりに相手を見つめたりもする。

シャイで、人慣れは決してしないが、
家族とは、絆で繋がっている、

そんなケン・マイルズを、
他人は「腕は確かだが、扱い辛い男」と評します。

 

この、ケン・マイルズを演じるクリスチャン・ベイルの演技が良いですね。

こういう、
気難しい男、そのものです。

私自身「腕は確かだが、扱いにくい」と、よく言われていたので、
マイルズの感覚がよく解ります。

と、言うよりむしろ、
褒め言葉として受け取っていました。

「腕が確か」と思われていれば良い、
「余計な人間関係は、面倒で不純だ」と、むしろ歓迎していたのです。

 

そんなマイルズを、
シェルビーは、
まるでストーカーの様に、
フラれても諦めず、その度毎に、彼を口説き落として、
チームに迎え入れます。

孤高を気取っていても、
かまって貰えたら、やっぱり、嬉しいものです。

 

しかし、
「孤高」というものは、
「腰巾着」にとっては、正に「反語」とも言えます。

実力など無しに、
目上の人間にヘイコラする事で出世して来た人間のアイデンティティを脅かす存在であり、

「腰巾着」レオ・ビーブにとっては、
「孤高」ケン・マイルズの存在自体が許されるものではありません。

 

あなたの職場にも当て嵌まりませんか?

行動や結果で皆を引っ張って行く、現場で働くリーダーより、
「上」の覚えが目出度いのは、寧ろ、ゴマすり野郎であるという事実に。

この対立軸は、
「己の技術」v.s「処世術」とも見做す事が出来ます。

 

しかし、そんな孤高のマイルズでさえ、
ル・マン24時間レースにおいて、
横並び、ゆとりゴールインという「上」の命令を、
受け入れます。

結局、マイルズは、同調圧力に屈したのか?
彼は、孤高というプライドを捨て、ゴマすり野郎に堕したのか?

いいえ、
それは違うのです。

 

ケン・マイルズは、
息子ピーターと、こんな内容の話をしていました。

「スピードを出すと、視界が狭くなる」
「しかし、行く先をしっかり見据える事で、そこに辿り着ける」と。

 

高速で走行している時、
徐々に、視界がぼやけ、
視界は狭くなっていきます。

それはまるで、
覗いている円筒が、徐々に長くなっている様な感覚と似ています。

高速で動けば動く程、
見える部分が狭まっているのです。

しかし、
向かう先の景色を、しっかりと見分けられたなら、
それは、
一瞬後に通り過ぎるハズの景色であり、
そこに安全に到達し、通過する事も可能なのです。

 

シェルビー・アメリカンのドライバーとして、
1966年のデイトナ24時間と、セブリング12時間を制していたマイルズ。

ル・マン24時間レースも獲れば、3冠王。

何よりも欲しいハズの勝利、

しかし、その、
勝利という、得難いものを敢えて放棄するという選択は、
一瞬でもたらされる優越感を捨て去る、
つまり、エゴを捨てるという事なのです。

 

独立不羈な人間が、
何故、こんな決断を採れたのか?

ケン・マイルズは、
直線でゴキゲンに「H・A・P・P・Y」と歌っていた時、
ふと、気付いて速度を落としました。

それは、直線で見晴るかす景色が、
即ち、未来に見えたのかもしれません。

ムカツク奴の鼻を空かして、
ぶっちぎりでゴールすれば、
そりゃぁ、その時は、気持ち良いこと間違い無しです。

しかし、
そんな一瞬で過ぎ去る優越感より、
むしろ、
続ける事で生まれる困難の方に、道が存在すると感じたのではないでしょうか?

 

このままゴールすれば解雇。

言う事を聞けば、
また、フォードでレースに出られる。

ならば、そこで、
2度、3度と、また、横槍が入るだろう。

その上で、
フォードを連覇させて行くのも、面白かろうと。

だから、敢えて、目の前の勝利を絶ったのです。

自らが最も欲しいもの、
即ち、勝利=エゴを、共に捨て去る事で、
自分の拠って立つプライド、評判を捨て去る事に繋がり、
自分を変える事に成功しているのです。

これは、
一瞬で流れすぎる景色の中に、到達点を見つける、
カーレーサーらしい合理的な選択
つまり、
カーレーサーとしての技術があるからこそ掴めた勝利と言えるのです。

 

ゴール後、
自分が1位と思いきや、
レギュレーションにより、
2位となってしまったケン・マイルズ。

しかし、
彼は驚きはすれど、
そこに、怒りはありませんでした。

これこそ、
勝利というエゴに囚われていないという証拠なのです。

これは、
マイルズに一杯食わせたと思っているだろう、
ヘンリー・フォード2世や、レオ・ビーブと対象的であるからこそ、

その尊さが際立ちます。

 

  • 暗中模索でも、そこを行くのが人生

さて、本作のもう一人の主役、
キャロル・シェルビーの事にも言及しておきましょう。

 

シェルビーの印象的なシーンは作品の冒頭、

夜のル・マン24時間レース、
車のヘッドライトのみを頼りに、
闇夜を爆走するシェルビー。

実はそれは、
彼のイメージであり、
実際は、
医師から、心臓の疾患を告げられ、
引退勧告を受けている場面だったというシーンです。

 

不本意な、思わぬ形で、引退を余儀なくされるシェルビー。

彼は、車に乗り、
苦渋と不安と困惑の表情を浮かべます。

 

ル・マン24時間レース。

何度もグルグル回るコースであるが故に、
体で運転が染みつきます。

暗闇の中でも習い覚えたパターンは有効で、意外と安全に運転出来ますが、
しかし、
暗闇であるが故に、
突発的に思わぬ事にぶつかる可能性もあり得ます。

そういう、先行き不安、
シェルビーの暗中模索ぶりを、表したシーンです。

 

そして、この表情で車に乗るシーン。

これは、
ケン・マイルズを喪った後、
彼の息子のピーターを会話した後にも、
同じ構図、表情という演出がなされています。

シェルビーは、
マイルズを喪った事にも、
喪失感と、怒り、
暗中模索の不安感を、覚えているのです。

 

しかし、
冒頭でも、ラストでも、
シェルビーは勢い良く走り出します。

暗中模索でも、スピードは緩めない

彼は、引退しても衰える事の無いレーサー魂で、
暗闇を突っ切る覚悟を示していると言えるのです。

 

  • その後の話

それでは、オマケ程度に、
映画のエンディングの後の事実について、
簡単に説明してみたいと思います。

 

フォードはその後、
シェルビー・アメリカンによって「GT40 Mk.Ⅱ」から「GT40 Mk.Ⅳ」へと進化、
1966~69迄を連覇し、
ル・マン24時間レースから撤退します。

 

合計9回優勝を誇るフェラーリは、
しかし、その後、勝利を得る事が無く、
1973年にレースから撤退。

 

現在、ル・マン24時間レース、
2018にトヨタが初優勝、
続く19年も獲って、連覇中という状況です。

 

 

 

最も手強い相手は、自分。

我の強い人間が、
そのエゴを捨て去り、

極限の状況で、
自分を変えるという選択を採った人間の勝利を描く、
『フォードvsフェラーリ』。

常々、
「上からのお達し」で右往左往させられる、
我々「下の人間」としても、

社会で生きて行く上で、
「勝利」を何処に設定するか、

そんな事の指標ともなる作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

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