映画『ハウス・オブ・グッチ』感想  豪華キャストでお届けする、お昼のワイドショー!!

父のトラック運送会社に勤めるパトリツィア・レッジャーニ。
彼女は、ある日のパーティーでグッチ創業者の孫、マウリツィオ・グッチに出会う。その日から猛アピールするパトリツィア。遂に彼のハートを射止め、結婚までこぎ着ける。
だが、彼の父親のルドルフォは、パトリツィアを金目当ての売女と思っていた、、、

 

 

 

 

 

 

監督は、リドリー・スコット
今も精力的に活動する巨匠の一人。
最近の映画監督作に、
『プロメテウス』(2012)
『悪の法則』(2013)
『エクソダス:神と王』(2014)
『オデッセイ』(2015)
エイリアン:コヴェナント』(2017)
ゲティ家の身代金』(2017)
最後の決闘裁判』(2021)等がある。

 

原作は、サラ・ゲイ・フォーデンの『ハウス・オブ・グッチ』。

 

出演は、
パトリツィア・レッジャーニ:レディ・ガガ
マウリツィオ・グッチ:アダム・ドライバー
アルド・グッチ:アル・パチーノ
ルドルフォ・グッチ:ジェレミー・アイアンズ
パオロ・グッチ:ジャレッド・レト

ドメニコ・デ・ソーレ:ジャック・ヒューストン
ピーナ・アウリエンマ:サルマ・ハエック
パオラ・フランキ:カミーユ・コッタン 他

 

 

 

 

その昔、
『ものまね王座決定戦』というTV番組がありました。

そこで、
最多5回の優勝を誇るのが「ビジーフォー」。

「ビジーフォー」は、
モト冬樹とグッチ裕三のコンビであり、

この二人が、
洋楽のものまねをしたものですが、
幼少期の私には、
似ているのかどうか全く判断が付かず、

「どうせ、雰囲気で盛り上がってるだけだろ?」と、
醒めた目で見つめていた記憶があります。

 

 

その「ビジーフォー」が結成されたのが、
1978年。

そして、本作『ハウス・オブ・グッチ』も、
1978年から物語が始まります。

 

 

「グッチ」(GUCCI)は、
1921年、グッチオ・グッチがイタリアで創業したファッションブランド。

バッグ、靴、財布などの皮革製品をはじめ、
服や装飾品なども、多く手掛けており、
ブランドの元祖とも言われています。

そのグッチオ・グッチの五男、
ルドルフォ・グッチの一人息子が、
マウリツィオ・グッチ。

パトリツィアはマウリツィオを誘惑しましたが、
彼女を認めないルドルフォは猛反対。

しかし、
それを押し切ってマウリツィオは結婚するのですが、

後に、
パトリツィアが、自分の財産目当てで近付いた事に気付くと、
愛情が冷めて、別居。

他の女性と暮らすようになり、
マウリツィオは、パトリツィアの恨みを買って、、、

 

という内容。

こんな昼メロドラマの筋書きみたいな内容が、
実際に起こった事というのが、驚きです。

と、言うわけで、
本作は所謂、
「実話に基づく」創作
というカテゴリの映画作品なのです。

 

で、先ず、
本作は面白かったのかどうか、

率直に言いますと、

う~ん、微妙…

 

 

監督は巨匠、リドリー・スコット!
主演はレディ・ガガ!!
共演にアル・パチーノやらジェレミー・アイアンズやらジャレッド・レトやら、
やたらと豪華!!!
取り扱う題材は、
ファッションブランド「グッチ」のお家騒動!!!!

始まる前はワクワク、
この状況で、面白く無い訳が無いでしょ!?と、
期待が高まりますが、

実際の作品は、
う~ん、微妙なのです。

例えれば、

お昼のワイドショーの実録ドラマを、
ハリウッドの豪華キャストが再現した、

 

と言った所でしょうか。

 

ノリとしては、

相撲の花田家のお家騒動とか、
小室圭さんの借金問題とか、

その辺りのワイドショーネタを、
ヨダレを垂らして楽しんでいたタイプの人なら、
本作は、十分に楽しめると思います。

 

ワイドショーっていうものは、
今、日本人が好きなフレーズ「安心・安全」を体現しているのです。

自分に火の粉が被らぬ「安心・安全」な場所で、
赤の他人のドロドロの揉め事を眺めるのは、
これ以上の至福は無い

 

そういう出歯亀というか、
野次馬根性というか、
ネット弁慶というか、
他人の不幸は蜜の味」っていうのは、
古今東西、老若男女、変わらないものなのですね。

 

とは言え本作に、
それ以上のモノは存在せず、

「グッチ」を取り扱っておきながら、ファッションにはフューチャーせず、
パトリツィアの上昇志向に焦点が当てられている、という訳でも無く、
創業者一族の没落の様子を描いているのですが、イマイチ、感情移入出来ず、

結局、
何が言いたい作品なのかな?と思ってしまいます。

 

作る前は、
良い題材だと思っても、

実際に撮影し、出来上がってみると、
とんだ凡作が誕生する、

 

その典型的な作品と言えるでしょう。

 

映画の面白さを支えるのは
伝えるべき、確固たる「テーマ」である

その事を、逆説的に教えてくれる、
『ハウス・オブ・グッチ』は、そういう作品と言えるのかもしれませんね。

 

 

 

  • 『ハウス・オブ・グッチ』のポイント

豪華キャストがお届けする、ワイドショー的再現ドラマ

役作りの完成度が、作品の完成度と直結せず

映画におけるテーマの重要性を逆説的に示唆する作品

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • 何故、『ハウス・オブ・グッチ』は期待外れだったのか?

映画監督の巨匠リドリー・スコット。

数々の名作を手掛け、
去年公開された『最後の決闘裁判』も、
中々の面白さでした。

 

そして本作、
主演がレディ・ガガ、
他、豪華共演陣で、
有名ファッションブランド「グッチ」の創業者一族の没落を描くという作品。

事前情報からすると、
如何にも、面白そうでしたが、

実際に観てみると、差に非ず。

 

まぁ、ぶっちゃけ、
予告篇を観た時から、
「…う~ん」と思ってたんですけどね。

 

何故「う~ん」と思ったと言いますと、

それは、
レディ・ガガが、なまった英語を話していたからです。

「…なんか、ウゼぇな」と思ったんですよね。

 

大体ですよ、
舞台はイタリアとは言え、
ハリウッドの役者が英語で喋る訳ですから、
わざわざ、イタリアなまり風の英語を喋る必要は皆無だと、
個人的には感じるのですが、どうでしょう。

役作りとしては、
努力の跡が見られますが、
意味が無いな、と思ってしまいました。

 

同じく、
徹底した役作りの凄さが光った、
パオロ・グッチを演じた、ジャレッド・レト。

パオロ・グッチは作中、
親族から「馬鹿者」扱いされていましたが、

劇中のパオロの様子は、
「馬鹿者」というよりは、
先天的に頭のネジがちょっと緩んだ人」的に描かれていました。

 

個人的には、

マーケティングに成功したアルド・グッチや、
デザインでヒット作を飛ばしたルドルフォ・グッチから見ると、

凡人であっても「馬鹿者」に見える、
という意味で、

普通の感覚の普通の人間が、
背伸びをして自分を良く見せようとするが、
才能のある者達の馬鹿にされる

という展開の方が、
より、観客が、感情移入出来たんじゃないかな、
と思うのですが、どうでしょう?

 

映画のパオロみたいに、
明らかに「変人」だったら、

観客も「まぁね」と思って、

パオロを馬鹿にしている、
他の親族やパトリツィアの方に同意してしまって、

弱い者イジメというか、
弱者に無関心な描写となっています。

 

外見を変え、
明らかに「変人」を徹底して演じきったジャレッド・レトですが、

それが、
映画自体の面白さには繋がっていないと、
私は感じました。

 

この様に、
レディ・ガガも、
ジャレッド・レトも、

役の作り込み自体は、
素晴らしいものがありましたが、

それが、作品の完成度に貢献していないのです。

何故、この様な事が起きたのかと言いますと、

本作には、
作品が目指すべき、伝えるべき確固たるテーマが無いからです。

 

目指すべき到達点が無いので、
方向性が定まらず、
ふわっとした印象を本作から受けます。

 

例えば、

パトリツィア・レッジャーニが上昇志向を発揮し、
他人を顧みずに、自己中心的に振る舞う様子に特化していれば、
ノワール的な面白さがあったのかもしれません。

もしくは、

パトリツィアに良いように翻弄され、
一族が没落して行く様子に焦点を当て、
マーケティングやデザインに才能があっても、
悪人に陥れられ得る、的な感じに、
人間ドラマとして描く事も可能だったハズです。

それとも、

親族同士の骨肉の争いとして、
結果、誰も居なくなる、
無常観を描くのも、
ヤクザ映画的で面白かったかもしれません。

また、
本作は、
「グッチ」を題材に取っておきながら、
作中に「グッチ」の商品が目立つ事がありません。

 

そのどれも選ばず、
結局、本作が何を目指したのかと言いますと、

…私には、わかりません。
結局、何が言いたかったの、この作品?

 

実際問題、
マウリツィオ・グッチ殺害の主犯である、
パトリツィア・レッジャーニが、まだ獄中で存命なので、

極端に、物語として改変して、
パトリツィアを「悪の英雄」として描く事も出来ないし、
骨肉の争いを面白おかしく脚色する事も出来なかったではないでしょうか。

つまり本作は、

事実ベースであり、
まだ、関係者が存命で、記憶も生々しい為、
物語として楽しむまでの、熟成期間を経ていなかったと思われます。

 

 

それでも、本作にも良いシーンはあります。

パトリツィアがマウリツィオに、
独りでは何も出来ない腰抜けのくせに!とぶっちゃけるシーンとか、

その後の、
クリスマスプレゼントのシーンで、
マウリツィオがパトリツィアに、
行かない店で使える商品券を渡す場面とかです。

こういうヒリヒリするシーンが、
もっと観たかったなぁ…

 

しかし、全体的な印象としては、

当たり障りの無い範囲内で、
ふわっと、
事実をなぞりつつ、物語にした、

という、
毒にも薬にもならないものになってしまったのです。

(それでも、グッチ一族から批判が出ているようですが)

 

 

630年前程の、
『最後の決闘裁判』なら、
大胆に脚色して、面白い作品が作れましたが、

40年前の出来事は、

まだ、
史実というより、
「事件」として生々しいが為、

面白おかしく茶化せなかった。

それでも、
『ゲティ家の身代金』は面白く描けた事を思うと、

やっぱり、
映画というものは、
伝えるべきテーマを明確にすべきだなと、

私は、
本作『ハウス・オブ・グッチ』を観て、そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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