映画『マークスマン』感想  リーアム流、人生の落とし前の付け方講座!!

アメリカ、アリゾナ州の国境付近で孤独に暮らす元・海兵隊員ジム。愛する妻に先立たれ、その治療費捻出の為に生活も困窮、牧場が競売に出されるのも時間の問題だった。
ある日、メキシコから密入国して来た親子に遭遇する。いつも通りに国境警備隊員を呼ぶが、親子を追って来たカルテルとの間で銃撃戦が発生、母親は銃弾により死んでしまう。
その死の間際、息子を親戚の元へと届けてくれとジムは頼まれてしまう、、、

 

 

 

 

 

 

監督はロバート・ロレンツ
クリント・イーストウッド監督作の多くに、製作として携わる。
長篇映画監督デビュー作は、
そのクリント・イーストウッドが主演した『人生の特等席』(2012)。

 

出演は、
ジム:リーアム・ニーソン
ミゲル:ジェイコブ・ペレス
サラ:キャサリン・ウィニック
マウリシオ:ファン・パブロ・ラバ 他

 

 

 

 

 

本作の題名は『マークスマン』。

原題も『The Marksman』なので、
何かの名詞なのだろうと察せされます。

イメージ的には、
進研ゼミの「赤ペン先生」的な、
何かをマークしたり、チェックしたりする人かな?
と、思いましたが、差に非ず。

 

「マークスマン」とは、Wikipediaの記述を参照しますと、
アメリカの陸軍の歩兵小隊に属し、
800メートル以内の標的に対し、正確な射撃を行うよう訓練された歩兵の事。

日本語では、「選抜射手」と呼ばれ、
歩兵と狙撃手の中間的な立ち位置だそうです。

 

つまり、
本作『マークスマン』において、
リーアム・ニーソン演じるジムは、
海兵隊の部隊で、マークスマンの役割を担っていたという事でしょう。

 

 

さて、ストーリーの方ですが、
本作、

孤独な老人が、
ひょんな事から関わりを持った少年と旅をし、
追手の追跡にあいながらも、
目的地を目指す

簡単に言うと、これで説明付きます。

 

まさしく、

鑑賞する人の期待通りの出来映え、

何も足さない、
何も引かない、

 

そんなノリの面白さです。

 

 

監督のロバート・ロレンツは、
クリント・イーストウッドが監督した作品にて、
製作を多数、手掛けて来ました。

デビュー作の『人生の特等席』も、
主演がクリント・イーストウッド。

そして、本作も又、
クリント・イーストウッド的なテイストの作品に仕上がっています。

そして、
20年位前のイーストウッドなら、
同じ役で主演が出来たかもしれません。

しかし、
初老というか、
もはや、れっきとした老人である、リーアム・ニーソン(1952年生まれ)。

怒りと哀しみを目の奥に宿し、
アクションが出来る老人

 

と言えば、
ハリウッドには、リーアム・じーさんこそが、
最適解と言えるのではないでしょうか。

 

孤独な老人と、
境遇は違えど、
同じく、孤独な少年の旅路。

よくある話と侮る無かれ。

それを、
「王道」の面白さにするのが、
リーアム・ニーソンという役者。

『マークスマン』は、
そんな、観客の期待に応えてくれる作品なのです。

 

 

 

  • 『マークスマン』のポイント

孤独を抱えた老人と少年のロードムービー

人生とは、選択の物語

嘘から出た実

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • 選択によって成される人生

本作『マークスマン』のテーマは、
選択によって、自らの人生は成される、という事です。

 

中盤、
銃を購入する為に、
旅先でガンショップに立ち寄ったジム。

銃自体は購入出来ましたが、
身分照会など、手続きに一日かかると店主に言われます。

カルテルの追手が迫っている為、
一刻の猶予も惜しいジムは、
直ぐに売ってくれ、悪い事には使わないと必死に訴えます。

ジムの様子に思う事があったのか、
店主は「盗難」という形で、銃を売る事にします。

その時、二人は以下の様な趣旨の会話をします。

店主「何故、そんな事になった?」
ジム「自身の事では無いが、関わると決めたのは自分だ
店主「正しい道なら、それで良い」

 

カルテルの追手から逃れ、
メキシコから密入国して来たローサとミゲルの母子。

ローサは死の際に、全部あげるから、
ミゲルを親戚の下まで連れて行ってくれとベンに頼みます。

一旦は、国境警備員にミゲルを引き渡したジム。

しかし、
自分の車の中に置かれたままだったローサのバッグから大金を発見した事で、
事情が変わります。

 

借金により、自宅が抵当に入っているベン。

大金が必要な故に、迷いながらも、
ミゲルをシカゴの目的地まで送り届ける事にします。

 

つまり、
ジムがミゲルを助けたのは、

そのままだとメキシコに送り返され、
瞬く間にカルテルの餌食になるから、

という、義侠心というよりは、

寧ろ、
大金を手に入れる絶好のチャンスだという打算の方が大きいのです。

 

しかし、旅の途中で、事情が変わります。

自分の帰るべき自宅が、カルテルに放火されたり、
愛犬が殺されたり、
ミゲルと「神やあの世なんて無い」と口論したり etc…

ネガティブな事が重なりますが、
同時に、

上記の店主との会話があったり、
旅先の教会で、神父にミゲルの母の冥福を祈って貰ったり。

 

ジムは当初、打算でミゲルと付き合います。

しかし、
自らの動機や、
愛する拠り所を失う事で、

それに取って替わる様に、
店主との会話があったり、
神父に「よっぽど信頼されていないと、遺された子供を頼めない」と言われたり、

そういう会話が、
失った目的の代わりに、ストンとジムの腑に落ちます。

 

嘘から出た実」という言葉があります。

ちょっとした拍子に吐いた嘘が、
思わず知らず、本当の事となる、という「ことわざ」ですが、
いわば、「嘘も百回吐いたら、本当になる」的な事です。

本作のジムも、
打算的な目的を失う事で、

「実(まこと)」が、
「誠」として、彼の新しい動機となります。

赤の他人から、
「お前のしている事は正しい」と言われる事で、
実際に、正しい事をしようと、その信念を改めるのです。

 

妻を喪い、
自堕落に生きていたジム。

国境を監視し、密入国者を発見したら、
国境警備員に連絡する。

その行為も、
人間相手に心を動かすというより、
プロトコル(手法)に則った、ルーティンワークと化しています。

故に、ミゲルを送り届けるのも、
大金をゲットする報酬の為であり、

そういう、一般的な「弱い人間」として、
数々の行動をしていたジムが、

旅を経る事で、ヒーローへと変化する。

その選択と過程を描いた事が、
本作の面白さであり、

リーアム・ニーソンの本領発揮と言った所でしょうか。

 

一方、
ジムとミゲルの追手である、
カルテルのマウリシオは、クライマックスで言います、
「俺には選択の余地などなかった」と。

そんな彼に、
最期に、自らの処遇を選択させたのは、
選択によって人生の道が切り拓かれ、
それにより、正しい道を選ぶ事で、自身が救われるという事の現われであり、

悪人にすら、
救済の余地を残しているのです。

 

 

老人と少年の交流、
追手からの逃亡というロードムービー『マークスマン』。

王道展開そのものも、勿論面白いですが、

そのテーマ性である、

人生の終盤であっても、
正しい選択を選ぶ事で、
人生はより良い方向に如何様にも変化するという、

その観点から鑑賞すると、
また、思う事がある作品なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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