映画『ノマドランド』感想  社会を底流する者の物語

リーマンショックのあおりで、数々の会社が倒産、工場が閉鎖された。
アメリカ、ネバダ州のエンパイアは工場都市。しかし、不況の煽りで工場閉鎖。町自体が地図から消えるという事態に陥り、多くの人間が家を失い、路頭に迷う事になった。
その一人、ファーンは、車を住居とし、現代の「ノマド」をして生きる事になる、、、

 

 

 

 

監督は、クロエ・ジャオ
中国出身、現在はアメリカで活動する。
監督作に、
『Songs My Brothers Taught Me』(2015)
『The Rider』(2017)
公開待機作に、マーベルシリーズの新展開『The Eternals』が控えている。

 

原作は、
ジェシカ・ブルーダーの『ノマド:漂流する高齢労働者達』。

 

出演は、
ファーン:フランシス・マクドーマンド
デヴィッド:デヴィッド・ストラザーン
リンダ・メイ:リンダ・メイ
スワンキー:シャーリーン・スワンキー 他

 

 

 

「ノマド」とは、どういう意味か?

遊牧民、移動民を意味する言葉で、
定住地を持たず、放浪しながら生活する人の事。

近年では、そこから派生して、
オフィスという拠点に拘らず、
通信技術の発達の恩恵に与り、様々な外出先で仕事に励むタイプの仕事術、
または人の事を、そう呼ぶそうです。

 

本作『ノマドランド』は、
現代の移動民たる人々の生活を描いた作品です。

形としては、フィクション。

ちゃんと編集して、
いい「画」を使った画面作りをしていますが、

まるで本作は、
ドキュメンタリーを観ている様な感覚になります。

 

確かに、
原作はドキュメンタリーなのですが、

本作では、敢えて、
現代のリアルを伝える為に、
一見するとドキュメンタリーと錯覚するかのような作品作りをしているのだと思われます。

 

『ノマドランド』は、
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、
監督は、中国出身の女性、
また、主演女優のフランシス・マクドーマンドは過去二度受賞している事もあり、

本年度のアカデミー賞の最有力候補を目されています。

更には、予告篇では、
「感動大作」「美しいアメリカの自然」「自由と新しい生活スタイル」的な
雰囲気を醸し出している様にも見えます。
一見は。

 

しかし、本作は、
予想以上にシビアです。

底辺とか、
負け組とか、
言葉で言うのは簡単ですが、
これを、映像で観せられる絶望感があります。

 

 

これは、逆説的な現象なのですが、

人というものはカメラがあると、
どうしても「カメラ映え」を意識してしまい、
普段以上の、大袈裟な言動をとりがちになってしまいます。

それは、ドキュメンタリーでも変わりません。

しかし、
本作は、最初の起点が「フィクション」であるが故に、
作り物の世界ではありますが、

監督(制作者)の視点が入っているとは言え、
映像としては、
ある意味、現実をリアルに再現していると言えるのです。

 

再現VTR的な意味合いですね。

 

映画とかで、よくありますが、
「負け組の貧乏で悲惨な生活」をしているキャラクターが居たとします。

しかし、
実際にその人物が生活している「家」を、
日本のワンルームマンションの部屋と比べると、
はるかに立派で広く、家具も付いて住みよい場所である事が多いです。

 

しかし、
本作は違います。

本作の登場人物が住んでいるのは「車」です。

金持ちが持っているキャンピングカーとか、
トレーラーハウスとかですらありません。

車そのもの、
ミニバンや、ワゴン車で寝泊まりしているのです。

 

槇原敬之なら、
「シャレになんないよ」と言って絶望してスパイになれないと嘆くところです。

ガチのマジです。

本物の貧困が、そこにはあります。

 

本作は、
現時点でも、多くの映画祭で賞を獲り、
高い評価を受けています。

しかし、
冷静に考えると、
貧困層の苦境を見世物にし、
それによって金を儲ける者達が居り、
それを評価するのは、実際は勝ち組連中だし、
映画を観る余裕がある観客の多くも、本当の貧乏とは無縁の者達なのです。

 

故に私は、
『ノマドランド』の鑑賞に、自己嫌悪を感じ、

そして同時に、
言い知れぬ不安感をも、覚えました。

 

日本の社会状況は、
アメリカの後追いをしていると言われます。

今は未だ、
日本ではこういう状況ではありませんが、
10年後か、20年後か、その頃、

必ず日本でも

まるで、本作や、漫画『ホムンクルス』の名越の様に、
車で寝泊まりする「ホームレス」の存在が社会現象になる時が来ます

そして、自分も、
そういう存在にならないとは、
断言できないのです。

故に、他人事では無い恐ろしさを感じます。

 

普段は、前半では、
自分の感情を排した作品紹介に徹していますが、
流石に、本作は、
この、
他人の不幸を飯のタネとして享受する不快感を無視する事は出来ませんでした。

 

しかし、
勘違いして欲しくないのは、

リアルに不快だからこそ、
本作は問題提起として、抜群な効果があるもの又、事実であり、
それは、社会に必要な事なのです。

 

我々が普段、
意識せずにスルーしている人々の生活が、
如何なるものなのか、

それを『ノマドランド』は、考えさせる作品と言えるのです。

 

 

  • 『ノマドランド』のポイント

リアル過ぎる、ドキュメンタリー風フィクション

底辺生活者のリアル

人生をどう生きるか?

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 高齢労働者

本作、題名『ノマドランド』からは、
定住地を持たず、移動民として職を転々としながら生活する人の事を描いた作品なのかな、と、
鑑賞前は思いました。

確かにそうなのですが、
本作は更に、

高齢労働者という問題も描かれています。

 

60、70歳を過ぎても、
ルーティンワークの肉体労働をしないと、
生きて行けない人間。

家賃すら払えず、
車に寝泊まりし、
毎日をだましだまし、やりくりしながら何とか死なないで居る。

それでも、
我々は、自ら選んで、この生活をしているんだ、
せめて、前向きに、人と会う時は明るく振る舞おう、

自分は負け組では無い、
ヤバイ状況では無い、
そういった、現実逃避の精一杯の虚飾を纏うしか、

生きて行く術が無い人間の悲惨さを、
これでもかと本作は描きます。

 

私は、本作が、恐い。マジで。

日本も、年金が破綻する事が確定なのに、
ずっと、ずっと、後回しにして、
破綻を確実なものとすべく驀進しています。

大体、
今、コロナ対策としてジャブジャブ予算を使っていますが、
そのお金は何処からきているんでしょうかねぇ?

年金、医療保険制度の崩壊、
そして、
日本で推奨されている高齢労働者の雇用。

 

作中、年金の受給を勧められたファーンは、
「私には仕事が必要、働きたいのよ」と言いますが、

どうでしょう?
皆さん、働きたいですか?
私は出来るならば、ご免被りたいですね。

勿論、ファーンも虚勢です。
働かないと、お金が無いから働くのです。

 

今後の日本って、どうなるのでしょう?

恐らく、本作のように、
生きる事に絶望を感じつつも、
それを無視して死なないで居続けるという人が多数現われるのだと思います。

1年前、
今のように、ウーバーイーツ系の、宅配配達員が、
こんなに見かけるようになるとは、
思ってもいませんでした。

今では、
バイク便や郵便配達員より沢山見ます。

 

私が本作が怖いのは、
自分がそうなる可能性が大だからだと思うのですが、

皆さんはどうでしょう?

 

  • 強がり

漫画『新黒沢 最強伝説』で、
主人公の黒沢は、自分の事を「ホームレス」と言わず、
「ホープレス」と言っていました。

本作『ノマドランド』は、
ファーンは自らを「ホームレス」では無く、
「ハウスレス」と名乗ります。

言葉の意味する所は同じでも、
言葉のニュアンスを変える事で、
自分は最底辺では無いと、
せめてものプライドを表明しているのです。

 

そんなハウスレスの面々で、
本作はファーンの他に、
3人がフューチャーされています。

 

先ずは、スワンキー。

ツンデレ気味に、
ファーンに路上生活のイロハを教える存在ですが、

彼女は癌に侵されており、
自分は死期が近いが、
「ツバメの巣」を見た時感動し、その時、
自分の人生は、この美しい瞬間に終わって(死んで)いいと思った
的な事を言い、

自分が死んだら、
私を思い出しながら、火に石をくべて欲しいとファーンに熱く語ります。

 

そして作中、後に、
スワンキーがその「ツバメの巣」まで再び辿り着いた様子が、
動画としてファーンの携帯に送られますが、

その「ツバメの巣」の様子、
私が傍から見たら、感動する様子は皆無のものでした。

 

人が何に感動するかは、
勿論、人それぞれの感受性と好みの問題ですが、

敢えて言わせて頂くならば、
家族や、人間との関係性では無く、
景色や動物に人生の最高の瞬間を見出すあたり、
人生の寂しさを感じざるを得ません。

 

その上でスワンキーは、
「自分は自分の感動を成し遂げた」という事を、
他の人に忘れて欲しくないと思っているのです。

だから、「ツバメの巣」への旅路は、
人の記憶に残るための演出であり、
自分で自分の葬式の一環なのだと理解できます。

だから、その象徴として、
石を火にくべるという行動を、
割と、沢山の人に、告げていたようなのです。

 

そのスワンキーの対局なのが、
リンダ・メイです。

リンダ・メイは、作中では、
ファーンと一番の仲良しの高齢者として描かれますが、

彼女は、
スワンキーの「葬式」には参列していませんでした。

どうやら、詳しくは語られませんが、
リンダ・メイもまた、
何処かで野垂れ死にしていると思われます。

ファーンも、
期間労働に表われないリンダ・メイを気にしている様子ですが、
敢えて、口にはしません。

ひっそりと、
誰にも看取られず、顧みられず、人生から退場しているのです。

 

路上生活と言っても、
葬送される者が居る一方で、
忘れ去られてしまう人もいるのです。

 

またデヴィッドは、
本来ならば、路上生活をする必要がありません。

ただ、
若い頃、家族を蔑ろにしたという罪悪感から、
息子と同居する事を拒みます。

帰る家という選択肢がありながら、
自らの勇気の無さから、新しい道を拒否しているのです。

しかし、デヴィッドは、
結局は息子と同居することにし、
そして、ファーンにも、
定住を勧めるのです。

 

デヴィッドの家に泊まりに行った時のファーンの様子がまた、良いのです。

朝、
未だ、誰も目を覚ましていない時、
床をそっと歩きながら、家の中を見て回ります。

それはまるで、
親戚の、或いは、友達の家に遊びに行った時の、或いは、キャンプに行った時の子供が、
興奮して、いつもより早く起床するが如くに。

どんなに歓迎されても、
自分の本来の居場所では無いと感じる、
だから、傷付けないように、そっと動いているのですね。

 

結局はファーンも、
ここは自分の居場所では無いと感じ、

かつてのデヴィッドと同じ様に、
やる前から、可能性を拒否してしまうのです。

 

  • 何も持っていない者の孤独

そんなファーンにも、
実は、帰るべき場所があって、
姉に、同居を勧められています。

 

ファーンは車が故障し、
その整備費を「借りる」為に、姉に連絡をとります。

その時、おそらくは、
「取りに来い」と言われ、姉の家に行くことになります。

結婚して、
夫と共に、良い生活をしている様子の、姉の家に。

 

食事時、
セレブな姉夫友人の無頓着な台詞、
「何故、路上なんかで生活しているんだい?」的な言葉に、

ファーンは、
「実体の無いモノに価値を付与する事の方が意味不明だ」と、
コミュ障を爆発させて、
周りの人間を引かせます。

 

そんなファーン、
姉宅では「扱い辛い老人」の仮面を被っていますが、
その前段、

車が故障した時、
整備工場での切実な訴えは、
作中でも、数少ない虚勢が剥がれた場面です。

いっその事、車の買い換えを勧める整備のスタッフに対し、
ファーンは「生活しているのよ」と、色を成して反論します。

その時のファーンの切実さと、
反対に、
喋っていない方の、若い整備スタッフの無関心さの対比が、
印象的なシーンです。

 

人の苦境に対し、
基本、他人は、痛みを分かち合えない、

買い換えた方が、効率的だろ~?

程度にしか、考えて無いし、
しかも、それは悪い事ではないのです。

何故なら、それが正しい事だから。

岡目八目、
結局は、買い換えた方が、
もしくは、
姉と同居した方が、
一番、ファーンの為でもあります。

 

しかし、
そんな虚勢を、ファーンは張り続けます。

姉は、ファーンに言います。
「外に楽しいモノがあるのね」
「私はいつも取り残されて、寂しい」と。

しかし、姉は、
ファーンを理解している風で、
実際は、
自動車整備工場の若いスタッフよりも、
彼女を理解しているとは言い難いです。

何故なら、
ファーンには、
語るべき楽しいモノなど無いからです。

 

ただ、その時を生きて居るだけ。

思い出と、プライドだけを持って。

 

本作が美しいと感じるとしたら、
そうした、
負け犬の美学というか、
生きる為に必要な物は、
最後はプライドのみだという孤高さだからだと言えます。

 

安寧を拒否したファーンは、
冒頭と同じ場面に戻ります。

まるで、
同じ1年をループしているかの如くに、
再びエンパイアの廃墟に戻り、
そして、
新年は、アマゾンの集配所で働くのです。

 

一見、
「アレ?冒頭のシーンって、実はラストシーンだった?」
と、混乱する場面です。

しかし、
そういう気が利いた演出なのでは無く、

1年を通じて、
ルーティンワークの肉体労働を、
ルーティンしているという絶望を表しているのです。

しかしそれは、
ループものといか、
渡り鳥の様に、周回しているというよりも、

人生という螺旋階段を、
徐々に下って行っているような、

ちょっとずつ、
あちこちにガタがきたり、
知り合いが死んだりして、
人生が削れて行っている感覚があります。

 

 

日本でも、孤独や孤立を政策として支援する大臣が創設されるほど、

現代は、
様々な人が、
生きて居る事に孤独を感じます。

本作でも、
ただ、
腹を壊して下痢をする描写だけでも、
不安を覚えます。

路上生活は病気が致命的ですし、
車の故障は、最後に残った住む場所の損失を意味します。

 

しかし、それでも『ノマドランド』は言います。

「さよならは言わない、何処かでまた、出会えるかもしれないから」と。
それが、偽りの虚勢でも。

記憶であったり、場所であったり、思い出の品であったり、
ふと湧き上がってくるデジャブやノスタルジー、
そしてプライドのみが、
生きて行く希望なのだと。

充分なお金を持っていないのなら、
我々は、そういう覚悟を持って、生きて行くしか無いのだと、
本作は訴えているのかもしれません。

 

 

本作の原作本は、コチラ

 


 


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