ブルース・ウェインが「バットマン」としてゴッサムシティで活動して2年が経つ。その間、数字上の重犯罪は減っていたが、しかし、街の治安は一向に改善されていなかった。
そんな状況、市長選の最中、現職の市長が殺される。犯人は、自らを「リドラー」と名乗り、SNSを利用して犯行声明を謳う怪人。ゴッサムの要人を狙った連続殺人の現場に、「To The Batman」という手紙と謎々を残していた、、、
監督は、マット・リーヴス。
監督作に、
『クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008)
『モールス』(2010)
『猿の惑星:新世紀』(2014)
『猿の惑星:聖戦記』(2017)等がある。
出演は、
ブルース・ウェイン/バットマン:ロバート・パティンソン
セリーナ・カイル/キャットウーマン:ゾーイ・クラヴィッツ
ジェームズ・ゴードン警部補:ジェフリー・ライト
アルフレッド・ペニーワース:アンディー・サーキス
エドワード・ナッシュトン/リドラー:ポール・ダノ
オズワルド・”オズ”・コブルポット/ペンギン:コリン・ファレル
カーマイン・ファルコーネ:ジョン・タトゥーロ 他
かつてのバットマン映画、
『ダークナイト』(2008)。
『ダークナイト』が公開された年は、
ほぼ、全世界各国で、その年の興行収入のナンバーワンだったのですが、
日本はガラパゴス、
同年の1位は、『崖の上のポニョ』でした。
まぁ、日本は、
女性と子供受けしないと、
映画の興行収入は伸びない傾向がありますからね。
とは言え、
『6才のボクが、大人になるまで』(2014)にて、
主人公の少年が、
「女子は『ダークナイト』の面白さが分からないんだ」と言っていたので、
ああ、ぶっちゃけ、どこの国でも、
オッサンのコスプレヒーローは、女子ウケしていないんだな、
と、思い至りました。
そんな、
コスプレヒーローの代表たる、
バットマンの映画、
3度目のリブート(4つ目の世界観)
6人目のバットマン俳優の誕生、
それが本作『THE BATMAN ーザ・バットマンー』です。
本作も、
女子ウケ、
しないだろうなぁ…
と思われます。
逆に言うと、
オタク男子御用達と言いますか、
暗く、陰鬱な雰囲気に満ち満ちた作品と言えます。
暗いバットマン映画と言えば、
マイケル・キートンがバットマンを演じた、
第一作目の『バットマン』(1989)、
そのクライマックスのバトルシーン、
暗すぎて、何が起こっているのか、何にも見えねぇ、
と言われていますが、
本作は、
物理的では無く、
雰囲気、空気が暗い作品です。
言い換えると本作は、
ハードボイルドな探偵物語と言った趣向になっておりますね。
まぁ、
その探偵役が、
コウモリのコスプレヒーローなのですが、、、
ゴッサムの街の要人連続殺人事件。
犯人のリドラーも目的とは?
何故、なぞなぞと共に、バットマン宛ての手紙を残すのか?
最終的に、何がしたいのか?
その辺りの展開が上手く、
本作が、
アメコミコスプレヒーローのアクション映画だと、
忘れる程でした。
…まぁ、女子ウケはしないでしょうが、、、
あ、でも、
本作の予告篇のバージョンの一つに、
バットマンとキャットウーマンのロマンス映画的なモノもありました。
お願い、女子も観に来てね、
という、切なる想いが読み取れます。
映画の配給会社の人も、
色々考えるね~
で、
本作のバットマンのアクションは、
歴代のバットマン映画の中でも、
最も暴力的というか、
生身の息吹を感じます。
元々、バットマンの設定が、
「超人よりは弱いケド、一般人よりは強い」というレベルなので、
街の喧嘩でも、
割と、ダメージを喰らうんですよね。
その辺りのレベルというか、
塩梅が絶妙なのが、本作。
雑魚敵を倒すのにも、
結構、必死です。
…何か、
悪口を言っている様に、思われるかもしれませんね。
しかし、
これは率直な意見であり、
そして、
率直な感想を言うなら、
面白かったんだよなぁ
『ダークナイト』より更に、
暗くてハードな世界観。
しかし、
故に現在の時代にマッチしているとも言います。
今までのバットマン映画と違う路線を目指し、
そして、骨太の物語を作り上げた。
『THE BATMAN ーザ・バットマンー』
中々どうして、必見ですね。
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『THE BATMAN ーザ・バットマンー』のポイント
暴力と威嚇と復讐の果て
人の振り見て我が振り直せ
まぁね、一応あるよ、ちゃんと、ロマンスが!!
以下、内容に触れた感想となっております
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暴力と威嚇と復讐の果ての世界
本作『THE BATMAN ーザ・バットマンー』にて、
ブルース・ウェイン/バットマンを演じるのは、
ロバート・パティンソン。
ティム・バートン監督
『バットマン』(1989)
『バットマン リターンズ』(1992):マイケル・キートン
ジョエル・シューマカー監督
『バットマン フォーエヴァー』(1995):ヴァル・キルマー
『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997):ジョージ・クルーニー
クリストファー・ノーラン監督
『バットマン ビギンズ』(2005)
『ダークナイト』(2008)
『ダークナイト ライジング』(2012):クリスチャン・ベール
ザック・スナイダー監督
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)
『ジャスティス・リーグ』(2017):ベン・アフレック
つまり、
映画の6代目バットマン、と言った所です。
で、
本作のバットマンは、
歴代の中でも、
最も暴力的であり、
若さ故の、荒々しさに満ちあふれています。
さて、
元々、バットマンの設定というか、
キャラクターの設定は、
悪人に対する恐怖の対象、
それ故、相手を威嚇し、
自警の為の暴力も厭わないというスタンスです。
これまでの映画では、
その戦いの過程を、
ヴィランとの対決を交えて描くアクションものだったのですが、
本作は、
そういうスタンスで、
自警を始めて2年が経過したゴッサムの街の様子が描写されます。
冒頭、
重犯罪の逮捕率、発生率は低下している的な旨が語られます。
しかし、
実際の街の様子は陰鬱で、治安が悪く、
小悪人が蔓延っている様子が描かれています。
ブルースは、それでも、
「俺が、活動を続けねばならぬ」と、
諦念に似た決意を吐露しますが、
しかし、
暴力と威嚇と復讐を活動の原点とするバットマンの、
その成果の果ての世界は、
やはり、暴力で荒廃した世界なのだと、本作では描かれているのです。
これは、
『ダークナイト』でも描かれたテーマの一つであり、
自分は影の存在(ダークナイト)だから、
光の当たる場所で、正々堂々と胸を張り、
悪と対峙する存在(ホワイトナイト)が必要だと、
ブルース(クリスチャン・ベール)が言っていました。
また、
『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)では、
全宇宙の安定の為に、
全宇宙の生命を暴力的に、無理矢理半分に減らした後の世界は、
寧ろ、活気が死に絶えた世界だとして描かれていました。
『ハロウィン KILLS』(2021)でも、
血と暴力では、
殺人鬼を倒せないと描かれており、
本作は、
それらの作品のテーマの延長線にも位置していると言えます。
そして、
『THE BATMAN ーザ・バットマンー』ではホワイトナイトが現われず
バットマンイズムが街を覆い、
治安の為の活動が、
逆に、街をスラム化しているという矛盾が描かれています。
つまり本作では、
バットマンというキャラクターの設定自体に、
その冒頭から疑問を呈する所から、
物語は始まっているのですね。
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共感というナラティブを弄ぶ、リドラー
ロシアのウクライナ侵攻にて、
にわかに脚光を浴びる事になった言葉に、
「ナラティブ」というものがあります。
ナラティブとは、
「社会で、共に紡ぐ物語」と言われます。
同じ物語である「ストーリー」は、
起承転結で作られた形式、
であるのに対し、
「ナラティブ」は、
「ナレーター」「ナレーション」
そして、「オルタナティブ(双方向性)」という、
類似した言葉から連想される通り、
特定の物語が、
人との繋がりによって、共に作られ、語られ、
世界に影響を与えるもの、
というニュアンスがあります。
ロシアは、
昔ながらのプロパガンダ、
いわゆる、大本営発表で国内世論を操作しており、
日本を含む海外のマスコミでも、
そのロシア側のプロパガンダ、
「ウクライナの東部にネオナチが居て、親ロシアを虐殺している」
だから、その救助の為の進軍だ、
という「情報」が流れていますが、
それよりも、
ウクライナ側の
ナラティブと言える情報、
捕虜のロシア人兵士の個人的な家族への思い(戦争反対的な)を公開したり、
ウクライナ大統領のゼレンスキーや、その周辺が、
個人的(風な投稿)に、大富豪のイーロン・マスクに支援を訴えたり、
EUに対し「生きて会えるのはこれが最後」とぶち上げ、支援を仰いだり、
とかく、
大きな物語というより、
個人の共感を得るような、ミクロな「ナラティブ」を駆使する事で、
国際世論を形成する、個人の感情移入を支配し、
ウクライナを救えという思いを喚起させ、
情報操作に成功していると言えるのではないでしょうか。
まぁ、実際の戦争は、
情報戦だけで決するものではありませんが、
戦後、この情報操作がどの様に奏功するのか、
その点も、注目に値します。
閑話休題。
リドラーも、
その「ナラティブ」を駆使しているのです。
連続殺人現場に残される、
バットマンへのメッセージと「なぞなぞ」。
犯人は、リドラーと名乗る怪人であり、
本来なら、
その動機や人物像を考える事が、犯人逮捕に繋がりますが、
バットマンやゴードン警部補は、
リドラーが残した「なぞなぞ」が気になって、
その目先の「謎解き」にかまけるあまり、
全体像を解く事を見失っています。
正に、
リドラーの術中に嵌っているのですね。
同時に、
リドラーはゴッサムの街の要人の連続殺人の度毎に、
TVマスコミを通じ、
その要人たちの醜聞(スキャンダル)を垂れ流しています。
街を守るハズの「正義」側の要人、
市長、警部、検察が、
自分勝手な事をやっている、
俺たちが、生きていて苦しいのは、
そんな連中に虐げられているからだ、
だから、
そいつらに、「復讐」せよ、
鉄槌を下すべきだ。
リドラーは、
SNSや動画投稿を駆使し、
そう、ゴッサム市民を煽ります。
TVから流れる情報と、
自分が苦しいのに、
誰かが、得しているのは、
不公平だと、
世の中に不満を抱えている人間の共感の「ナラティブ」にて、
それに影響された人は、
如何にも、
自分の選択の様に思いながらも、
その実、リドラーの主張に操られ、同調させられてのです。
情報の伝播による、模倣犯の形成は、
アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002)の
「笑い男事件」にて、描かれた事ですが、
本作の面白い所は、
リドラーの模倣犯の「正義」の、立証の後ろ盾として、
バットマンがゴッサムを治めてきた手法、
暴力と威嚇と、そして、
自らを、社会に「復讐」する者だという主張を利用している点なのです。
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人の振り見て我が振り直せ
正にリドラーは、
その意味で、バットマンを勝手に共犯者に仕立て上げており、
リドラー自身は、
「攻殻機動隊S.A.C」における
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』的なポジションに収まろうという目的でした。
いわば、
テロリズムのアイコン的な、ね。
バットマンも、
リドラー模倣犯も、
自らの行動を「avenge」と言います。
「revenge」が個人的な恨みを晴らす行為であるのに対し、
「avenge」は、
他者が被った被害に対する対価を、対象の相手に支払わせる
的な意味合いがあります。
人の為にやる、復讐の代行、とでも言いますか。
しかし、
バットマン=ブルースは、リドラーの模倣犯を見て気付きます。
「avenge」は、
自ら(ブルース)の恨み辛みを、
他者の仮面(バットマン、リドラーの模倣犯)を被る事で、
まるで、他人が代行しているかの様な態を装い、
その実、個人的な鬱憤、鬱屈を晴らしていたに過ぎなかった、
畢竟、暴力行為でしかないという事に。
親を殺した「犯罪者」。
故に、全ての「犯罪者」を一括りにして、全員に対し、恨みを晴らしていたブルース。
自らの境遇が苦しいのは、
「正義を名乗る街の要職者」が不正をした為だ、
だから、「正義ぶっている者」を一括りにして、無差別に復讐しようとしたリドラー模倣犯。
(=バットマン模倣犯)
リドラーはバットマンを共犯者に仕立て上げますが、
奇しくも、
リドラー模倣犯を客観的に見る事によって、
バットマンは、自らの過ちに気付きます。
正に、
人の振り見て我が振り直せ、ですね。
映画内で、
バットマンに対する、
警察、市民の反応を見ると気付きます。
警察は、
バットマンを、胡散臭い変態と呼び、
市民は、
鉄砲水で流され、
瓦礫の下敷きになっているのに、
手を伸ばすバットマンを警戒して、
彼の助けを拒む姿勢です。
暴力と威嚇と復讐に拠った2年間の活動の成果が、
コレなのです。
しかし、
一人の子供が、バットマンの手を取ります。
それは、
作品の冒頭で、殺された市長の父親を発見した、
その幼い息子。
父を殺された息子
という視点では、
それは、かつてのブルース自身でもあり、
それ故、
その息子が、
バットマンが伸ばした手を取ったという事に、
象徴的な意味合いがあります。
街を救うという事、
それは、希望によって成されるのだと、
本作では、それを描いているのではないでしょうか。
これは、
母親の復讐で、
父を殺そうとしたセリーナ・カイル(キャットウーマン)を、
バットマンが止めたという所にも、
本作の、
「暴力と威嚇と復讐の無意味さ」というテーマを浮かび上がらせていますね。
-
アンディー・サーキス
本作で、
ブルースの執事、アルフレッドを演じたのは、
アンディー・サーキス。
ロバート・パティンソンが、
歴代バットマンの中でも、最も暴力的であるならば、
アンディー・サーキスのアルフレッドは、
歴代アルフレッドの中でも、
最も殺気のある雰囲気を醸し出しています。
そのアンディー・サーキス、
マット・リーヴス監督の過去作、
『猿の惑星:新世紀』(2014)
『猿の惑星:聖戦記』(2017)にて、
主役のシーザー(のモーションキャプチャ)を演じています。
勝手知ったる相手だからこそ、
本作での重要なポジションをあてがわれているのではないでしょうね。
ファルコーネの「情報」にて混乱するブルースに、
父親は、正義だと、
力強く諭すシーンは、
本作の屈指の名場面であり、
情報戦に翻弄される本作を象徴するシーンでもあったと思います。
犯罪者を
威嚇し、暴力で屈服させ、
社会の不正に対して、犯罪者に復讐する存在、
バットマン。
しかし、
そんな「バットマン」の主張、キャラクター、
その主義の果てに訪れた「世界(ザ・バットマン)」は、
相も変わらずスラム街。
今までの前提、それ自体に挑み、
暴力自警団が、
その無意味さに気付く事までを描く、
『THE BATMAN ーザ・バットマンー』
難しいテーマに、
正面から挑んだ、
骨太の作品と、言えるのではないでしょうか。
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