映画『クーリエ:最高機密の運び屋』感想  スパイ映画で紡ぐ、友情の物語!?

1960年代初頭。米ソの冷戦が苛烈を極めていた時代。
東欧に多く出張していたセールスマン、グレヴィル・ウィン。特別な経験が全く無い彼は、故に、MI6とCIAの目に留まる。
そのミッションとは、ソ連・モスクワの内通者との接触だった、、、

 

 

 

 

 

 

監督は、ドミニク・クック
演劇の舞台演出出身。
長篇映画監督作に、
追想』(2017)がある。

 

出演は、
グレヴィル・ウィン:ベネディクト・カンバーバッチ
オレグ・ペンコフスキー/アレックス:メラーブ・ニニッゼ
CIA/エミリー・ドノヴァン:レイチェル・ブロズナハン
シーラ:ジェシー・バックリー
MI6/ディッキー:アンガス・ライト 他

 

 

1962年。
米ソの冷戦時代、
最も核戦争の危険が高まったと言われているのが、
「キューバ危機」と呼ばれる事態です。

ソ連が、
アメリカと、目と鼻の先にある「裏庭」であるキューバに、
ミサイル基地を建設中という情報を、米側が入手。

アメリカはカリブ海にて海上封鎖を行い、
それに反発したソ連は、
ミサイル発射も辞さず、と緊張が高まりました。

が、
すんでの所で、戦争は回避。
「第三次世界大戦」は避けられたのです。

 

 

 

本作『クーリエ:最高機密の運び屋』は、

「キューバ危機」においては、
大国間の首脳同士の駆け引きが、
実際は、危機の回避に繋がった、
稀有の事態と言えるでしょう。

しかし、

アメリカ側が持っていた情報について、

ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の
オレグ・ペンコフスキーに拠るものに、少なからぬ影響があったと言われ、

そして、彼と接触し、
西側に情報を持ち帰っていたのが、
市井の男、グレヴィル・ウィンだったのです。

 

…というのが本作『クーリエ:最高機密の運び屋』。

いわゆる、実話に基づいた物語ってヤツです。

つまりですよ、
本作で描かれるのは、
作中でもあった台詞なのですが、

一、市井の男が、
時には、世の中を変える事もある、

 

そういう事を描いた物語なのです。

 

 

主演のグレヴィル・ウィンを演じるのは、
ベネディクト・カンバーバッチ。

こういう、
時には自身満々、
時には、不安に苛つき、
しかし、熱い男

みたいな役を演じるには、最も適した人物と言えるでしょう。

そんな彼が、

ソ連側の情報提供者、
GRUのオレグ・ペンコフスキーと接触するスパイ映画、

という態の作品なのですが、

意外や意外、

本作で描かれるのは、

危機に瀕したもの同士の、
責任感が紡ぐ友情物語

 

と言ったテイストのものです。

 

「スパイ」「世界大戦」というワードからは、

どうにも、冷徹なイメージしか湧きません。

しかし、
実際に、現場で動く人間には、
常に、感情が伴う。

本作では、
その感情部分にスポットを当てている、

そして、そこが、
面白い部分でもあるのです。

 

歴史の背景を学びつつ、

描かれるは、
スパイ同士の友情物語、
『クーリエ:最高機密の運び屋』は、そういう作品です。

 

 

  • 『クーリエ:最高機密の運び屋』のポイント

キューバ危機、その背景にあった情報戦

個人の倫理観、責任感が、その帰結として世界を救う

スパイ同士の友情物語

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • スパイ同士の友情物語

本作『クーリエ:最高機密の運び屋』は、
実話を基にした作品であり、
ジャンル的には、スパイ映画です。

 

しかし、
その当のスパイ同士、
グレヴィル・ウィンとオレグ・ペンコフスキーの交流、

いわば、
友情物語は、
本作において、テーマ的にも大きな部分を占めています。

 

学校や職場で、
初対面であっても、
気の合う人、
逆に、ソリが合わない人、

そいう人が居ますよね。

しかし、
学校生活とか、
仕事場で、

本当に仲良くなる相手というのは、
そういう、
直ぐさま仲良くなった相手よりも、

ジックリと、
長い時間を掛けてお互いを知った相手
又は、
同じ目的の下に、
危機や困難を乗り越えようとする同士の方が、

本当に、
「友情」というものを築ける、
そう思っているのですが、どうでしょうか。

 

出身地や、
考え方、性格、
お互いの共通点、

そういうもので、
人は、他人と友達になります。

しかし、
そういう「来歴」を取っ払って、
素の人間同士、
キャラクターが違っても、
「目的」や「志」の下に、繋がり合った場合、

お互いの違いを理解して、
垣根を乗り越えた分、
信頼関係に基づいた、真の「友情」が得られるのではないでしょうか。

 

それは、「仲良しこよし」じゃなくても良いのです。

さながら、
漫画『キン肉マン』の、
キン肉マンソルジャーが提唱する、
「血盟の理念」と言った所でしょうか。

 

  • 責任感が世界を救う

その上で、
二人の友情の土台となっているのが、
お互いの責任感です。

 

ソ連側に、
どうやらスパイ行為がバレかけているらしい。

MI6のディッキーは、
危険を感じ、オレグを切って撤退を指示しますが、

グレヴィルはそれに反発。

当初の予定というか、
オレグの希望通り、
西側への亡命作戦の決行を主張します。

それに同意するのは、
CIAのエミリー(ヘレン)。

結局は、
その動きをソ連のKGBに気取られて、
グレヴィル、オレグ、ヘレンの三者とも拘束されてしまいます。
(1962年、キューバ危機の直前)

 

外交特権で、
エミリーは解放されますが、

グレヴィルはその後、
2年間の刑務所収容の後、
ソ連のスパイとの交換条件で釈放。

オレグは、翌年、処刑されました。

 

スパイという冷徹さが求められるミッションにて、
どうして、
映画内のグレヴィルは、感情的な行動をとったのか?

しかし、
よくよく考えると、
この行為は感情的・感傷的なものでは無く、
グレヴィルの責任感であるのです。

 

それは、MI6にて、スパイに採用され、
それを受け入れたのと、同じ動機ではないでしょうか。

「国家への忠誠心」云々と、
採用時、ディックとヘレンは言いました。

しかし、それよりも、

「自分でも、世界を変える役に立てる」
という、ある種の自己満足から始まった行為だったでしょうが、

それ故に、課せられる、
自分の仕事の重要さに対する、
それを決行するという責任感から、スパイ行為を続けたのではないでしょうか。

 

そこには、
利己的な動機は無く、

それ故に、

国家を裏切ってまで、
自身の倫理観に従った、
オレグ・ペンコフスキーの信念、

その利他的な行動を、「俺が守らねばならぬ」と、
グレヴィルが考えたのは、当然と言えます。

オレグを守る事こそが、
グレヴィル自身の行動に、
意義と誠を通す事だからです。

 

人は、
どんな仕事をしていても、
そこに信念があれば、

極論、
世界を救っていると言えるのではないでしょうか。

ゴミ収集車がなければ、
世界はゴミで溢れかえりますし、

スーパーに店員がいなければ、
物が各家庭に届けられる事もありません。

要は、
各自が、仕事に責任感を持つのか、
それに尽きます

それにより、
仕事のクオリティが違ってくるのは、
皆、言われなくとも、知っている事でしょう。

 

本作では、
まぁ、創作でしょうが、

獄中で再会したグレヴィルとオレグが、

自分達の行動で、
「キューバ危機」が回避された事を知ります。

そこに、
互いの行動に意義があったと、
お互いが知り、

救いとなる描写があります。

 

誰も、自分を見ていないのかもしれない。

しかし、
何時か、自分の行動が、
世界を変えていると、

それが、
誰に知られなくとも、

自分の誇りであると信じるからこそ、
人は、仕事に責任感を持てるのではないでしょうか。

 

 

『クーリエ:最高機密の運び屋』は、

「キューバ危機」に先立つ、
冷戦下での情報戦を描いたスパイ映画ですが、

それに描かれる友情と責任感こそが、
本作の最も重要なテーマである、

私は、そう感じましたが、
どうでしょうか。

 

 

 

 

 

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