映画『マルホランド・ドライブ』感想  現世の夢と夜の夢!!

 

 

 

故郷・オンタリオのジルバの大会で優勝し、女優の夢を持ちハリウッドへやって来たベティ。留守の叔母の家に滞在する予定だったのだが、そこには黒髪のミステリアスな美人がいた。「リタ」と名乗る彼女は、具合が悪そうに見えた、、、

 

 

 

監督はデイヴィッド・リンチ
本作が監督の映画作品で最も人気作だろう。

映画監督作に
イレイザーヘッド』(1977)
『エレファント・マン』(1980)
『デューン/砂の惑星』(1984)
ブルーベルベット』(1986)
ワイルド・アット・ハート』(1990)
ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(1992)
ロスト・ハイウェイ』(1997)
『ストレイト・ストーリー』(1999)
『マルホランド・ドライブ』(2001)
インランド・エンパイア』(2006)がある。

TVシリーズ監督作に
ツイン・ピークス』(1990、1991、2017)
『オン・ジ・エアー』(1991)がある。

 

主演はナオミ・ワッツ
本作での演技が高く評価され、転機となった。
主な出演作に
『ザ・リング』(2002)
『21グラム』(2003)
『キング・コング』(2005)
『インランド・エンパイア』(2006)
『イースタン・プロミス』(2007)等。

TVシリーズの『ツイン・ピークス The Return』(2017)にも出演している。

 

本作『マルホランド・ドライブ』はデイヴィッド・リンチ作品の中でも特に人気が高い。

そして「映画ベスト100」みたいな企画があった場合、上位にランクインする事が多い作品でもある。

つまり、

リンチファンにも、一般の映画ファンにも等しく評価されている作品と言えるだろう。

ミステリーとサスペンス、そして奇妙なユーモアと哀愁漂う傑作である。

 

『マルホランド・ドライブ』は、分かり易い作品と言われている。
しかし、それは間違いである。

今でこそ考察が行き届いて、WEB検索などすれば細かい謎まで解明されているのだが、

初見で内容が隅々まで分かる作品ではない。

 

なので、高評価に釣られて多大な期待を寄せると肩透かしを喰らう人もいるだろう。

だが、この奇妙な世界に嵌って

何度も観ると、その度に新しい発見がある。

 

この作品は、イキナリ謎の解明サイト等を検索して観るより、

少しずつ謎を解明して行き、
自分なりに解釈するのが楽しい映画である。

 

映画観賞とは多分に受動的な行為だが、
この作品は鑑賞者に「自ら考えてみる」事を促す。
そして、それが面白いのだ。

間違えていたって、独特であってもいい。
『マルホランド・ドライブ』は観た人間がそれぞれの「独自解釈」を持つ事になる。

そんな懐の広い、そしてだからこそ面白い傑作なのだ。

因みに、

一番好きな映画は何か問われたら、
私は『マルホランド・ドライブ』と言います。

 

 

以下ネタバレあり


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  • 本当に分かり易い作品なのか?

本作『マルホランド・ドライブ』が分かり易い作品というのは間違いだ。
正しくは、
「デイヴィッド・リンチ作品としては分かり易い」
「注意深く何度か観たらテーマが掴める」
と言うのが正確だろう。

また、『マルホランド・ドライブ』は人気作であるが故、今まで多くの人間による解釈がなされ、その議論が活発に行われた事もあって、現在においては謎があらかた解明された感もある。

多くの人が謎の真相を理解した(と思っている)現在から見ると、確かに『マルホランド・ドライブ』は知られ尽くした作品かもしれない。

しかし「よく知られた作品」である事と、
「分かり易い作品」である事を混同してはいけない。

これでは、新しい鑑賞者が勘違いをしてしまうのだ。

なので、初見で「訳が分からない」と思ったとしても安心して欲しい。

誰だって最初はそうだったのだ。
そして、謎が魅力的で何度も観るうちに、段々と理解されていった作品なのである。

この作品を「分かり易い」と言うのは、
リンチファンか、
初見で速攻ネットの解釈サイトなんかに飛んだ人くらいだろう。

 

  • 現世は夢、夜の夢こそ真

さて、ではこの『マルホランド・ドライブ』も、他のリンチ作品と同じように、まずテーマを掴んでからストーリーを観てゆくことにする。

まずは冒頭。
ダンスのシーンがあり、その直後、「」が映る。

また、「SUNSET Bl」(サンセット大通り)という看板も映る。

そして、レストランの「Winkie’s」にて夢の話をする二人の男がいる。

さらに、ベティが旅の道連れになった御婦人に「ロスに来るのが夢だった」と語るシーンがある。

そこからストーリーがミステリアスに進み、クラブ・シレンシオのシーンの後、ブルーボックスを開けた後に世界が一転する。

その時、シエラ・ボニータの17号室、死体の前に現れたカウボーイがこう発言する(1:56:00)
Now, wake up」(さぁ、起きろ)と。

その後の世界は前半とは似て非なる世界。

ベティダイアン・セルウィンとなり、
リタカミーラ・ローズとなる。

(そして、Winkie’sのウェイトレスはダイアンからベティとなる。)

作品のテーマとなる核の部分が冒頭に集中しており、途中で決定的な転機が訪れ、その後に「真」の世界が現れる。

そう、この『マルホランド・ドライブ』は夢の話なのである。
ここで言う「夢」とは、
目を開けて見る「将来への希望の夢」と「寝ている間に見る夢」の両方の意味がある。

もう少し詳しく言うと「自らの夢破れた女性の話」である。
前半がダイアン・セルウィンの夢後半が現実世界である。

ベティは女優になる夢を持ってハリウッドへやって来る。
枕は夢の暗示である。
『サンセット大通り』という映画は落ちぶれた往年の名女優の話。
そして、ずばり夢の話をする人間がおり、
決定的なのは、「起きろ!」というカウボーイのセリフである。

ダイアン(夢ではベティ)は辛い現実から逃れ夢の世界へ行く事を望んだのだ。

『マルホランド・ドライブ』はまさに、江戸川乱歩の言葉
うつしよはゆめ、よるのゆめこそまこと」という物語なのである。

 

  • ストーリー解説

テーマを掴んで総合的にまとめるとこうである。
(以下ストーリーのネタバレとなります)

故郷のオンタリオでジルバの大会で優勝し、ハリウッドへやって来たダイアンは、女優業としては思うように行かなかった。
しかし、アダム・ケシャー監督の映画『シルヴィア・ノース物語』で出会ったカミーラ・ローズと恋仲になり、端役を細々と貰えるようになる。
だが、カミーラはアダムと結婚する事になり、嫉妬で絶望したダイアンは殺し屋にダイアン殺害を依頼。
殺し屋ジョニーは依頼を遂行し、その印として「青い鍵」をダイアン宅(シエラ・ボニータの17号室)に置く。
ダイアンは自らの行動を後悔し、ドアをノックする何者か(恐らく刑事)の存在に怯え、拳銃自殺する。

そのダイアンが死の直前に見る走馬燈(夢)では…

希望に溢れハリウッドへやって来たベティ(ダイアン)は、リタ(カミーラ)と出会う。
映画のオーディションでも演技が大反響で、紹介された有名映画監督アダムと運命的な出会いもする。
夢の中のアダムの状況は踏んだり蹴ったりであり、
出資者のゴリ押しで意に添わぬ女性カミーラ・ローズを主演に据える。
ベティはリタと共に記憶の糸口を探る内に惹かれ合い、関係を持つが、その晩、
クラブ・シレンシオでの体験を経て夢が終焉を迎える、、、

 

  • 監督からのヒント

『マルホランド・ドライブ』は冒頭から集中し、さらにカウボーイのセリフにピンときたら、「夢」がテーマの話だと直ぐに分かる人もいるだろう。

テーマを掴んでそこからストーリーへと返ってゆくのがデイヴィッド・リンチ作品を鑑賞する時のポイントだが、『マルホランド・ドライブ』ではそのポイントを飛ばし、直ぐにストーリーが楽しめる人もいるのかもしれない。

そこを考慮したのか、リンチ監督は
[この映画の謎を解く、監督からの10のヒント]
という物を用意していた。

これは上手いやり方であった。

前作『ロスト・ハイウェイ』では、複雑怪奇なストーリーを展開し、テーマを掴まないと理解不能なものであった。

本作『マルホランド・ドライブ』では、テーマは(従来と比べると)直ぐに掴める作りになっているので、「訴求力」が低くなると考えたのかもしれない。

デイヴィッド・リンチ監督は言っている、
謎こそ、人を惹きつける」と。

そこで自ら「映画内に仕込んだ伏線」を大々的に発表し、「こういうネタが仕込んであるので、確認して観てね」と言ってきたのだ。

こう言われたら、どうしても解かずにいられない。
結局細部を確認する為に何度も観る事になり、その度に発見の快感を得る事で作品にさらにハマって行く事になったのだ。

一見難しそうで、注意したら直ぐ分かる「テーマ」という謎があり、
そして「細部に判明が難しい小ネタがある」という事を示唆し、そこの解明を促す事で、謎解きの快楽を長く持続させている。

「謎が大事」との信条を持つ監督が、意図的に仕掛けた魅力、それが『マルホランド・ドライブ』の面白さの一因である。

 

  • 夢破れた者の哀しみ

本作『マルホランド・ドライブ』に人々がハマったのは、謎解きの楽しみが大きかった事がある。

しかし、それだけではない。
この「夢破れた者の哀しみ」を描いたストーリーも、多くの人間を惹きつける物である。

人間、やはり自分が主人公である。
自分の持つ何らかの希望を叶えたいと願って、全ての人は生きている。

だが、それを叶えられる人間とは、本当にいるのか?
全ての人間は、夢破れた者達ではないのか?
そんな事を思ってしまう。

特に、後半のダイアン・セルウィンを演じたナオミ・ワッツの演技が凄かった。

前半のキラキラした希望に溢れるベティも、
自分の実力が世間に通じないと何度も突き付けられたら、
後半の世を拗ねたダイアンになってしまう。

このギャップが凄かった。
私の友人は「別の人間が演じていると思った」とまで言った程だった。

特に凄かったのが、すっぴんでヤケクソ気味に自慰行為を行うシーンである。

また、演技指導するアダムに寄りかかるカミーラを見る視線。
これが絶望的に恐ろしい。

そして、パーティーでアダムが(おそらく)結婚の宣言をする時の悲しみの表情。
この時に殺害を意識したのかもしれない。
(このシーンのコーヒーカップの模様にも注意)

世の中、1の成功者の下に100の敗残者が存在している
だからどうしても、ダイアンの気持ちの方に感情移入してしまう。

映画のオーディションでは自分が狙っていた役を奪われ、しかし、性行為のパートナーとして愛人関係にあったカミーラ。

ただでさえ愛憎入り乱れる存在であったが、そのカミーラは自分を捨て(られた様にダイアンは感じ)アダムと結婚してしまう。

自分から夢も愛も奪った存在は許すことが出来ない。

だが、カミーラ自身はきっとダイアンの気持ちを「踏みつけている」とは露ほどしか思っていないハズだ。
友人としてダイアンとはこれからも付き合っていたいを考えている。

それが分かるだけに尚さら許せない。
そして、嫉妬に狂って相手を許せない自分の情けなさが一番許せないのだ。

長く生きて死の床で「ああすれば良かった」と後悔するか、
自分の行動を悔いて一瞬の激情の元に自殺するか。

ただ、それだけの差である。

せめて夢の中で希望を見て何が悪いのだ。

 

  • TVシリーズを意識していた?

本作『マルホランド・ドライブ』は、もともとTVシリーズとして企画されていたそうだ。

しかし、何処も企画を買わず、映画として再構成されたものだと言う。

なので、登場人物が多い。
次々と入り乱れる様子はTVシリーズの『ツイン・ピークス』を彷彿とさせる。

メインの二人に映画関係者。
クラブ・シレンシオ。
そして謎のマフィア(?)
殺し屋と売春組織。

ハリウッドという煌びやかな場所の表と裏を描いた作品にきっとなったであろう。

 

  • 独特のユーモア

TVシリーズを意識していたからか、『マルホランド・ドライブ』は他のリンチ監督の映画作品と違って、ユーモアに溢れている

これも『ツイン・ピークス』寄りだと感じる部分である。

エスプレッソをナプキンに吐き出す「This is the girl.」男。

矢口張りに間男を家に引き込んだ妻に、逆に家を叩き出されるアダム。

その矢口と間男をワンパンで沈めるマフィア(?)

殺しがスマートにいかず、雪だるま式に事態が悪化してゆくジョニー。

TVシリーズだとしたら、ここから
映画監督のボブや
部屋の隣人ルイーズ等、奇矯な人達が色々な事をしたんだろうなと思うと残念な部分もある。

 

  • 注目キャラクター

まずはババァとジジィ
よく見ると冒頭のダンスのシーンで一緒に居るのもあの二人である。
もしかして、ダイアンの故郷の両親なのかもしれない。

この二人、邪悪な笑みを顔に貼り付けており、この一種異様な雰囲気がこの作品が只者ではないと予感させる物だった。

ラストに突如現れて「ワーッ」と迫り来る様子はホラーである。

ダイアンが死ぬ前に「お母さん、お父さん、ごめんなさい」と思ったのかもしれない。
両親への良心の呵責がああいう形で現れたのだろう。

青ひげに青筋を立ててごんぶと眉毛で友人に夢の話をするダン

こいつの微妙な異常さも作品の雰囲気を作っている。

そしてダンが恐れる「Winkie’s」の裏にいる浮浪者(Bum)。

何故夢の中でBumを恐れるのか?
それは、ハリウッドの闇の部分を象徴する存在だからである。

煌びやかな表の世界の裏で、殺し、売春、マフィア、これら裏の世界が存在しており、
Bumは夢破れ落ちぶれた存在の象徴であるのだ。

一見気付かないが、Bumは女性である。
(演じるのはボニー・アーロンズ(Bonnie Aarons)。『死霊館』等に出演)
彼女も、かつては夢と希望を持ってハリウッドへとやって来たのかもしれない。

だがらこそ、ダイアンの夢と希望の世界において、決して会ってはならない存在であったのだ。

謎のマフィア組織の親玉、Mr.ロークを演じるのはマイケル・J・アンダーソン。
『ツイン・ピークス』にて赤い部屋の小人を演じた彼だ。

ややメタ的だが、それを考慮すると、Mr.ロークがいる世界=この世とは違う世界である事を示唆しているのだろう。

そして、カスティリアーニ兄弟の「This is the girl」の方、ルイージ・カスティリアーニを演じたのがアンジェロ・バダラメンティ

本作を含め、多くのデイヴィッド・リンチ作品にて楽曲を提供している音楽家が、不気味なユーモアを発揮する怪人を演じている。

セリフも
「This is the girl.」
「Espresso!」
「Excellent choice, Adam.」
と厳選されていて、声に出して読みたいものばかりだ。

そして、カウボーイ
『ツイン・ピークス』のキラー・ボブとはまた別ベクトルの不気味さを放つ謎の人物である。

キャラクターという枠を超えた、メタ的な存在であるのだが、映画のみではその詳細が推し量れないのが惜しい。

最後に、マクナイト刑事
演じるのはロバート・フォスター。

TVシリーズだとしたら、これから出番もあっただろうが、映画においては大物風で登場しておいて出番はたったの一箇所

(ラストでドアをノックしていたのがマクナイト刑事かもしれない)

この無念は『ツイン・ピークス The Return』にてフランク・トルーマン役を得る事で晴らされたか?

 

  • ゴリ押しの恨み?

作中、アダムが映画の出資者のカスティリアーニ兄弟から主演女優をゴリ押しされるシーンがある。

これは映画あるあるネタなのだろうか?

デイヴィッド・リンチで思い付く事は、これまた『ツイン・ピークス』の話である。

『ツイン・ピークス』は第1シーズン(序章~第7章)が大好評で終わり、第2シーズン(第8章~)が多大な期待をはらんでスタートした。

しかし、期待が大きかっただけに、一向に明かされない犯人に業を煮やした視聴者から「はやく犯人を明かせ」とリクエストが次々と放送局のABCへと届くようになる。

その期待に応えよと、ABCは早急に制作側に要求する。
結局、そのプレッシャーに耐えられず、当初の予定より早くローラ・パーマー事件の犯人が明かされる事になる。

だが、作品内の最大の魅力だった犯人の謎が明かされた事で訴求力が低下。
結局さらなる魅力を生み出す事が出来ず、視聴率が低下した『ツイン・ピークス』は打ち切られる事になる。

デイヴィッド・リンチは事ある毎に言う。
謎(犯人)を明かしたのは間違いだった」と。

この時の経験から、謎の魅力と寿命を理解したのだろう。

アダムがマフィア(出資者)からのゴリ押しで、渋々ながら要求を呑むのは、監督自身の苦い経験から作られたエピソードであると言えるだろう。

本当は言いなりなりたくなかったのだ。
俺だってゴルフクラブで車ぶっ叩きたかったのだと、心の叫びが聞こえてくるようだ。

 

 

 

長々語ってきたが、細部を語ろうとすると、まだまだ言い足りない感じもする。

機会を見て、また何かを語りたい。

観る度に某かの発見がある『マルホランド・ドライブ』。

作品と観客が相互に作用する、この映画の魅力はそこにあり、
やはり、私の一番好きな映画なのである。

 

 

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収録作は『イレイザーヘッド』『エレファント・マン』『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』の6作品

 

 

 

 


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さて、次回は『インランド・エンパイア』について語りたい。正直語る事が出来るか分からない程、訳が分からない作品だ。