派遣会社でカスタマーサービスとして働いていたメイ。友人のアニーの口利きもあって、世界有数のSNS企業「サークル」に就職が決まる。入社直後、参加した社内プレゼンにて経営者のベイリーは、観衆の前で新作の小型ワイヤレスカメラを紹介する、、、
監督はジェームズ・ポンソルト。
大作の監督はこれが初。
原作はデイブ・エガース(著)『ザ・サークル』
主演のメイ役にエマ・ワトソン。
ご存じ『ハリー・ポッター』シリーズ(2001~2011)のハーマイオニー役が有名である。
太眉でも可愛い。
他の出演作に
『ノア 約束の舟』(2014)
『美女と野獣』(2017)等。
他、共演にトム・ハンクス、ジョン・ボイエガ、エラー・コルトレーン、パットン・オズワルド、カレン・ギラン等。結構豪華。
本作『ザ・サークル』で描かれるのは、ちょっと先のあり得るかもしれない未来の話。
もし、一人の人物の生活全てを公開し、世界の観衆とシェアしたとしたらどうなるのか……?
そこで起こるいろいろな事を描いている。
SNSとの関わりをメインテーマに、当世の現代的問題をいろいろ詰め込んでいる。
しかし、
テーマは面白い物があっても、
ストーリーは少々とっちらかっている。
なので、鑑賞中に思わずツッコみたくなる場面も多い。
あくまでテーマ重視と考え、
発展したSNSで人がどう考え行動するのか?
という点に着目して観賞するのが良いだろう。
テーマが身近なだけに、興味深い題材だ。
自分だったらどうするか?と考えながら観るのも面白い。
以下ネタバレあり
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SNSによる全体主義
本作『ザ・サークル』で描かれるのは、全体主義、管理社会の夜明け、その前夜の話である。
自分で景色を眺める分なら、カメラを置いて楽しむのも良いかもしれない。
しかし、それを用いて個人を観察したり、更にその様子を世界中の観衆にシェアする行為は、覗きというプライバシーの侵害を通り越して、相手を裸に剥いて路上に放り投げる様な行為である。
だが、SNS会社の「サークル」は、その倫理を踏み越える。
論点をずらして責任を回避しようとしているのだ。
「人と人生を共有する事は安心感に繋がる」
「人生を公明正大とすれば、そこに悪意は芽生えない」と。
自らの振りかざす「正義の御旗」を楯に、それに賛同しない者を「悪」だと断じる。
唾棄すべき行いである。
一企業(この映画内では「サークル」)にアカウント開設(個人情報登録)を、投票権と紐付けし、投票を義務化する。
これは、「自らの意思で行為に責任を負う」という投票の意義すら破壊しかねない愚行である。
更に、人間の行為全てを公開し、シェアする。
これは殆どマゾ行為だが、人は一人で生きている訳では無いという事を完全に失念している。
自分と関わる相手の私生活すらも、何処の誰とも知れぬ相手に晒される危険性があるのだ。
家族や知人の人生すらに責任を負えると言うのだろうか?
本当に恐ろしい。
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本当の「悪」とは何か
映画『ザ・サークル』において、この全体主義を推し進めようとする象徴的な人物が2人いる。
一人がトム・ハンクス演じるイーモン・ベイリーであり、
もう一人がエマ・ワトソン演じる主役のメイ・ホランドだ。
イーモンの目的は自社の発展。
口八丁で裏の顔も持ち、会社を発展させる為に意識してテクノロジーを推し進める。
カリスマ的プレゼンの様子はアップルの創業者スティーブ・ジョブズを彷彿とさせる。
だが、本当に恐ろしいのは、生活のシェアこそ安心感と信じ切っているメイの方である。
メイはイーモン達に操られるまま、会社の広告塔として利用され、その理念を信じ切って暴走する。
メイの場合はイーモンと違い、自らの行いが「悪」と気付いていない分、より「極悪」である。
行動力のある馬鹿ほど、厄介なものは無いのである。
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メイの邪悪さ
夜の海で遭難しかけ、小型カメラ「シーチェンジ」に発見された事で「シェア」に目覚める。
かつての友人のマーサーを追い詰め死に至らしめたくせに、それを反省するどころか、自らの信念、行為を正当化する為に更に「シェア」の理念を推し進めようと決意する。
(メイが泣いていたのは、自らの行為を反省していたのでは無い。単純な悲しさと自己憐憫による行動である)
そして自らの行為を棚に上げ、イーモンとトムを嵌めて「自分は正義を遂行したのだ」とドヤ顔をキメる。
こんなサイコパスなかなかいない。
下手なホラー映画より恐ろしい存在であり、胸くそ悪くなるラストである。
メイは劇中で度々カヤックに乗る。
それは自分の最もプライベートな時間であったのだろうが、最後は、その様子すらもドローンで見張られる。
しかし、メイはドローンを見て嬉しそうな笑顔を見せる。
ラストシーンは、その彼女の映像を含めた、多数のカメラ映像のモザイク模様で幕を閉じる。
その中には、泣いている子供、やせて虚ろにカメラ目線を向けている人物なども(目立つ所に)映っている。
見世物にされて嬉しい人間ばかりではない。
その事はちゃんと「作り手」の方は意識してますよ、という意思表示だろう。
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SNSとの関わり
メイは「シェア」こそ幸せだと信じるが、この映画『ザ・サークル』自体はそれを推進するもんでは無い。
メイの両親はメイの暴走を何度も止めようとしたし、幼馴染みのマーサーは、わざわざ会いに行ってまで、「もう自分と関わるな」と釘を刺しに行く。
つい忘れがちになる事実だが、SNSをしない人間からしたら「SNSという世界(ツール)による繋がり」自体存在しないのである。
例えば、ネットゲームをする人には、そこに関わりがあるだろうが、
そのゲームを全くやらない人にとって、その世界自体が無いのである。
自分の世界観だけで世界が存在しているのでは無い。
この事を忘れたら、マーサーを殺して屁とも思わないメイの様な存在になってしまう。
それが自分にとって良い事であっても、その世界自体が無い人に押し付けてはいけないのだ。
努々忘るる事なかれ。
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出演者補足
タイ・ラフィート役を演じたのはジョン・ボイエガ。
『スター・ウォーズ』の新シリーズや『パシフィック・リム:アップライジング』等、話題の新作に多数出演している。
しかし、トム・ハンクスと一緒に会社を興した、という設定は年齢的に無理があると思います。
マーサーを演じたエラー・コルトレーンは『6才のボクが、大人になるまで』(2014)で大人になるまでを実際に撮影したあの彼である。
メイを斡旋した友人のアニー役はカレン・ギラン。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』にも出演する。
「え?こんな人いたっけ?」とお思いだろう。
青いヤンデレ妹と言ったらお分かりになれるだろうか?
そして、メイの両親を演じたグレン・ヘドリーとビル・パクストン。
両名とも1955年生まれで、2017年に亡くなっている。
両者にとって本作が映画の遺作となっている。
作品のテーマやメイの行動に面白い物があり、語る部分も多い『ザ・サークル』。
しかし、一方でストーリーが唐突なのが否めない。
しゃべり方がムカツク先輩が作り笑いで会社のルールを説明する。
CEOの部屋に侵入出来る。
いきなり友人のアニーがやつれる。
赤子でも危険と分かる夜の海にカヤックで乗り出す。
ストーリーの粗さが目立つ故に、どうしても名作とは言い難い。
しかし、問題提起型のテーマ映画として面白いものがあるので観て損ではない。
脚本をもっと練って、バランスさえ良ければ、、、
そんな事を思ってしまう映画である。
原作小説もあります
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さて次回は、社会的恐怖というより、人間社会が恐怖に墜とされる!!映画『シン・ゴジラ』について語りたい。