映画『ミッドサマー』感想  人間関係の断捨離!?恐怖のフェスティバルの開・催・だ!!


 

妹のテリが、両親を道連れにして自殺した。哀しみの底に沈むダニーだが、恋人のクリスチャンは彼女と別れたがっており、秘密裏に男友達とスウェーデン旅行を計画していた。
しかし、別れるに別れられない関係故、クリスチャンは旅行にダニーを誘ってしまう。
かくして向かう先は、白夜のスウェーデンにて行われる、地方の土着の「夏至祭」だったのだが、、、

 

 

 

 

 

監督は、アリ・アスター
数々の短篇映画制作の後、
超絶トラウマムービーの『ヘレディタリー/継承』(2018)にて、長篇映画作品デビュー。
本作が長篇2作目。

 

出演は、
ダニー:フローレンス・ピュー
クリスチャン:ジャック・レイナー
マーク:ウィル・ポールスター
ジョシュ:ウィリアム・ジャクソン・ハーパー
ペレ:ヴィルヘルム・ブロングレン 他

 

 

 

皆さん、映画を観に行く時、
どの作品を選ぶか、そのチョイスに、基準がありますか?

私の基準は、直感です。

 

勿論、
有名な大作や、人気作の続篇は、
一般常識としてチェックをするのですが、

それ以外は、

何となく、
各映画館の「近日上映予定」を眺めて、
「これは!?」と思うモノに狙いを定めて、観に行きます。

そういう場合、
なるべく、事前情報を入れずに、
予告篇なんかも、観ずに、
映画館へと行きます。

 

本作『ミッドサマー』も、
その類いの作品。

直感が「来た」タイプのモノ。

「攻殻機動隊」の草薙素子なら、
囁くのよ、私のゴーストが」と言ったところです。

 

さて、映画というものは、
その冒頭が、
実は、最も大事なシーンでもあります。

本作は、
その、のっけから、
何とも、観客の不安を煽って来ます。

「この感じ、音楽、何か、覚えがあるぞ」と、
思った訳ですよ。

そして、冒頭のシークエンスが終わって、

配給会社の名前が出るのですが、
それが、「A24」。

近年、良作を数々世に出しているスタジオです。

ほう、
これ『ヘレディタリー/継承』と同じ会社だな、と思ったら、

監督:アリ・アスターの文字が。

おおおおお
冒頭から「ヘレディタリー」と同じノリだと思ったら、
「ヘレディタリー」の監督やん!!

もう、その瞬間から、
背筋を伸ばして、臨戦態勢が始まりましたね。

 

個人的、2018年公開映画ナンバーワンであり、
「10年に一度クラス」の大傑作映画、
超絶トラウマムービー『ヘレディタリー/継承』を撮影した監督の最新作こそ、

本作『ミッドサマー』だったのです。

そう、
こういう事があるから、
映画を観に行く時は、
事前情報抜きの方が、面白いのです。

まるで、
学生時代、告白出来ずに別れた相手と、
偶然、映画館の座席が、隣同士になったかの様な、この衝撃と感動。

 

これを読んでいる方は、
「この人、何言ってるんだ?」と思っていると思いますが、

結局、言いたい事は、

アリ・アスター、
またまたやってくれましたよ、と。

昔の憧れの人は、
今会っても、憧れのままだったと、
そういう事ですね。

つまり、

面白かった!

 

 

そんな『ミッドサマー』を、
無理矢理一言でまとめると、

土着、民俗学的ホラー

 

と、言ったところでしょうか。

キャッチコピーには、
フェスティバル・スリラー」の文字が踊っていましたが、
成程、その言葉も言い得て妙。

何しろ、原題の『MIDSOMMAR』とは、
スウェーデン語の「夏至祭」という意味だからです。

 

スウェーデンからの交換留学生である、ペレの地元の特有の「夏至祭」を体験しに、向かった一行。

アメリカ人の若者が、
土着の信仰の祭りのリサーチに赴くという、この展開。

映画を見慣れた方なら、
この後の展開が読めるでしょうし、

実際、その通りの事が起こります。

しかし、
解っていても、不愉快なモノは不愉快なんだヨ!!

 

勿論、
ホラー映画でいうならば、
これは褒め言葉です。

 

本作は、展開がゆっくりです。

そして、自然が美しいし、
景色も綺麗、
色合いもビビッドで、画面が映えています。

普通なら、心地良いハズの、この画面作り、リズム、
あぁ、それなのに、
本作では、
その全てが不快なのです。

 

美しい景色も、
最高の「おもてなし」も、
笑顔の村民も、

全てに「裏」があるんじゃないのか?
そう、思ってしまいます。

思い返せば、
ブラックホールとペンタゴンの「四次元殺法コンビ」も、
昔「2ちゃんねる」のアスキーアートで、
「うまい話には気を付けろ。裏しかないから、おもてなし」と言っていたではありませんか。

 

何故、そんな事を思ううのかって?

それはね、

本作の

不協和音の如くに、鳴り続ける音楽、
そして、
背景にちょっと映る、思わせぶりな小ネタ、
それらが不安を煽りまくるからです。

 

いや、普通ならね、
これだけゆっくりした展開なら、
飽きるんですよ。

しかし本作、
何も起こらない時でも、
ただならぬ緊張感が通底しているのです。

この感覚は、正に、
前作『ヘレディタリー/継承』と同じで、

全てのシーンに意味があったのだと、
鑑賞後に気付くタイプの作品と言えます。

 

 

何故、こんなにも爽やかにねちっこい作品を作ったのでしょうか?

その神経を疑いますが、
しかし、

それこそ、
ホラー映画というもの。

ある種の絶望と恐怖こそ、
転じて、救いとなる事もある。

 

本作『ミッドサマー』は、それを体現する、
新時代のホラー映画と言っても過言ではありません。

 

もう一度言います、
アリ・アスター、
またまたやってくれました!

 

あ、あと、本作は、
音響が良い映画館で、
是非、観て下さい

不快指数がマシマシです♡

 

 

 

  • 『ミッドサマー』のポイント

裏しかないから、「おもてなし」

ゆっくりした展開の中に、詰めるに詰め込んだ伏線と設定の数々

絶望と恐怖、狂気こそ、解放

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • 極、私的ホラー映画

『ミッドサマー』は面白いです。

何故、面白いのか?

それは、本作が、
感情剥き出しの作品だからです。

 

冒頭からも想起出来ますが、
本作、
実は、監督アリ・アスター自身の失恋の経験を元に、
作った作品なのだと言います。

実体験に基づく作品であるが故に、
リアルな「厭らしさ」みたいなものが滲み出ていますよね。

本作の登場人物は、
決して、悪人ではありません。

しかし、
別れたがっているクリスチャンの気持ちに引っ張られ、
彼の友人連中は、
微妙に、ダニーに距離感があります。

マークは明確にディスっていますし、
ジョシュも、積極的には関わって来ません。

それでも、
表面上は、「彼氏、友人」という面を保っているのが、
本作の冒頭の気持ち悪い所。

 

冒頭は、アメリカという設定のハズですが、
こうした冷え切った関係を描く上で、
本作は、
その画面作りが、何処か暗い印象を受けます。

そこから一転、
アメリカより、北に位置するスウェーデンに赴くと、
逆に、
開放感と暖かな雰囲気になります。

 

この変化は、
その後のストーリー展開により、
主人公であるダニーの内面が変化する事を暗示しているのですが、

これを、
喜怒哀楽の感情たっぷりに、
ねちっこく描写する所に、
本作の気持ち悪い魅力があるのです。

 

思えば、
アリ・アスター監督の前作『ヘレディタリー/継承』も、
自身の家族の軋轢を元ネタとした作った作品です。

そういう意味では、
個人のトラウマの解消を、
映画制作で実現しているというのが、
監督の特性なのかもしれません。

 

  • 全篇伏線という驚異的構成

スタンド・バイ・ミー』(1986)において、
主人公のゴーディは、親友のクリスにこの様な事を言われます。

「小説を書くネタが無くなったとしたら、俺達の事を書けば良い」と。

この言葉が象徴する通り、
人間、誰しも、自分の人生があり、
それを表現する事で、
誰しも、人生で一度は、物語を作る事が出来ます

 

しかし勿論、
それを他人が読むなり、観るなりして、
面白くなるのかどうかは、
本人の表現力に拠るのです。

その点、
自身の「家族の軋轢」や「失恋」を元ネタとして、
興味深く、面白い作品をモノにしたアリ・アスターは、
一度目がフロックではなく、
表現者として本物だったと証明しているのですね。

 

さて、
本作は、その基本として、
「失恋」というテーマがありますが、

それを描く舞台として選んだ題材が、「土着民俗学的ホラー」といった所。

例えて言うなら、
漫画化の諸星大二郎が撮影した、食人族映画といった様相。

諸星大二郎の、
『暗黒神話』や、「妖怪ハンター」シリーズ、

イーライ・ロス
『ホステル』(2005)や『グリーン・インフェルノ』(2013)を想起させる作品です。

人知れぬ、
未知の文化の興味深い特異性と暗黒面を描きつつ、

文化的、民俗学的、階級的な断絶により、
倫理や心理的葛藤を飛び越えて、
文字通り、相手を喰いモノにするという作品なのです。

 

そういった意味では、
先行する作品があり、

また、
鑑賞者である、私自身が好むジャンル、ストーリー展開であるが故に、

本作は、
そのストーリー展開は、
全て読める作品でした。

本作、基本的には、
無警戒な若者が一人ずつぶち殺されて行くという、
80年代に流行ったスプラッタ・ムービーの定型文に添った作品であるとも言えます。

 

ならば、退屈だったのかって?

ノン、ノン、ノン!

本作は、上映時間中、全く油断のならない、

予告篇のキャッチコピーとして使われていましたが、
正に、「全篇伏線」という言葉が相応しい作品なのです。

 

全てのシーンに込められた意味があり、
何気ない雰囲気、背景、表現、
それらに、細心の注意を払うならば、
色々な発見がある作品です。

美は、細部に宿る、ってヤツですね。

そして、
それを発見、解釈するのが、もの凄く楽しい!

宝探しと、パズルを解く事を、
映画を観ながら、同時にやるという、
この情報量の多さが、本作の一番の魅力なのです。

 

さて、
私が気付いた事を述べる前に、
本作の「背骨」として存在する、もう一つのテーマを考慮していると、
より、理解しやすいと思われます。

それは、
コミュニケーションと、ディスコミュニケーション」という事です。

 

失恋
民俗学的ホラー
コミュニケーション
本作は、
この3つの軸で成り立っている作品と感じましたので、
それを考慮し、語ってみたいと思います。

 

 

以下、本作の結末、ネタバレ、内容に深く触れた解釈となります

 

 

 

  • 数字の「あれこれ」

先ず、本作を「数字」で捉えてみます。

本作は先ず、
「9」という数字に拘っていると、直ぐに解ります。

まぁ、これは、劇中で説明してますものね。

ラストの生贄の人数が「9」ですし、
90年周期で大きな「夏至祭」が、秘密の場所「ホルガ」にて開催されており、
村民は、18年周期(幼年期、巡礼期、熟成期、老年期でしたっけ?)で人生を区切っており、
72歳を迎えると、自殺するという、、、

 

こうやって設定を並べてみると気付きますが、
実は、「9」という数自体に拘りがあるというより、
周期(サイクル)に拘り、厳守している印象を受けます。

サイクルを厳守するからこそ、
村民の数も増やさず、減らさず
故に、祝祭では、無駄な犠牲を出す事なく、
外部からのゲストを生贄に捧げるという「システム」を作っているのですね。

 

さて、私は気付きませんでしたが、
パンフレットにて、数字で、もう一つ印象的だと指摘されていたのは「13」。

クイーンに選ばれたダニーに付きそう女性の数が「13」で、
クリスチャンがSEXしている時に周りにいる女性の数も「13」だそうです。

「13」と言えば、
キリスト教にて、不吉な数字と言われている印象がありますね。

 

また、ダニーが今回の女王に選ばれましたが、
その呼び名が「メイクイーン」。

「メイクイーン」と言えば、
私はジャガイモしか思い浮かびませんが、
劇中で、ジャガイモに関する描写は皆無だったので、その線は無いでしょう。

という事は、
「メイクイーン」とは、「May Queen」つまり、「五月の女王」という訳ですね。

しかし、ちょっと待って下さい。

「ミッドサマー」は「夏至祭」、
夏至って、6月ですよね?(21~22あたり)

なのに何故、「メイクイーン」なのでしょうか?

 

これも、パンフレットの記述に拠りますが、

どうやら、
イングランドの地方では、
五月一日(メーデー)に、クイーンに選ばれた女性が、
女性が処女性を象徴する純白の服を着て、
花の冠を被り、通りを歩くという風習があるそうです。

スウェーデンでは、
6月下旬(22日頃)に、
メイポール(劇中にも出て来た、草のポール)の周りで、
花の冠を被り、踊るという風習があるそうで、

つまり、映画では、
スウェーデンとイングランドの風習の似た所を合体し、
一つの祝祭として作り上げているのです。

 

「13」という数字に拘ったり、
イングランドの風習を取り入れたり、

どうやら「夏至祭」は、
かなり、柔軟性のあるお祭りなのだと想像が出来ます。

 

そして、
ダニーの「誕生日」。

冒頭、
クリスチャンの友人連中は、
直接は態度に出さなくとも、うっすらとダニーを拒絶していました。

しかし、会話の中で、
ダニーの誕生日がスウェーデン旅行中に訪れる、
つまり、「夏至祭」の最中に誕生日が訪れるという事を聞いたペレは、
態度をあからさまに一転させます。

 

Wikipedia の記述によりますと、
北半球では、夏至に因んだ「性欲」ネタが多いとの事です。

スウェーデンでは、
「夏至祭」の後の9ヶ月後に生まれる子供が多いとか?

つまり、
「夏至祭」は、劇中でも描かれた通り、
日本で言う所の「バレンタインデー」「クリスマス」と同じく、
「セックスデー」でもあるのです。

そういう、「性」の日に「生」を授かったダニーに、
ペレが、運命的な縁起の良さを感じたのでしょう。

 

  • ビジュアル関連

そんなこんなで、
ダニーはスウェーデン行きに参加します。

皆からは塩対応されつつも、
ペレは何かと、ダニーを気遣っている様子が見られますね。

アメリカでは、
何となく、暗い印象の画面作りでしたが、
スウェーデンに着くと一転、
美しいく、明るい画面になります。

しかも、夏至にて、
白夜というロケーションにて、
悪夢が展開するというね。

 

さて、
そんな白夜ではありますが、
ダニーは、寝ている間に夢を見ます。

その夢では、闇が訪れており、
それは、彼女自身の悪夢をも反映しているのですね。

先ず、最初、
クスリでトリップ中に、
小屋(便所?)に入った時、
その薄暗い中で、鏡に妹(?)が映ったと思って振り返り、
また、前を向いたら、今度は自分の顔が、ぐにゃりと歪んでいました。

他にも、
皆において行かれるという悪夢を見たりする訳です。

 

さて、
この顔が歪む演出は、
後のシーンで登場する、予言者的な役割をコミュニティ内で与えられている「ルビン」の顔と似ていた所から、

「あ、これは、ダニーが何らかの障害を負って、新しい予言者になるフラグか?」と思いましたが、
そんな事はなかったですね。

こういう深読みをして、
ハズすのも、また、面白い所。

 

ルビンとビジュアル、と言えば、
作中の、妙に生々しい絵画や、
村の聖典の「ルビ・ラダー」を記したのもまた、彼という設定です。

ルビ・ラダーには、
ロールシャッハテストみたいな、手で塗りたくったようなページもありましたね。

 

物語の中盤、
村の長老格の一人が、ジョシュにルビ・ラダーについて解説するシーンがありました。

そこで長老格が、
「ルビンが書いた(描いた)ものを、我々(長老格)が解釈する」
「近親相姦により、意図的に(ルビンの様な)社会の常識から無垢な存在(障害者)を生む」と言っていました。

ゾッとする話ですが、
果たして、言葉通り、受け止めていいのでしょうか?

私は、嘘というか、対外的に作った話をしていると思いました。

 

先ず、
ルビンが書いたモノを、長老格が解釈するという点ですが、
これは、
世界中で見られる、カルトの典型、

「神懸かりの予言者」の「意味不明の言葉」を、
お付きの者が、信者に解り易く解説する、
というパターンです。

これは結局、
「神懸かり」の神秘性を利用して、
「お付きの者」が、自分の都合の良いように解釈し、信者を誘導する、という構図なのですね。

つまり、
独自の風習を守る為に、
「神懸かり」の神秘性を保障として、
コミュニティの存続の理由付けをしているとも言えます。

「自然崇拝によって、コミュニティが存続している」という出発点が、
「コミュニティを存続させる為に、崇拝を利用する」という逆転現象が起こっているのです。

ルビンがルビ・ラダーに描いた、
ロールシャッハテストの様な模様。

ロールシャッハテストは、
如何様にもとれる画像で、何を連想するかによって、個人の精神状況を測るものですが、

それを、
聖典としている所に、
人を操ろうとする意図を感じます。

 

また、
「近親相姦によって、無垢な者を意図的に生み出す」という言葉ですが、

流石に、閉ざされたコミュニティでも、
現代社会における、近親相姦によるタブーは理解しているハズです。

そういう禁忌を、
コミュニティの外から来た人間に、おいそれと喋るでしょうか?

私は、そうは思いません。

もっと不都合な真実を隠すために、
敢えて、一見、恐ろしい事を話していると思うのですが、どうでしょうか?

 

私の解釈は、
ルビンは、コミュニティ内の存在では無く、

コミュニティ外から来た人間にトラウマを植え付け精神崩壊させ、
身体も損傷させた上で、逃げられなくしたのではないか
と考えています。

これは、
「9人」の生贄に、ゲストを利用するのと、同じ理由です。

また、
クリスチャンが村の娘とSEXしているシーンで、
何の関連も無く、唐突にルビンが映った事も、クサいです。

全てのシーンが伏線で出来ている本作、

つまり、ルビンも、
元々はコミュニティ外の人間であり、
クリスチャンの様に、「種馬」の役割を負った存在だったのではないでしょうか?

クリスチャンは、ダニーの選択で生贄とされましたが、
ルビンの場合は、生き長らえた。

結局、
クリスチャンが生き延びたとしても、
コミュニティ内の立ち位置としては、
ルビンの後釜に収まったと思うのです。

実際、
ラストシーンのクリスチャンは、
何の抵抗も出来ない存在へと変えられていた訳ですから。

聖典であるルビ・ラダーをジョシュに公開したのも、
ある意味、
「次のルビ・ラダーの著者は、お前かもしれないな」という、皮肉交じりの行為だったのかもしれません。

 

作中、特別な「夏至祭」は、90年周期で行われていると言われています。

しかし、72歳で人生を定年退職するコミュニティにおいては、
前回の「祭り」の経験者は皆無であり、
それは、口伝か、
もしくは、昔のルビ・ラダーの著述を参考にするしかありません

そのルビ・ラダーの記述が、
ぶっちゃけ、意味不明だった場合、どうなるでしょうか?

徐々に、本来の「夏至祭」の姿から、乖離したモノになるのではないでしょうか?

地元の祝祭に、
他の文化を柔軟に取り入れるというのは、
結局、ルビ・ラダーを解釈する人間が、
無意識的に、又は、恣意的に、
他所の祭りの影響を受けているが故に、
形が変わっていった、なれの果てだと思います。

もしかすると、
最初は、純粋な祝祭だったかもしれない「夏至祭」も、

コピー機で、
コピーのコピーを撮り続けると、
徐々にノイズが混じって行くのと同じ様に、

年代が下り続けた結果、
忌まわしいカルトに変貌したのだと思われます。

 

そんな独自解釈以外でも、
本作は、
ビジュアルの子ネタを多く挟んで、
観客の精神を揺さぶってきます。

ドラッグによるトラップ、トランス状態の時、
ダニーは、自分の手や足が、
草や自然と一体になっているのを感じます。

また、
メイクイーンに選ばれた後、
ダニーの冠についている「花」が、
まるで呼吸をしているかのように、息づいているのも見られます。

他にも、
意識せずとも、画面に映り、
サブリミナル的に不愉快な印象を与える部分が多くあり、

私は気付きませんでしたが、パンフレットによると、
ダニーがクイーンに選ばれて、神輿に担がれている時、
背景には、
死んだ妹の顔が映っていたとの事。

一度見ただけでは気付かない、
不快な伏線、小ネタは多そうですね。

 

一つ、気になったのは、
「夏至祭」が行われる秘所、ホルガの入り口。

太陽を象った意匠なのですが、
これ、
所謂、オマ〇コマークにも、見えます

「女陰を潜る」というのは、生命の誕生を意味しますが、
それと真逆の意味、
生命に還る、つまり、冥府に潜るという意味もあります。

太陽の意匠が、女陰を意味するなら、
つまるところ、
ホルガという場所は、生命のサイクルを意味しているのですね。

 

そして、「ビジュアル」を語る上で、
付け加えて語りたいのは、
最初に生贄となった、村の男女の事です。

崖から飛び降りたこの二人の内、
男性の方を演じたのは、ビョルン・アンドレセン

彼は、
トーマス・マン原作、
ルキノ・ビスコンティ監督の映画『ベニスに死す』(1971)にて、
主人公アッシェンバッハの人生を狂わす絶世の美少年タジオを演じました

本作は劇中にて、
「72歳で潔く死ぬのは、老醜をさらすよりも、よっぽど良い」みたいな事を言います。

実際、私も、
彼が、かつての美少年タジオだとは露とも気付かなかった訳です。

かつての美少年も、
老人となり、その面影が無くなったというのなら、
容赦無く、顔面をハンマーでブチ抜くという、

一見、全く気付かないメタネタを、
シニカルに、本作は挟み込んでいるのです。

 

  • 「音」が不快

本作のメタネタはそれだけでは無く、

登場人物が偶に、
カメラ、つまり、
観客を意識して、コッチを見る時があります。

しかも、主要キャラでは無く、モブキャラが、です。

 

そして、本作は、
音楽というか、BGMというか、「音響」が、兎に角不愉快です。

不意に、
ギリギリ、イラッとするラインを越える位の音量で、
効果音が鳴り響きます。

 

本作は、
BGMが不快に感じる工夫が施されているのです。

例えば、
笛の音が、突如、ピーヒョロロと鳴り響き、
ソレを聞いた観客は、ビクッとするのですが、
画面を観ると、
なんと、登場人物も、ビクッとしているのです。

普通、映画のBGMというものは、
場面を盛り上げる為の演出として使われます。

そういう「お約束」が、
先入観として、観客には備わっているのですが、

実は、劇中の環境音でした!
みたいなメタなネタを挟まれると、
ギョッとしつつも、してやられた感で不快になります

 

暗闇で、
突如、怖い顔のお化けがドーン!

みたいなモノのみが、
観客を驚かせる演出に非ず。

本作は、
白昼の狂気を演出する為に、
様々な工夫がなされているのです。

 

  • 恋愛との訣別

ここまでして、
本作『ミッドサマー』は、何を伝えているのでしょうか?

まぁ、
単刀直入に言うと、
ダニーが男をスッパリと吹っ切る映画
つまり、
恋愛の終わりを扱った作品なのです。

 

監督自身の恋愛経験を反映したという本作、
物語は、ダニー目線で進みます。

冒頭のアメリカパート。

そこでは、
終始、暗い画面作りで、
クリスチャンや、彼の友人は、
あからさまでは無いけれど、
明らかに「拒絶」の「空気」をダニーに向けています。

それでもダニーは、
一方的に、妹から遺言メールを受け取ったというトラウマもあり、

付き合っているクリスチャンに依存せざるを得ません。

ダニー目線では、
溺れる者は藁をもつかむかの如く、
必死に助けを求めているのですが、

これは、クリスチャンの目線から見ると、
面倒くさいメンヘラでしかないのです。

 

家族には放り出され、
恋人と、その友人には、やんわりと拒絶される。

この、ディスコミュニケーションは、
しかし、
スウェーデンにおいて一転します。

 

スウェーデンでは、村民から、
当初こそ、ゲストとして、
やんわりとした特別扱いと、無視を決め込まれていましたが、

次第に、共同作業に参加させられたり、
チャンピオンを決める競技に誘われたりします。

 

特徴的なのは、
ダンスにて、メイクイーンとなったダニーが、
クリスチャンのSEXを見てしまうシーン。

彼女の悲しみに、
村人達は、共感し、
一緒に、泣き叫んでくれるのです。

これは、冒頭の、
家族を亡くしたダニーが泣き叫んでいるのに、
クリスチャンは、
義務として慰めているだけだったシーンと、
対になっています。

 

対になっていると言えば、

このダニーが泣き叫ぶシーンは、
恋愛の喪失による悲しみなのですが、

一方、
クリスチャンがSEXしているシーンでも、
周りの女性達が「うお、うお」と、
奇妙なエクスタシーの喘ぎ声を上げています。

喪失の泣き声と、
生命誕生を寿ぐがの如き喘ぎ声のハーモニー。

それは、
生命の誕生と死のサイクルと描く、
「夏至祭」のクライマックスと言える合唱なのです。

 

そっとしておいて欲しい時があっても、
やっぱり、人間って、
弱っている時に共感してくれると、
コロッと参ってしまうもの。

ダニーは、
今までの自分の常識や倫理を超越するものがあるという事実を知ります。

ダニーにとっての、
スウェーデンにおける異文化コミュニケーションは、
彼女自身が拘っていた文化=悲しみの過去との訣別を意味するのです。

過去を捨て去る事、
家族を喪ったダニーにとっては、
その象徴は既に、恋人であるクリスチャンしか居ません。

故に、ダニーは、
まるで、正月の飾りや門松を燃やすかの如く、
幼少期から買い集めた漫画本をブックオフで売るかの如く、
クリスチャンを焼き殺すのです。

 

それは、
恋愛という括り、価値観からの解放を意味し、
故に、
ダニーはラストシーンにて、
会心の笑みを浮かべたのですね。

あー、スッキリした、と。

 

 

 

まぁ、実際は、
本作『ミッドサマー』の登場人物達は、
こんな非道い扱いを受ける謂われはありません。

この理不尽さは、
正に、ホラーの常套と言いますか、

悪夢的状況にて、
一人ずつブチ殺されて行くという、
ホラー映画の定型文であるのです。

 

ゆっくりと、物語が進む本作。

これを観る観客は、
ぶっちゃけ、中々進まない展開に、
「早く誰かブチ殺して、盛り上げろや!」と、思ってしまいます

そして、ようやく血が流れ、
犠牲者が残酷に殺される度に、
待ってましたと、悪魔的な感情の快哉を叫ぶのです。

 

物語は、ダニー目線で進みます。

しかし、
展開がある程度読める、
ホラー慣れした映画ファンは、
むしろ、
村民目線で、本作の展開を観る事になるのです。

その意味で本作は、
映画を観る観客すらも、祝祭に取り込んでいる、

そんな、
メタな世界観を形成している、
『ミッドサマー』は、
そういう作品だと、言えるのではないでしょうか。

 

うーん、興味深い。

ホラー映画の作り、展開に、限度は無いのか!?

様々な仕掛け、伏線、意図を探り、
考えれば、考える程、面白い、
本作は、超絶不愉快ホラー映画なのです。

 

 

監督の前作『ヘレディタリー/継承』について語ったページは、コチラ

 

 

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