2011年、3月11日、東日本大震災。未曾有の災害から、10年が経った仙台にて。
そこで発生した、奇妙で残酷な殺人事件。それは、全身を拘束され、餓死させるという手法だった。この事件が連続で起こり、警察は怨恨の線で捜査を進める。
その捜査線上に浮上して来た人物・利根泰久。彼の来歴とは、、、
監督は、瀬々敬久。
ピンク映画でキャリアを重ね、近年は一般映画作品でも評価を得ている。
近作に、
『64-ロクヨン- 前編/後編』(2016)
『友罪』(2018)
『菊とギロチン』(2018)
『楽園』(2019)
『糸』(2020)
『明日の食卓』(2021)等がある。
原作は、中山七里の『護られなかった者たちへ』。
出演は、
利根泰久:佐藤健
円山幹子:清原果耶
遠山けい:倍賞美津子
苫篠誠一郎:阿部寛
蓮田智彦:林遣都
三雲忠勝:永山瑛太
城之内猛:緒形直人
上崎岳大:吉岡秀隆 他
皆さん、
お気に入りの役者って居ますか?
この人が出ていたら、
無条件に、必ず映画を観に行くとか、
興味ないジャンルでも、チェックしてしまうとか、そんな存在です。
私にとっては、
阿部寛が、その一人ですね。
『孔雀王 アシュラ伝説』(1990)の昔から、
ずっと注目し続けた存在、、、
すみません、嘘です。
大分盛りました。
まぁ、それはともかく、
近年、阿部寛出演映画作品は、
当たりが多い印象があります。
閑話休題。
未曾有の災害、東日本大震災から10年後の現代。
そこで起きた、連続餓死殺人事件。
二名の被害者は共に人格者として知られていたが、
過去、同じ社会福祉保健事務所に勤務していた事が判明。
そこから、怨恨の線で捜査を進めた警察は、
容疑者「利根泰久」をあぶり出す。
彼の過去に、一体、何があったのか。
本作で描かれる題材は、
生活保護。
更に、過去の因縁として、
東日本大震災
が描かれています。
どちらもセンシティブで、重い題材と言わざるを得ません。
しかし、
『護られなかった者たちへ』は、それでも、
抜群に面白い。
何故なら本作は、
その演出、ストーリー展開が、
非常にサスペンスフルでスリリングだからです。
過去のある人物、利根泰久。
模範囚として刑務所を出所した彼は、一体何をしようとしているのか?
連続殺人事件と、その捜査が描かれる現代パート。
そして、
東日本大震災直後から始まる、
利根泰久の因縁を描く、過去パート。
この二つの時代が交互に描かれ、
「事件」と「因縁」が繋がる時、
真相が明かされる…
ミステリとしての「謎」を巡る展開が上手く、
そして、
それをエモーショナルに描いているのが、
本作のウリと言えるのではないでしょうか。
更に本作は、
メインのみならず、
チョイ役すら、豪華な出演陣で固められています。
その意味でも、注目作と言えます。
完成度の高いミステリ映画であり、
そして、
それをエモーショナルに、
スリリングに描いた作品、
それが『護られなかった者たちへ』です。
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『護られなかった者たちへ』のポイント
スリリングかつ、エモーショナルなミステリ作品
脇役まで豪華な出演陣
人は見た目が9割
以下、内容に触れた感想となっております
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人は見た目が9割なのか!?
かつて、新潮新書にて、
竹内一郎(著)『人は見た目が9割』という本が流行りました。
センセーショナルな題名ですが、
本の内容を知らずとも、
「そう言われれば…」と思い至る事も、あるのではないでしょうか。
さて、本作『護られなかった者たちへ』は、
エモーショナルで、センシティブな内容を扱った、
ミステリ映画です。
以下、オチについてのネタバレ込みとなります
本作においては、
佐藤健演じる利根泰久が、
映画冒頭から挙動不審というか、
目を合わせずにオドオドしてると思えば、急にキレたり、
クラスに一人は居る、何考えているか解らない陰キャそのものです。
なので、映画の演出を考慮して、
「あ、こいつが連続殺人事件の犯人で、
でも、過去の已むにやまれぬエピソードがあって、
それを絡める事で、
正義の在り方とか、生活保護の実状とか描きつつ、
エモーショナルな作品に仕上げているのかな?」
と、
メタ的な目線で、予想しながら映画を鑑賞する事になります。
しかし、
そういうメタ的な目線や、
利根泰久の「陰キャ」設定が、
実は、
ミスリードの伏線となっているのが、
本作の面白い所。
むしろ、
まともで、
見た目や性格もしっかりしていると感じられた人物が犯人であるというのが、
ミステリ作品特有の、
「騙される快楽」を演出しています。
「人は見た目が9割」、
普段認識していなくとも、
実は、「見た目(容姿)」のフィルターにて、
その人物を評価している部分が、
人間にはある、
その事実が、
自分にも当て嵌まるという事を認識させられるだけでも、
本作には重要な意義があります。
そして、
本作のフェアな所は、
ミスリードをちりばめつつも、
随所に、
真犯人のヒントがあるという事です。
例えば、
利根泰久と、
円山幹子が、現代、夜に再開するシーンです。
円山幹子は利根泰久に、
「そんな事は止めなよ」と言います。
これはミスリードで、
あたかも、
「連続殺人」は、止めなよ、
と言っている様にも思えます。
ここで、観客は勘違いして、
「やっぱり利根泰久が犯人なのか」と認識してしまうのですが、
同時に、
利根泰久が円山幹子に、
「お前こそ、なんでこんな職場で働いているんだ?」と、
ツッコむシーンでもあります。
後の展開にて明かされますが、
生活保護を受け取れずに、
孤独死した遠山けい。
円山幹子が、
それ故に、
生活保護に関する職場で働いて、
本当に必要な人の為に尽くしている、
という(表の)動機なら理解出来ますが、
しかし、
利根泰久が言ってるのはその事では無く、
「何故、遠山けいに生活保護を支給しないように仕組んだ張本人の部下として働いているんだ?」
と問い詰めているのです。
観客は、
円山幹子の見た目の良さで、
「表の動機」で、彼女が保険福祉センターで働いていると、
勝手に勘違いする事になります。
しかし、
本当に、そのシーンで描かれていたのは、
真相を感づいている利根泰久が、
円山幹子の不審な状況に苦言を呈している場面であると、
後に判明する場面なんですね。
確かに、
良く考えて観ると、
恨みのある人物の部下として働いている事に、
感情的な違和感を覚えるシーンです。
実際、そのシーンでは、
円山幹子は利根を、「利根さん」と他人行儀に呼びますが、
利根泰久は円山を、昔馴染みな「カンちゃん」というあだ名で、彼女を呼んでいます。
そんな「呼び方」の違いも、
後から考えると、ヒントであると気付ける部分です。
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違和感のある存在、その意義
さて、
『護られなかった者たちへ』に出て来るキャラクターで、
個人的に違和感を覚えた人物が居ます。
それは、林遣都が演じる蓮田智彦という刑事です。
先輩である苫篠誠一郎(阿部寛)に反抗的で、
自分が働く宮城県警も「田舎」だと馬鹿にした態度をとります。
更には、
犯人逮捕に重要な役割がある訳でも無く、
真相究明に関して、重大なヒントを与える訳でもありません。
では、何故、
居るだけでも、ちょっとウザいキャラクターを、
敢えて、登場させているのでしょうか?
私が思うに、それは2つの理由というか、役割があります。
先ず一つ目は、
蓮田智彦は、
利根泰久、円山幹子、遠山けいの、
事件に関わる、主要3者のキャラクターを内包しているという点です。
反抗的で、組織にも批判的な態度、
それは、
実は、円山幹子の隠されたパーソナリティでもあります。
そして、一見してウザい蓮田は、
見た目から挙動不審な利根泰久同様、
第一印象にて、マイナスイメージを人に与えるという点が共通しています。
また、
先輩や宮城県警に対して冷めた態度を取るのは、
実は、
中央の警察組織に対応出来なかった、
自己批判の裏返しと言えますが、
そういう態度というかメンタリティは、
自己批判にて、
生活保護の受給を「辞退」した遠山けいとも通ずる所があります。
二つ目は、
蓮田という人物が、
他の登場人物のカウンターパートとなっているという点です。
蓮田は反抗的に苫篠に言い放ちます、
「現場主義っていうか、経験がそんなに大事ですかね」と。
つまり、
経験に基づいた判断とか、
現場の叩き上げとか、
そういったマウント、止めてくれませんか、と言っているのです。
これは勿論、蓮田のやっかみというか、
見当違いの因縁付けです。
人間、実際自分が体験しないと、分からない事もあります。
ポケモンだって、
自分ではゲームをプレイせず、
配信サイトで対戦動画だけを見て、一丁前にコメントする「動画勢」が、
いざ、実況者に影響されて、
ゲームをプレイして対戦環境を整えようとすると、
メタモン厳選の時点で飽きてしまい、
「対戦」というフィールドに立つ以前に挫折する人間が多いです。
しかし、
生活保護を受給されない、出来ない人間が居ると、
実際に身に沁みて知っている円山幹子は、
故に、時に過激な行動をとります。
遠慮する老人には、受給の説得を試み、
不正受給を疑われる相手には、挑発的な態度で臨みます。
また、
殺人事件被害者の一人である三雲忠勝も、
東日本大震災直後は、
ボランティア的に、倒れた無数の墓石を立て直したりしていましたが、
しかし、
その終わる事の無い「賽の河原の石積み」の様な作業にメンタルをやられ、
そして、
震災後の財政困難な時期に、
更に、生活保護者の増加に対応する為に、
受給者の選別をせざるを得なかった状況に陥ります。
崇高な理念や、
過去の哀しい因縁も、
度重なる成果の無い体験や、
強烈な恨みの感情によって、
全て無益だと思い知らされているのです。
一方の蓮田は、
体験が乏しい、未だ、未経験な部分が多い故に、
批判しつつも、
捜査自体に疑いを持たず、
自分のやるべき事には、邁進しています。
しかし、
人間、実際に現場で挫折や絶望を体験すると、
その後、
諦念に囚われてしまいます。
そういう意味で、蓮田は、
諦めた人物に相対して、
まだ、諦めていない人間特有のギラギラした感じで存在しているのです。
で、
これらの特徴にて、
何を描きたいのかと言いますと、
それは、
未体験、ある意味無垢で、無関係の人間であっても、
本質的には、
本作の登場人物達の様に、
不幸や、間違い、恨みの感情や諦念に囚われる事もあり得るという示唆になっているのではないでしょうか。
捜査をする側の人物が、
実は、
犯人や被害者と、表裏一体である。
それは、
観客も代わらない、
そういう事を表すキャラクターであると、
私は思うのですが、どうでしょうか。
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黄色いレインコート
本作のキーワードというか、
キーアイテムの一つに、
「黄色いレインコート」があります。
クライマックス、
円山幹子が着ていたのも、
黄色いレインコートでした。
これは、
犯行後、返り血を浴びた場合に、
自分が汚れずに済むという効果もありますが、
実際は、
「自分はここに居る」という意思表示であり、
つまり、
深層心理としては、
自分の主張を誰かに知って欲しいという事と同様に、
自分を止めて欲しいという、声なき悲痛な叫びでもあります。
子供の頃、
親とはぐれる前に、
「見つけて貰える為に」と、
派手な黄色のレインコートを着ている様に言いつけられていた円山幹子。
そんな彼女を止められたのは、
「カンちゃん」時代から知っている、
利根泰久のみなのも、頷けます。
そして、ラストシーンです。
自分の息子も、
黄色いレインコートを着ており、
しかし、
東日本大震災にて、行方知れずになったという過去を持つ、
苫篠誠一郎。
利根泰久は、
東日本大震災の津波発生時、
黄色のレインコートを着た少年を助けられなかった、
その悔いが何時までも残っており、
だから、
黄色のレインコートを着た「カンちゃん」を、助けようと思ったと告白します。
それに対し、
苫篠は「声に出してくれて、ありがとう」と答えます。
苫篠を演じた阿部寛も、
「この場面は難しかった」というシーン。
これは、どういう意味の言葉なのでしょうか。
私が思うに、それは、
行方不明に終わってしまった自分の息子、
その存在を覚えてくれている人間が、他にも居た、
そして、
言ってくれた、知らせてくれたという事実、
それ自体に、礼を言っているのだと感じました。
勿論、利根が目撃したという少年、
「黄色のレインコート」という共通点だけで、
それが、苫篠の息子であるとは限りません。
しかし、
その可能性だけでも、
人の救いにはなります。
利根は、息子を助けられなかった。
しかし、
その体験があったからこそ、
円山幹子を助ける事が出来た。
そういう因果関係を見出し、
それはつまり、巡り巡って、息子が、円山幹子を助けた事にも繋がり、
その可能性を教えてくれた利根に、
苫篠は、「ありがとう」と言った様に、私は思えます。
ミステリとしての面白さ、
構成、キャラ設定の上手さもさる事ながら、
それに、エモーショナルなパートを繋げる事で、
ミステリとしても、
ドラマとしても見応えのある作品となった、
『護られなかった者たちへ』。
コロナの影響で、
社会が困窮している今だからこそ、
通ずる所が多い、
身に沁みる作品なのではないでしょうか。
コチラが、中山七里の原作小説
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