24人の命を奪った連続殺人鬼(シリアルキラー)榛村大和(はりむらやまと)。筧井雅也は中学生時代、榛村のパン屋に通っていた過去があった。
現在大学生の筧井に、その榛村から面会希望の手紙が来た。死刑判決を受けている榛村だが、その犯行の内、9件目の事件は自分が犯人では無いと言うのだ。興味を覚えた筧井は、事件を独自に洗い直すのだが、、、
監督は、白石和彌。
監督作に、
『凶悪』(2013)
『日本で一番悪い奴ら』(2016)
『孤狼の血』(2018)
『止められるか、俺たちを』(2018)
『凪待ち』(2019)
『ひとよ』(2019)
『孤狼の血 LEVEL2』(2021)等がある。
原作は、櫛木理宇の小説『チェインドッグ』を、
文庫化にあたり改題した『死刑にいたる病』。
出演は、
榛村大和:阿部サダヲ
筧井雅也:岡田健史
筧井衿子:中山美穂
筧井和夫:鈴木卓爾
金山一樹:岩田剛典
加納灯里:宮﨑優
根津かおる:佐藤玲
佐村弁護士:赤ペン瀧川 他
本作『死刑にいたる病』の原作者、
櫛木理宇は、
小説家をしてデビューする前、
シリアルキラーの事について調べたウェブサイトを運営していたそうです。
後にシリーズ化する『ホーンテッド・キャンパス』にてデビューした彼が、
満を持して(?)シリアルキラーを題材にして執筆した小説が、本作。
古今東西の色々な殺人鬼を元にして作り上げたという、
本作の榛村大和。
彼の依頼を受けて、
素人探偵として、過去の事件を洗い直す筧井雅也。
つまり本作は、
いわゆる、アームチェア・ディテクティブものと言えるのです。
安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)とは、
ミステリ用語で、
椅子に座ったままで、
記者や報告者から提供されるヒントのみで、
事件を解決せしめる「探偵」役の事。
本作では、
安楽椅子探偵が、榛村大和で、
記者、報告者役が、筧井雅也という役回り。
シリアルキラーの依頼を受け、
凄惨な事件の後追い調査をする。
そんな本作は、
正統派のミステリ、サスペンス作品と言えるのです。
まぁ、形式としては、
正統派のミステリ作品。
とは言え、
それがシリアルキラーの依頼で、
その依頼者の連続殺人を洗い直すという行為自体、
ちょっと忌まわしく、
そこに、
普通のミステリ作品には無い、
スリラー要素がふんだんに含まれているのです。
何か、ハリウッド系の映画って、
基本、脳筋じゃないですか。
私的には、
そこが、好きなんですけれども、
ミステリ作品でも、
筋肉でゴリ押しする作品が、多々見られます。
それに比べると本作は、
理屈で考える「文系」のにおいのする作品。
ハリウッド系の映画では、
ぶん殴って解決するかもしれませんが、
本作ではそれは無いので、ご安心を。
殺人鬼が、自分の犯行の中の一件について、
無罪を主張している、
この設定が、
先ず、興味をそそられますよね。
そして、事件自体が、
連続殺人という凄惨なものではあるのですが、
その事件を起こした殺人鬼に、
何とも言えず、独特の魅力があるのが厄介な所。
『死刑にいたる病』には、
お昼のワイドショーを見るような、
下世話な野次馬根性を刺激する部分が、多数あります。
しかし、そこに、
独特の残忍さと狂気と悪意を孕ませているのが、本作。
そういう、自分の愚かさと対面してもよい覚悟があるのなら、
本作を観て、楽しめるのではないでしょうか。
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『死刑にいたる病』のポイント
安楽椅子探偵モノ
興味深いシリアルキラー
自分で考える事、裏取りの重要性
以下、内容に触れた感想となっております
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興味深いシリアルキラー、榛村大和
本作の原作小説を執筆した、櫛木理宇は、
デビュー前に、シリアルキラーのサイトを作っていたと言います。
そんな彼が創造したシリアルキラー、
榛村大和。
成程、
中々どうして、
独特の魅力を備えています。
櫛木理宇は、
その元ネタとして、一番参考にしたのは、テッド・バンディという、
アメリカで実在したシリアルキラー。
「黒い髪を中分した白人女性」ばかり狙った、
秩序型(決まったパターン)の犯行をしていたそうです。
他にも、個人的に感じたのは、
本作には、
トマス・ハリスの小説を映画化した
『羊たちの沈黙』(1991)の、
ハンニバル・レクター(シリアルキラー:安楽椅子探偵)と、
クラリス・スターリング(FBI捜査官:報告者)の関係性からも影響を受けていると感じました。
また、
犠牲者の「爪」をトロフィーとして集めていた部分に、
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部に登場するシリアルキラー、
吉良吉影を彷彿とさせられました。
他にも、
色々な、古今東西の実在、創作されたシリアルキラーの要素が詰め込まれている様なので、
その元ネタを探すのも、面白いかもしれません。
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安楽椅子探偵の操作術
シリアルキラーを魅力的だと感じるのは、
その性格や行動、行為を肯定している訳では無くて、
どうして、
連続殺人なんて事をしたのか?
その異常性の原因に興味が惹かれるからです。
しかし、
好奇心は猫をも殺すと言いますか、
本作においては、
「興味をそそられる」事自体が、
既に、シリアルキラーの術中に嵌っていると描写されます。
筧井雅也は、
榛村大和に依頼され、独自に捜査を開始します。
その過程で、
榛村の弁護士である佐村と口論になります。
「佐村さんは、榛村さんの弁護士じゃないんですか?」と。
それに対し佐村は、
榛村の幼少時、幼女相手に行った凄惨な「犯行」のエピソードを披露し、
「榛村に影響を受けすぎじゃないですか」と、
キレ気味に言い放ちます。
本作を素直に観ていると、
単純に、
「榛村は(9件目に関しては)無罪で、筧井は頑張っている」
という印象を受けるかもしれません。
しかし、このシーンで、
ちょっと、「ん?」と気付かされます。
もしかして、
榛村は、嘘を吐いているのではないだろうか?
シリアルキラーの言う事を、真に受けて良いのだろうか?と。
この辺の塩梅が、
映画として、見事ですよね。
はたして、
榛村大和は、
結局は、9件目も自分の犯行であり、
17、18歳の優等生タイプの子供ばかり狙った「秩序型」の彼が、
イレギュラー的に20代後半の女性を殺害した事には、
また、別の理由があったと判明します。
榛村大和は、
好んで殺人する対象は決まっており、
それ以外にも、
目を付けた相手と、
長い時間をかけて人間関係を形成するという指向(嗜好)があります。
そうして、
知らず知らずの内に、
榛村のマインドコントロールの影響を受けた対象(影響者と便宜的に書きます)に、
彼は獄中から、
マリオネットの如くに、影響力を発揮しているのです。
根津かおるへの反抗は、
その影響者の一人である、金山一樹を弄ぶため。
そして、
結果的にパターン外になった件を、
逆に利用する形で、
今度は、
影響者の一人である、筧井雅也を操っていたのです。
いじめっ子って、
いじめの対象に、決まったタイプの人物を選ぶと言います。
それは、
自分の「イジメ」が通用する相手を選んで、
「イジメ」を実行しているのです。
マインドコントロールには
様々な手口があると思われますが、
その手法とは逆説的に、
マインドコントロールが通用する相手だから、
マインドコントロール出来る、
という側面もあるのです。
本作の恐ろしさは、そこにあります。
榛村大和を興味深いと思う様な、
つまり、
本作に興味を惹かれて、映画を観に来た人間こそが、
榛村の術中に嵌る要素を持ったタイプと言えるのです。
優しげな言葉で肯定し、
自分を理解し、褒めてくれる人物。
自分を肯定してくれる相手を、
自分も、肯定したくなる気持ちも、
解らないではないです。
しかし、
自分が誠実に相手を想っても、
相手も、
自分を誠実に思ってくれているとは限りません。
最初から、
損得勘定を持って、
ハメる前提で、人間関係を構築するタイプも、実際に居るのです。
面会室で、
榛村大和と筧井雅也が対面するシーンで、
二人の顔が重なったり、
仕切板越しに、まるでそれが無いかの様に二人が触れ合うような演出が見られます。
それは、
影響を与えている様子を視覚的に表しており、
筧井雅也は、
捜査しているつもりで、
実は、榛村大和に、
操作されているに過ぎないのです。
一方、榛村大和は安楽椅子探偵であり、
また、過去の突発的な犯行をネタにしている部分もあって、
筧井雅也との面会での対話を重視しています。
なので、
計画性というより、
アドリブを重視しており、
筧井雅也が、
自分を父親と勘違いした事を利用します。
結局は、
この嘘(実際は、父親ではない)の露見や、金山一樹の証言により、
筧井は榛村に不信を抱くのですが、
有り得ない事も「よもや」と思わせる話術、詐術こそが、
榛村大和の真骨頂であるのです。
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「死刑にいたる病」とは?
『死刑にいたる病』とは、
キルケゴールの著作『死に至る病』から引用した題名でしょう。
(映画の冒頭でも、大学で講義しているシーンがありました)
「死に至る病」とは、「絶望」の事。
アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』の
第拾六話「死に至る病、そして」でも有名です。
で、本作の「死刑にいたる病」とは何か?
それは、執着だと思うのですが、どうでしょうか?
人に執着するからこそ、
榛村大和は犯行を起こし、
その執着に疲れたのか、
一旦は捨てて、
獄中に入りますが、
しかし、
結局は捨てられず、
影響者達を操って遊んでいる。
だが、
それを繰り返す内にも、
死刑がカウントダウンされます。
榛村が24人も殺しており、
その全てが立件されるまで時間がかかり、
その間、死刑は実行されないと、思われます。
その「余生」を、
結局、執着心で満たしている所に、
悪人ぶりを感じますね。
人は、
オレオレ詐欺に引っ掛かるはずは無いと思っていても、
実際に、自分がその立場になると、
どうなるか、分かりません。
本作『死刑にいたる病』を観て思うのは、
ただより高いものはない、
口が巧みなヤツには、気を付けろ、
その親切心、裏があるんじゃないのか?
もうね、
被害妄想が甚だしくなりますが、
人間関係を全面的に否定する訳ではありませんが、
基本的な自己防衛の気持ちも、持ち続けるべきだな、と思いましたね。
コチラが、櫛木理宇の原作小説です
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