映画『アメリカン・アニマルズ』感想  オンリーワンでない事の苦悩!!

鬱屈した大学生活を送るスペンサー。悪友のウォーレンと「特別な何か」が起こる事を待っていた。ある日スペンサーは、自分の通うトランシルヴァニア大学の図書館が、高価な絵画を所蔵しているという話をする。ジョン・ジェームズ・オードュポンの「アメリカの鳥類」。時価は1200万ドル。そして、それを守るのは女性司書ただ一人であるのだ、、、

 

 

 

 

監督はバート・レイトン
英国でドキュメンタリー作品を多く手掛けた。
本作が長篇初映画作品。

 

出演は、
ウォーレン:エヴァン・ピーターズ
スペンサー:バリー・コーガン
エリック:ジャレッド・アブラハムソン
チャールズ:ブレイク・ジェナー
ベティ・ジーン・グーチ司書:アン・ダウド

そして、現在の
スペンサー、
ウォーレン、
エリック、
チャールズ、
ベティ・ジーン・グーチ司書として、
彼達自身が出演している。

 

 

 

映画が始まったその冒頭、
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の一節が引用されます。

それは、この様な趣旨の内容。

進化の過程において、
現在は、
アメリカ特有の種(American Animals)は、
ケンタッキーの片隅においやられた。

 

そう、
今はもう、アメリカに固有の野生種は存在しないのかもしれません。

…いや、いた!

ケンタッキー州に追いやられたアメリカン・アニマルズが、
現代の野生児として洞穴から元気に飛び出して来た!!?

 

それが本作『アメリカン・アニマルズ』です!?

 

 

「特別な何か」なんて、待ってるだけじゃ起こらない。

ならば、自分達で起こすしかない!!

スペンサーは、ウォーレンと共に、
「アメリカの鳥類」強奪計画を立てます。

図書館の間取り、
司書の行動、
監視カメラの配置などを調べ、

盗品を買い取ってくれる相手を探し、

更に、
エリックとチャールズという仲間を加えて、
いよいよ、計画を実行に移しますが、、、

 

 

本作は、

普通の大学生が、
高価な絵画の強奪を企む、
まさかの実話。

 

この時点で、既に面白いですが、
なんと、

その強盗団4人が、
実際に映画に出演します。

 

本作は実話ベースの映画ではありますが、

その一方、
ドキュメンタリー作品出身の監督だけあって、
実在の人物のインタビュー映像を差し挟み、
さながらドキュメンタリー作品の様相を呈しています。

映画という虚構でありながら、
ドキュメンタリーでもある。

 

なかなか、
凝った構成の映画なのです。

 

そして、
そこで描かれるのは、
学生が起こした犯罪という事実ではありますが、

これこそ、

皆が思い悩む、青春の通り道

自分が、特別な存在でありたい。

 

その思いに身を焦がす若者の様子を描いているのです。

…しかし、
その鬱屈を、

勉強でも
スポーツでも、
仕事でも無く、

犯罪で解消しようというのが、
何ともはや、な事件であり、

だからこそ、
ある意味、魅力的な題材であるのです。

 

普遍的な青春の悩みを、
一風変わった構成で描いた実話系作品、

『アメリカン・アニマルズ』は、
観て損の無い、
トリッキーであり、スタンダードでもある作品なのです。

 


 

 

  • 『アメリカン・アニマルズ』のポイント

「特別な何か」を、犯罪で起こしてしまった若者たち

物事は、計画している時が一番楽しい

実話でありながら、虚構

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 「特別」になりたいという苦悩

本作『アメリカン・アニマルズ』は、
普通の大学生が、
まさかの強奪事件を起こし、
捕まってしまうまでの顛末を描いた作品です。

 

人は、その人生において、
「特別な何か」であろうと望みます

何かのジャンルで「ナンバーワン」を目指したり、

元々特別な「オンリーワン」であると思い込もうとします。

しかし人は、
その、特別たりたいと願う自分の願望と、
平々凡々な自分自身の現実とのギャップに、
悩み、苦しむのです。

 

アーティストを目指すスペンサーもそうです。

後の世に名を遺した芸術家は、
皆、特別な悲劇を乗り越えている。

ならば、
自分も後の世に名を遺すほどの芸術家となるには、
その「特別な何か」が、
人生の経験上必要なのではないか、と思うのです。

 

その想いが、
悪友のウォーレンの想いとシンクロします。

彼も、その「特別な何か」を待っていたクチ。

親から敷かれたレールを辿り、
その流れで、大学へはスポーツの奨学生として入学したウォーレン。

しかしウォーレンは大学生活において、
ふと、人の人生について考えてしまったのです。

「何て、無意味なんだろう」と。

そこで、
「世界に爪痕を残したい」と想ったのです。

 

因みに、
ウォーレンの「扇風機を止めようとする恐竜」のタトゥーですが、
「鳥獣戯画」の「蓮の葉をしょっているカエル」の画に見えたのは私だけでしょうか?

 

後に仲間に加わる二人の内、エリックもそうです。

作中では、ウォーレンとの友情の為と言っていますが、
エリック本人曰わく、

「退屈な日常からの脱却」を図ったのだそうです。

一方チャールズは、
「ただ、金が欲しかった」と言っています。

 

この、
「特別」たりたいと悩む事こそ、
青春の蹉跌の主要因と言えるでしょう。

太古の昔から、
特別でありたいという自分の願望と、
平凡な現実とのギャップに、
人は苦しむのです。

さながら、
『罪と罰』のラスコリーニコフの様に。

 

極少数の人間は、
若くして栄光を手にする人もいます。

しかし、
一般的に、
普通の人間は、
平凡な日々を、長く過ごして行く事になります。

自分は、特別な人間では無い。

それを受け入れる事から、
人生は始まるのです。

 

しかし、です。

そういう普通の生活の積み重ね、
日々の長い修行の果てに、

時に、
人間は、特異な人生を歩み、
それが、
オンリーワンの人生となるのです。

トランシルヴァニア大学の司書である、
ベティ・ジーン・”BJ”・グーチは語ります。

「彼達は、地道な日々の積み重ねという過程をスッ飛ばして、安易な道を選んだ」

「その原因を、彼達は解っているのかしら」と。

彼女の言葉こそ、
若者が陥る失敗を言い当てていると言えるでしょう。

 

人は、
自分が特別では無い、と受け入れた時から、

実は、
特別な人間になる、その過程が始まります

それは、
日々の積み重ねで、
長い人生のその道程において、
「そういう事だったのか」と気付く事なのです。

しかし、
そんな事は、若者の時分に気付けるハズも無く

だからこそ、
古今東西の若者が青春を悩み、

そして、
その悩みが、数々の文学や映画作品を生むのですね。

 

  • 物事は、計画している時が一番楽しい

そこで、
ウォーレン、スペンサー達は、
トランシルヴァニア大学の図書館に所蔵されている、

ジョン・ジェームズ・オードュポンの
「アメリカの鳥類」を盗みだそうと計画するのです。

 

さて、皆さん、
物事って、
実際に行うより
実は、計画している時の方が、往々にして楽しいって事、
ないですか?

宴会しかり、
旅行しかり、
カードゲームしかり。

宴会は、
会場を選んだり、メニューを決めたりしている時が、
実際の飲み会より楽しいし、

旅行は、
何処に、どういう経路で、何を観て、
どういう料金体系のプランを立てるのか、
それを考えるのが、実際に行く事より楽しかったり、

カードゲームも、
自慢のデッキをいじっている時が、
実際に戦っている時より楽しかったりします。

 

実は、
本作もそうなんですよね。

特別な何かを起こそうと、
稀覯本を盗み出す。

このエキサイティングな発想を実現させる。

その為に、
図書館の図面を引いたり、
人物のタイムラインを作ったり、
犯罪映画を観てシミュレーションしたり、
仲間を引き入れたり、
盗品の買い取りをしてくれる人物を探したり、

この、
ルーティンを脱した状況、
非日常を感じられる、数多の行動こそが、
エキサイティングなんですよね。

 

しかし、です。

計画が実行に移される時。

その時、
その計画が、
穴だらけのズブズブである事が露呈します。

想像上では上手く行った事も、
実際にやってみると失敗してしまう、
だから、計画段階の時の方が、
物事が楽しく感じてしまうという事が多いのです。

 

そうなんですよね。

計画段階では楽しい事も、
実際に行ってみると、
上手く行かないという事態は山ほど起こります

まぁ、
そういうトライ&エラー、
PDCAサイクルの積み重ねこそ人生であり、

その地道な作業を繰り返した先にしか、
成功は有り得ないのです。

 

  • 虚構と現実が入り交じる構成

実は本作『アメリカン・アニマルズ』は、
その、
想像、理想と、
現実とのギャップを描く事こそ、
作品のテーマであると言えます。

 

ストーリー的な面でその事をあらわしつつ、
更に本作は、
その構成においても、テーマを象徴しています。

それは、
作品に本人達を出演させ、
当時の事を語らせるという演出
によって成されているのです。

ドキュメンタリー作品出身の監督ならではのアイディアと言えるでしょう。

 

映画とは、
そのジャンル的に、
実話系の作品といえども、「創作物」である事は否めません。

しかし、
「ドキュメンタリー」というジャンルは、
例外的に、
事実を追求しようというスタンスが採られています。

本作は、
「創作物」という映画の中に、
「ドキュメンタリー」を混ぜる事で、

虚構と現実が入り交じる構成になっているのです。

 

それだけではありません。

本作は、
事件を起こした実在の彼達が、未だ収監されている時から、

監督が文通により、
彼達とコンタクトをとっていたとの事です。

その手紙の中で、
それぞれが語る事実が、
各人、微妙に異なっているという事態に直面したと言います。

つまり、
同じ事でも、
体験した個人の主観により、
記憶という事実は、如何様にも変化すると言えるのです。

 

本作に出演した本人は、記憶を頼りに事実を語ります。

しかし、
それが、第三者から見ても、
事実とは限らない。

正に、真実は『藪の中』、
映画の『羅生門』の如くに、です。

そもそも、
映画に出演している時点で、
本人による、意図しない「演技」が混じっているハズですから。

いや、それにも増して、
本人達自身の風貌が、
まるで、映画のキャラクターそのものかのように、
キャラが立っていたのがまた、面白い所です。

 

人はその記憶を、
時に、自分の都合の良いように作り変えてしまうといいます。

つまり、
スペンサー、ウォーレン達4人分の、事件の事実があるのです。

本作は、
映画部分で、
その各人の様々な「事実」を、
パッチワークの如くに重ねて、
多重のレイヤーのある虚構を生みだしています

各人が、
「こうであって欲しい」「こうであったハズだ」

そういう意思が反映した記憶のツギハギが、
体験者の事実と
第三者から見た真実との間にギャップをもたらすのです。

 

本作は、その冒頭
「真実に基づいた作品」という字幕から、
「基づいた」の部分が消え、
「真実の物語」と明記されます。

しかし、実際は、
各人の事実である「真実の物語」が、
全員に共通する「真実」では無い事が浮き彫りにされます。

ドキュメンタリーでありながら、
知らず知らず、
実は、モキュメンタリーだったと解らされる驚きがある本作。

つまりここでも、
記憶(理想)と、
事実のギャップが描かれているという訳なのです。

 

 

 

 

監督との文通にて、
事件を起こした4人は一様に、
収監された最初の2年が、人生において最も幸福な期間だったと言ったそうです。

何故なら、
今までのしがらみから解放され、最も自由を感じたからだと、
皆が言ったそうです。

そのしがらみとは、
家族や社会との関わりであるのは勿論、

その最も核心にあるものは、
自分が自分に期待する、「特別たれ」という願望であるのです。

 

「特別な何か」を求め、
それを起こしてしまった4人。

その計画は失敗に終わりましたが、
しかし彼達は、
起こした事件により、自分達が「特別な人間では無い」という事実を受け入れる切っ掛けとなり、

皮肉にも、
そこから、他の誰でも無い、特別な人生を送る事になるのです。

 

 

特別たりたいと願う青春の苦悩を描きつつ、

その苦悩を犯罪で昇華させようとした大学生の人生の蹉跌を描いた作品『アメリカン・アニマルズ』。

その願望と現実のギャップを、
ストーリーと、
凝った構成により描いた、

興味深く、面白い作品なのだと、
本作は言えるのです。

 

 

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