映画『ある少年の告白』感想  恐怖の矯正治療!!アイデンティティを守れ!!

大学生のジャレッドは、突然、寮から家に帰って来た。そこに、大学のカウンセラーと名乗る者から電話がかかってくる。それは「ジャレッドが同性愛者」だという告発だった。牧師の父は困惑しつつもジャレッドを「矯正治療」の施設へと入所させる、、、

 

 

 

 

監督はジョエル・エドガートン
顔面力の高い役者としても有名。
主な出演作に、
『華麗なるギャッツビー』(2013)
『エクソダス:神と王』(2014)
『ザ・ギフト』(2015)
イット・カムズ・アット・ナイト』(2017)
レッド・スパロー』(2018)等がある。

監督としては、
『ザ・ギフト』(2015)に続いて、
本作が二本目。

 

原作は、ガラルド・コンリー
『Boy Erased: A Memoir of Identity, Faith, and Family』(未訳)。
著者の実体験に基づく告白本とも言える作品だそうです。

 

出演は、
ジャレッド:ルーカス・ヘッジズ
ナンシー:ニコール・キッドマン
マーシャル:ラッセル・クロウ

ヴィクター・サイクス:ジョエル・エドガートン 他

 

 

 

「LBGTQ」という言葉をご存知ですか?

「L」は「Lesbian」(女性同性愛者)
「B」は「Gay」(男性同性愛者)
「G」は「Bisexual」(両性愛者)
「T」は「Transgender」(身体上の性別に違和感を持った人)
「Q」は
「Questioning」(自身の性指向を定めていない人)
「Queer」(上記のどれにも値しない人)

の事を言うそうです。

 

本作『ある少年の告白』は、

LGBTQと家族、
そして宗教との関わりを描いた作品と言えます。

 

 

本作の主人公ジャレッドは、
牧師の父の勧めで、矯正治療に赴きます。

アメリカでは、
キリスト教といった、宗教に基づいたもの、
そうでないもの、
心理療法と組み合わせたものもあるそうです。

そういった、

性的指向を強制的に変更させる、
矯正治療(Conversion Therapy:コンバージョン・セラピー)の実態を描いた作品とも言えるのです。

 

我々日本人には馴染みの無い施設ですが、

そこで、一体何が起こっているのか?

その周辺の現実も、
驚愕と共に知る事が出来ます。

 

息子が、ゲイだと告白したら、
親として、どう接しますか?

受け入れられるかも分からないのに、
親に、
自分がゲイだと告白する事が出来ますか?

本作は「性」絡みですが、
そういった、

親と子の関わり

 

について語った作品、
『ある少年の告白』は、シンプルながら、
実話ならではの重さを持った作品と言えます。

 


 

  • 『ある少年の告白』のポイント

親と子の関わり

矯正治療の恐怖

アイデンティティの獲得

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 矯正治療の恐怖

本作『ある少年の告白』は、
観る前の印象としては、
LGBTQの少年と、
それを告白された両親との関わりの物語だと思ってました。

確かに、
その予想通りの話ではありましたが、
その描き方が、予想の範囲外。

物語のテーマを語る舞台として描かれる、
矯正治療(コンバージョン・セラピー)の施設の様子に驚愕しきりです。

その目的は、善意(?)とは言え、
実際にやっている事は、
強制収容所か、刑務所か、
それらと同じ様な印象を受けます。

 

個人の意思、これまでの人生を徹底的に否定し、
その後、
型に嵌めた思想を外部から強制する。

過去の行いを告白させたり、
男らしさとは何かとか、体育会系的なモノを強制したり、
更には、「葬式ごっこ」をやって、鞭を打ち、
そして、その鞭打ちをする者を、同じ治療者から募集する。

カルト教団や軍隊で見られる、洗脳の方式そのものです。

 

洗脳というものは、
個人のアイデンティティを破壊し、
空白になった所に、
外部から「教義」「規則」の様な、都合の良い「型」を嵌め込んで行くものです。

アイデンティティ(個人の意思)の破壊とは、
自由意志を放棄させるという事。

 

本作でも、
金髪の入所者ゲイリーが、
「自分の意思を守りたいなら、役割を演じるしかない」
と言っています。

自分が自分でありたいならば、
相手が押し付ける「こうあるべき形」を演じるしかない。

逆説の様な対処法ですが、
しかし、
それも、長く役割を演じてしまったら、
いつしか、それが習い性となり、
演じていたハズが、そのものになってしまう危険性もあります。

 

矯正治療は、
アメリカにおいて、
今まで70万人が参加(内、未成年30万人)したと言われており、

治療の科学的根拠は無く、
スタッフにも、認可された専門家が居る訳でも無く、
参加する事で、
鬱や自殺率の増加という弊害も見られるそうです。

本作の原題は『BOY ERASED』。
直訳すると、「消された少年」。

治療という名目で、
その実態は、
個人の自由意志を「殺す」行為、

その矯正治療の恐ろしさを、
本作『ある少年の告白』は、訴えているのです。

 

  • 選択によって変わる人生

LGBTQの人を、差別する。

ぶっちゃけ、
日本においては、
そういう性向であからさまに差別される事は、
アメリカ程では無いので、ピンと来ないかもしれません。

やはり、
アメリカという国は、
根強く、キリスト教の影響が強いのだなと、
改めて実感します。

選挙の支持基盤でも、

先日みた映画の『バイス』では、
娘が同性愛者だから、
キリスト教徒の有権者の支持を得られず、
大統領になれない、という事をディック・チェイニーは言っていましたし、

普段の生活でも、
キリスト教的な倫理観が、
常識として行動規範を形成している印象があります。

 

その、キリスト教の宗派によっては、
教義で、同性愛等を認めていないものもある、

つまり、
LGBTQは、あってはならないもの、
として、排除され、攻撃の対象となってしまうのですね。

そういう観点からすると、
強制的にでも、性向を変えるのは、
神の意志に添う事であり、
ひいては、本人の為である、
という思考に至るのですね。

そういう大義名分があるから、
矯正治療という様な非道な事をして、罪悪感を覚えないのです。

岡目八目、
傍から見たら、完璧に変であると、分かるのですが、、、

 

ジャレッドが施設へ行く直前、
キリスト教徒であり、
医師でもある婦人がこう言います。

「ご両親の意思に添えないけれど、意味が無いのは分かっている」
これから何が起こるか、その結果どうなるかは、自身の選択による」と。

これらの言葉が、
実は、本作を端的に表しているのですね。

前者は、矯正治療の無意味さを訴え、
後者は、本作のテーマを表しています。

 

作中、
ヴィクター・サイクスがこの様な趣旨の事を言っていました。

「お前達は、間違った選択の結果、今ここ(矯正治療の場)に居る」と。

つまり、
LGBTQという性向は、
個人の人生による選択の結果(後天的なもの)であり、
ならば、
それは「治療」出来る、
と、言うのです。

しかし、
「性向」というのは、
生まれ持ったものなのでは?

況してや、
「治療」出来る「病気」というカテゴリーであるハズはありません。

最初の認識から、
根本的に間違っているのです。

しかし、
「教義で同性愛が禁じられている」
この事実のみで、
論理が完結しているので、
それ以上の議論が通らないのです。

 

そういう、
話が通じない相手に、
コチラはどう対処するのか?

作中、ゲイリーが言っていた様に、
相手の言い分を聞いているフリをして、
ナァナァで誤魔化す?

ジャレッドの選択は、
相手に「NO」を突き付けるというものでした。

自分のアイデンティティを否定する事も、
アイデンティティを隠す事も
両親や親戚に原因があると責任転嫁する事も拒否する
のです。

そして、
これこそが、
ジャレッドの選択だったのです。

皮肉にも、
ジャレッドは、
自分のアイデンティティの否定を拒否する事で、
逆に、
自身のアイデンティティを自覚するのです。

 

そして、
本作の選択は、
ジャレッドの両親、
信心深い、ナンシーとマーシャルにも迫られます。

端的に言えば、
今までの信仰を取るか、
息子を取るか、
です。

結果的には、
エンディングを観るに、
ジャレッドの両親は、
ジャレッドを受け入れた様に思えます。

 

辛い出来事があった。
無い方が良かったかもしれないけれど、
この出来事があって、
今の状況がある、
そう、作品の冒頭でジャレッドは言っていました。

アイデンティティの危機に陥った時に、
奇しくも、
ジャレッドはアイデンティティに目覚め、
そして、
それを両親が受け入れてくれる切っ掛けとなったのです。

つまり、
辛い出来事があっても、
選択の結果、
道は拓かれる
そういうメッセージが、
本作には込められていると思います。

 

  • サイクスのその後

本作、
ラストの補足の追記にて、
「サイクスは施設を辞め、現在はと暮らしている」
との記述がなされています。

正に、突然、
さりげなく青天の霹靂。

強烈な違和感
「え?サイクスって男ですけど?」
と、疑問に思ってしまいます。

実は、
この一文には、
かなりの意味が込められているのです。

 

本作は、
実際にあった事が映画化されていますが、
登場人物の名前は変更されています。

ヴィクター・サイクスにもモデルが居り、

それは、
映画の原作者ガラルド・コンリー(ジャレッドのモデル)を「治療」した、
ジョン・スミッドという人物です。

 

このジョン・スミッドは、
元々ゲイだったそうですが、
矯正治療の結果「更生」し、

その後、
スタッフとして頭角を現し、
今度は自身が矯正治療を施す方に回っているのです。

ジョン・スミッドだけではありません。

実は、
施設のスタッフの多くが、
元々、同性愛者だったとの事。

監督のジョエル・エドガートンは言います、
「これは、虐待の連鎖だ」と。

 

自分が行われた事(矯正治療)は、良いことだ、と。

だから、他の人にも施すのだ、と。

何だか、
ゾンビに噛まれた者はゾンビになる、
みたいな不気味さを感じます。

 

しかし、
結局、本作の様な出来事があったからか?
ジャレッドの告白の所為か?
それとも別の事があったのか?

サイクスは、施設を辞め、
ゲイとしての自分を受け入れたという一文から、

自分の行為が過ちだったと気付き、
それを認めたという事が示唆されているのです。

 

監督が言うには、
本作は、
だれも、分かり易い悪人としては、描いていないとの事です。

実際、
本作の登場人物は、
自分が良かれと思いながらも、
他人にとっては「余計なお世話」を施しています。

この善意の悪行が、
悲劇と無理解を生むという事を描いているのですね。

 

さりげなく挿入された一文にも、
かなりの設定と、ドラマが隠れている、
興味深く、
そして、油断出来ません。

 

 

 

自己の常識を、良かれと思って相手に強制する、
この相手に対する圧倒的な無関心と無理解が、
アイデンティティの侵犯となります。

しかし、
そういう理不尽に遭遇し、
アイデンティティの危機に陥った時こそ、
それを見直し、
逆に、アイデンティティを確固たるものにする事にも繋がる、

「災い転じて福と成る」

本作は、
選択の如何によって、
道が拓かれるというメッセージも込めた作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

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