平和な町ランバートン。卒倒し、入院した父を見舞いに帰って来たジェフリーは、その帰り道、野原で人の「耳」を見つけて拾う。警察に届け出たが、どうしても気になるジェフリーは自分でも捜査を開始するのだが、、、
監督はデイヴィッド・リンチ。
センセーショナルな話題を振りまいた今作で、一躍有名になった。
映画監督作に
『イレイザーヘッド』(1977)
『エレファント・マン』(1980)
『デューン/砂の惑星』(1984)
『ブルーベルベット』(1986)
『ワイルド・アット・ハート』(1990)
『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(1992)
『ロスト・ハイウェイ』(1997)
『ストレイト・ストーリー』(1999)
『マルホランド・ドライブ』(2001)
『インランド・エンパイア』(2006)がある。
TVシリーズ監督作に
『ツイン・ピークス』(1990、1991、2017)
『オン・ジ・エアー』(1991)がある。
主演はカイル・マクラクラン。
デイヴィッド・リンチ作品の常連の一人だ。
『デューン/砂の王国』や
TVシリーズ『ツイン・ピークス』に出演している。
他映画出演作に
『ヒドゥン』(1987)
『ドアーズ』(1991)
『ショーガール』(1995)等がある。
他、共演に
イザベラ・ロッセリーニ、デニス・ホッパー、ローラ・ダーン等。
『ブルーベルベット』は公開時、物議を巻き起こしたそうだ。
それは、
SM、性倒錯、暴力、覗き、
これらの負の魅力に溢れていたからだ。
しかし一方、センセーショナルであるが故に話題となり、興業的にはヒットし、一部批判にさらされながらも、後に評価された作品だという。
これはつまり、
隠された淫靡なもの程、魅力的
という事を如実に表わしている。
普段意識して見ない様にしている世界を暴き出し満天下に晒した作品、
今でこそ狂気や猟奇は映画で氾濫しているが、その走りとなった作品、
それが『ブルーベルベット』なのだ。
以下ネタバレあり
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表と裏
デイヴィッド・リンチ作品は一見しても意味の掴みづらい作品が多い。
その中にあって、本作『ブルーベルベット』はわりかし分かり易い部類に入る。
平和でのどかな町。
しかし、一皮剥いて覗き込んだ先には狂気が潜んでいた。
そう、『ブルーベルベット』は世間の表を裏、本音と建て前、平和と狂気の対比、
つまり美しいものの下に隠された淫靡なものを独特の美意識でもって暴き出した作品であるのだ。
本作は公開時、そのインモラルさに批判が噴出したという。
しかしその一方、センセーショナルな内容見たさに観客は足を運び、興行的にはヒットしたらしい。
デニス・ホッパーの怪演、
そしてイザベラ・ロッセリーニの体当たりの演技、
それらは一般的には嫌悪されつつ、
しかし、一方では高く評価された。
これらのアンビバレンツな反応は、まさに『ブルーベルベット』が描き出した世界そのものに他ならない。
表向きは常識人ぶらなければならない為にこの作品は批判されるべきであり、
しかし、実際の本音の部分では倒錯した淫靡な世界を覗き見る事に快感を感じているのである。
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ジェフリーというキャラクター
淫靡な世界へと誘う、観客のアバターこそがカイル・マクラクラン演じるジェフリーである。
冒頭、美しい芝生をかき分けると、土の上で蠢く甲虫が描き出される。
既にして作品のテーマが示されているのだ。
そして、ジェフリーは「耳」を見つける。
その時の描写は、まるで耳の中に入り込んで行くかの如きものがあった。
つまり、普段は隠されている裏の世界へ「耳」を拾う事で入って行くのだ。
基本的にジェフリーの反応はフラットだ。
そして、観客が興味ある物を覗き、観客が悲痛を感じる所で感情を出す。
ジェフリーは、観客の代理として映画の中に存在しているのだ。
なので、彼の「覗き」を変態呼ばわりしてはいけない。
何故ならその彼自身を、観客は「覗いて」いるのだから、、、
ラスト、横たわるジェフリーの「耳」からカメラが引いてゆき、平和な日常へ帰還して行く。
ドニーを取り返したドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)も幸せそうだが、ふと不安げな表情を見せる。
それは日常がある限り、その裏もまた存在しているのを嫌と言うほど知っているからだ。
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迫真の演技
フラットなジェフリーに比べ、他の共演キャラクターは強烈な存在ばかりだ。
デニス・ホッパー演じるフランクはイカれたヤクザ者である。
常に青筋を立て、キレる地雷がそこかしこに散らばっている。
興奮したらマスクを付け、さらにそれを煽る。
怪人を演じきった感じだ。
イザベラ・ロッセリーニ演じるドロシーも難しい役である。
フランクという異常者を相手にした結果か、生来のものか、自らも倒錯的になってしまっている。
前後の会話が瞬間的な感情によって断絶される難しい女性だ。
傷つききったドロシーがジェフリーにすがりつく姿は痛々しくも哀しい。
そして、そのシーンで驚愕の「泣き顔」を晒したのが、サンディ役のローラ・ダーンである。
それまで、普通の若い女性そのまま、平和な日常の住人だったのだが、
ジェフリーに縋るドロシーの姿に二人の関係性を察した瞬間の脅威の顔芸がすさまじい。
声にならぬ叫びを張り上げ、顔を絶望に歪ませるシーンは『ブルーベルベット』最凶の一瞬でもある。
さらに、ジェフリーを案じてドロシーの家に走って向かう姿などは、後の『インランド・エンパイア』の不気味さを先取りした感じもある。
まぁ、父に嘘を吐いた時のうろたえた様子とかは可愛いけれども。
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音楽と楽曲
本作の音楽を担当したのは、アンジェロ・バダラメンティ。
『ブルーベルベット』から、デイヴィッド・リンチ作品の常連となる。
冒頭のシーンでの楽曲「ブルーベルベット(Blue Velvet)」を歌っているのはボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)。
1963年の彼の曲がタイトルにインスパイアされたのだろう。
イザベラ・ロッセリーニが歌う「ブルーベルベット」の雰囲気とは180度違う、まさに本作のテーマ通りである。
オカマのベンが実は口パクで歌っていたという笑撃のシーンで流れていたのはロイ・オービソン(Roy Orbison)の「イン・ドリームス(In Dreams)」(1963)である。
フラットな覗き役(観客)の周りを強烈な個性で固め、日常という薄皮の下に隠された狂気と暴力の淫靡な世界を暴き出した『ブルーベルベット』。
「なんでこんな物を見せたんだ」と観客は怒りはすれど、唾棄するほど嫌悪は出来ない。
何故なら、一歩間違えば、自分も同じ穴の狢になってしまうと気付いているから。
そして、批判する事は、実はこの「表と裏」の存在を肯定してしまう事になるからである。
そう、『ブルーベルベット』が衝撃的だったのはそのインモラルさだけではない。
そういう世界を大っぴらに暴き出してしまった事が衝撃だったのだ。
人の世の、常ならざるを、覗き見せ、
これも真ぞと、暴き宣う。
それが『ブルーベルベット』である。
収録作は『イレイザーヘッド』『エレファント・マン』『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』の6作品
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人が隠しているのは淫靡なものだけでは無く、暴力もそうである。次回は『ワイルド・アット・ハート』について語りたい。