ファンタジー小説『ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔』スティーヴン・キング(著)感想  長生きに亘る物語に果ては無い!!!

 

 

 

スザンナ/マイアを追って、遂にジェイクとキャラハンは「ディキシー・ピッグ」へと乗り込む。そこは吸血鬼にタヒーン、ロウ・メン、医師虫の巣窟であり、二人の心に去来するのは決死の運命であった、、、

 

 

 

 

著者はスティーヴン・キング
当代きってのベストセラー作家。
モダン・ホラーの帝王とも言われる。
代表作に、
『キャリー』
『シャイニング』
『ザ・スタンド』
IT
『スタンド・バイ・ミー』
『ミザリー』
『グリーンマイル』
『11/22/63』等多数。

本作、「ダーク・タワー」シリーズは著者スティーヴン・キングが30年近くの構想と執筆期間を経て完成させた作品。
全7部構成の大長篇ともとれる作品である。
そのシリーズは

ダーク・タワーⅠ ガンスリンガー
ダーク・タワーⅡ 運命の三人
ダーク・タワーⅢ 荒地
ダーク・タワーⅣ 魔道士と水晶球
ダーク・タワーⅤ カーラの狼
ダーク・タワーⅥ スザンナの歌
ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔 (本著)

という構成になっている。

世界観と同じくする短篇として『第四解剖室』収録の「エルーリアの修道女」がある。

映画として『ダークタワー』も公開された。

 

 

著者のライフワークたる「ダーク・タワー」シリーズ。

遂に最終巻、即ち、長い物語の終わりが語られる。

数々の困難、トラブル、非情な運命である<カ>に翻弄されて来た、ローランドと彼の<カ・テット>のメンバー達。

それぞれの結末に瞠目せよ。

 

この「ダーク・タワー」という物語は、元々は気長に書いていたものだが、
1999年の自身の交通事故を契機に、物語の終わりを書かねばならぬと著者が強く意識した事で後半を一気に書き上げたものだ。

うっちゃっていた物語。

これを書かねばならぬという著者の義務感は如何ばかりのものであったのか。

ローランド一行の苦難に満ちた道行き、

それは著者の苦悩であり、読者の苦悩でもある。

何しろ、
オリジナル専門用語や固有名詞が乱舞する。

 

殆ど呪文の様であり、
この最終盤にしてさらに、言葉の意味をちょっとずつ理解してゆくのは、読者にもある種の困難と苦悩を強いる。

さらに、

著者の過去作や様々な文学、音楽作品からのイメージの引用が多く、
その奔流に困惑する。

 

ストーリー自体の苦痛とほの暗さ、
設定と伏線の複雑さ、
様々な作品とのリンクの関係性、

色々なものが絡まりあいゴッチャになる。

 

しかし、その苦悩も、最後の最期、暗黒の塔へと至る為の試練の一部。

我々読者もローランド一行と共に歩んでいるのだと、確かに思わざるを得ない。

 

著者の特徴である圧倒的なリーダビリティは影を潜めている。
じっくり、ゆっくり、あせらず読み進めざるを得ない。

しかし、この読書の過程こそが、
この最終巻にて、読者が「暗黒の塔」へと至る道行きである。

いざ行かん、
我らもローランドの<カ・テット>の一員なり。

そして、『ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔』のラストを刮目して見るべし。

 

 

  • 『ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔』のポイント

ダーク・ファンタジーの本領発揮のストーリー

多用される独自用語、固有名詞、作品リンクの数々

長き物語の終わり

 

 

以下、内容に触れた感想となっています。


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*本ブログは、新潮文庫版を読んで書かれています。
引用のページ数もそれに準拠しています。

また、巻末に訳者風間賢二氏の詳細な解説もあり、このブログ自体無用とも思われますが、
やはり、読書という物は個人的な営みである故に、私個人の感想も意味があるものと思い、以下の文を書いています。

 

  • <カ・テット>の物語

著者、スティーヴン・キングのライフワークである、ダークファンタジーの大作「ダーク・タワー」シリーズ。

全てが終わり思うのは、これは<カ・テット>の物語であったという事だ。

抗えぬ運命に導かれし仲間、それが<カ・テット>である。

結局「ダーク・タワー」は、
孤独な男が、
メンバーを集め、
仲間と旅をし、
絆を深め、
物事を達成しつつも、
最後は崩壊に至るまでの物語である。

つまり、旅の仲間との関わり合いこそが、この「ダーク・タワー」で描かれる事の本質であるのだ。

最初はハードボイルドな冷血漢として描かれるローランドも、自らが召喚した仲間達との関わりにおいて徐々に変化してゆく。

エディやスザンナにガンスリンガーの技と誇りを教える事で、自らもその指導者<デイン>として振る舞う事を余儀なくされる。

そして、ジェイクとの関わりによって、一同の父として、その期待に応える言動をしていた事が、いつの間にか自らの本心となる。

無常で非情な執念深い男が、
その旅の仲間<カ・テット>との関わりにて、自らが失った感情と義務を再発見してゆくのだ。

だがそれも、ビームと<塔>の存続が確定した直後から、
まるで「これで用済み」と言わんばかりの<カ>の果断なる所業が<カ・テット>を解体に向かわせる。

孤独を超越した男は、再び感情を得るが、
しかし、その為に喪失の痛みを味わう事になるのだ。

 

*以下、ラストのオチとも関わる内容に着いて触れています。

 

 

  • 円環の物語?否!

孤独な男が感情を得て、義務と誓約の中で誇りを取り戻し、しかし、その為に再び喪失の痛みを味わう事になる。

だが、苦悩の果てに、遂に最終目的を達成するが、実はそれこそが最初の始まりでもあったのだ。

「ダーク・タワー」シリーズは相似(双子)や円環構造、繰り返しの物語である事を強く意識されている

では、結局今までの旅路は結局無駄だったのか?

非情なループにより、延々と同じ事を繰り返さざるを得ないのか?

否、そうでは無い。

ローランドはかつて失った「エルドの角笛」を今回は手にしている。

微妙な違いがある、即ち、
円環構造に見えて、実は螺旋状になっている
と言えまいか?

実際に、<塔>の窓は螺旋状に上に登っているとの描写が成されている。

つまり、一周回った後には、同じ部分に居る様に見えて、実は少し高い位置にいるのではないか?

一周回った車輪が、二周目では速度が変化しているのと同じで、僅かでも確かな違いがある。

それを何周も回ったら、いつかその円環運動から脱し、車輪は軸から外れるのである。

それが何時か、は解らない。

きっと読者の多くはラストシーンで
「ループなんて、だるくて残酷だ」と思うより、
「きっと、次は違う最期を迎えるハズだ」と希望を抱くのではないだろうか?

何故なら、我々はローランドが決して諦めないと知っている。
その意思の強さを今まで見てきたのだから。

そして、ローランドは失ったものを取り戻す事が出来るという事も我々は知っている。

彼はリセットされた記憶さえも、次回は取り戻すかもしれない。

そして、手には角笛がある。

角笛の役割は、鬨の声、合図、そして、招集。

ローランドは再び、散らばった仲間といつか出会えるのだ。

そして、その物語は、読者自身の中にあるのだと、私は思う。

 

  • 「ダーク・タワー」シリーズに見るテクニック

スティーヴン・キングの著作にて共通に見られるのは、その圧倒的なリーダビリティである。

いかし、本作『ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔』は独自用語と固有名詞の乱舞にて、それが失われている。

いちいち単語の意味を考える事で、そのリズムを失しているのだ

例えば、<キャン・カ・ノー・レイ>という言葉がある。

初出の中巻p.340においては意味が解らない。

そこで推測する。
<キャン>とあるから、<キャン・トイ>と関係あるのかな?
<カ>だから、運命とも関係あるハズ。
<レイ>は ray で光線?つまりビーム beam と同意か?しかし、レイが英語であるハズがないので違う意味だろうか?

等と益体も無い事を色々考えてしまう。

この意味、それは中巻のp.410,461を経て、暗黒の塔もしくはそれがある場所の意味であると推測出来、
最終的には下巻p.11,204において、暗黒の塔が建っている「薔薇の野原」の事であると知れる。

この様に、「ダーク・タワー」シリーズでは、
専門用語や固有名詞の意味を最初は隠しているが、
ストーリーの展開によって徐々に徐々に解き明かして行くという手法を数多く採っている。

なので、無意識に読み飛ばしていると、何時までも言葉の意味に気付かないままで終わってしまうのだ。

これにより、本書はジックリ読む事を読者に強いる。

 

しかし、その一方で、リーダビリティを誘発するテクニックも随所に見られる。

それが、「次の展開(主に悲劇)の作中予告」である。

これにより、悲劇に対する心の準備をさせると共に、
「まさか、何か起こるのでは?」という読者の危惧の念を誘発し、ページを捲る手を加速させるのだ。

本巻『ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔』では、
「固有名詞による引っかかり」と「作中予告」が特に多様され、お互いが綱引きの様に引っ張り合い、読書スピードのリズムに極端な緩急を生んでいる

これも読書にストレスを感じる一因であるが、スティーヴン・キングの著作では珍しい現象だ。

(いつもは読み易さを重視している)

 

しかし、ある意味読者にストレスすら感じさせるこの読書行為は、ローランド一行の苦難に満ちた旅路に共感するという役割もある

読者はリアルにストレスを感じる事で、旅路を共有出来るのだ。

著者が、自らの強みを封印してまで読みにくさに拘ったのは、そういう理由があるのかも知れない。

 

また、自著や他の文学作品、映画、音楽などを引用して、それをイメージ喚起の手段としていたのも「ダーク・タワー」シリーズの特徴だ。

例えば、
「鉤爪つきのバスタブにシャワーのついたもの」(下巻p.232より抜粋)という描写がある。

何だか、獣の顎を思い浮かべる邪悪な描写だが、直後に映画の『サイコ』の名前を出し、読者に具体的な映像イメージを提供している。

「あ~なるほど、ああいう感じね」と容易にイメージが共有出来る。

文学作品では類似性で、
音楽はメロディを頭の中で奏でる事で、
読者はダイレクトに様々なイメージを思い浮かべる事が出来るのである。

 

  • 用語解説

さて、最終巻にしてさらに多く発生した用語の解説を簡単にしてみたい。

開拓地の平安(上巻p.108他)
物語から退場する人物が多く、この単語が多用された。
意味は、死後の平安、約束された楽園、天国、涅槃、生まれ変わった先の世界、といった感じの意味だろう。

タヒーン(上巻p.44他)
鳥やイタチなどの頭、鉤爪などを持つ獣人。

キャン・トイ(上巻p.65他)
タヒーンと人間のあいのこ。
ロウ・メンと同意。

キャン・トイ・テット(上巻p.469,480)
キャン・トイみたいなヤツ、
つまり、人間と蜘蛛のあいのこであるモルドレッドの事を言っている。

ダン・テット(上巻p.86,125他)
小さな救世主。
自分達の窮地を救う仲間、といった印象。

ロデリックの子(上巻p.108他)
アルグル・シエントの近くに住む民人。
世界の変転と、土地の悪い空気によりミュータント化している。

ダン・デヴァ(上巻p.109)

デヴァ・テット(上巻p.268)
小さな監獄、拷問部屋。
カーラの子供達はここで脳から才能を抽出された。

カ・ディン(上巻p.179)
最も親愛する仲間、という意味か?

チャーリー・カ(上巻p.257)
くそったれ、位の意味か?

ル・キャッスル・ロワ・ルッス(上巻p.282、下巻p.72)
深紅の王の居城の事。

プリムアムガドッシュゴドッシュ(上巻p.314)
プリムは魔法の源。
他は?

デヴァ・トイ(上巻p.287他)
アルグル・シエント(上巻p.386他)
塔を攻撃する<破壊者>(ブレイカー)が居る場所。
意味は同じ。
ディスコーディア城のフェディックで子供の脳からエネルギー(みたいな物)を抽出し、それをアルグル・シエントの破壊者に食わせている。

キャン・スティーク・テット(上巻p.375)
小さな針。
その様に見える丘(山)の事。地名。

ディラー(上巻p.416)
長い間という意味か?

根本原理世界(上巻p.447、中巻p.37他)
時間が一方通行にしか進んでいない、やり直し出来ない、全ての並行世界の基礎ともいうべき世界。

カ・シューム(上巻p.455,462他)
<カ>がもたらす憂鬱。
<カ・テット>の崩壊を予感させる。

キー・キャン(中巻p.49)
くそ人間とか、くそ民人とかいう意味。蔑称。

ダン・ディン(中巻p.97)
<ダン・ディン>で話す、で本音で話す、か?

ケス(中巻p.137)
能力、運命という意味か。
生命力を意味するケフと同意か?

善心(中巻p.210他)
破壊者の集合思念、力の集まり。

ナー(中巻p.226)
地獄。

カ・メイト(中巻p.245)
カの仲間の事。
つまり<カ・テット>のメンバーの事。

キー・カム(中巻p.246)
全くのナンセンス。

ヴェス・カ・ギャン(中巻p.339,363,420他)
ギャンの奏でる指令、アドバイス、して欲しい意思みたいな意味。
亀の歌、スザンナの歌として発せられる。

キャス・カ・ギャン(中巻p.359)
ギャンの歌い手、ギャンの予言者。
ギャンの意思を伝える者、という意味。
スティーヴン・キングの事。

アース・カ・ギャンで熊の歌
アース・ア・カ・ギャンで熊の叫び(中巻p.360)。

ローランドの白壇の銃はエクスカリバーから作られた。(中巻p.438、下巻p.110)

キャン・カ・ノー・レイ(中巻p.340,461、下巻p.11,204他)
<暗黒の塔>が建つ薔薇の野原の事。
ローランドの最期の行程は、
ディスコーディア城の地下を抜け→悪地→ル・キャッスル・ロワ・ルッス→白い大地(エンパシカ)→フェデラル(連邦前哨基地19)→キャン・カ・ノー・レイへと至る。

キャム・ア・キャム・マル、プリア・トイ・キャン・ディラー(中巻p.425,443他)
赤の上に白、したがってギャンが永遠に治める。

アフィ(下巻p.99)
変身術者。

エンパシカ(下巻p.115,209,244)
感情を汲み取る地。
感情吸血鬼ダンデーロ(中巻p.260,396、下巻p.21,240)が通りかかる餌食を待つ。

ダン・テット・テット(下巻p.356)
細やかな<カ・テット>、ダン・テットみたいな者。
つまり、希望をくれる人物、という意味か。

ミム(下巻p.447)
大地。

ダークルス
ティンクツ(下巻p.496)
?
訳者解説によれば、ガンスリンガーは<黒衣の男>の様な不死者であるという意味だそうだ。

 

ざっと抜き出しただけでもこれである。
最早呪文だ。

 

  • ネタ解説

上巻p.291にて『デッド・ゾーン』、p.392にて『キャリー』について言及されている。

中巻p.379,380では『クージョ』の話をしている。
小説版と映画版の(有名な)違いについて作者自身が語っているのが面白い。

下巻p.200他の「どもりのビル」、p.218の「リッチ・リトル」は共に『IT』からのイメージだ。

また、下巻p.235の「Odd’s Lane」のアナグラムは、『シャイニング』の「REDRUM」を何となく思い出す。

勿論、蜘蛛のモルドレッドも『IT』の「ペニーワイズ」のイメージである。

テッド・ブローティガンは『アトランティスのこころ』、
ディンキー・アーンショーは『幸運の25セント硬貨』収録の短篇「なにもかもが究極的」、
パトリック・ダンヴィルは『不眠症』のキャラクター。

他にも色々あるだろうが、正しく拾い切れていないというのが実状だ。

カルヴィンズ(中巻p.453)の必要性を感じる。

 

  • 積み残しと疑問点

最後に、私の疑問点と今後の「ダーク・タワー」シリーズの展開について話したい。

まず、皿型投擲武器のオリザ

残り枚数が、私がカウントしていたのと、作中のカウントが合わなかった。

これは意図的か?伏線か?それとも単なる間違いか?

 

気になるのは<十三番目の黒球>。

貿易センタービルの貸倉庫に入ったままだが、その後はどうなったのだろう?

もしかして、この黒球の「呼び声」がこの世界にてテロを引き起こした、という事を暗示したかったのかもしれない。
(中巻p.459にてほのめかされている)

もしかして、今後の作品にてこの「黒球」の行方が描かれるかもしれない。

 

<深紅の王>とは?

モルドレッドは蜘蛛であり、これは『IT』の「ペニーワイズ」を彷彿とさせる。

受肉した精霊マイアを母に、ローランドと<深紅の王>の両方を父に持つと言う。

これはどういう意味か?

実は、<深紅の王>は数サイクル後(あるいは前)のローランド自身ではないかと思う。

<深紅の王>は、
1:モルドレッドの父
2:塔に入れる=アーサー・エルドの末裔
3:塔を壊す事に執念を燃やす
というキャラクターである。

1、2、はローランドと同じ。

<深紅の王>が<暗黒の塔>のバルコニーに締め出されていたのは、
<深紅の王>の過去の人生と、このサイクルのローランドの人生とのリンク(共通点)は、その時点までだったから、なのではないか?

3だが、何故塔を壊す事に執念を燃やすのか?

単なる支配欲なのか?

<深紅の王>は狂っているという。
何故狂っているのかというと、
それは、自分がギャンの<カ>により何度も人生をやり直させられたと知ったからではないだろうか?

それ故狂い、<カ>(運命)を呪い、その象徴たる<暗黒の塔>=<ギャン>の破壊を目論んだのではなかろうか?

「キャム・ア・キャム・マル、プリア・トイ・キャン・ディラー」(赤の上に白、したがってギャンが永遠に治める)とは、ある意味、専制君主の長期政権の様な意味合いすら受ける。

「俺の為に永遠に働け」と<ギャン>に酷使された並行世界のローランドは自らの来歴に気付いた瞬間があったのかもしれない。

その時、永遠のサイクルから逃れる為、<暗黒の塔>を破壊する事を目的とし、<カ>の円環から逃れた存在=<深紅の王>に成ったのではないだろうか。

ローランド=<深紅の王>なら、
モルドレッドの父がローランドと<深紅の王>の両方という事もすんなり受け入れられる。

つまりは同一人物なのだから。

<深紅の王>(元ローランド)は自らを<カ>から解放しようとしただけなのかもしれない。
(全世界の崩壊を道連れに)

しかし、<ギャン>はまた、円環(サイクル)から逃れた世界のローランド(=深紅の王)とは別の世界のローランドにて、再びサイクルを初めているのではないだろうか?

それ位の業の深さが「ダーク・タワー」シリーズにはあると思うのも面白かろう?

 

 

「ダーク・タワー」シリーズを書き上げた後、著者スティーヴン・キングは引退宣言をした。

 

「ダーク・タワー」で全て出し切って「燃え尽き症候群」になったのだろうし、
この後に出す作品が、「ダーク・タワー以後」となり、リンク出来ないのを不満に思ったのもあるのだろう。

しかし、この世に「引退宣言」ほど信用出来ないものは無い。

当然の如く復活して、次々と創作活動に勤しんでいる。

結局、実際に作ってみれば、後付けで色々物語は繋げられると気付いたのではないだろうか

「ダーク・タワー以後」の近年の傑作、『11/22/63』のタイムトラベルの設定も「トゥダッシュ」の扉の様なイメージがある。

今後の作品にも、「ダーク・タワー」ネタはいくらでも使えるのだ。

 

さらに、「ダーク・タワー」自体にも語り尽くしていないネタがまだ埋まっている。

リーアの魔女との決着や、ジェリコの丘の最終決戦など、いくらでも外伝が作れるのだ。

また、映画版の『ダークタワー』は原作準拠では無く、「角笛を所持した黒人のローランド」が主人公である。

これは、違ったサイクルのローランドの物語があるという事であり、
ローランド自身を主人公として、様々な物語を作る事が出来るという意味でもあるのだ。

 

 

円環構造ではなく、
少し違う螺旋構造とも言うべき物語世界を作り、外に開いて終わった「ダーク・タワー」シリーズ。

物語は終わり、それは始まりであった。

しかし、それは前回と全き同じものでは無い。

終わりが又、新たなる始まりの合図であったのが、この『ダーク・タワー』なのである。

 

*シリーズ毎の解説ページは以下からどうぞ。

ダーク・タワーⅠ ガンスリンガー
ダーク・タワーⅡ 運命の三人
ダーク・タワーⅢ 荒地
ダーク・タワーⅣ 魔道士と水晶球
ダーク・タワーⅤ カーラの狼
ダーク・タワーⅥ スザンナの歌
ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔 (本巻)

「エルーリアの修道女」(『第四解剖室』収録)

映画版『ダークタワー

 

 

 

 

 


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