漫画『雨の日はお化けがいるから』諸星大二郎(著)感想  不可思議なモノ語の詰め合わせ!!

 

 

 

僕は雨の日が嫌いだ。雨の日にはお化けがいるから。いつも気付かない振りをしてやり過ごしている。だから、ルールを作った。こちらが先に気付いて、相手に気付かれなければ、その日はもう他のお化けに合わないのだと、、、

 

 

 

作者は諸星大二郎
唯一無二の個性を持つ幻想漫画化である。
SF、伝奇、民俗学、ホラー、ギャグと多彩なジャンルで独特な世界観を形成している。

主な作品に
『暗黒神話』
「妖怪ハンター」シリーズ
『マッドマン』
『西遊妖猿伝』
「栞と紙魚子」シリーズ
BOX ~箱の中に何かいる~』等がある。

 

本作『雨の日はお化けがいるから』は諸星大二郎の最新短篇集。

最近の著者の短篇集は過去作の再録による総集篇的なものが多かったが、本作はほぼ全て単行本初収録のオリジナル短篇集なので安心して「買い」である。

(総集篇に収録された書き下ろしが一篇再録されている。他にも単行本の再録作品があるかも知れないが、自分は確認出来ていません)

ジャンル的には

民俗学、ホラー、SF、中国説話、ギャグ、等
バラエティ豊かなラインナップとなっている。

 

この一冊で諸星漫画の特徴が俯瞰的に眺める事が出来る構成だ。

一見、ジャンルが別々なので統一感が無い様に思うかも知れない。

しかし、諸星漫画に通底する、

「存在への不安」ともいうべきテーマは本作でも健在。

 

その意味で、一冊の短篇集として、様々なジャンルが楽しめる上に読み味にブレが無いというバランスのいい出来となっている。

いろんなジャンルがつまめて、ファンは満足。
ファンで無くとも、こんな漫画家もいるもんだねと、諸星作品の一端を知る契機となる一冊ともなり得るだろう。

 

 

以下内容に触れた感想となっております。


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  • バラエティ豊かなラインナップ

諸星大二郎の短篇集は近年、テーマ別にまとめられた作品が多かった。

本作『雨の日はお化けがいるから』はバラエティ豊かなジャンルを取り揃え、一冊で色々楽しめてお得感がある。

ある意味、ゴチャッとしながら不思議な読み味のあった初期の短篇集を彷彿とさせるものがある。

 

  • 作品解説

個別に作品を簡単に解説してみたい。

闇綱祭り
諸星漫画お得意の民俗学ストーリー。
綱引きを運動会の力比べ程度にしか考えていなかったが、「神事」として考えたら確かに不思議なものである。
相手の世界を食い止めるならば「押す」事になるのだが、敢えて「引く」という行為に意味を持たせるならばどんな理由があるのだろう?
本作では「均衡」、つまり世界のバランスを保つ象徴としての儀式となっている。
しかし、予定調和が無知による恐怖で崩れ、災難を呼び込むという悲劇の展開となる。
日本人は行為に意味を持たせたがる。
ただ、「やれ」と言われ、それに従い続ける事は難しい。
目的と意味を説明しないと、こういう悲劇を招くという象徴であるのかもしれない。

雨の日はお化けがいるから
表題作は少年の日のホラーストーリー。
単行本の『あもくん』に出ていたキャラクターである守が再び登場する。
本作の守の様に、あなたも幼き日に自分ルールを作って下校したりしなかっただろうか?
道路の白線だけ渡って家に帰るとか、犬小屋の前を通って吠えられなかったら大吉とか、石ころ蹴りながら帰って壁にぶつけないとか、、、
また、子供は何故その事が起きるのか?と疑問を持つより、
起きる事をそのまま受け止め、それに柔軟に対処してゆく性質を持つ。
守はお化けを「自分ルール」という世界観で食い止め、事象と自分に境界を作って自己防衛している。
だが、「怪異」自体はそれに関わらず守に接触して来る。
結局は自分の気の持ちようで、世界が如何様にも変わるのだ。

ゴジラを見た少年
「存在の不安」を語る、諸星漫画らしい作品。
かつての名作『ぼくとフリオと校庭で』を彷彿とさせる。
少年の不安と恐怖として描かれるゴジラ。
本作では勿論、2011年の東日本大震災のメタファーである。
天災と核の不安の象徴を、初代の映画『ゴジラ』そのものとして描いている
これは初代『ゴジラ』の系譜を継ぐ、2016年の映画作品『シン・ゴジラ』と同様の手法である。
因みに、作中にイキナリ出てくる眼帯の男は、初代『ゴジラ』の登場人物の芹沢博士であろう。

影人
中国説話。
コミカルな雰囲気だが、李昌の様な怠け者にとっては耳が痛い作品。
無目的に流されるままの人生は、段々と悪い方向へと向かって行く事になるのだ。
本作は絵を筆で描いている様だ。
また、影をスクリーントーンを重ねて表現している。
これは手作業なのか、それともコンピューターを作画に導入したのだろうか?
いずれにしても、新しい作画の表現を試しているのがうかがえる。

(眼鏡なしで)右と左に見えるもの~エリック・サティ氏への親愛なる手紙~
奇妙なストーリー。
世の中は、人知れず何者かが守っているものだ。
夜中にゴミを拾う作業員、
ダムの様子を管理する者、
コンビニに品入れするトラック運転手、等
普段意識しないかも知れないが、彼等がいるからこそ世の中は成り立っている。
この作品の謎の二人も、意味は分からないが、何らかの目的があるのだろう。
因みに、エリック・サティとはフランス人の作曲家。
「(眼鏡なしで)右と左に見えるもの」も彼の曲。
サティの楽曲の一覧を見てみると、本作の小題の元ネタとなった物が多数散見される
サティの曲を聴いても、その題名との関連性が分からないのは私が素人だからなのだろう。

空気のような…
短いながらも身の毛もよだつホラー。
何故なら、実際に似たような人間は実在するからだ。
自らの責任感の欠如から来る罪悪感を、他人を排除する事で晴らそうとする異常者は確かに存在する。
そして、他人から見るとどんなに異常な状態でも、慣れきってしまった本人にとっては何処吹く風なのだろう。

怒々山博士と謎の遺跡
微妙な笑いを提供する怒々山博士シリーズ。
本作は千手観音に殴られたら痛いよね、という事をいいたいが為の作品と思われる。

怒々山博士と巨石遺構
オチにいつ気付くか?」という作品。
怒々山博士には悪いが、彼が必死にまともな事を語れば語るほど笑えてくる。

河畔にて
第1話 クーリングオフ
男子にとって、女子は永遠の謎。
何処に地雷があるか分からず、「トリセツ」が欲しいと思う事もあるだろう。
まぁ、実際にあっても役に立たないというお話なんですがね。

第2話 上流からの物体X
女子が謎なら、赤子は怪獣
自由すぎるワガママさと、時と所を構わないオシッコと夜泣き。
止めど無い苦しみと思える事もあれば、その可愛らしい笑顔で全て許してしまったりするのだ。

第3話 欲しいものは河を流れてくる
河から流れてきたもので、家族と作り、生活道具もそろえている少年。
上流に行くと、淡い世界として描かれていた物が、しっかりとした線で描写される世界へと変わっている。
モノを河に流すという行為は、何らかの代替、例えば、水害を模して河に人形(ヒトガタ)を流す事で実際の出来事を未然に防ごうという呪術的意味合いもある。
また、河を渡るというイメージは「三途の河」を想起させる。
これらの事を考えると、水没した町で異形のモノが延々と何かを流し続けるのは、亡くなった何かを惜しむ行為なのかもしれない
つまり、少年の世界はある種の死後の世界であると思われるのだ。
上流は現世、下流はあの世的な世界なのではなかろうか?

 

 

色々なジャンルが楽しめた『雨の日はお化けがいるから』。

個人的には初期の短篇集みたいで嬉しかった。
勿論、各作品の内容も興味深い。

惜しむらくは、最近いつも書かれていた後書きが無い事だが、むしろ本作では作者後書きが無い分、読者の想像力が喚起される部分があったのかも知れない。

ともあれ、未だ衰えぬ作品の面白さを、今後も長く楽しみたいと一ファンである私は思う。

本作は、「諸星大二郎劇場/第1集」とされている。
当然、続きが出るんでしょ?
期待しています。

 

こちらは「あもくん」の出るホラー短篇集

 


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さて次回は、期待された続篇の出来は如何ばかりか?映画『キングスマン:ゴールデン・サークル』について語りたい。