こんにちは日記さん。私の名前はローラ・パーマー。さっき12歳になったばかり。これからあなたにいろんな事をお話していくね。パパやママに言えないこと、親友のドナに言えないことも色々と、、、
著者はジェニファー・リンチ。
『ツイン・ピークス』の総監督であるデヴィッド・リンチの長女である。
父の影響か、映画をいくつか監督している。
『ボクシングヘレナ』(1993)
『サベイランス』(2007)等。
そして映画『イレイザーヘッド』(1976)にも出演している。
本書は「ローラが書いた秘密の日記」という設定だ。
TVシリーズでハロルド・スミスが所持していたアレである。
『ツイン・ピークス ローラの日記』は、もちろんTVシリーズを先に観賞している事を前提としている。
しかし、その内容は「TVシリーズのサイドストリー」というより、
ローラ・パーマーというキャラクター設定を使って書いたオリジナル小説
と思った方がいいだろう。
TVシリーズと多少の齟齬があり、そして映画『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』公開より前に出版されているからである。
では、読む必要の無いつまらないものなのか?
そうではない。
少女の性的妄想が堕落してゆく様を克明に描いている。
何故ローラはあれほど性に奔放だったのか?
何故ローラには2面性があったのか?
それを日記形式で記述している。
本篇ではないかもしれない、しかし、
これも解釈の一つと割り切って読めば確かに『ツイン・ピークス』的ではある。
あなたも、少女の日記を覗いて見ては如何だろうか?
以下ネタバレあり
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積極性がもたらした悲劇
ローラはボブの夢?に悩まされている。
そして、それに抵抗する為に、その妄想を実体験し、それが「なんでもない事」である事を証明しようとした。
この超人志向は文学においては危険である。
かの有名な『罪と罰』のラスコーリニコフを思い出す。
ローラは悪夢を克服する為、それは日常の出来事である事を自らに証明しようとした。
その為に、性的出来事への関心を次々とエスカレートさせてゆく。
その過程でドラッグにも手を出し、そして他人が巻き込まれない様に愛を拒絶する。
しかし、この孤高の精神は結果として自らを堕落の淵に沈めてゆく事になるのだ。
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ボブの目線
その誘い手はもちろんボブだ。
ボブはメフィストフェレスばりにローラに妄言を吹き込む。
日記形式のハズが、いつの間にかボブとの会話形式になっているのが、シュールかつ不気味である。
ボブは俺はお前を知ってるぞ、お前は俺のもの、何を考えているのかお見通しだ、と言いローラを悩ます。
しかし、読んでいると、ふと気付いてしまう事がある。
今、日記を読んでいる自分の視点は、実はボブのモノであるのだ。
TVシリーズから映画版を経た視聴者は、ローラのパーソナリティ、表の顔と裏の顔、そしてそれがもたらす悲劇の結果まで全てに通暁している。
だからこそ、ローラが自分の日記に吐いた嘘さえも分かってしまう。
彼女は確かに最初は抵抗の為に性体験を克服しようとしたのだろう。
しかし、それは勿論言い訳であり、性体験に没入していったのは自らの快楽のためである。
むしろ、「ボブに抵抗するため」という言い訳を使って、さらなる快楽とドラッグを追求し深みにはまってゆく。
読者にはそれが分かっているのだ。
そして、ボブがそれを指摘しローラが否定した場面において、ボブの目線でローラが言い訳をしている事に気付いてしまうのだ。
この「読者を巻き込むメタ目線」こそ、本書『ローラの日記』で目指したものであろう。
そして、この視点を得る事が出来るのはTVシリーズを見続けたファンだけであり、その意味で非常によく出来たノベライズと言えるだろう。
『ツイン・ピークス』ファンで未読の方は、復刊されたこの機会に是非ご一読を勧める。
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さて、次回は人の人生を振り返るどころか歴史自体を直接見て振り返る小説『時間線をのぼろう』について語りたい。