漫画『偽史山人伝』詩野うら(著)感想  謎のタイトル!?こりゃ、読むっきゃねぇ!!

「山人」。歯は42本で人より10本多く、染色体も、人より6本多くて52本。つまり、人に似て、非なる存在である。山に入り、山人に遭遇したら、注意せねばならぬ。彼達は、人を襲い、人を喰うのだから、、、

 

 

 

 

作者は、詩野うら
他の単行本に、『有害無罪玩具』がある。

本書は、
WEBの「チラシのウラ漫画」にて発表された作品を加筆、修正した作品集である。

 

 

 

皆さん、
「ジャケ買い」ってした事ありますか?

古くは、
音楽レコードの時代からある概念で、

内容を全く知らずに、パッケージデザイン(ジャケット)の印象のみで、購入を決定する事」と言えるでしょう。

 

いわば、雰囲気買いとも言える、この概念、

それを敷衍すると、

CD、DVD、小説、映画、漫画、などなど、

全ての文化作品に適応できます。

 

突如始まる昔話~

ワシの若い頃はなぁ、
なけなしの小遣い握って、
CDのジャケ買いを、敢行しとったものじゃ。

邦楽一枚、3000円、
月の小遣いが吹っ飛ぶて。

ハズレ握らされた時にはガックリ来とったもんじゃが、

千載一遇の「当り」を引いた時のエンドルフィンの分泌具合たるや、
刃牙も真っ青じゃった。

それが今じゃ、
音楽はダウンロード販売、

CDは、
握手券のオマケ程度の価値しかあらへん。

文化は、より、使い捨ての方向へ、
向かっとるっちゅう事やな、、、

 

お金が無い子供時代だからこそ、

CD一枚、
映画一本観るのも、命懸け(言い過ぎ)、

真剣に、自分のセンスを研ぎ澄ませて、
良い作品を網に掛けようと、必至だった事を覚えています。

 

多少、お金に融通が効く融通が利く今となっては、
それも昔の話。

しかし、
そんな現在でも私は、
漫画を買う時は、「ジャケ買い」する事が多いです。

 

値段もリーズナブルで、
ジャケ買いしやすいのが、漫画の良い所。

ふと立ち寄った書店で、
俄に出会った漫画を手に取る事も多いです。

 

という事で、
ようやく本作『偽史山人伝』の話です。

 

この流れから察する通り、
私は本作をジャケ買いしました。

とは言え、
本作のジャケ買いは、いつもと違うパターンです。

普通、ジャケ買いする時は、
表紙の「絵」のイメージで、買っていました。

その観点で見ると、
本作の表紙に魅力があるとは言い難い所。

如何にもエンターブレイン系統の漫画本にありがちな、
カラーを放棄した、
3色程度の色で、
中身と同じ絵を使ったデザインの表紙。

普段なら、
絶対スルーの表紙です。

 

しかし本作、
題名がキレキレなのです。

『偽史山人伝』
この題名の響き、良いじゃない。

 

「偽史」というからには、架空の歴史なのかな?
「山人」って、民俗学的な?
これって勿論、「魏志倭人伝」をモチーフにした題名だよね?

題名一つで、
妄想が止めどなく捗ります

もう、
題名を一目見ただけで、
レジにダッシュで向かうレベル。

 

で、
実際に読んで、どうだったのかと言うと、

コレが、
面白かった!

何と言うか、

情念が、生々しいのです。

 

 

人魚、人面猫、道の神、山人、風体、喋るカラス etc…

これら、奇妙な存在、
言うなれば「妖怪」を題材にしながら、

その語り(騙り)の切り口は、SF風

しかも、

それを、サラリと流すのでは無く、
あくまで、饒舌に、ねっとりと、
奥の奥、
内蔵まで見せてまで、語って行くのです。

これが、生々しい。

内容も、
見た目も。

 

そうです。

本作、
パッと見の絵は、可愛い感じ。

デフォルメが効いた、
漫画らしい、良い画だと思います。

そこから、
不意に飛び出す、臓物展覧会!

 

グロいシーンも多いので、
それが苦手な人は、
ちょっと、読むのはキビシイでしょう。

 

そして、本作は

字が多いです。

 

とにかく、
ナレーションや、独白で、
語りに語っています。

『バキ道』なんかは、
じっくり腰を据えて読んでも、
20分かからず読めますよね。

一方本作は、
字の多さのみならず、

漫画としても、
読むのに苦労する、
ちょっと、ひっかかりのある様な内容を題材としていますので、

ゆっくり読むと、
優に、二時間は超えます。

 

それだけ濃密な時間を過ごせば、
それは即ち、
作品と、読者の会話のような雰囲気になってきます

 

本作に描かれる、
奇妙奇天烈な世界観を、

読者は、どう捉えるのか?

あり得べからざる、偽の歴史として認識するのか?
それとも、
あったかもしれない、ここでは無い、何処かの話と感じるのか?

それは、人それぞれなのです。

 

ジャケ買いした漫画で、
私の中で、
過去、最大のヒット作と言えば、
こうの史代の『夕凪の街、桜の国』。

本作は、
それに、勝るとも劣らぬ衝撃がありました。

まるで、
諸星大二郎の漫画を、
初めて読んだ時の様な…

 

フォッ、フォッ…
老人も、長く生きとりゃ、エエ事あるて。

こんな作品に、
巡り会おうとは、喃…。

 

変で、奇妙で、
でも、面白い漫画が読みたい!

そういう人に是非勧めたい、
それが、本作『偽史山人伝』です。

 


 

  • 『偽史山人伝』のポイント

奇妙奇天烈、妖怪SF

独白やナレーションの、饒舌な語り

漫画らしいデフォルメが、良い感じの画

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 饒舌な語りと、画

漫画というジャンルは因果なもので、

絵で表現する為、映画(動画)と、
文で状況を説明する(台詞がある)為、小説と、

それぞれ比べられ、
その結果、劣化ジャンルだと言われる事もあります。

 

ややもすれば、そういう謗りも免れませんが、
しかしそれは逆に言うと、
動画、小説、両者の「良いとこ取り」であるとも言えるのです。

そして、優れた漫画作品は、

そういった、
先鋭的な世界観で、鮮烈な物語を描き出しています。

 

そんな、漫画というジャンルは、
日本においては、それなりの研鑽がなされ、

現在、その技術は格段に進歩しました。

絵の綺麗さ、物語の面白さも、さることながら、

コマ割、視線誘導、言語選択・リズムに至るまで、
ある程度の「定型」みたいなものがあります。

 

しかし、
本作『偽史山人伝』は違います。

従来の、読み易く、面白い漫画の定型とは、
別の所にあるのです。

 

先ず、キャラクターが、八頭身ではありません。

頭身が低く、
漫画らしいデフォルメを活かした造型となっています。

 

また、
本作には、スクリーントーンが使われていません

現代漫画では、
陰影や模様、立体感の表現の為に多用されるスクリーントーン、

本作は、それを使わず、
あくまでも手書きの線にて、
世界観を表現しています。

その為、
何処か、ツルリとした清潔な印象の絵とは違って、

本作の画は、
ザラリとした、生々しい印象を受けるのです。

 

そして、兎に角、本作は字が多い。

独白、ナレーションマシマシです。

漫画において字が多いという事は、
コマ割と、
視線誘導の妨げになります。

説明文が多い為に、
一ページ内のコマの比率が多く、
しかも、その中に、大量の文を詰め込む事になるからです。

つまり、
一々、読者は、文を読む為に、
コマの中で、立ち止まる事になるのです。

これには、独特の閉塞感というか、
世界への没入感があります。

 

講談社で漫画を書く事となり、
当時、初めて付いた「有能な編集者」の助言で、
すっかり商業用の漫画の描き方を覚えた、
福満しげゆき。

彼の漫画も、
現在は、すっかり、スッキリしていますが、

漫画家デビュー当時の作品には、

本作と通じる情念というか、
「詰め込み」があります。

 

商業漫画というものは、
雑誌という「箱売り」の形をとっており、

故に、
お目当ての一作品のみに、ジックリと引っ掛かりがあるよりも、

ある程度のリズムを持って、
次から次へと、
雑誌掲載されている、他の漫画もテンポ良く読んで貰える様にしているのです。

 

しかし、そんな事を考慮しない状況、

例えば、デビュー直後とか、

最近で言えば、
WEB媒体での発表となれば、

今までの雑誌売りに基づいた漫画表現とは、
違った道を目指しても良い

本作には、
そういう、新しい時代の漫画の可能性を感じます。

 

  • 収録作品解説

それでは、収録作品を簡単に解説してみたいと思います。

本作は、短篇4つと、連作短篇3つからなる、
実質、27篇の短篇集です。
(含む、後書きの一篇)

 

日曜は水の町に
本書の前半4作品に共通するのは、
自らのアイデンティティの話。

アイデンティティそのものや、それに纏わる話なのですが、
アイデンティティの形成とは、一体何なのか?
それを単純に二つに分けると、
一つは、自分でこうなりたいと思い実現させる、絶対的な部分と、
他者との関係性で形成される、相対的な部分があります。

その上で、本作を読むと、
「日曜は水の町に」は、相対的な関係によりアイデンティティに気付く話です。

で、ありながら、
その自己と向き合う他者というのが、
自分と、ほぼ同じ存在(鏡の現し身)という、
この、
何重にも捻れた関係性が面白い作品です。

人って、
自分に似て、少し違う相手に、
言い様も無い嫌悪感を覚えるものです。

それを乗り越えて、
自分を発見する、そういう話なのだと思います。

 

人魚川の点景
生きて居ながら、
死んだ魚の様な目をした人魚。
高橋が、異様にフラスコの中の人魚を恐れたのは、
即ち、避け得ない「死」を突き付けられているから。

しかし、佐々木は、
その絶対的な死に対しても、自己を突っ張ります。
本作のヤマ場は、

「それじゃあコイツも 墓を作る俺達も」
「ここに ゴミを捨てた奴らや 片付けた奴らや 稚魚を流す奴らのせいでドロをかぶるみたいじゃないか」
(p.59 より抜粋)

という台詞なのだと思います。

この台詞が、p.70 に繋がっているのですね。

つまり、
不器用で、不格好でも、
それを排除し、無かった事にするのではなく、
そのままの姿を受け入れたいという意思表示であるのですね。

 

人間のように立つ
鈍感で、無自覚なら、何も悩まなくて良い
この、無知の知というか、
知らないからこその幸福から、
一歩踏み出してしまった話。

魂の、一部になりたくない。

つまり、
橋の上から眺める第三者なら、痛みも何も無くとも、
自分が当事者になりたくない、

そういう、
自分の無責任さに気付いてしまったのかも、しれません。

 

姉の顔の猫
グロ開始。

隣の芝生は青いといいますが、
自分によく似ているからこそ、
その、違いが際立って良く見えるのです。

しかし、
無い物ねだりの連鎖は、
永遠に続いて行く、
そういう事を描いてもいるので、
その欲望は、何処かで断たねばならないのです。

 

現代路上神話
事象は、観測される事で事態が確定し、
可能性が収束する
この、量子論の実験により発見された概念を、
「神の存在理由」と絡めて描いた、
妖怪SFストーリーの連作短篇、全7篇。

ここから、
語り(騙り)の面白い連作短篇が3つ並んでいます。

偽史山人伝
連作短篇6つから成る本作、
本書のタイトルロールとなるだけあって、
圧倒的な存在感を醸し出しています。

因みに、「魏志倭人伝」とは関係無いのは、ご愛敬。

かつて有り、
今は失われた、
風俗、文化、様式、存在 etc…

それらは、時の流れの中に忘れられる事で、
「無かった事」に、なってしまいます

故に、
歴史としてそれは残さなければならず、
しかし、翻って言うと、
偽史(偽物の歴史)でも、
資料、証拠が残っていたならば、

かつて、存在した事になるかもしれない。

本作の、あくまでも、
一歩下がって、客観的に物事を描写するドキュメンタリータッチの作風が
突拍子も無い事に、妙なリアリティを付与しています。

これは、創作なのか?
ここでは無い、何処かの話なのか?
それとも、実際にあった、無かった事になった歴史なのか?

まるで、
「現代路上神話」に出て来た「路上神話」の手帳の1エピソードを読んでいる様な気分にもなります。

喪われた物事への哀愁に満ちた、
騙りに翻弄される、極上の作品と言えるでしょう。

 

存在集
世界は、胡蝶の夢

自分が胡蝶の夢を見たのか?
それとも、
胡蝶が、自分の夢を見たのか?

夢と自分を区別する立脚点は、
自意識のみですが、
その、自意識が拠って立つ「現実」自体が揺らいだら、
何を、支えにすれば良いのか?

そんな事を考えてしまいます。

 

  • 物語の生まれる仕組み

漫画のみならず、
小説もそうですが、

作品には、
キッチリカッチリ、作者がコントロールして作るものと、
物語自体が、作者の意図せぬ方向へと暴走するものとがありあます。

例で言うと、
『賭博黙示録カイジ』の限定ジャンケン篇が前者、
『デビルマン』が後者と言えるでしょう。

 

あとがきを読むと、
作者の詩野うら氏は、後者のタイプの、
作品が降りてくるタイプの様です。

 

まるで、自分が、
物語を作る「任意端末」の様であると作者は語りますが、

こういった、
自分以上の力が働いている様な、感覚は、
偶に、私も経験しますね。

 

物語を書いているとき、
自分が意図せぬアイディア、展開が降って湧いて来たり、

泳いでいる時、
まるで、水面の上を飛んでいる様に感じたり、

ボードゲームをしている時、
「詰み」までの手順が完璧に見えて、
その通りのデジャブが起こったり、 etc…

正に、
この瞬間こそ、
自分を超えた、生きている最高の瞬間に他ならないと言っても、過言ではありません。

 

…まぁ、とは言っても、
後から見ると、

大して面白くない文章だったり、
自己ベストが出たと思ったら、そうでもないタイムだったり、
冷静に考えれば、誰でも分かる手順だったりするんですよね。

 

しかし、
本書『偽史山人伝』が、
そういう、作者の「奇跡の瞬間」を切り取った作品集というなれば、

これ程面白いのも、宜なるかな、
と言った所です。

 

 

その題名にて一目惚れし、
思わず買った『偽史山人伝』。

饒舌な語り(騙り)の妖怪SFストーリーと端的には言えますが、

読者のアイデンティティすらも揺らがせるこのエモーション、

中々に貴重な読書体験と言えます。

まるで、読者の中に、
「偽史」を植え付ける様な…
『偽史山人伝』、そんな作品なのです。

 

 

 


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