映画『ゴーン・ガール』感想  素晴らしき構成が光る、夫婦生活という悪夢!!

 

 

 

結婚五年目の朝。ニックは、双子の妹マーゴと経営するバーで一杯聞こし召し、家に帰った。すると、妻のエイミーが見当たらず、争った後が残されていた。ニックは警察に連絡し、担当のボニー刑事の提案で公開捜査に踏み切るのだが、、、

 

 

 

監督はデヴィッド・フィンチャー。
数々のミュージックビデオを手掛け、長篇映画監督デビュー。
監督作に
『エイリアン3』(1992)
『セブン』(1995)
『ゲーム』(1997)
『ファイト・クラブ』(1999)
『パニック・ルーム』(2002)
『ゾディアック』(2007)
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)
『ソーシャル・ネットワーク』(2010)
『ドラゴン・タトゥーの女』(2011)がある。

 

原作はギリアン・フリンの『ゴーン・ガール』。
そして、原作者自身が本作の脚本を担当しています。

 

出演は
ニック:ベン・アフレック
エイミー:ロザムンド・パイク
マーゴ:キャリー・クーン
ボニー刑事:キム・ディケンズ
デジー・コリングス:ニール・パトリック

他、
タイラー・ペリー、パトリック・フュジット、エミリー・ラタコウスキー、リサ・ベインズ、デヴィッド・クレノン 等。

 

 

 

先日(2018/11/19)、
日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されました。

カルロス・ゴーンと言えば、
日本に「リストラ」を流行らせた張本人。

ゴーンがリストラを流行らせ、
別の会社がそれを真似し、
首を切られたく無い老害が、自分が辞めるより、新入社員の採用を見合わせる事を選び、
結果、就職氷河期が到来し、
現在、現役の働き盛りが少なく、
働き手が居ないなどと、ほざく結果となっております。

ある意味、現代の日本の流れを作った人間の一人ですが、
果たして、
今回の逮捕の真相は、どんなものなのでしょうか?

しかし、
それはまた別の話。

今回、偶然タイミングが重なって、
『ゴーン・ガール』の紹介をする事になりました。

いや~、
偶然だわ~。

 

 

と、いう訳で、
『ゴーン・ガール』です。

本作は、先ず、

ストーリー展開、構成が見事です。

 

え?こう来るの?

という、
非情に練られたサプライズを見せてくれます。

 

 

エイミー失踪。

ニックは、エイミーの両親に連絡し、
共に記者会見を開き、エイミーの情報提供を呼びかけ、
ボランティアと共に、エイミーの捜索を始めます。

実は、
エイミーの両親は有名な絵本作家。
その名も『アメージング・エイミー』という児童書のシリーズを描いています。

その「エイミー」のモデルとなったのが、
娘のエイミーなのです。

そういう特異な家庭で育ったエイミー。

その義両親と話すニックを、ボニー刑事は観察します。

捜査を進めつつも、
ニックの行状もチェックするのですが、、、

 

 

サスペンス的な面白さが際立つ本作ですが、

実は、本作は際どいラブ・ストーリー。

何となく、
普通のラブストーリーと言えば、
思いが通じた時点、
例えば、結婚した時などが、物語の完了となるイメージです。

しかし、本作は、

結婚から始まる、
その後の男女のラブストーリーを描いているのです。

 

 

ミステリー部分で頭をひねり、
サスペンス部分でハラハラし、
ラブストーリー部分でドキドキする。

一本で、3度美味しい、
鉄板の面白さの作品『ゴーン・ガール』です。

 

 

  • 『ゴーン・ガール』のポイント

興味深いストーリー展開

結婚後のラブストーリー

幸せって、何だろう…

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 起承転結の妙

映画というものには、
明確に「起・承・転・結」があります

最初に物語が起こり、
それを受け継ぎ、話が進み、
物語が急展開を見せ、
エンディングに向かって展開して行きます。

逆に言うならば
映画において、
「起承転結」が明確で無い作品は、
駄作となる場合が多いです。

 

さて、
その観点から『ゴーン・ガール』を観ると、

本作は、
「起・承・転・・結」といった構成となっております。

普通の作品より、
もう一転、どんでん返しがある印象なのです。

本作にて解説すると、

 

エイミーが失踪し(起)、
ニックが疑われつつ、捜査が進み(承)、
実は、エイミーの自作自演であって(転)、
そのエイミーの罠に対抗するニックが描かれつつ、
同時に失踪中のエイミーの様子も描き(承・転)、
まさかの元鞘に収まる(結)。

 

この構成が見事です。

あまりの美しさに唸らされました。

 

  • 観客の意識を誘導する展開

言わば『ゴーン・ガール』は、
期待に応え、予想を裏切る
という、
およそ作品作りにおける、理想を体現したものとなっているのです。

 

先ず、本作の予告の第一段、
特報のトレーラーを観てみましょう。

 

 

デヴィッド・フィンチャー監督は、
ミュージックビデオ出身。

予告篇を誰が作っているのかは知りませんが、
特報の出来が抜群です。

まるで、PVのノリで、
短い時間で観客の心を捉えるのが上手いのです。

特に、
本作『ゴーン・ガール』と『ドラゴン・タトゥーの女』は、

特報を観て、
「すげぇ面白そう」と思い、
監督を調べたら、共にデヴィッド・フィンチャーで、納得した、という経緯が私にはありました。

 

閑話休題。

 

私は、映画を観に行く時は、
なるべく情報を仕入れずに、
特報や予告篇の印象のみで、鑑賞するかどうかを判断しています。

しかし、本作においては、
その予告篇にて、既に制作者側の「罠」が仕掛けられているのです。

本作の予告を観ると、
映画やミステリ小説を読み慣れた人なら、
何となく、
「あ、犯人は夫なんだな」
と、予想出来ます。

これは、
犯人である夫が、
如何に妻を殺し、
そして、捜査の過程でゲス男が追い詰められて行く様子を観る作品なのだ、

そう無意識の内に、
予告の時点で察する事が出来ます。

「何者かに誘拐された様に見せかけて、実は夫の妻殺しなんだ」
みたいな、
「刑事コロンボ」的なノリを、予想するのです。

 

果たして、
本篇においても、

夫のニックは、
愚鈍で微妙に空気の読めない、妻に寄生したヒモ男
一見してそうと分かる間抜けに描かれています。

妻が失踪したのに、刑事相手に下手な冗談を言ったり、
スマホでの記念撮影に応じたり、
記者会見時に笑顔を見せたり、
ホームレスにわざとらしく親切にしたり、
果ては、10代の小娘と浮気までしています。

ここまで来ると、数え役満です。

刑事やTVタレントですら、
「犯人はニックで決まりだろう」と、
言わずもがなな事を口にします。

 

しかし、です。

こうまで、怪し過ぎると、逆に異臭を感じます

予告篇で先ず、夫が犯人と示唆し、
序盤の話の展開でも、如何にも夫が怪しく、
段々登場人物の多くが、公然とニックが犯人だと言い出す。

ニックの怪しさが募って行き、
ニックが犯人だという証拠が出揃えば出揃う程、
観ている方には違和感が蓄積されて行く

何だか、
作為めいた誘導を感じて、気持ち悪いのです。

初めは、夫のニックが犯人だと思わせ、
しかし、徐々にその考えに観客は違和感を持つ様になって行く、
その匙加減が絶妙なのです。

 

そして、物語は急転直下、
妹のマーゴの納屋に、
カードでエイミーが買ったと思われる「ニック向けのお楽しみグッズ」の山が、、、

もしや、
本当にエイミーは誰かに誘拐されたのか?

と、思わせた瞬間、
場面は、エイミーの自分語りへと変わります。

テンポ良く、エイミーの自作自演の種明かしが開始されるのです。

 

  • エイミーの騙り

『ゴーン・ガール』の前半は、
主に妻の失踪にあったニックの視点と、

その妻エイミーの日記の記述を追う形で描かれる、
過去の夫婦の様子が交互に描写される事で成り立っています。

 

そこからの、急転直下、
中盤にて、ミステリの種明かしが開始されるのです。

 

種明かしには、
カタルシスがあります。

頭を悩ませて来たミステリ、
そのトリックが解きほぐされる快感があるのです。

しかし、本作においては、
その気持ち良さも最初だけ。

ふと、気付きます。

「全てが自作自演、日記の記述にも嘘が混じっているのなら、今まで観た過去のエピソードは、何処までが本当の記述なのだろうか?」と。

観客は、
映画の前半にて獲得したニックとエイミーの夫婦生活、
その印象の前提が、根本から覆された事に思い当たるのです。

種明かしが、新たな謎を産んでいる
この絶妙な展開が素晴らしいのです。

 

エイミーの種明かしが開始された直後、
車で走るエイミーは、
ペンを次々と窓から投げ捨てます。

日記の記述を、
数年間に亘るものだと偽装する為に、
その都度、別のペンを使っていたエイミー。

それを捨てているという事はつまり、
「今までの前提は、捨て去りなさい」
と、エイミーは言っている様にも見えるのです。

 

  • サスペンスの開始

後半は、物語の印象が、
また少し変化します。

愚鈍な印象を観客に持たせていたニックも、
実は、役者であるベン・アフレックの渾身の演技であったと、観客は理解します。

エイミーの種明かしの後は、
何だかニックの表情が、ちょっと凜々しくなった気がします。

謎が明かされ、ミステリは終了し、
後半からは、サスペンス、

つまり、
エイミーの罠をかいくぐろうとするニックと、

夫から解放されて、気ままに暮らそうとするエイミーの

それぞれの奮闘が描かれます。

 

注目したいのは、エイミーの行動。

「理想の妻」を演じる必要がなくなったので、
お菓子をドカ食いし、コーラをラッパ飲みします。

計画表の形で記述された、
カレンダーの最後の付箋には「自殺」と書いてありましたが、
エイミーは途中でその付箋を取っ払います。

また、
宿泊先のモーテルで、他の宿泊客に大金をせびり盗られ、
枕を抱えて慟哭したりします。

挙句は金銭に困り、
自分のストーカーに連絡を取るのです。

兎に角、
行動に思慮分別や一貫性が無い

緻密な計画を立てて、
完璧(amazing)な罠を組んだエイミーは一体何処に行ったの?
と、思ってしまいます。

 

実はエイミー、
聡明で知力も高いですが、
感情で動くタイプ

しかも、
普通の人間は「一時の感情」にて悪い事をしでかしますが、

エイミーに至っては、
その「一時の感情」が、ずっと続いている印象を受けるのです。

恐るべき集中力と持続力ですが、

事を達成し、
一度感情が収まったエイミーは、
情熱で動いていない、
だから不抜けているのですね。

 

しかし、
エイミーは、ストーカーのデジー・コリングスの別荘にて、
ニックのTVインタビューを観て、
再び情熱が蘇ります。

ストーカーに匿われた事は計算外でしょうが、
その状況を逆に利用する事で、
再びニックの元へと帰還する為の道具に使うのです。

この対応力こそ、
エイミーの凄味です。

 

  • 役割を、演じる事

「結婚は、妥協と忍耐が必要なハードワークだ」
とは、
作中、エイミーの日記に記述されていました。

時が経てば、
百年の恋も醒め果てます。

そこに、何が残るのか?

『ゴーン・ガール』では、
正にそのもの、
結婚後の男女の在り方を描いています。

 

エイミーは
「夫を操る妻にはなりたくない」と言います。

また、マーゴは、
「猿回しの猿ね」と皮肉ります。

しかし、そうは言っても、
恋愛においてはある程度の「理想」というものがあり、

相手と付き合うとなると、
その相手の理想の人物に成ろうと、
無意識の内に自分を演じてしまうのは、ある程度仕方の無い事です。

ニックとエイミーは、
お互いに、その相手の理想の人物に成るという役割に、
結婚五年目にして疲れ果てたとも言えます。

一言で言うと、
倦怠期ですね。

しかし、エイミーはインタビューの受け答えをしているニックを観て気付きます。

これぞ、私が望んだ相手なのだと。

恋愛においては、
お互いの理想に合わせる形で演技しますが、

結婚においては、
世間が幸せだと認識する形に自分を当て嵌め
その役割を演じる必要があるのだと気付くのです。

恋愛の延長における演技・役割は破綻した。

しかし、
世間に自分を取り繕っているニックの様子の完璧ぶりに、
エイミーは惚れ直したのですね。

だから、
エイミーは血みどろになってもニックの元に帰って来たのです。

いやぁ、完璧にイカレてますが、

それが満更でも無いニックも相当です。

正に、割れ鍋に綴じ蓋ですね。

 

私が高校生の時、
学校のプロモビデオの為に、
クラス対抗戦を撮影にカメラマン来た時がありました。

カメラマンが撮影を開始、
すると、指示をされてもいないのに皆が皆、
わざとらしく絶叫したり、
ガッツポーズを取ったりして、
「こうしたらいい画になる」という場面を演出していました。

その証拠に、
撮影が終わり、カメラマンが居なくなると、
潮が引いた様に静かになりました。

 

ど素人の高校生でも、
カメラの前では迫真の演技をする事が出来ます。

エイミーは、
夫婦関係を継続させるには、
第三者にどう見えるのか?
それを考慮し、他人から見て理想の夫婦像を演じる形にすれば、
ニックも、自分も、再び完璧になれるという事に気付き、

その他人の眼として、TV中継を使ったりしているのです。

 

最早この段階に陥ると、
傍から見たら、仲の良い夫婦ですが、

その実、
他人の眼しか意識していないので、
相手を尊重するというより、自己満足の世界であるように思えます。

しかし、
相手に興味が無くなった夫婦においては、
それこそが、円満な関係なのかもしれません。

 

しかし、
ニックとエイミーにとっては、
そんな偽りはやがては破綻する。

マーゴはそれを予感しています。

やがて訪れる修羅場、
それを理解しつつも、
刺激的なエイミーとの生活を続けようとするニックの軽薄さと、
哀しさ、

それに絶望しつつも、兄を見捨てる気の無い自分、

そんな様々な感情が入り混じって、
マーゴは涙していたのです。

 

 

本作の冒頭とラストシーンは一緒のものです。

頭に触れようとすると、
ふと、カメラ(ニック)を見上げるエイミー。

こちらをじっと観察している様な眼差しを向けてきますが、

同じシーンでも、
本篇を観た後のラストシーンでは、

その様子が、
まるで、相手を捕食せんとする雌カマキリの様な不気味さに見えるのが、
なんとも言えない後味を残します。

 

 

 

デヴィッド・フィンチャー監督ならではの、
抑えた色調。

その端正な画面で描かれる、
壮絶な夫婦喧嘩、
しかし、歪な愛情を描いた作品、
『ゴーン・ガール』。

一転、二転する展開、
ミステリーとサスペンス、

その構成の素晴らしさが、
ストーリーの面白さを際立たせます。

一筋縄ではいかない、
しかし、
騙りの面白さに満ちており、

本作は結局、
男女の恋愛が終わった夫婦の、
壮絶な愛情を描いたラブストーリーと言えるのではないでしょうか。

 

 

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