失踪したスザンナ/マイアを追うべく、マンニの民に助力を求めるローランドと<カ・テット>。<十三番目の黒球>無しに扉を開く事に成功したが、当初の予定とは逆に、スザンナ/マイア追跡にジェイク、オイ、キャラハン、薔薇の空き地の確保にローランド、エディが向かう事になる、、、
著者はスティーヴン・キング。
当代きってのベストセラー作家。
モダン・ホラーの帝王とも言われる。
代表作に、
『キャリー』
『シャイニング』
『ザ・スタンド』
『IT』
『スタンド・バイ・ミー』
『ミザリー』
『グリーンマイル』
『11/22/63』等多数。
本作、「ダーク・タワー」シリーズは著者スティーヴン・キングが30年近くの構想と執筆期間を経て完成させた作品。
全7部構成の大長篇ともとれる作品である。
そのシリーズは
ダーク・タワーⅠ ガンスリンガー
ダーク・タワーⅡ 運命の三人
ダーク・タワーⅢ 荒地
ダーク・タワーⅣ 魔道士と水晶球
ダーク・タワーⅤ カーラの狼
ダーク・タワーⅥ スザンナの歌(本巻)
ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔
という構成になっている。
世界観を同じくする短篇に『第四解剖室』収録の「エルーリアの修道女」がある。
また、『ダークタワー』としてオリジナルストーリーで映画化された。
いよいよ大詰めの感がある「ダーク・タワー」。
そのラスト直前、『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』では山積する問題に対処せんとする<カ・テット>のメンバーの行動が描かれる。
もう、ラスト目前。
それなのにこの混乱ぶり。
最後だろうが、途中だろうが、
事態というのは混乱を待ってくれない。
まるで人生の様に物事は上手くいかないのだ。
子供の出産に執念を燃やすマイアと、それに付き合わされるスザンナ。
「薔薇の空き地」確保に向かうローランドとエディを見舞う災難。
スザンナ/マイアを追って、死地に挑まんとするジェイク、オイ、キャラハン。
3つの目線により物語が進む。
さらには、以外な新キャラ、
登場するは、作者のスティーヴン・キング!?
しかし、ああ悲しいかな、
紛糾する事態をそのままに、
良い所で話が終わってしまう!!
この引きっぷりに身もだえする事間違い無しの作品、それが『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』である。
-
『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』のポイント
罠と解っていても、信じるしか無い、やるしか無い事
トラブルは一つずつ解決するべし
作者が作中に登場してしまうメタ目線
以下、内容に触れた感想となっています
スポンサーリンク
*本ブログの感想は、新潮文庫版を読んでのものとなっています。
文中のページ数も、新潮文庫版に準拠しています。
-
人は信じたいものを信じる
本巻『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』では3つの目線でストーリーが進む。
その内、メインのストーリーラインがスザンナ/マイアの「ディキシー・ピッグ行き」である。
スザンナに憑依したマイアは、客観的に見ると利用された存在というのが解る。
スザンナも、読者も、である。
しかし、知らぬは本人ばかりなり。
相手が半笑いで見下していても、
自分の「こうあって欲しい」という願望に曇らされて、明確な真実のサインを見ようとしない。
「こうあって欲しい」というこちらの願望を相手がオウム返しに繰り返すだけで、「それが叶う」と都合良く解釈してしまうのだ。
相手はこちらを利用する為に、調子を合わせているに過ぎない。
感情に支配された人間が自らを客観視する事が如何に困難かを物語っている。
私は対戦型ゲームが大好きなので、この感情が良く分かる。
「読み」を詰める事が出来ず、自分の「手」が通って欲しいと根拠の無い願望に縋りたくなる時はよくあるのだ。
これは別にゲームだけでは無い。
人生における人間関係や仕事、車の運転などの日々の些細な事に至って、「自身の願望」にてトラブルに陥る事はままあるのだ。
駐車場から出る時に右折待ちをしていて、「どうせ相手が止まってくれるだろう」と、ほんのちょっとの隙間に割り込みをかける事は無いだろうか?
しかし、事故ってから後悔しても後の祭り。
物事を客観視し、常に最悪に備えて最善を心掛けるのが理想だが、まぁそう上手くいかないのが人間だ。
-
まさかの登場!?作者スティーヴン・キング!
カルヴィン・タワーの書痴ぶりも面白いが、本作『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』においてもっとも特徴的なエピソードは、作者スティーヴン・キングの登場だろう。
前巻『カーラの狼』にてまさかと予想されたが、本当に登場してしまった。
多世界解釈による、多重世界の横断を繰り返してきた本シリーズだが、ここに来てさらに「メタ目線」まで組み込んで来た。
こうなったら、何が何だか頭がこんぐらがって来るが、冷静に考えてみると面白い事に気付く。
それは、「ダーク・タワー」シリーズの現代アメリカがある世界こそが「唯一の世界」であるという事、
つまり、我々や作者スティーヴン・キングが居る現実のこの世界はサブであり、作品世界こそが「真」としているのだ。
「メタ目線」を使う場合、
多くの作品は多重構造、「箱の中の箱の中の箱…」といった、「物語のマトリョーシカ」みたいな形をとる。
しかし、『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』においては、
作者登場という「メタ目線」を並行世界と同列とし、「ダーク・タワー」シリーズの一部として内包する形をとっているのだ。
作者の多くの作品を「ダーク・タワー」シリーズに合流させているが、それに現実世界を加えようと企んだのが「作者登場」なのである。
ともすれば、白ける設定であるが、読んで面白いという力技にてそれを成立させているのがまた、笑える。
元々作者のスティーヴン・キングは、
前語りやエッセイ、「小説作法」といった形で自分語りをするのが好きな作家である。
そして、それが確かに面白いかった。
だが、その「自分語り」を作品の中に組み込むとは、常人の発想では無い。
…まぁ、ある意味、小説とは自分語りの一形態ではあるのだが、、、
さらに、ラストの「自分死亡」オチにはツッコまずには居られない。
じゃぁ、誰が自分が死亡したニュースを日記に書いているんだ?と。
この辺りも、次巻にて解明されるだろう。
-
用語解説
ラスト目前でも多数の新用語が登場している。
グラマー(上巻p.26,32)
マンニの言う魔法の事。
シグール(上巻p.32,133 下巻p.216等)
象徴やサインといった感じの意味か。
英語はアルファベットで書かれているが、<中間世界>ではグレート・レターにて書かれている。
ドーガン(上巻p.131 下巻p.246等)
自分の精神内部にあるコントロールルーム、精神の避難場所、と言ったところか。
2ハマーショルド・プラザ(上巻p.109 下巻p.192他)
かつての薔薇の空き地に建てられているが、その内部に「薔薇の空き地」自体を内包して保護している。
亀(上巻p.46,162 下巻151)
ビームの守護者の一人にして、最も偉大な存在。
名前はマチューリン。
ボーリングのバッグから発見された亀の置物をスザンナはショルードパダーと呼んだ。
亀の現し身である置物でさえも、相手に催眠効果をもたらす。
ギャン(下巻p.148,150,256他)
作者スティーヴン・キングは<ギャン>に取り憑かれていると言った。
<ギャン>とは世界を支え、進ませるもの。
創造主であり、悪を摘み取るものである。
トゥダッシュの際に見かける暗黒の怪物は存在している。(上巻p.51 下巻p.63)
マイアとはどういう存在なのか?(下巻p.50,60,64他)
スザンナの別人格と思われたが、実は<深紅の王>が謀ってスザンナに取り憑かせた存在。
ディスコーディアの端にあるフェディック。
魔法であるプリムが衰退した後も生き残った妖精というか、霊体の様な存在。
子供の親となる事を熱烈に欲した後にマイアとなる霊体は、<黒衣の男>ウォルター・オディムと契約し、アーク16実験ステーションにて不死身を捨て子供を産める定命の存在へと転生した。
ディスコーディア(上巻p.209等)
魔法の空気、創造のスープであるプリムからビームは発生した。
その場所がディスコーディア。
それを永劫に保つ方法があったが、それが魔法と共に失われ<暗黒の塔>のみが残った。
それは<贖罪の間>キャン・キャリックスとも呼ばれる。
フェディック(下巻p.41他)
魔法が失われ、機械の時代が来る。
ノースセントラル・ポジトロニクスはドアを作ったが、一方向にしか行けないものだった。
「カーラの狼」の様な存在は各地で子供をさらう為、フェディックの扉を使う。
子供は<破壊者>のエネルギーとなるモノをフェディックのアーク16実験ステーションにて抜き取られる。
そこは、最後に残ったドーガンのドーガンとも言える場所である。
マイアの出身地である。
<赤の王(レッド・キング)>(下巻p.63,296)
<深紅の王>とは別ものなのか?
いずれもフェディックでのマイアの発言である。
-
小ネタ解説
クローディア・y・イネス・バックマンはスティーヴン・キングの別名義であるリチャード・バックマンの妻という設定であった(下巻p.135)。
熊の守護者「シャーディック」はリチャード・アダムスの小説から、
亀の守護者「マチューリン」はパトリック・オブライエンからとられている。
前巻『ダーク・タワーⅤ カーラの狼』にて出て来たヒッピー風の若者(Ⅴ 下巻p.227)が歳を取り、上巻p.115にて再登場している。
『カーラの狼』では1977年6月24日、
『スザンナの歌』では1999年6月1日である。
『カーラの狼』(中巻p.455)にて発せられたイディッシュ語「ガイ・コックニフ・イン・ヨム」の意味は、
『スザンナの歌』(上巻p.371)によると「海に行って糞して来い」だそうだ。
(本当か?)
マン・オブ・コンスタント・ソロー「いつも悲しむ男(Man of Constant Sorrow)」(下巻p.250他)は元々ディック・バーネットの曲。
1928年に初期のバージョンが初収録された
1960年代に多くのバリエーションが収録されたという。
1964年6月、ミシシッピ州で起きた事件(下巻p.255)というのは、
映画『ミシシッピー・バーニング』でも描かれた公民権運家のリンチ殺害事件(6月21日)の事であろう。
二人のユダヤ人学生、一人の黒人学生がKKKにより殺害された事件だ。
ラスト直前でクリフハンガー状態で終わった『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』。
問題が山積状態の引きで終わるなんて、なんて罪作りなんだ!!
しかし、だからこそ、この勢いでラストまで読み進めるべし。
とうとう、次で終わりなのだから!
*シリーズ毎の解説ページは以下からどうぞ。
ダーク・タワーⅠ ガンスリンガー
ダーク・タワーⅡ 運命の三人
ダーク・タワーⅢ 荒地
ダーク・タワーⅣ 魔道士と水晶球
ダーク・タワーⅤ カーラの狼
ダーク・タワーⅥ スザンナの歌(本巻)
ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔
映画版『ダークタワー』
こちらは下巻
スポンサーリンク
さて次回は、バレンタインという事で、恋の始まりと終わりを描いた傑作、映画『ブルーバレンタイン』について語りたい。