タイ東北部イサーン地方。古くからの精霊「ピー」が未だ、信仰されている。
そこで、祈祷師に密着したドキュメンタリーを製作せんとするスタッフは、一人の女性を発見する。
女神バヤンの祈祷師ニムは、代々、家系としてその役目を担っている現代の依り代である。
姉・ノイの夫の葬儀に参加したニム。そこで再会した姪のミンは、しばしば奇行を繰り返していた。興味を覚えたスタッフは、ニムと並行してミンの日常も撮影するのだが、、、
監督は、バンジョン・ピサンタナクーン。
タイ出身。
長篇映画はホラーとラブコメ作品が多い。
監督作に
『心霊写真』(2004)
『ALONE』(2007)
『4BIA – IN THE MIDDLE(英題)』(2008)
『PHOBIA2 – IN THE END(英題)』(2009)
『アンニョン!君の名は』(2010)
『愛しのゴースト』(2013)
『一日だけの恋人』(2016)がある。
出演は、
ニム:サワニー・ウトーンマ
ミン:ナリルヤ・グルモンコルペチ
ノイ:シラニ・ヤンキッティカン 他
本作『女神の継承』に、
「原案・プロデュース」として名を連ねているのは、
ナ・ホンジン。
韓国出身の映画監督で、
『チェイサー』(2008)
『哀しき獣』(2010)
『哭声/コクソン』(2016)を製作しています。
サイコスリラー、
バイオレンスアクション、
オカルトホラーという過去の3作品にて、
日本でも人気のある監督ですが、
そのナ・ホンジンがプロデュースするタイ映画という事で、
公開前から期待が膨らんでいました。
夏映画、ホラー映画の今年の本命と言って過言ではありません。
ほら、
漫画の『あしたのジョー』でも、
白木葉子が「まだ見ぬ才能を探すなら東南アジア」と言っていたじゃないですか。
そして見つけたハリマオとかいう異能のボクサー!
そうです、言ってみれば、
スピードとトリッキーな攻撃方法でジョーを苦しめた、
映画界のハリマオなのです(!?)。
さぁ、分かり難い例えはこれくらいにしましょうか。
本作『女神の継承』は、
モキュメンタリー、オカルトホラー!!
モキュメンタリーというのは、
ドキュメンタリー(記録映像)風に撮影した形式の作品。
ハンディカメラ撮影や、インタビュー、監視カメラなどの映像が、
印象的、且つ、効果的に使われています。
そして、ジャンル的には、
オカルトホラー。
最近、
ホラー作品と言えば、
サイコスリラーやスラッシャー作品などが多く、
本作の様に、
ホラーの源泉とも言うべきオカルトを題材にした作品は、
逆に、現在では珍しい印象です。
ヤサンティア家に嫁いだノイ。
ノイは、元々は女神バヤンの祈祷師に選ばれていたのですが、
それを拒否し、
結果、妹のニムが、現在、祈祷師を継いでいます。
そのノイの娘のミンの奇行を目撃したスタッフは、
「これは、女神の祈祷師の代替わりが撮影出来るのでは」と直感し、
ミンの日常を撮影するのですが、
その奇行はエスカレートして行き、、、
本作、『女神の継承』はR18+です。
即ち、18歳以上でないと観られない映画という区分。
で、実際の作品を観て、
まぁ、ある意味、納得と言いますか。
エスカレートする怒濤の絶望のドライブ感がハンパ無い
作品だからです。
上映時間は、なんと130分。
しかし、この長時間を全く感じさせない、
「起承転結」という、映画のどの部分でも全くダレ無い緊張感。
しかも、
描かれる恐怖、驚異が、次第にエスカレートして行くという悪夢。
また、
本作の台本には、
出来事が書いてあっても、詳しい台詞が無い事が多かったと言います。
つまり、
出演者にアドリブを求め、それ故のライブ感が、
本作に疾走感を与えています。
疑似ドキュメンタリーという撮影方法も相俟って、
観る者に、
浸食される日常の崩壊具合を、リアルに感じさせるのです。
本作、
プロモーションにて、
監督とニム役のサワニーと、ミン役のナリルヤが来日していました。
その様子は、
まるで親子、夫婦であるようにも見えて、微笑ましいですが、
どっこい、映画はガチのホラー。
アイドル的な笑顔を振りまいていたナリルヤですが、
映画本篇の体当たりの演技(?)は、
凄まじいものがあります。
また、舞台であるタイの農村も、
自然とガソリンスタンドが共存していたり、
カラオケバーみたいなモノがあったり、
何だか、日本の地方都市を彷彿とさせる所もアリ、
出演者もアジア人という事で、
日本とも親和性が感じられます。
そういう意味で本作は、
より、感情移入出来るのではないでしょうか。
何だか、かつて無い、すんごいものを観たいな、
そういう人にオススメする
『女神の継承』。
ホラー馴れしてない子供が観ると、
トラウマ必至の作品であり、
王道のオカルトホラー映画であると言える作品なのです。
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『女神の継承』のポイント
王道のオカルトホラー作品
エスカレートする悪夢のドライブ感
モキュメンタリーの系譜
以下、内容に触れた感想となっております
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モキュメンタリーとオカルトと
モキュメンタリーとは、
疑似ドキュメンタリー作品とも言われ、
ハンディカメラや、インタビュー映像、ニュース映像、監視カメラ、SNSの動画などを駆使し、
あたかも、
実際の出来事であるかの様に見せる撮影手法です。
このモキュメンタリーは、
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)の大ヒットにて、
比較的に低予算で、臨場感、ライブ感を演出できるという、
ホラー映画との親和性が発見され、
以降、
数々のモキュメンタリーホラー映画が製作されてきました。
『パラノーマル・アクティビティ』(2007)
『REC/レック』(2007)
『クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008)
『トロール・ハンター』(2010)
『クロニクル』(2012)
『アンフレンデッド』(2014)
『search/サーチ』(2018)
『ウトヤ島、7月22日』(2019) など、
SFやアクション、サスペンス、スリラーなどのジャンルにまたがり、
ホラー要素のある作品群となっております。
更に本作は、
オカルトホラーの様相を呈しています。
やっぱり、ホラーの源泉、王道は、
個人的に、心霊現象ではないかと思います。
昔、
夏休みになると、日本テレビにて、
お昼に「怪奇特集!!あなたの知らない世界」という特番が組まれ、
視聴者のお便りを元に、
再現VTRという形のオカルトドラマが流れていました。
モキュメンタリーとは、
似て非なる撮影手法ですが、
再現VTRとは、ある種の口コミと言え、
オカルト(心霊現象)を語る上で、その親和性が高いと思われます。
ホラーの王道であるオカルトですが、
映画においては、
本作のプロデュースを手掛けたナ・ホンジンの
『哭声/コクソン』(2016)があります。
これに出演した國村隼が、
『女神の継承』の予告篇にてナレーションを務めていたのが、興味深いですね。
そして、アリ・アスター監督作の
『ヘレディタリー/継承』(2018)
『ミッドサマー』(2019)が近年、特に印象深いです。
そして、
オカルトホラー映画の代表作と言えば、
『エクソシスト』(1973)があります。
他にも、
『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)
『オーメン』(1976)
『サスペリア』(1977)などがあり、
キリスト教がベースにある西洋では、
悪魔崇拝を題材にした作品が多い印象。
近年においては、
『死霊館』(2013)から始まる
「死霊館ユニバース」と言われるオカルトシリーズもあり、
これも、悪魔崇拝者と戦う作品となっております。
日本においてはやはり、
『リング』(1998)が代表作と言えましょう。
近年では、
『来る』(2018)や、
『犬鳴村』(2020)
『事故物件 恐い間取り』(2020)などの作品があり、
定期的に、ジャパニーズホラーとして、
製作されています。
これらのジャパニーズホラーの特徴として、
都市伝説というか、「口コミ」にて、
心霊現象の存在を「知った」人間に、
被害が拡散、伝播して行くという性質があります。
地方の噂話を調べに来た者が、
怪異に巻き込まれ、
観察者という立場であったハズが、
いつの間にか、当事者となってしまい、
被害者へと転化して行くのです。
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第三者が当事者化する恐怖
『女神の継承』にも、
そういった、
ジャパニーズホラー的な要素が取り込まれています。
最初、
モキュメンタリーとして、
記録映像風に、本作は進んで行きます。
モキュメンタリーであるが故に、
普通の映画では「禁じ手」とされる、
出演者のカメラ目線が複数あり、
印象的で、ドキっとするシーンになっております。
また、同じく「禁じ手」の、
映像を撮影する「カメラマン」の存在が意識されています。
普通の映画では、
出来事を描写です。
しかし、
モキュメンタリーという撮影方法においては、
画面に移る「画」は、
撮影者の主観に基づくモノという意思が感じられ、
そこに、
カメラマンも出演者の一人であるという、
存在の主張が感じられるのです。
それ故、
普通の映画では、第三者として、
事象の外側であるハズの存在が、
モキュメンタリーでは、
観察者として関わってしまう事で、
当事者となり、
怪異に巻き込まれる事になるのです。
量子論においては、
事象を観測する事で、
複数ある可能性の世界が収束するとされますが、
そんな「シュレディンガーの猫」的な、
メタ目線が、
モキュメンタリーという手法には、含まれるのです。
何が言いたいのかというと、
つまり、
観察者は、事象の一部であるという事。
そして、
そこから敷衍するに、
このメタ目線は、
映画を観ている鑑賞者に、
「あなたも安全では無い」という警告を与えているのです。
本作のクライマックスシーン、
ミンがカメラに向かって、
「私が撮ってあげる」と語りかける場面があります。
それは、カメラマンに語りかけている様に見えて、
もしかすると、
安全圏に居たと思われた、
我々観客に向けた台詞でもあると、思わせるのです。
本作の恐怖は、
安全圏に居るカメラマン、観客までにも触手を伸ばす
疑念や恐怖の拡散、伝播であり、
そこに、ジャパニーズホラーの要素も見受けられるのではないでしょうか。
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恐怖の説得力
本作『女神の継承』は、
どうやら、原題は、「ランソン」と言って、
タイ語で「祈祷師」「巫女」という意味があるそうです。
それを「女神の継承」としたのは、
邦題にてミスリードを誘うという、
中々、面白い手法となってますね。
さて、そんな本作、
オカルトホラー映画でありますが、
よく観ると、
超常現象が、殆ど描写されないのです。
数少ない超常現象として、
タクシーの監視カメラで、
瞬間移動し、透明に映っていた、という場面と、
暴れるミンの指をコップに突っ込んだら、
黒いモノが吹き出した、という場面のみです。
他は、
ミンや、憑依者による、
物理的な行動や攻撃によるもの、
もしくは、
被害者の自傷行為であるのです。
この、
あくまでも、想定外の事が起こっているのに、
常識の範囲内で認識、説明出来るレベルの怪奇である点が、
リアルな説得力を生み、
そこに、迫力とライブ感が加わる事で、
本作のドライブ感が、恐怖を加速させているのです。
漫画『ドラゴンボール』で、
セルゲームに挑むミスターサタンが、
セルや、悟空達Z戦士の戦闘を見て、
「トリックだ、集団催眠だ」とのたまっていました。
本作の怪異も、
ややもすれば、その言葉で説明が付きかねないのです。
だからこそ、質が悪い。
忌避されている「犬食」の店を営むヤサンティア家の「悪魔祓い」の儀式故に、
儀式の失敗を感じた雑魚祈祷師は、
その前知識から、犬の真似をしたのかもしれません。
で、全然憑依されていなかったとしても、
雰囲気として、
被害者になるより、加害者になるほうがいいと、
集団催眠的なノリで、悪魔憑きを演出しているのかもしれない。
ノイが過去、
自分がバヤンの祈祷師になりたくなかったから、
ニムの靴に呪符を仕込んだと、
憑依されたミンが暴露したのは、
そういう話を、
ミンは、母親から聞いていたのかもしれない。
ミンの奇行を認識し、
それを、未だ見ぬ悪霊の所為だと認識した事で、
余計に、ミンの奇行をエスカレートさせたという側面が、
あるのかもしれない。
こういった、
常識で説明出来る「かもしれない」という認識が、
自分の能力外の事に対面した時、
判断ミスというか、怪異への恐怖を曇ら、侮らせる原因となるのです。
本作、ラストにて、驚愕の事実が明かされます。
ニムは儀式を途中で放り出し、
頭を抱えます。
どうしたのかと尋ねるスタッフに、
ニムは、
「私は(実は)一度もバヤンの存在を感じた事が無い」と告白します。
ニムは、
女神バヤンの祈祷師の一族としての役割を継承し、
その力は、
バヤンへの信心があり、
その効用を疑わない人との、
共同作業というか、
相互認識の元に成されたものであったのです。
いわゆる、
プラシーボ効果と言いますか。
つまり、
クライマックス直前のニムの退場とは、
=儀式の定められた敗北であるのですが、
それは、
「女神バヤンがついているから大丈夫」
という共通認識が通じない相手に対する無力感と、
自分の行動、能力に対する疑念が、
死に至る絶望を呼び込んでしまったと言えるのです。
信じるモノを奪われる絶望、
本作においては、
ミンの夜の行動を監視カメラで観察した場面で、
その過程が、克明に描かれます。
悪霊に憑依されても、
娘で、ファミリーだ。
そんな家族の期待、希望も虚しく、
エスカレートするミンの奇行は、
人間性の欠如を、一つずつ、証明してしまうのです。
本作で描かれる恐怖は、
ミンの奇行という、
直接のもの、
悪霊(?)に憑依されるという、
超常現象の不気味さもありますが、
その一番は、
ニムは自信を、家族は希望を、ミンは人間性を喪失して行くのに、
無力感と徒労感が積み重なって行く、
その過程を克明に描くという絶望です。
信じるモノが、
砂の様に崩れ落ち、
無力だと思い知らされる恐怖こそが、
本作『女神の継承』のキモであるのです。
それを、モキュメンタリーとして描く事で、
お前も例外では無いと、
鑑賞者にも警告するメタ的な不気味さ、不条理さ。
『女神の継承』は、
中々どうして、
作り込まれたオカルトホラーとしての傑作であると言えるのではないでしょうか。
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