ロンドンの大学の服飾科に入学が決定したエロイーズ。期待に胸を膨らませ、学生寮に入ったが、田舎出身の彼女は、パリピなルームメイトと馬が合わず、一人暮らし用の部屋を探す。
ソーホーにて、クラシカルな部屋を見つけたエロイーズ。育ててくれた祖母の影響で、60年代の文化が好きな彼女は、夜、不思議な夢を見る。それは、憧れの60年代のロンドンの繁華街で、夢に向かって突き進む少女、サンディの姿であった、、、
監督は、エドガー・ライト。
イングランド出身の監督、
元々は、ダメ男子映画で、映画オタクのハートキャッチプリキュアな感じだったが、
おしゃれ映画の『ベイビー・ドライバー』(2017)にて、一般にも浸透した。
他の監督作に、
『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)
『ホット・ファズ ー俺たちスーパーポリスメン!ー』(2007)
『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010)
『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(2013)がある。
出演は、
エロイーズ:トーマシン・マッケンジー
ジョン:マイケル・アジャオ
ジョカスタ:シノーヴ・カールセン
ミズ・コリンズ:ダイアナ・リグ
銀髪の男:テレンス・スタンプ
祖母ペギー:リタ・トゥシンハム
サンディ:アニャ・テイラー=ジョイ
ジャック:マット・スミス 他
監督(チビ)
主演(ハゲ)
共演(デブ)の三重苦。
しかし、映画は、抜群に面白い。
それが、エドガー・ライト作品の醍醐味であった。
世の映画オタク男子は狂喜し、
「これぞ、私の映画だ」と、誰もが思った。
そんなマニアの心を鷲づかみにして来たエドガー・ライトですが、
しかし、
『ベイビー・ドライバー』の成功によって、
若干話が違って来ます。
というか、
オシャレ映画だった『ベイビー・ドライバー』は、
女子にもキャーキャー言われる映画だったのです。
映画の内容自体は、面白くとも、
何だかなぁ…
と、いう気持ちにさせられました。
しかし、
本作『ラストナイト・イン・ソーホー』はホラー映画。
ホラー映画なら、
オサレ女子に見向きもされない、
ボンクラ映画オタクの為のジャンルではないか!
俺たちのエドガー・ライトが帰って来た!!
そういうテンションの作品ですよ、
ファンからすればね。
で、
この秋、
多数公開されたスリラー映画の数々。
『死霊館 悪魔のせいなら、無罪。』
『キャンディマン』
『ハロウィン KILLS』
『アンテベラム』
『マリグナント 狂暴な悪夢』
『ダーク・アンド・ウィケッド』
『ラストナイト・イン・ソーホー』(本作)
掉尾を飾る本作の出来は如何に?
先ず、『ラストナイト・イン・ソーホー』は、
一言でホラー映画と言っても、
どんな感じのホラー映画なのか?
サイコサスペンスとか、
殺人鬼がメインのスラッシャー映画とか、
同じホラー映画でも、方向性が違います。
その観点から語ると、本作は、
ガチガチのホラー映画というよりは、
スリルあり、
サスペンスあり、
ホラー表現あり、
いわゆる、
近年「スリラー映画」という単語は流行っていますが、
そういう意味で、正しく、
「スリラー映画」というジャンルにピッタリ嵌る作品です。
そして、
エドガー・ライト監督作品の過去作は、
コミカルな、コメディタッチの側面も持つものが多い印象です。
しかし、
本作は『ベイビー・ドライバー』同様、
ノリとしては真面目な感じ。
で、
肝心の内容ですが、
本作は一言で言うならば、
「夢」に関する物語。
過去への憧憬、
夢への期待、
そして、現実の悲哀を描いた作品です。
夜見る「夢」にて、
過去の憧れのロンドンで、
自らの夢を叶えようとする、
歌手志望の少女サンディと同化するエロイーズ。
彼女から霊感を受けて、
服飾デザインにも力が入り、
自らの夢に、エロイーズは邁進します。
活動写真といった感じで、
映画を体験するかの如くに、
サンディの体験を観ているエロイーズ。
しかし、
サンディの夢は、いつの間にか雲行きが怪しくなり、
夜の歓楽街の波に呑まれ、
そして、
エロイーズは、
自分が観ている「夢」の舞台が、
現実にも存在している事に気付き、
どうやら「夢」は、
過去の「現実」であった事を悟ります。
そして、
サンディの夢が、夜の街の欲望に侵食されるのと同期し、
エロイーズ自身の現実も、過去からの亡霊に侵食され始めます…
こんな感じで、
真面目にスリラー映画している本作。
しかし、
本作の特徴は、それだけではありません。
元々、
オタク気質だった監督の本領発揮というか、
過去の映画作品のオマージュ、
ネタを拝借しつつ、
それを、テーマを語る為に昇華する。
こういう、
過去作から一貫して続けている映画作りの手法は、
本作でも変わらず健在です。
そして、本作の、
もう一つの大きな特徴と言えば、
作中で挿入される楽曲が、
まるで、
ミュージカル映画の様に、
登場人物の感情や、状況を反映している
という事です。
これは、
前回の監督作『ベイビー・ドライバー』で多用された手法。
本作でも、
それを効率よく使っています。
…ここまで語ると、
何となく、理解出来ると思いますが、
真面目なノリで、
かつ、楽曲をオシャレに映像に組み合わせた作り、
つまり本作、
『ベイビー・ドライバー』系の作品と言えますね。
出演者も、
ムサ苦しいオッサンばかりでは無く、
見目麗しい、女子がメインですしね。
その出演者ですが、
エロイーズ演じる、トーマシン・マッケンジーの純粋無垢さ。
サンディ演じる、アニャ・テイラー=ジョイのやんちゃさ。
どちらも、
ホラー映画のメインとして、
申し分無いキャラクターです。
そういう意味では、
正しく、スリラー映画をしており、
それでいて、オタク趣味を詰め込みつつ、
そんな知識が無くとも、
オシャレな楽曲の数々を堪能しながら、
ホラーのドキドキ感が味わえる。
中々の完成度の高さが窺える、
それが、『ラストナイト・イン・ソーホー』です。
-
『ラストナイト・イン・ソーホー』のポイント
過去への憧憬、夢への期待、そして現実の悲哀
華やかなエンタメの世界にて、搾取される女性の性
登場人物の感情や、場面状況を表す、楽曲の数々
以下、内容に触れた感想となっております
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過去への憧憬、夢への期待、そして現実の悲哀
『ラストナイト・イン・ソーホー』は、
青春の物語です。
主役のエロイーズは、
期待に胸を膨らませて、
服飾デザイン科に進学しますが、
寮でルームメイトになったジョカスタのパリピのノリに付いて行けず、
また、
ジョカスタと取り巻きに陰口を叩かれ、
寮を飛び出して、
一人暮らしを始めます。
よく、
高校デビューとか、
大学デビューかという言葉を聞きます。
陰キャが一念発起、
過去の自分を捨て去って、
新しい環境で、パリピのノリで、楽しく過ごそう、
というコンセプトの、自己改革です。
しかし、
自分を隠して、やり慣れない事をすると、
それが、逆にストレスになる事も、ままあります。
エロイーズは、
飾らない自分のままで、
結局、デビューに失敗した口。
そして、そういう経験は、
「映画鑑賞が趣味です」的なインドア派の方々には、
多数、覚えがあるのではないでしょうか。
そういう意味で、
エドガー・ライト監督作品の過去作同様、
本作は、
ボンクラ映画ファンの心を掴む術を熟知していると言えますね。
さて、
そんなエロイーズは、
祖母に育てられた影響で、
60年代の文化、音楽に憧れを持っています。
そして、
ソーホーに借りた部屋にて、
夜、夢を見ます。
憧れのロンドン、
憧れの60年代、
華やかな夜の街を駆け、
夢に向かって突き進む少女、サンディ。
自分が、サンディに成って、
彼女の行動を追体験するのです。
そして、
サンディに霊感を得て、
エロイーズ自身の夢である、
服飾デザインの方にも、力が入ります。
しかし、
順風満帆に見えた矢先、
サンディの、
歌手に成るという夢が、脅かされる様子を、
エロイーズは目撃します。
プロデューサーと言いつつ、
その実、ポン引きだったジャックの言いなりに、
夜の歓楽街で、
ストリッパーデビューするサンディ。
又、
歌手デビューの為と言いくるめられ、
男性客の「相手」をさせられます。
結局、
流れ着いたのは、
プロ売春婦。
男性に会う度に、サンディは自分の名前を、
その場で適当にでっち上げたもので誤魔化します。
しかし、
名前とは、個人のミクロな、
それでいて、重要なアイデンティティ。
それが安定しないという事は、
彼女自身の自我の崩壊を意味します。
一方、エロイーズは、
サンディの夢の舞台が、現実に存在している事を知り、
つまり、それは、
「夢」は、過去のエピソードである事を悟ります。
また、昔から、特別な「ヴィジョン」が見える質だった事もあり、
目が醒めている時にさえ、
サンディの「崩れ去った夢」が
エロイーズの現実に、ホラーとして浸食してして来ます。
斯様の如く、
本作は、
若者が現実を知る物語です。
過去への憧れや、
夢への期待感。
しかし、
華やかな世界に寄せるその期待は、
現実の、
夜の街やショービジネスに代表される、
人の夢を喰いモノにする者達の、餌食とされるのです。
本作では、
過去へのノスタルジーや武勇伝に、
過度に憧れを抱く事への警鐘を鳴らします。
華やかな思い出話の裏側には、
数多の、犠牲者の亡霊が埋められており、
決して、現実は、
額面通りのモノでは無い事を物語っているのですね。
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搾取される女性性
夢が、他人の喰いモノにされる。
本作『ラストナイト・イン・ソーホー』では、
華やかで、チヤホヤされている印象の、
アイドルや歌手などのショービジネスが、
その実、
男性による、
女性性の搾取のシステムである事を描き出しています。
こうしたら、夢が叶うから、
夢の一歩には、これも必要だから、
何かを得る為には、
時には、自らの意思を曲げ、
プライドを捨てなければならない、
と、言う、
一見、それらしく聞こえて、
その実、
男性側が、女性を都合良く操る為の決まり文句は、
古今東西の教訓として、
現代にも通ずる警告として描かれます。
また、作中、
エロイーズが、
サンディによりインスパイアし、
デザインした服を、破るシーンがあります。
それは、
現実に浸食して来た幻により、
ノイローゼとなったエロイーズの突発的な行動と言うより、
同じ女性で、
サンディと同化しているハズの自分が、
夜の街の男共と同じ様に、
デザインを盗用する事=サンディを利用している事の様に感じ、
それが、汚らしく感じたからだと思われます。
故に、エロイーズは、
クライマックスにて、
実は、
自分を襲っていたと思われていた亡霊共が、
助けを求めていた男性達だった事を知っても、
それに、「ノー」を突き付けます。
あくまでも、
相手が、自分を殺しに来たとしても、
エロイーズは、
サンディに寄り添う事を選ぶのですね。
さて、
奇しくも、同じように、
社会の女性性の搾取を描いた『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)では、
自らの復讐の対象でありながら、
改心した相手(男性)を、
赦す場面があります。
本作で、
男性に「ノー」突き付けた選択とは真逆で、
印象的です。
しかし、
罪を犯した男性を赦した『プロミシング・ヤング・ウーマン』が、
そのテーマ性にて、男性優位社会の問題点をあぶり出したのに対し、
一方の『ラストナイト・イン・ソーホー』では、
男性に「ノー」を突き付けつつ、
しかし、
女性のメインキャラに、
典型的な「搾取される女性」を演じさせた事は、
結局、
本作自体が、女性性の搾取の構造内に留まっているという問題点から脱却出来ていないのです。
それは、本作で、
エロイーズが見る悪夢が、
実は現実というより、
サンディの主観の反映であった事が原因なのかもしれません。
それは、
エロイーズが、友人のジョンと性行為に及びそうになった時、
サンディが、
男性(ジャック)に殺されるシーンを観た事に表されています。
実際には、
男性(ジャック)を殺していたサンディですが、
彼女の主観では、
男性に組み敷かれるのは、
自身の「自我の死」を意味していた、
故に、
性行為を引き金に、
サンディの死が「開演」された、
と思われます。
とは言え、
女性監督が、
男性を赦しつつ、男性優位社会の問題点をあぶり出した
『プロミシング・ヤング・ウーマン』、
男性監督が、
男性を拒絶しつつ、女性性の搾取の構造から抜け出せていない
『ラストナイト・イン・ソーホー』、
この対比には、
興味深いものがありますね。
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深掘り必須!?の小ネタ集
本作『ラストナイト・イン・ソーホー』は、
監督の前作である『ベイビー・ドライバー』同様、
楽曲が、重要な役目を果たしています。
残念ながら、
英語がよく分からない私でも、
あ、これは場面に合わせた楽曲だな、
と、気付く位、
ストレートに、場面の状況や、
登場人物の感情に合わせた選曲をしており、
それはまるで、
ミュージカルの様なノリすら漂っています。
もっと、ちゃんと英語が分かれば、
面白いンだろうな~、と、思いますね。
また、アニャ・テイラー=ジョイが演じる少女、
「サンディ」という名前は、
『パリのあやつり人形』という楽曲を歌った、
サンディ・ショウから取ったと、
監督が明言しています。
『パリのあやつり人形』は、
サンディが、ストリップショーデビューした時に流れていた曲。
そして、
この曲はヒットしたそうですが、
サンディ・ショウ自身は、
男性の言いなりになる女性を歌っていたので、嫌いだったそうです。
また、
エロイーズが、
初めて過去のロンドンに訪れた時、
見上げた劇場に掲げられていたのは、
ショーン・コネリーが主演した、「007」シリーズの
『007/サンダーボール作戦』(1965)です。
公開年で、
過去のロンドンが、
1965年以降、その近辺だと、
推測出来る様になっているのですね。
また、
本作に出演した、熟年役者達、
祖母ペギーを演じた、リタ・トゥシンハム、
銀髪の男を演じた、テレンス・スタンプ、
ミズ・コリンズを演じた、ダイアナ・リグは、
それこそ、
1960年代から活躍する、
英国の名優。
それを、拘りでキャスティングしています。
本作の冒頭、
「ダイアナに捧げる」という献辞は、
2020年に亡くなり、
本作が遺作となったダイアナ・リグに向けたものなのです。
そのダイアナ・リグは、
本作にて再現された舞台の一つ「カフェ・ド・パリ」に、
18歳の誕生日、実際に訪れたのだそうです。
当時を蘇らせた舞台のセットに対する感動を語り、
華やかな記憶を語りつつ、
同時に、
男達が、自分を性的な目でジロジロ眺めて来たという記憶も、
監督に語ったそうで、
このダイアナ・リグの記憶のエピソードは、
そのまま、本作のテーマにも通底するものがあります。
更には、
主演のトーマシン・マッケンジー。
父は、映画監督で、
更に、
母(ミランダ・ハーコート)も、
祖母(ケイト・ハーコート)も、
役者だったそうです。
この来歴が、
何処か、本作のエロイーズとも共通する様に思えます。
この様に、
他の作品からのオマージュ、インスパイアの多用や、
役を演ずる人物の来歴、因縁など、
色々なものを盛り込んでいる本作は、
調べれば調べる程、
小ネタが盛り込まれた、
宝箱の様な作品であり、
それを発掘するのも、楽しいと思われます。
過去の憧れ、
夢への期待、
それが、
男性の欲望、
夜の歓楽街、
ショービジネスにて搾取される現実。
夢と現実の落差の悲哀を描いた作品『ラストナイト・イン・ソーホー』。
しかし、そのラスト、
自らのピンクの衣装で、
憧れの「舞台」に立てたサンディは、
救われたと言えるのか、
そう信じたい、ラストですね。
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